#5 最後の一人
【#5】
「どうしてもって言うなら、実力行使してみなさい」
「元から、そのつもりです──!」
フネネラルの姿が消えた。それとほぼ同時にゼットワンが領域を広げていた。アイヤツバスはその二つを冷静に見通し、動く。
「まずはこっち」
振り向く。矛を振り被るフネネラルが目に映る。抜かりなく構えた右掌に魔法陣を広げる──最中、再び姿が消えた。
「当然、そうする」
想定内。彼女も再度振り向き、そこにいたフネネラルへ左掌から魔力の炎を撃ち放った。魔力を籠らせた矛が回り、迫るそれを弾く。
「はあッ!」
「この程度で私の眼を誤魔化せると」
「まさか」
吐き捨てる。直後、死角からアイヤツバスを狙ったゼットワンの蹴りが右掌の魔法陣に妨げられた。
「っ!」
「「これ」も含めて、だけど?」
冷たい眼差しが刺す。一の太刀は、完全に読まれていた。
「……ならば!」
しかしゼットワンは眼に獰猛を宿し、動く。彼女の太刀は数多にある。
「フネネラル!」
「分かってる!」
呼応、そして領域に魔力が満ちる。
「何度でも試してごらんなさい。私が全て潰してあげるから」
冷酷を見せるアイヤツバスの眼前、ゼットワンがフネネラルになった。
「潰れるのは貴女だッ!」
豪快なほどに構えられた鎌が垂直に走る。当然その隙だらけな太刀筋、アイヤツバスは自身を脅かすものではないことに気付いたが──その背後でゼットワンの気配が消えていることにも気付いていた。
「何を考えているのやら」
呆れた声と共に、二本の指で鎌を受け止める。多少は重いが、多少だ。
しかしそれを見たフネネラルの反応も早く。
「せい、はあッ!」
即座に鎌から手を放し、両の拳を武器としてアイヤツバスを襲う。
「面倒ね、どこまでも」
苛立ちを見せる。鎌を投げ捨て、迫る二つの拳を両掌で掴んだ。
「やっぱり貴女──今死になさい」
「ッ!」
宣告と共に魔力を高める。直に繋がっている手からそれを送り込み、内部から焼き尽くす企てだ。
フネネラルもそれに気付き、離れるべく力を籠めるが、握り潰すほどの怪力に抗えない。彼女もまた先に散った魔女たちのように、燃え果てるのか。
「させるかッ!」
ゼットワンが叫ぶ。彼女が唱えた異、それはアイヤツバスの眼下より。両腕が塞がったこの瞬間を好機として見逃さず、姿を見せた。
鋭い蹴り、爪先がアイヤツバスの鳩尾に食い込む。
「……」
魔神は苦痛よりも不快が上回るその感覚に眉を歪ませ、標的をゼットワンに移した。
「貴女」
「どうした? 恨めしいなら私も捕まえてみろ」
あからさまな挑発。入れ替わるようにフネネラルが姿を消す。
「貴様への怨みは数知れない! 私の生殺与奪を握り、更には友の命すらも奪った貴様は!」
「そんなのは生きてれば幾つもあるわ。いちいち気にしないほうが楽よ」
怒りで研ぎ澄まされる連続の蹴りを事もなげに躱す。反撃はしない。
「こんな仕事だ、理解しているとも! その上で貴様は許せないと、そう言っている!」
「大変ね」
狂おしい熱を見せるゼットワンとは対照的に、アイヤツバスはどこまでも冷たく静かに。憎悪や怨恨を向けられることには余りにも慣れ過ぎているのだろう。
「その態度……いつか足下を掬われるぞ」
「はいはい、忠告ありがとう」
ゼットワンは距離を離し、一度呼吸を整える。長く激しい戦闘だ、無理もないが──それは決してこの存在に与えてはいけない猶予でもある。
「じゃあ死になさい」
アイヤツバスに魔力が滾る。全てを致死へと誘う邪悪な魔力が。
それでもなおゼットワンがこの行動を選んだのは、その眼に写っているのが戦災の魔神ではなく、その奥のフネネラルだったからだ。
「──ッ!」
気配も音も殺して迫っていたフネネラルが矛を振るう。それがアイヤツバスを裂くまで少し──そのとき、振り向かれた。
「気付かないとでも」
手を翳す。魔力が具現化した邪悪なる突風が巻き起こり、フネネラルを吹き飛ばす。
「うあ────!」
まるで嵐の中の枯葉のように、その体は狂ったように舞った。
「ワンパターンすぎるわよ。本当にそれで戦えていると思ってるの?」
言葉には落胆の色が見える。
「貴女に聞いてるのよ、ゼットワン」
口にしながら、ゆっくりと振り向く。悠長すぎるその行動は、吹き荒ぶ風がアイヤツバスの体を取り巻いているからこそ。拳などで触れればたちまちに吹き返される、それはまさに風の鎧。
それを纏い、悠然と愚かな魔女を目に映した。
「…………」
言葉が途絶えた。
アイヤツバスの眼を引いたのは、矮小なゼットワンではなく、彼女が振り被る『それ』。
「何を驚いている」
