#3 シャニダールからの使者
【#3】
「──ここだね」
プリソンへと足を踏み入れたのは、嘲るような表情の悪魔の面を纏った魔女──《葬送の魔女フネネラル》だった。
街は静かだ。それは既に民間人の避難が済んでいるからなのだろうが、しかしフネネラルはその静寂に本能的な不穏を抱いていた。
「街への損害は意外にも少ないな。証言は事実なのかな」
避難した人々からは『魔女が街を守ってくれている』との証言が得られていた。だが魔女機関所属の魔女からそのような連絡は受けていない。
であれば、一体どのような魔女が動いていたのか。その確認も兼ねてフネネラルはこの地に遣わされたのだ。
「ん……何だ?」
仮面の下で目を細める。唐突に建造物が失せ、開けた地が見えた。
「プリソンにあんな広場は無かったはず」
不穏が大きくなる。いち早く現状を把握するため、フネネラルの足が速まる。
「────」
そして、目に映す。
「ぅ、ぐあ…………」
二人の魔女。
一人は悠然かつ堂々と立ち、もう一人は満身創痍でその前に跪く。
フネネラルは、そのどちらの顔も知っていた。
「アイヤツバス……! それにあれは外道女帝エンプレゲージ……?」
彼女の声が届く。ゆっくりと、立つ魔女が首を向け、言った。
「フネネラル──貴女まで現れるなんて、何か不思議な力が働いてるみたい」
それは、アイヤツバスだった。
「何を……している。貴女たちは」
アイヤツバスが答えるよりも先に武器を構える。
「なぜエンプレゲージと共にここに居るか、それを答えろ!」
「そう焦らないで。貴女の考えていることは分かるわ──別に私はこの子を手駒にしようとしたとか、そういうのじゃない」
黒に染まった知識。それはフネネラルの脳裏を読み、一手先の答えを返す。
「それよりも貴女はこの子にお礼を言わなきゃいけないわ。なにせ此処にいた外道魔女たちはみんな街を守り戦ったのだから」
「外道魔女が……?」
疑念を浮かべながらも周囲を観察する。見れば確かに数名の魔女の死体が存在していた。それも皆、フネネラルも知る外道魔女ばかり。
「脱獄を果たしたのに、逃げずに貴女と戦うことを選んだと?」
「そうよ、不思議よね?」
「何故そんな」
「私にもさっぱり。聞いてみましょうか?」
言うとアイヤツバスはエンプレゲージの首を掴み持ち上げた。
「さ、教えて。貴女たちの行動理由を」
「…………貴様に言うことは何もない」
それは女帝の矜持。身体がどれだけ痛め付けられようと、誇り高く強き心までは挫けず。エンプレゲージは最後まで、アイヤツバスに屈しず抗ったのだ。
「そう。ならもう用は無いわ。言い残すことはある?」
「女帝の託宣だ、覚えておけ。今は魔女の時代だ。神など必要とされていない。我々は我々自身の手で未来を拓き、我々自身の足で未来へ進むのだ」
そしてエンプレゲージは、声高に言い残す。
「くたばれ、時代遅れの神擬き」
直後、その首が消滅した。
「…………」
その顛末を見ていたアイヤツバスの眼は──どこか怒りに歪んでいたようだった。
「……それでフネネラル、貴女は何をしに?」
何事もなかったかのように、平静とした口調でアイヤツバスは言う。
「何を? 私の役職、忘れたわけではないでしょう」
「さぁ、何だったか。魔女機関にいた頃のことはあんまり覚えてないの、どうでもよくて」
「皆、私の名を口にするのも不吉と謳う」
矛の穂先に魔力を宿し、振り抜く。そして完成するのは大振りな鎌。
「我が忌み名、フネネラル。我が役職、《執行人》。即ち魔女機関より生まれし裏切り者を始末する者」
死神が、動く。
「その命、私が断つ」
鎌を振り被ったまま大地を蹴り、瞬間的にアイヤツバスへの肉薄を謀る。
「次から次へと、血気が盛んね」
「狩るッ!」
巨大な刃を持つ鎌、その大振りな太刀筋は退路を妨げる。故にアイヤツバスも『迎撃』を選ぶ。
「見え見えよ」
刃の軌道を完全に読み切り、間隙からフネネラルの首を刎ねようと魔法陣を投げた。
直後、フネネラルが消えた。
「──」
そして原理に気付かぬアイヤツバスではない。
瞬間的な転移魔法。寸前にて背後を取り、不意を突く。その戦略を一瞬で把握した彼女は、迫るであろう鎌の軌道を予測し己の背後に防壁を生み出す。
その一手後に振り向き、目を向ける──見えたのは、『矛』を構えるフネネラルの姿だった。
「まず、一手」
計算が、狂う。
「へぇ」
突き上げられる矛の一閃。アイヤツバスの肩口に浅くない傷を刻む。
「そして手は緩めない!」
言葉通り、矛を振り下ろす。天を指す穂先が降り、アイヤツバスの首を狙う断頭台となる。
「ええ、見事」
しかしそれは魔法陣を宿す手の甲で受け止められる。フネネラルは圧し切ろうと力を籠めるが、及ばない。
「私を出し抜いて傷を負わせるとは、流石は魔女機関の執行人ね」
「力が無ければ務まらない──この名に殉じていった先人たちが私に残した教訓です」
フネネラルは再び地を蹴り後方へ飛び退く。身軽に舞い、着地する。
「その中でも私が最も重視しているのは『見極めの力』。彼我の力量差、戦況、隙、そして引き際といったもの」
華麗に矛を扱い、追撃に備える。
「であれば腑に落ちないわね。それだけの力があるというのに、私の前から逃げ出さないの?」
