#3 コリネウスの戦斧
【#3】
「──なら今すぐに! アイヤツバスが動けないうちに先制を仕掛けるべきでは!」
「私もアクセルリスに同感です。奴の事です、今もなんらかの謀略を編んでいる可能性がある。殺せるのならば早急に動くべきかと、総督」
「急くな。まだ伝えるべきことはある」
キュイラヌートの声。浮き足立ち、熱を帯びるアクセルリスとバシカルを冷ます。
「魔神を生み出すことはできる──しかし尚、問題は残っている。その事実だ」
「え」
「それは『適合』」
『適合』。その言葉が猛る魔女たちの前に立つ壁となる。
「魔力さえあれば如何なる魔女でも魔神に変質しうる──それは間違った解釈だ」
「では、何をもってすれば」
「必要なものは二つ。『装置』と『素質』となる」
「装置……素質……?」
ふと、アクセルリスの口から言葉が零れる。それは本人も意識せぬまま零れた無意の言。
「魔神へ至るほどの膨大な魔力。それほどまでの魔力、専用の装置を利用しなければ安全かつ効率的に取り込むことは不可能」
それが『装置』。
「更に、その魔力を基に魔神へと変貌するのには本人にその素質があることを要求される。これは生まれながらに有するようなものではない。血の滲むような研鑽の果てに手に入れられるものだ」
それが『素質』であった。
「現在はこれらの条件を満たすべく、魔女機関を動かしている。『装置』に関しては完成の目処が立っている──が、試用も間に合っていないが故、十分に機能するかは疑いが残る」
魔女機関の総力を以てして、途方も無い。《魔神》という存在の大きさを改めて感じさせられる。
「そして『素質』だが、これは対象──魔神へ成るべきものにこの三日で叩き込む他ない。非常に厳しい訓練が予想される、心身共に持つかは本人次第だろう」
「…………」
会議室には淀み沈んだ空気が流れていた。一筋の希望はあった。しかしそれは本当に細いものであり、世界を繋ぎ止めるには心もとない──その事実を受け、皆一様に表情を曇らせる。
だがたった一人、そうではない者がいた。
「……あの」
沈んだ膠着を割くように、アクセルリスが口を開いた。
「如何した、アクセルリス」
「その二つに関して、ちょっと話しておきたいことがあるんですが」
そうしてアクセルリスは語り始め──
「というわけなんですけど」
「────」
その少し後。
見れば、アクセルリスが言葉を終えたあとには一様に驚き目を見開く邪悪魔女たちの姿があった。
そこに宿す光は『希望』以外の何物でもなく。
「どうですか?」
「いや、驚いた──僥倖という他ない」
キュイラヌートでさえも薄く笑みを浮かべ、目を輝かせる。
「然らばこの件に関してはアクセルリスに一任する。異論は無いだろう」
返す言葉はなく。誰もが総督の判断に合意を示した。
「ならばアクセルリス──」
不意にその声が細くなる。アクセルリスにだけ聞こえるほどの音で囁きかける。
「お前は一つ、覚悟しておかねばならないことがある。それに関しては『そのとき』に明かすが──そのことだけは覚えておいて欲しい」
「……?」
その言葉の真意は掴めず、ただ薄い不安だけを残酷の魂へと過ぎらせた。
そしてアクセルリスが問い返すよりも早く、バシカルが口を開く。
「総督。私からも魔神を斃すために進言しておきたいことがひとつ」
「許可する」
「先日、私は奴──魔女である頃のアイヤツバスと刃を交え、その命を尽きる寸前まで追い込みました」
「その件に関しては既に報告を受けている──が、まだ何かあるのだな」
「はい。あの交戦の後カーネイルが姿を現したのですが、その言葉に一つ興味深いものがありました」
◇
「だから『縁』が存在する限り──『縁』を断ち切れない限り、魔女機関がアイヤツバス様を止めることはできない。つまり、世界の滅亡を止めることはできないってこと」
◇
「アイヤツバスやカーネイルがしきりに口にしていた『縁』という言葉。それがあるからこそ、どんな苦痛や逆境にも耐え、野望を果たそうとするのだと」
「つまり?」
「『縁』を断てばアイヤツバスを殺すことができる」
それが冷たく導き出した答えだった。
「『縁』に支えられているから諦めない。ならばそれを取り払えば、奴を繋ぎ止めるものはなくなり、殺せるようになる。私はそう結論付けました」
彼女の横目にアクセルリスが写る。強く頷き、同意を示す姿。
