#4 くじら座のミラに手を振って
【#4】
「今度はどんな小細工を見せてくれるのかしら」
不敵に構えるアイヤツバス。そんな彼女を取り囲むように魔女たちは動く。
「ハァーッハァ!」
「シャッッッ!」
交錯の中、スカーアイズの閃光とインペールの舌が走る。
「……」
アイヤツバスは無言のままに指を鳴らす。彼女を取り囲む魔法陣のうち一つが防壁となり舌を逸らし、また一つが弾けて閃光を掻き消す。
「この程度?」
「ハァハハ! まさか!」
「油断しテくれるなヨ!」
二者は旋回移動を続けながら、再び攻撃を構える。
「芸のない」
落胆と共にアイヤツバスも再び指を鳴らす。
「ハァーハハハ!」
「シャアッッッ!」
そして先程と同様に二つの魔法陣が動き、攻撃が阻まれ──ない。
「っ……!?」
二人の攻撃は魔法陣とは外れた方角より迫り、アイヤツバスへと着弾した。閃光が魔力を奪い、槍舌は肩口を貫く。
「これは」
「私の領域の中にいるのだ。何もおかしなことは無かろう?」
堂々たるゼットワンの声。彼女が指さす地面には、領域の魔法による陣が展開されていた。
升目を参照とする転移魔法。ゼットワンは己の得意とするそれを用いてスカーアイズとインペールの位置を攻撃の瞬間に移動させていたのだ。
「引っ掛かると思ったよ。私たちにまるで興味がないみたいだったからな」
「やってくれたわね、ゼットワン」
「おっと、私なんかを見ていていいのか?」
そのやり取りの直後、アイヤツバスは背後に迫る殺意を感じた。
「より恐るべき悪魔がお前を狙っているぞ」
「狩る。今度こそ」
フネネラルはただ殺意だけを込め鎌を振り下ろす。アイヤツバスは咄嗟にそれを受け止める。
二つの力は、拮抗する。
「ハァーハハハハ! ハ! ハァ! 当然! 我が魔力奪取赤色閃光をモロに受けたのだからな! 例え魔神であろうと抗えぬ『暴力』よ! しかし不味なる魔力であることだな、お前のは!」
「そしテ見たとこロ私の傷モ効いていルようだナ。何よりダ」
「貴女達……」
アイヤツバスから敵意が迸る。しかし多方に向けられるそれは、ただアイヤツバス一方へと奔るフネネラルの物に比べれば、劣る。
「余所見をするな! 私を見ろ……貴女を殺す、私を!」
激情のままに口を吐いて出た言葉だった。
しかしそれは、アイヤツバスへまた違った意味を成して刺さる言葉でもあった。
「……今、なんて?」
急変、刃を受け止める魔法陣に怒りの魔力が満ちていく。岡目にも理解できるその変貌を危惧し、ゼットワンも動く。
「せぃッ!」
競り合うアイヤツバスの隙を上段蹴りが狙う。しかしそれもまた魔法陣に阻まれた。
「く……お前たち!」
「ハァーハァッ!」
「シャッッッ!」
三度放たれる光と槍。しかしそれらも、一瞥されることもなく弾かれる。
「こいつ……!」
そしてアイヤツバスはただ一点──フネネラルの眼を見、言う。
「貴女が私を殺す、と?」
「はい。撤回はしません。それが私の役目ですので……!」
刃に信念をも宿らせ、更に力を籠める──だがそれよりも強く、アイヤツバスの魔力が増幅していく。
そして、言う。
「思い上がるな」
それは魔神の声。
あらゆる生命が本能的に怖れを成す、上位たる存在の声だ。
「────ッ」
むろんそれは傭兵、そして執行人であろうと例外ではなく。恐怖に僅か一瞬ではあるが身を竦ませる──ただそれだけの間に、この場における優位はアイヤツバスが奪っていた。
ゆっくりと、フネネラルとの拮抗を圧し上げながら、魔神は語る。
「貴女なんかじゃない。私を殺す存在はこの世界にひとりだけ──残酷で美しい銀色の鋼を持つ少女、たったひとり」
