#2 来訪者D
【なんでもない一日 #2】
後のドラゴン。一日の後半戦が始まる。
昼食を終えた二人の魔女は玄関にいた。
アイヤツバスはこれから街に向かう。主な目的は買い物。
ご存知のように、この工房は《死んだ妖精の森》の奥にある。もちろん近くに商店などは無い。
定期的に行商が訪れはするが、欲しいものが必ず入荷しているとは限らない。
この森の奥で生活するには定期的な買い貯めが必要不可欠なのである。
「じゃあ行ってくるわね」
「いってらっしゃーい」
アイヤツバスが戸を閉めようとした、その時。
アクセルリスの影から赤い光が飛び出した。
〈待った待っーた!〉
「うわっ!」
「あら?」
トガネだ。掃除中はどこで何をしていたのだろう。
使い魔は主の元を離れ、創造主の影に入った。
〈街に行くんだってな?〉
「ええ、買い出しとか諸々」
〈オレも連れてってくれよ! 街って奴を見てみてぇ!〉
「あはは、好奇心旺盛だねえトガネは」
「そうね、誰かさんに似て」
「誰かさん?」
〈誰かさん?〉
「……そういう所よ」
「?」
〈?〉
同じ顔をし同じ符号を頭に浮かべている一人と一匹。
「さ、行くわよ」
〈よっしゃー! 楽しみだ!〉
「じゃあアクセルリス、留守番お願いね」
「了解しました!」
というわけで、今工房にはアクセルリス一人だ。
かといって特にやることもない。
「昼風呂でもするか」
肩を回しながら自室に戻る。
やはりここ最近肩凝りが目立つ。原因はよく分からない。
とりあえず効き目がありそうな入浴剤を手に入れたので、それを試すのも兼ねての昼風呂だ。単なる趣味でもあるが。
「なーにがあったんだっけ?」
棚を物色。このあたりに置いたことだけは覚えている。
「あ、あったあった」
手にしたそれは黒いパッケージに紫の文字で《ドクヤダミ》と書いてあった。
「…………」
沈黙。思い出される闇の味。
「……見なかったことにしよう」
ドクヤダミの入浴剤を棚に投げ戻し、別のを探し始めたアクセルリス。
その時、彼女の耳にベルの音が聞こえる。
「ん?」
玄関のチャイムだ。誰か来たのだろうか?
「お師匠サマ……は鍵持ってるはずだし」
とにもかくにも動かなければ進まない。幸いにも湯はまだ張っていない。
アクセルリスは急いで階段を下りて行った。
「はーい」
がちゃりと解錠し、ドアを開ける。日光が差し込む。
「おっす、元気か?」
「ダイエイトさん!」
ダイエイト――竜人の青年。大きな荷物をこれでもかと抱えた姿。誰が見ても一目で行商人のたぐいだと分かる風貌だ。
アイヤツバス工房は彼のお得意様の一つ。なのでこのように月に何回か訪れる。
「相変わらず綺麗な庭だねェ」
「お師匠サマが手入れしてますからね!」
自分の事でもないのに胸を張るアクセルリス。
「アイヤツバスサンはいらっしゃらないのかい?」
「今は出掛けてるんです」
「おっと、こいつはタイミングが悪かったかな」
「ご心配なく! 私ももう一人前、今うちに何が必要なのかはしっかりと把握しています!」
「ほほう、そいつぁ立派だねぇ! 立派に育って、見違えたぜ」
ダイエイトはアクセルリスが人間だったころには既にアイヤツバスとコネクションを得ていた。アクセルリスの成長も親戚のように見守っていたのだ。
「ふふん! 邪悪魔女ですからね!」
「そんじゃ、何をお求めかな? 今は好景気でね、一通りは揃ってるから安心しな」
「塩です! 塩が底を尽きそうです!」
「塩だね、ちょいとお待ち」
荷物を漁るダイエイト。だが無暗に探っているのではない。彼もプロの行商、どこに何が仕舞われているかは完璧に把握している。
「ほい! あったぞ」
取り出したるは中身がいっぱいに詰まった袋。
「大人気《ゾルタの岩塩》5kgだ」
ゾルタは塩の名産地。品質も高く、故に人気も塩業界最高だ。
「おいくらでしょうか!」
「普通なら120マギルのところを……今なら85マギルだ!」
「おおー! いよっ名商人!」
「はっはっは、好景気様様だぁ!」
「はっはっはー!」
とまあ、この二人は実に周波数が一致する。仲も良くなるはずである。
「85マギル、丁度受け取ったぜ」
「いい買い物でした!」
