#2 氷に閉じ込めて
【#2】
「────」
刹那、邪悪魔女の誰もが唖然としていた。
魔神の出現。直前まで迫っていた死の回避。キュイラヌートの力。目まぐるしく味わう抒情、胸に抱く渾沌を治めるのが精いっぱいだった。
〈まず、一つ〉
そんな彼女たちを横目に、キュイラヌートは玉座である球状装置へと身を置く。すると装置が起動し、彼女の身体を再び装置の中へと封じた。
激しい魔力の行使、それによる再びの休眠か──そう思われた矢先、装置の駆動音がより激しくなっていることに誰もが気付いた。
直後、球状装置に隙間が生まれ、より強い冷気が噴出する。駆動音もその重々しさを増し、無機なる慟哭が響き渡る。
そして一同が見守る中。重低音を奏でながら、装置の外殻が変形し──開いた。
「────ふぅ」
息を吐く。それは、キュイラヌートのものだった。
「ああ、やはりこの世界は──わたしには少し、暑い」
──少女だった。
床に届くほどの水色の髪を左右と後方の三ヶ所で束ね、高機動スーツだけを纏った少女。
それこそが魔女機関総督キュイラヌートの《真体》だった。
世界が、彼女の存在を認識する。
「────我、此処に」
寒気が走った。
それは遂に顕現を果たしたキュイラヌートの厳かなる威圧によるものではない。
この場の魔女たちが、実際に肌で感じたもの──具体的に言うのならその一瞬、魔都ヴェルペルギースの気温が0度に達していた。
「それは魔都を護るもの」
その言葉に釣られて、一人、また一人と外を──ヴェルペルギースの街を見た。
そこに聳えていたのは分厚き氷──街とその外との境に、氷の城壁が築かれていた。
「それは世界を護るもの」
一歩、足を踏み出す。彼女の体を氷のドレスが覆う。
彼女の足が床へ触れる──その周りでは、大気中の水分が急速に冷却され、まるで摩天楼のような霜を生み出している。
「それが我──キュイラヌートだ」
《氷の魔女》キュイラヌート・ヴォルケンクラッツァー。今、十全なる顕現を果たした。
「魔女機関はまだここに有る。さあ、夜会を続けるぞ」
氷で生み出した椅子に座しながら、キュイラヌートは邪悪魔女の一同を見た。冷たき視線を受け、誰もがその身を引き締めた。
「議題は一つ。戦災の魔神アイヤツバスへの対処、ただそれだけだ」
静かに、夜会の再開を告げた。
「対処、と言っても」
アクセルリスが口を挟む。
「いつアイヤツバスが氷を破って動き出すかも」
「三日だ」
「え」
「我が魔法による凍結だ。確実に三日はもつ。だがそれ以上はない」
総督たるキュイラヌートにそう言い切られてしまえば、それ以上はないのだった。
「ではまず──カイトラ。ヴェルペルギースの現状は?」
「は──はい。やはりヴェルペルギースの基底世界への出現、及び魔神の出現によるパニックが占めています」
財政部門担当であるカイトラ、魔都ヴェルペルギースに回る情報やニュースを把握、管制するのも彼女の役割だ。
忙しなく動く触手は入り続ける情報の量と質、そのどちらもが著しいものであることを告げている。
「早急なる鎮静は困難かと」
「そうか。ならばこれより情報統制と鎮静化にのみ注力せよ」
「了解しました!」
一見、冷酷にも見える指令。だがそれはカイトラを深く信頼してるからこそ成せるものだった。この場にいる誰もがそれを知っている。
「ケムダフ。ヴェルペルギース内でこの混乱に乗じた事件が起こらぬよう、警備を固めよ」
「了解でー。街の外への対応はしなくていいんですか?」
「我が氷がある。問題は何もない」
「おっと、流石は総督。いらぬ気遣いだったようで」
一手目は打った。望まぬ再臨を果たした魔都ヴェルペルギースを護ること──それこそが魔女機関が打つべき初めの一手なのである。
「本題に移る。これより魔女機関は三日のうちに戦災の魔神アイヤツバスへの対策を講じる必要がある。それは世界を、そして一人一人の命を護るため、避けてはならない命題となる」
キュイラヌートの真体より発せられる声。今までよりも冷たく、それでいて決然とよく通る声だった。
呼応するかのようにアクセルリスの声が漏れた。
「いよいよ、なんだ」
「そうだ。我々は遂に、かの戦火の魔女を討つことが出来る」