既にフネネラルは屈した。鍔迫り合いだけではなく、その心すらも。
「貴女は何? 執行人という役に酔い、不吉な悪魔で自分を覆い隠す貴女は」
「あ──」
そして遂にフネネラルの身体が弾き飛ばされた。 傭兵たちはまだ、恐怖に慄いたまま。
「──ぐあっ……! まだ、だ!」
時間と空間的な猶予がフネネラルに闘志を取り戻される。
しかし既に、アイヤツバスは彼女へ指先を向けていた。赤黒い焔を滾らせた指先を。
「っ!」
刹那、少し遅れて戦意を取り戻したゼットワンが領域を広げる。それは先のようにフネネラルを助けるための行動だ。それは誰もが理解できる。
当然、アイヤツバスにも。
「はい、さよなら」
ならば、アイヤツバスが指先をゼットワンへと逸らしたのも、当然の行動なのだ。
「え」
ゼットワンがそのこと──フネネラルを餌に、罠に嵌められた事実──を理解するよりも早く、黒焔の弾丸は放たれた。
彼女の脳裏を『死』が埋め尽くした。
その運命を掻き消したのは友との絆に他ならない。
「させるカァァァア!」
雄叫びと共に飛び込んできたのはインペールだった。己を奮い立たせた彼女は、ゼットワンの身代わりとなって焔をその身に受けた。
「グ……! アア、アアアアア…………!!!」
「な……!」
「インペール!? インペール!!」
スカーアイズの叫びを聞きながら、眼前でインペールが赤黒い炎に包まれる。ゼットワンの五感はゆっくりとそれを感受する。
「ゼットワンは我らの星ダ! その命ヲ絶やせハせぬ! この私ガ! アアアアアアアアッ!」
戦火の焔に包まれた者の末路はこれまで幾度か目にしてきただろう。インペールも例外なく、これまでの犠牲者のように全身を炎に包まれながら絶叫する。
ただ彼女が違うのは、その内に果てしない希望と意志を宿していることだった。
「グアア、アアアアアアアアア! だが! まだ! 私ハ生きていル──!」
燃えながらにしてインペールは口を開く。魂の底まで焼き焦がされながら、己の力で役目を果たすべく動く。
「シャアアアアアア──ッッッ!」
焔を纏いながら発射された舌は、インペールの生涯で最も速い一撃となり、魔神の心臓を狙い走る。
「速い。けど、見えないほどではないわね」
アイヤツバスは言葉の通りに、貫かれるより先に舌の先端を掴んで止めた。
しかしそれすらも、死を宿す者にとっては想定の内だった。
「アアアアアアーーーーーーッ!!!」
その状態のままインペールは駆け出す。赤黒い残像を残しながら、アイヤツバスの周囲を旋回する。
「あら」
気付けば、遅く。インペールは己の舌を縄のように扱い、アイヤツバスを拘束する。
本来であればその舌は彼女にとって弱点となる。しかし今は、その脆弱を気に留める必要は無い。
そして十分なほどに魔神の身体を縛り上げ、魂から叫ぶ。
「やれ、フネネラル! 立ち止まるナ────!」
「──ッ!」
死にゆく者からの激励。受けたフネネラルは即座に駆け寄り、そして同時に矛を握る力を高める。
「感謝する──!」
強く強く刃を振り下ろし、燃え盛るインペールの舌ごとアイヤツバスを叩き斬る。
「う──」
「アアアア、アアアアアアア──!!!」
小さなアイヤツバスの呻きと、激しいインペールの慟哭。
しかし潮流は、狂奔の熱のままに動きを止めず。
「インペール!」
「構わヌ! やれ────!!!」
「うあああああああ──ッ!」
絶え間なく叫び続け、幾度となく斬り続ける。一太刀の度に赤黒い炎が飛び散る。
歯牙にもかけていなかったアイヤツバスも、段々と退屈そうな表情を浮かべ始める──しかし限界で我を保ち続けるインペールの抵抗に、身動きを許されない。