二人の様子は、キュイラヌートを納得させるのに十分だった。
「理解した。『縁』を断つ──それがアイヤツバス討伐には必要なものだと」
「はい。裏を返すなら、それがなければ奴は斃せない」
「ならばその為に『縁』を斬ることができる剣が必要となるが」
「問題なく。独断ながら、私の方で用意をさせて頂きました」
執行官は、冷徹にその本懐を果たす。
「我が剣の整備も任せている腕利きの鍛冶師が居ます。彼に依頼し、『縁を断てる特殊な剣』の制作を依頼していました」
バシカルの愛剣ロストレンジは極めて特殊な性質を持つ剣である。それのメンテナンスを行っている程の職人だ、腕は確かだろう。
「そして昨日、剣が完成したとの連絡を受けました。後は彼の工房へ受け取りに行くのみです」
「抜かりなき手腕だな、バシカル」
「ありがたきお言葉。それで、受け取りに関してなのですが」
彼女の黒い眼が遠くを見た。
「……おそらくカーネイルが私の考えを察知した上で妨害に出るでしょう」
心は通じ合っていなかったとしても、彼女たちは双子の姉妹なのだ。互いが考えることは概ね予測できる。
「奴は危険です。本来ならば私自らが受け取りに行くのが最善なのですが」
振り返る。邪悪魔女の一同を見、そして日に晒された街を見下ろした。
「このような状況下です、我々邪悪魔女にはそれだけの余裕が与えられていない。かといって危険な任務を部下たちに任せるのも」
惑う。今の彼女たちには対応すべき事象が多すぎるのだ。執行官以外の役職も多いバシカルは冷たい鎖に絡め捕られているも同然である。
己が今やるべきことを考え、考え、考え──溺れかけるそのとき、声が響いた。
「その任務なら任せてくれっ!」
大きく快活な声だった。誰もが会議室の入り口を見る。
「ワタシと!」
「私です!」
立っていたのは異形のシルエット。一つの体に二つの頭を有する魔女──
「アントホッパー!」
背反の魔女アントホッパーだ。かつてその異形の為に破滅的に暴れていたところをアクセルリスとカイトラによって諫められ、そのままカイトラの弟子となった魔女だ。
「忙しいわたしの代理になると思って呼んだんだが、ちょうど良かったみたいだ」
視線は動かさぬままカイトラが言う。
「私はカイトラ様に──魔女機関に救われました。この命尽きるまで魔女機関に捧げる、あのときそう誓ったのです」
「それが、今だ! 危険上等!」
二つの頭は共に確固たる決意を宿していた。
「バシカルさん、アントホッパーは信頼できます。戦闘能力も申し分ない、私が証明します!」
「アクセルリス」
灼銀の瞳が強く訴えているのなら、それを疑う余地は誰にもない。
「──分かった、アントホッパー。この任務はお前に一任する」
そう言って、一枚の紙切れを投げ渡した。
「工房の場所を記したメモと地図だ。読めるか?」
「ああ、バッチリだ! 流石は魔女機関の執行官様だぜ!」
「ワタシ、失礼ですよ……! バシカル様、任務は確かに承りました! このアントホッパー、必ずや三日以内に剣を此処へと届けます!」
「ああ、任せたぞ」
「では失礼します!」
「行ってくるぜ!」
アントホッパーは消えていった。希望の残滓をその場に残して。
◆
「……いろんなことが起こったけど」
アクセルリスの目に映る、氷漬けになった戦災の魔神。
「時は来た。未来は私たちの手の中にある」
歯車が噛み合うように、全てが残酷の光に導かれ、此処に達した。
「必ず、勝つ……!」
「そうだ」
キュイラヌートが言葉を重ねる。
「バシカル」
「は」
「イェーレリー」
「はっ! 我が力この時のために!」
「シェリルス」
「あイよ! 師匠がいるンなら負けるわけねェ!」
「アディスハハ」
「はいっ! 私もがんばります!」
「カイトラ」
「我が命、ここに」
「シャーカッハ」
「ええ、いきましょう」
「ケムダフ」
「はーい。さてさて、どうなるかな」
「──アクセルリス」
「はい」
「往くぞ──全ては世界のために」
「そして、全ての生きる者のために」
氷と鋼の強い言葉。確固たる意志、抗戦とその果ての命を得るべく、魔女たちは動き出す──
◆
滅びの時計は回り始めた。
その針が世界を刺すのが先か、絶対の零度によって止まるのが先か、あるいは時計ごと打ち砕かれるのが先か。
運命は魔女の手に、世界は魔神の手に。
【カミは産声を上げる おわり】