バシカルの声にも熱が宿る。アイヤツバスと深き因縁を宿す両者、燃える魂の気概は尋常なものではない。
「…………だけど」
不安げな声色を零したのはアディスハハ。
「あれ」
彼女の視線は遠い窓の外──凍り付く戦災の魔神を捉えていた。
「見ただけで、分かる。あんなの、勝てない」
「…………」
邪悪魔女たちに沈黙が走る。それは『同意』を示すもの。
「魔神。それが宿す魔力は世界を思うがままに変え、存在するだけで周囲に影響を及ぼす程のもの」
シャーカッハが記憶を辿るようにして言う。
「信じていなかったけど……実際に見てみると、その全てが真実のように思えるわね」
「目の当たりにして分かる。勝てるはずがない。いや、勝とうとすら思えない──」
彼女たちを包み込む恐怖、或いは諦観。
そのネガティビティを破るように、不意にキュイラヌートが語り始める。
「…………少し昔の話をする。初代邪悪魔女の一人であり、はじまりの外道魔女でもある《戦の魔女ケター・ゴグムアゴグ》の話だ」
その名に付け加えるように、小声で。
「アイヤツバスがケターと同じ姓だったときは少し驚いたが、その血に罪はないと軽んじていた──今となっては大きな間違いだった、が」
振り切るように、キュイラヌートは続ける。
「もう秘匿する必要はない。そのケターも、魔神に成ろうと画策していたのだ」
一同は一斉に息を呑む。5000年余りの月日を超え、かの意志は蘇ろうとしているのだった。
「だが最終的にケターが魔神へ変わることはなかった。それよりも早く、初代邪悪魔女1iティエラがケターを打ち滅ぼした──その命と引き換えに、な」
それが氷に秘められ続けた太古の物語だった。
聞き届けたところで、シェリルスが訝しそうに口を開く。
「……じゃあ、何で今その話をしたンスか……? ケターが結局魔神になっていないなら、魔神どうこう以前の問題なんじゃ」
「そうだな──考え方を変えてみるといい」
冷たい息を吐く。
「何故当時の魔女機関は邪悪魔女の命と引き換えにしてでも、魔女であるうちにケターを斃したのか」
皆その言葉が宿す冷たさに震える。大小の差はあれど、察したのだ。
「単純な話だ。『魔女では魔神に勝つことは出来ない』、それだけの理由だ」
「────」
声すら発せられない戦慄。ああ、やはり──誰もが抱いていた感情は正しいものだったのだ。
「魔女機関が総力を挙げ戦い続ければ、少なくとも負け続けないことは出来るだろう──だが」
だが、それまでだ。
「それは敗北──則ち世界の滅亡を先送りにし続けているに過ぎない。そうなった時点で、この世界に未来はない」
宣告。絶対零度の如く、揺るぎないもの。
「じゃあもう私たちに打つ手はない──と?」
声を震わせ、バシカルが吠える。その事実を誰よりも受け入れがたい者の一人なのだ、無理もない反応である。
「このままアイヤツバスが世界を滅ぼすのを見届けるしかない……と……!?」
「──もう一度、考え方を変えてみろ」
静かに、キュイラヌートは問う。
「魔女では魔神に勝てない。ならばどうする?」
「魔神なら、魔神に勝てる?」
誰よりも早く答えを導いたのは、残酷なるアクセルリスだった。
「そうだ」
それは根源的な、しかしだからこそ単純な答えだった。勝てない存在があるのならば、その存在と同等になればいい。
「そして結論を述べる──魔女機関で魔神を生み出すことは可能だ」
希望、差す。
「我とてただ無為に魔女機関に君臨し続けていたわけではない。ケターの件を受け、新たな魔神が出現した場合の対策は常に講じ続けていた」
それは遥か過去の物語。しかし永きを生きるキュイラヌートにとっては、つい昨日のようなものでもある。
「魔神には魔神を以て抗う他に術はない。だからこそ我は、魔神に至れるほどの魔力を永きに渡り貯め続けた──今も、此処に」
彼女たちが経つ魔都、そしてクリファトレシカ。その地そのものに、世界を救う鍵が眠っているのだった。
「この魔力を一人の魔女に集約すれば魔神が生まれる。そうして生まれた魔神を軸に、アイヤツバスを討つ。それが世界を繋ぎ止めるたったひとつの方法だ」
全てを護る。5000年ものあいだ氷の中にあったその決意は、現在を走り生きる魔女たちに繋がれた。
【続く】