「勿論、貴女との力量差は分かっています──はじめから」
しかしその言葉に恐怖といった感情は無く。
「ですが私は約束をした。『命の限り生きながら、貴女と戦い生き延びる』と」
言葉の裏に見える、銀色の残酷にアイヤツバスも気付いたようだ。懐古のように空を仰ぐ。
「義理堅いのね、貴女は。でも一つだけ失念していることがあるわ」
「何か?」
「貴女にはそれだけの力が無い、ということよ」
アイヤツバスの姿が消える。
「ッ!」
フネネラルは咄嗟に動く。振り返りながら刃を走らせる──が、そこにアイヤツバスはいない。
「いない……?」
「私が貴女なんかと同じことを考えるわけがない。そうでしょう?」
冷酷なその声は、フネネラルの背後から聞こえた。
「ッ!」
再び正面を向く。だが、遅い。
「ぐああッ──!」
振り向くと同時に、その体を包むように衝撃が響いた。アイヤツバスの拳に据えられていた魔法陣が生み出したものだった。
「ほら。弱い」
嘲りと共に吹き飛ぶフネネラルの下に転移する。無様に宙を舞う彼女を魔法陣で捉え、大地に叩き付ける。
「ぐはぁ……ッ!」
たった二撃。それだけで十分だった。
「あ……アイヤツバス……!」
這いつくばる彼女へ、視線を向けぬまま優しく語りかける。
「『誰か』に影響されて、あんな約束をしたようだけど──その誰かと貴女では決定的に力が違いすぎる」
「く、あッ……!」
「残酷に、強く、己の生を貫き続ける。簡単にできることじゃないのよ。かつて全てを失い命も尽きかける、それくらいの修羅を抜けていないと」
その元凶となった彼女の言葉は、余りにも重く。
「貴女にはそれだけの積み重ねが見えない。だからこうやって死ぬ」
開いた掌に魔法陣が生まれる。その縁、断頭の刃をフネネラルの首に向ける。
「次は間違えないように、ね」
そして落とした。
しかし、その処刑は完遂されなかった。
「あら」
空ぶる手応え、訝しんだアイヤツバスの視線の先にはただ傷付く大地のみが見えた。
一瞬にしてフネネラルが消えていた。しかし、先程の彼女に転移魔法を行使するだけの余力と余裕はない。それは紛れない事実だ。
では、何が?
「…………私にはこの者との関わりはない」
アイヤツバスの後方から。声の主は、フネネラルの体を抱き上げたまま続ける。
「だが、目の前で殺されゆく者を見捨てる道理もない」
「ハァーッハハハハハ! ハ! 間違いないな!」
「義理は守リ、筋は通ス。我々の世界でハ常識ダ」
現れたのは三人組──三者ともに魔女であり、そして『傭兵』だった。
「懐かしい顔ね、これはまた」
それはアイヤツバスの記憶にも新しく、かつ深く残る三人。
「お前たちは」
「おっと、野暮なことは言うな。名乗るなら自ら名乗るさ──我が名はゼットワン。《領域の魔女ゼットワン》なり!」
「《隻眼の魔女スカーアイズ》! ハァーッハハ、アタシのこと忘れられるわけねェよな!」
「《貫徹の魔女インペール》ダ。改めテ、よろしく頼ム」
かの三人──誇り高き傭兵三人衆だ。思い返してみれば、彼女たちもまた前回の騒動を経て護送されていた。であればこの場に立ち会うのにも納得がいくだろう。
「久しいな、アイヤツバス。以前会ったときからかなり風貌が変わったな」
「勿論。私は魔女さえも超えたのだから」
「そんなことは構わないさ。見れば、どうやらお前が諸々の元凶のようだな?」
「ええ、まあ。その認識で問題ないでしょう。戦火の魔女だった私が、世界を滅ぼすために魔神になった。それさえ分かれば充分よ」
「……お前が戦火の魔女の正体だったとはな」
ゼットワンは目を細め、想起する。
「だが納得がいく話だ。あのとき私に科せられていた首輪──戦火の魔力が宿されたそれを破壊できるのはお前だけだった。今考えれば当然の帰結だな」
「ハァーハハハ! 笑えるくらい酷ぇマッチポンプだ!」
「落星で魔都を破壊しようトしたのモ、合点が付く話ダ」
「あれは……色んな想定外が入り混じった結果なのだけれど、まぁ貴女達がそう思うならそれでいいわ。今となってはどうでもいいことだもの」
微笑み、周囲に複数の魔法陣を生み出す。
「どうせ世界は滅ぶのだから」
「狂ったようにしか聞こえないが──その目を見ればわかる。本気で言っているのだな」
「私はずっと本気よ」
「だが私たちにとっては迷惑この上ない。私たち三人は何処であろうと揃って生きていくと決めた。そもそもの舞台を消されては困る」
共に迎える臨戦体勢。フネネラルもまた、己の足で立つ。傷はけして浅くはないが、意志で補える。
「動けるか、悪魔の面の魔女」
「当然」
言葉を返し、そして嘲るような表情の悪魔の面を自身の手で砕いた。
「そして覚えろ。私の名はフネネラル」
「いい名じゃないか」
「……本来なら、外道魔女との共闘なんて以ての外」
しかし言葉と裏腹に、彼女は傭兵たちに連なるように鎌を構えた。
「でも今は四の五の言ってる場合じゃない」
「ハァハハ! 柔軟じゃないかフネネラル!」
「だガそノ判断は正しいサ。奴ハ規格外の化け物だからナ」
「ああ。誰も貴女のことを責めはしないだろう」
「……感謝は、勝ってからだッ!」
言葉を置き去りに、フネネラルが走る。そして傭兵たちもそれに続く。
【続く】