「そう思ってくれるんなら商人冥利に尽きるってもんだな!」
ダイエイトの尾が地を擦る。これは彼が嬉しい時の動きだ。ダイエイトが彼女の事を理解しているように、アクセルリスもまた彼をよく理解している。
「……っと、忘れてた。『アレ』、どうだ?」
「あー、今はまだ完成品ありませんね」
「ありゃ、そうか。材料が無いのか?」
「んーそうですね、今作ってる奴で最後の一個です」
「そうか! なら丁度良かった」
「お? それってまさか……?」
「そのまさかだ! ほら、これだ!」
ダイエイトが取り出したのは片手で持てるサイズの石。全部で三つ。
「ほわあー!」
感嘆の声が漏れだすアクセルリス。
「こっ、これいくらで買えますか?」
「いや、金はいらんよ。採掘場の近くに転がってたのを拾ってきただけだからな」
「マジですか!?」
ダイエイトから石を渡されたアクセルリスはそれらを叩いたり、振ったり、匂いを嗅いだりする。
「……どうだ?」
「いいですねぇ……いいですよぉ! これは良質な原石ですよ!」
頬は薄ピンクに染まり、口からは涎が垂れている。珍しい姿。
「そうなのか? ならよかったぜ」
「本当にこれタダで貰っていいんですか?」
「ああ。俺はそういうの疎いからな」
「ありがとうございます! めちゃ綺麗にしますので、楽しみにしててくださいね!」
「おう、待ってるぜ!」
ダイエイトは首に掛けている時計を見る。続いて腕に巻いた時計を見、最後に空を見上げた。
「トカゲの5、か。んじゃそろそろ行くな」
「はい! 御達者で!」
アクセルリスは手を振りダイエイトを見送った。その影が地平線に消えるまで背中を見守り続けた。
後のライオン。
「♪」
ダイエイトを見送ったアクセルリスはウッキウキで部屋に戻る。
「よいしょーっ!」
元気よく、勢いよく、机に向く。
横の棚には作りかけとみられる宝石のアクセサリーが置いてあるが、それには目もくれず先程貰った石たちをいじくり回す。
アクセルリスは非常に楽し気な様子だ。
やがて石をいじるのを止め、その中で最も小さな石にターゲットを定める。
「……ここだ」
自ら生成した鋼のナイフで石を切る。アクセルリスの生成する鋼は混じりっけの無い純度100%のため、石でも軽く切断できるのだ。
断面には赤いきらめきがあった。宝石だ。
「んふーっ!」
アクセルリスの眼も宝石のようにきらめく。
そして、彼女は石をさらに削り始めた。
これは一体なんなのか?
アクセルリスの七つの趣味の内の一つ、『宝石加工』である。
あるとき、工房の近くに落ちていた石を割ってみたところ(何故そんな事をしたかは謎である)、中に宝石を見つけた。
ちょっとした思い付きからそれを削って加工してみたところ、それなりに上出来のアクセサリーが生まれた。
これに味を占めたアクセルリス。それからたびたび宝石の眠っている石を拾ってきてはアクセサリーに加工していた。
そしてまたあるとき、工房を訪れていたダイエイトに作品を見せたところ、彼はこれにビジネスの匂いを感じ取った。
彼は数個の作品を買い取り、街でそれを売り出してみた。『魔女が作ったお守りチャーム』との売り文句と共に。
すると売れるわ売れる。ダイエイトの予想を大きく超えて。
そのことをアクセルリスに伝えると、彼女はとても驚き喜んだ。
そして二人はあるビジネスを構築した。
ダイエイトが原石を調達し、アクセルリスがそれを加工。完成したアクセサリーをダイエイトが買い取り、それを売り出すという流れだ。
このビジネスは上手く軌道に乗り、アクセルリスの作ったチャームは一部でファンも根付いた。
アクセルリスも趣味の延長で小銭が稼げるので、得だと思っている。
だが出来上がった作品がいい感じだった場合、それは売らずに取っておいている。アクセルリスのこだわりだ。
とまあ、そんな流れでアクセルリスは今日も趣味の宝石加工に励んでいるのだ。
この時のアクセルリスはとても集中する。
多少の音や匂いはシャットアウト。周りには一切の関心を消し、時間も忘れる。
その分とても疲れる。いつもアイヤツバスに止められるまで心身ともにすり減らす。
だが今はアイヤツバスが外出している。彼女を止める者はいない。
――はずだった。
【続く】