紛れもなく、フネネラルの矛。
この瞬間のための布石。一の太刀を防がれてから全て、ゼットワンの領域の中だったのだ。
「繋がったッ!」
彼女のトリックは魔神をも欺いた。その誉は、確実な好機を賜与される。
「断ち……斬るッ!」
振り下ろされる強い斬撃。傭兵隊長たるゼットワンはあらゆる武器に精通している。だからこそ矛での最も鋭い一撃も導ける。
それは、アイヤツバスの右肩に浅くない傷を残した。そのとき、風も止む。
「──」
「まだだッ!」
冷たく煮え滾る視線に晒されながらもゼットワンの行動は止まらない。矛を振り下ろした勢いのまま全身を回転させ、その足裏が空を仰ぐ。
そこから放たれるのは。
「喰らえッ!」
「────!」
遠心力と全体重を乗せた、猛猛しい浴びせ蹴りだ。それは同じように敵の右肩を穿ち、先に刻んだ傷からより血を迸らせる。
アイヤツバスの瞳が細められる。ゼットワンはその表情に確かな手応えを感じ、迅速にその場を引いた。
「痛いじゃない」
「効いたか。何よりだ!」
快活に吐き捨てながら、ゼットワンはフネネラルと並び立つ。矛を手渡し、不敵に笑った。
「魔神も痛みを覚えるのか。なら殺せる」
「いい情報を得たな」
二人は歴戦の双璧かのように。本来敵対する立場であり、その上今この場で出会ったばかりにも拘らずこのように振舞えるのも、両者の能力の高さによるものだろう。
「合わせろ、傭兵!」
「その気概、乗ってやるとも!」
高まるボルテージのまま、二人同時に駆け出す。
「はあああああ────」
確固たる傷は負わせた。この好機を逃すわけにはいかない。
全力をもって貫き屠る。その想いを一点に集め、突撃する。
「…………」
アイヤツバスは無言で両腕を広げる。その目には確実な『怒り』が読み取れた。
「はあッッッ!!!」
葬送の矛が。領域の蹴りが。それぞれの強い独善を宿したそれが走り──巨大な魔法陣の防壁と拮抗する。
「く……堅い…………!」
「だが、私たちの感情の方が強い! そうだろう、フネネラル!」
「当然! 圧し込め傭兵!」
凄まじい競り合いだ。しかしそれは段々と、平等たる均衡を崩し始める──執行人と傭兵の側が、優位となるように。
「行ける、行けるぞ! ここで気張れ!」
「私たちの想いは途絶えさせない──!」
叫ぶ、叫ぶ。狂瀾の熱、魔女に伝播し煮え滾る。食い付く魔法陣にヒビ割れが生じ始める。
だが魔神はそれに動じない。どこまでも冷たく、その様を見下していた。
そして。
「調子に乗り過ぎ」
とん。アイヤツバスが握った拳で魔法陣を軽く突いた。
瞬間、激しい衝撃を放ちながら魔法陣が爆散した。当然それは、二人の魔女をも巻き込んで。
「く──!?」
「うあっ……!」
二人同時に吹き飛ばされ、二人同時に着地し、二人同時に身構える。
「くっ! 僅かに届かなかったか!」
「だけど可能性は見えた。なら何度でも、何度でも……」
一たびの余白。それを超え、なお隙間なく攻め立てようとしたとき、二人同時に気付いた。
「何だ……?」
「これは」
彼女らの周囲を黒炎の壁が包み込んでいたことを。それはゼットワンの領域をもすっぽりと覆い、あらゆる退路を断つ障壁として存在していた。
「はぁ」
アイヤツバスが不意に溜息を漏らす。
「もういい加減うんざり。貴女達が勝手に盛り上がってるのを見ても、もう楽しくないわ」
退屈気な言葉と共に、その輪郭が赤黒く染まる。それは不穏に満ちた予兆だった。
「だから逃がさないし、そして手っ取り早く終わらせる」
フネネラルとゼットワンが感じたのは、本能的な恐怖と、魔神の内より煮え滾る炎。
百戦錬磨の二人は、アイヤツバスが何をしようとしているのかを瞬間的に察した。
「──ッ!」
戦災の爆炎による範囲攻撃だ、と。
それに気付き、そして先に動いたのはゼットワンの方だった。
「フネネラル」
彼女はそう言いながら魔力の流れを変えた。
広がる領域をフネネラルの周囲だけに集約させ、それを三次元的に展開し、彼女を囲む『檻』とした。
「後は頼んだぞ」
その言葉は重い覚悟に満ちていた。
「お前」
「私は最後の一人に相応しくない。ならば、託す。それまでだ」
「っ……」
フネネラルは言い返すことが出来なかった。無二の朋友たちを失ったゼットワンの覚悟をありありと感じたからだった。
「涙ぐましい自己犠牲ね。でもそんなモノで耐えられるのかしら?」
「耐えるさ。私の最後の領域だ」
「なら試してみましょうか──」
放つ光が強まり、この地の全てを包み込む。
その瞬間、フネネラルはゼットワンへと言った。
「感謝する──」
そして爆ぜた。
【続く】