「これ、で!」
斬撃の連鎖、果てに極まりし一撃。フネネラルは刃を水平に走らせ魔神の首を断つ──だがその寸前、アイヤツバスを包む炎が激しさを増したかと思えば、その姿が消えていた。
そして再び存在を顕したのは、他でもないインペールの元だった。
「はい、おしまい」
「アグ、アアアア……ッ!」
既に舌を焼き滅ぼされ、数多の痛苦に呻く頬にそっと手を当てていた。
「いい夢見れた?」
「アアア、貴様アアアアアアアア────ッ!」
「おやすみ」
そして、インペールは完全に赤黒い炎へと成り果てた。その残滓を吸収したアイヤツバスの傷が癒える。
「…………」
静まり返る、或いは怒りと哀しみで震える魔女たちの前で、アイヤツバスは少し不満足気な表情を見せた。
どうやら、万全なほどに傷は回復していないようだ。
「この程度の傷ですらも……ちっぽけな存在だったのね、彼女は」
「──テメェッ!」
瞬間、スカーアイズの怒りのボルテージが限界を迎え最高潮へと満ちる。
その昂りに呼応し、彼女の輪郭で赤色の魔力が漲り。
「インペールを! 奴の犠牲を嘲笑うなァーーーーッ!!!」
激情と共に空の右目から巨大な閃光が産み落とされた。
その光はスカーアイズの感情を写し出したかのように形を変え──鬼神の形相を成す。
「我が暴力に! 噛み砕かれろ!!!」
怒りの光が牙を剥き、魔神を喰らわんと走る。
激しい想いを宿したその光速は、魔神の眼すらをも置き去りにするほどに極まる。
「──っ」
だからこそアイヤツバスが被弾に気付いたのも、体から魔力が抜けていく感覚を味わってからだった。
その体がよろめく。魔神の基準で考えても莫大な魔力が奪われているようだ。
しかし、故に。
「ハァーハハハハ! これこそ我が怒りの…………!?」
高らかに吠えるスカーアイズの口から大量の血が吐き出された。
「ご…………はぁっ……!?」
「スカーアイズ!?」
「ええ、そうなるでしょう」
既に身を整えたアイヤツバスが冷やかに告げる。
「私からあれだけの魔力を奪ったんだもの。魔女の身体では許容できないほどの量よ? オーバードーズを起こすのも無理もないわ」
「ガ、ア……テメェ……!」
「加えるのなら私の魔力は特別性。貴女のような魔女では受け入れることの出来ない、いわば劇毒」
戦火の魔力はあらゆる存在に対して害を成す。それを己の力へと還元できる存在の方が異常なのだ。
「ゴ……グ、オ…………!」
「しっかりしろ! 魔力に飲み込まれるな!」
膝を付きのたうち回るスカーアイズ。その両目が急速に赤黒く染まっていく。
絶え間なく吐き出される血。加えて目や鼻、耳からも血を流す。そしてそれらは段々と赤黒い色に変わる。
戦火の魔力が暴れているのだろうか。スカーアイズの身体は触れずして切り裂かれ、ズタズタになっていく。
「……だが! 魔力は奪った、それは事実……!」
「ああ! やれ、フネネラル!」
「想い、無駄にはしない!」
インペールの末路を見届けたスカーアイズに産まれたのも自己犠牲だった。魔神の力を削いだのは事実、であれば後は望みを託せばよい。
希望は、駆け出すフネネラルへと託された。
「はぁ──!」
ゼットワンの援護の元、目にも止まらぬ速さでの転移を繰り返す。アイヤツバスですらも翻弄するイリュージョンのまま、間合いの内で鎌を振るう。
「この一撃は、通す!!!」
だがその希望も、焼き払われる。
「く────!?」
刃が触れる寸前、アイヤツバスの身体から赤黒い魔力が解き放たれ、フネネラルを押し留める。
「馬鹿な、こんな魔力が……!?」
