#8 スマラグディナの一文
【#8】
「…………でも流石に、堪えたわね」
気怠げに言う。想定外の遭遇、そこから始まった魔女たちとの大連戦、そして右腕を失う重症。いかに魔神といえども無視できないほど重い消費となっていた。
「このまま直接ヴェルペルギースを消すつもりだったけど……今のコンディションじゃ無理ね」
「はは、それは……なによりだ」
ミクロマクロは創痍の体で気丈な言葉を返す。敗北と死を受け入れて吹っ切れていた。アイヤツバスもまた、その姿に微笑み返す。
「ええ、まったく迷惑だわ。魔女がここまで食い下がってくるなんて思わなかったもの」
「意地、ってやつさ。案外捨てたものじゃない……だろう?」
「それもあと数日。結局は世界と共に滅びるんだけどね」
「…………」
もはや返す言葉を見つけることもできず、沈黙の中苦痛に耐える。
そんなミクロマクロの傍にアイヤツバスは膝を付き、言う。
「誇りなさい、ミクロマクロ。貴女は世界で初めて魔神を退けた魔女となったのだから」
そっと背を撫でた。ミクロマクロは、静かに目を閉じた。
「さて、それじゃしばらくは療養ね。その間はカーネイルがこなしてくれるでしょう」
アイヤツバスはその言葉だけを戦災の爆心地に残し、魔神の身体へと戻っていった。
◆
そのしばらく後。
「────」
あらゆる生が消え去ったと思われたその地に、一つだけ残る命があった。
「…………ああ、しんどい」
それはミクロマクロ。彼女は死に巣食われた躰の中、最後の任務を遂行するためにその灯火を永らえたのだ。
俯せから仰向けへ。身を返らせてまで取り出したのは、先の戦闘でヒビだらけになった伝気石。震える手で魔力を点し、繋げたのは残酷魔女本部へ。
〈〈──ミクロマクロ? ミクロマクロ!? やっと繋がった……!〉〉
「ああ、こちらミクロマクロ…………聞こえているかい、アーカシャ」
〈〈何をのんきに! あんたのバイタルサインが低下したと思ったら一切の連絡が途切れて……今どういう状況!?〉〉
焦りと安堵が入り混じった声色で、通話先のアーカシャは問い立てる。
「任務は完了だよ。戦災の魔神アイヤツバス、その本体を撃退した。今はあのでかぶつの中でお休み中さ」
〈〈そっか、お疲れ様。これで総督の計画は守られそうだね〉〉
「がんばったんだぞ。もう少し褒めてくれたって──まあいいや」
残された時間を察し、ミクロマクロは言葉を変える。
「なぁアーカシャ。毎日は楽しいかい?」
〈〈え、何いきなり〉〉
「いや──最近は誰かさんのせいで『世界滅亡』とか聞くようになっただろう? それで私は考えたんだ」
〈〈いつ死ぬか分からないから毎日を楽しむ、って?〉〉
「ま、そんなところ。で、どうだい」
〈〈楽しいよ。いや、実際はそんなこと言ってる場合じゃないのは分かってるけど……それでも、私は毎日が楽しい〉〉
ありふれた会話だ、アーカシャはありありと本音を吐露していく。
〈〈そう思うようになったのは残酷魔女になってからかな。勿論悲しいことも沢山あったけど、皆と触れ合った日々はかけがえのないものだよ〉〉
「……そうか」
それで十分だった。
〈〈……変だよね、ガラでもないし〉〉
アーカシャは照れを隠すように話題を振る。
〈〈話、変えるよ。あんたのバイタルが観測できてないんだけど、無事?〉〉
「…………ああ、それが無事じゃないんだ」
〈〈手負い? わかった、すぐに応援を向かわせるね〉〉
「いや、その必要は無いよ」
〈〈え?〉〉
「もうじきに──ここには誰も、いなくなる」
その命運を、ミクロマクロは理解していた。
〈〈何言って〉〉
「言った通りさ。私ももう限界なんだ。呼吸するだけで折れた骨が刺さって痛いし、立ち上がるだけの足も残ってない。こうして話しているのが最後の力なんだ」
〈〈なら休んでてよ! こっちも大至急で──〉〉
「なぁ、アーカシャ」
〈〈なに〉〉
不思議な力を持つミクロマクロの言葉に、アーカシャは二の句を告げなかった。
「最後に話せたのが君で良かった」
そしてミクロマクロは伝気石を取り落とした。同時に全ての魔力が失われ、その通信も途絶えた。
「…………あーあ」
空を仰ぐ。彼女に残された自由はたったそれだけだ。
「結局こんな終わりかぁ。相変わらずの貧乏クジだ」
言葉に宿るは後悔の念。全てが終わった今、その旅路を清算する。
「やっぱりあのときに終わっておけばよかったのかな」
彼女が復讐を果たしたその瞬間。それを永遠にしておけば、こんな思いをせずに済んだのか。
ミクロマクロは諦めたように目を閉じる。
その想いが真実ならば、アーカシャにあのようなことを問うはずがない。
同胞の顔が暗闇に浮かぶ。
朽ちた修羅だった己に手を差し伸べてくれたバシカル。
その境遇に共感し、全幅の信頼を置いてくれるようになったシャーデンフロイデ。
自棄で無気力な己に本気で怒ってくれたグラバースニッチ。
眩しい羨望の眼差しを向けてくれたジェムジュエル。
他愛も中身もない話で笑い合っていたオルドヴァイス。
共にソファで眠りこけるアーカシャ。
人形の中から熱い視線を向けてくるアガルマト。
クールな表情に秘めた進化の熱狂を垣間見せていたイヴィユ。
高笑いしながら常に全員を気に掛けていたロゼストルム。
残酷魔女たちにだけ無感情な本性を許したディサイシヴ。
そして、残酷な命に満ちた強い輝きを見せるアクセルリス。
「……はは、困った。良かった思い出ばっかり浮かんでくる」
吹っ切れたように目を開く。死を直前にしてなお、眩しいほどの希望が満ちていた。
「私は生きたんだ。故郷で静かに朽ちていくより、魔女として華々しく生きて死ぬことを選んだ。後悔なんかしちゃダメだな」
再び、空を仰ぐ。心なしか、先程まで見ていた空よりも明るく、そして暖かく感じる。
そしてミクロマクロはふと思い出す。詩が大好きだった『ひとりの魔女』のことを。
「私にはさっぱりだったけど」
苦笑いを零しながら、ミクロマクロは少し考えた後、綴った。
「……より遠い空、君もまた遠い」
天に届くように奏でる音韻、そっと寄り添う死へと囁く言葉。
「より大きな世界、より小さな私」
その大きな心にぽつんと秘め続けた想いを、今、言葉に形作る。
「ああ────エメラルド」
幽かな口には恋人の名を、伸ばす手には澄み渡る大空を。
「きみのところに、いけるかな」
目には、終わりを。
【より大きな世界、より小さな私 おわり】