「足りないのなら、創ればいい。普通の事でしょう?」
魔力を奪われたのならば、その分を再び生み出せばいい。更に言えば、魔神である今のアイヤツバスが生み出す魔力は、量も速度も魔女たちとは比べ物にならないほどに極まっている。
「今のはちょっと面白かったわよ」
魔法陣を生み出しフネネラルを拘束する。そしてゆっくりと、処刑を執行するように歩み寄る。
「でもいい加減飽きちゃった。だから終わらせるわね」
「来るな……!」
手を伸ばし、フネネラルへと触れる──その寸前。
「────ハァーッハッハァ!!!」
慟哭が如き叫びが響いた。直後、アイヤツバスは再び魔力を失う感覚を味わった。
「え」
思わず振り向く。見えたのは、不敵な笑みを浮かべるスカーアイズ。右目の空洞からは閃光の余韻が残っていた。
「貴女……まさか、また?」
「ハァーッハハハ、ハ、ハ! 回復されたのなら、また奪えばいい! 普通の事だろう、なぁ!」
「そんなことをすれば貴女の体は」
「ハァハハハ! 承知の上だとも……ぐ」
小さく唸り、口元を抑えるも、夥しい量の血が溢れ出る。
「ガッ、はあッ…………!」
それに追随して目や鼻から流れる血も勢いを増し、更に体の髄より燃え盛る感覚に身を捩じらせて悶える。
やがて口から吐き出されていた血は炎へと変わり、内と外の両面からスカーアイズを火達磨にする。
「アアア、アアアアアアア────!」
「スカーアイズ、お前まで……!」
「…………!」
その痛ましい光景を目に焼き付け、フネネラルは奮起する。脆くなった拘束の魔法陣を力任せに砕き、目一杯に鎌を振り被り、そして。
「っ!」
殺気に感付いたアイヤツバスが動く──それよりも早く葬送の刃が喰らい付く。
「断つ!!!」
鎌はアイヤツバスに肩口から始まる袈裟懸けの傷を刻んだ。致命傷というには遠いが、これまでの刃で最も深く残された傷でもあった。それは世界にとって大きな一撃だ。
「く……」
「私は言った! この一撃は通す、と!」
怒号と共に返す刃を走らせる。間一髪、アイヤツバスは転移して逃れた。燃え盛るスカーアイズの元へ、だ。
インペールのように彼女をも己の糧にすべく手を伸ばす。だが寸前、ゼットワンの蹴りがそれを止めた。
「ゼットワン……」
「二度も! 朋友を貴様の血肉とさせてなるものか!」
「力を貸した恩を忘れたのかしら」
「貴様への恩など、二人の物に比べれば余りにもちっぽけだ!」
「とんだ恩知らずね、まったく」
「黙れ! そして退けッ!」
怒りの連脚が走り、アイヤツバスを退かせる。
そしてゼットワンは、消え逝く友へ言葉を零した。
「スカーアイズ。お前とインペールの誇りは守り抜く」
「ハァ──ハハハ。それならば、安心だな────」
小さな声。友にさえ届けば十分なその音を最後に、スカーアイズの体は灰に消えた。
それを見届け、強い意志の眼でアイヤツバスを睨む。最後の一人となろうとも、その想いは途切れない。
「仇は討たせてもらうぞ」
「びっくりするくらい凡庸な台詞ね。私にそう啖呵を切って、そして死んでいった魔女を数多く見てきた」
「流石は世界一の嫌われ者ですね」
フネネラルも臨と並び立つ。例えそれが外道魔女であろうと、目の前で二つの命を散らされて感情を揺らさないほど冷酷ではないのだ。
「それも今日までです。ここで貴女と戦い散っていった魔女たちのため、そして貴女が戦火に呑み込み続けた命のため、貴女には死んでもらわなければならない」
「悪いけど、人に何かを強要されるのは嫌いなの」
煽るように髪をかき上げ、細めた瞳で二人を見た。
「どうしてもって言うのなら、実力行使してみなさい」
【続く】