#2 もはや夜明けも近づいた
【#2】
しかし、ゲブラッヘは違う。
「アクセルリス」
「もうお前に用はない」
「ボクと戦え」
「──」
僅かにも予想していなかったその言葉に、アクセルリスも思わず足を止めてしまう。
「お前」
そして振り返る。目に映ったのは立ち上がっているゲブラッヘと、残酷を宿したその眼差し。
「……本気、か」
「ボクはもう、自分が生きているのか死んでいるのかが分からない。心の寄る辺に捨てられ、存在意義を否定され、身体も朽ち果てようとしている」
その言葉に偽りはない。このまま過ごしていれば、ゲブラッヘはそう遠くない未来、力尽きる。
「それでもなお、ボクの心は騒めいているんだ。キミを────アクセルリスを、殺したいと!」
ボロボロの身体より放たれるその殺意は、これまでアクセルリスが感じてきた中でも、至上のものだった。
(これが、死を宿した生者の、覚悟とでも──)
その圧は、銀色の生存本能を一瞬にして十全に覚醒させ、逃走を不可能と感じさせるほどのもの。
「ボクは死ぬ。だけどそれより先にキミを殺す。それがボクの、最後の願いだ」
錆び付いた長刀を順手で握り、切っ先をアクセルリスへ向ける。朽ち逝く体にも関わらず、真っ直ぐと揺らぐことなく。
そして共鳴するように、アクセルリスの魂が叫んだ。『死にたくない』と。
「────ふざけるな。最後の最後まで」
両手を広げ、無数の槍を背後に生成する。
「私は誰とも心中するつもりはない。勝手に一人で──死ねッ!」
叫びと共に、全ての槍が同時に放たれる。ゲブラッヘは動けない──否、動かない。
「ふ──ッ!」
長刀を振り抜く。錆色の斬撃が帯を引き、槍を呑み込み、消滅させた。
「錆びるのさ。ボクも、キミも、セカイも!」
「脳まで錆びてブッ壊れたか!」
同時に駆け出す。錆の刀と鋼の槍が競り合い、火花を散らす。
「壊れたさ。師匠と出逢ったときか、師匠に見捨てられたときか、あるいはキミと出会ったそのときに」
「そうか。なら死んでおけばよかったのに」
「そうも行かないのが人生さ。キミもよく知っているだろう──!」
「ッ!」
長刀が錆色の光を帯びる。アクセルリスは状況判断し、数本の槍を残して間合いを離した。
「はあ──あアッ!」
錆の帯を残す斬撃。それに触れた槍はやはりなべて朽ち消える。
「…………く、ぅ」
しかし、それを放った直後、ゲブラッヘは苦し気に呻き身を崩す。
「は、はは。理解してきたよ、この力」
それでもなお笑みを浮かべ、得物を構える。
「ボクの感情が形を成した魔法のようだ。この『錆』の力は、アクセルリスのすべてを許さないらしい」
アクセルリスの鋼であろうと、例外ではなく。
「きっと、キミを許さない気持ちが成就したんだろう」
「魔法までふざけてるのか。お前が恨むべきなのは私じゃないだろうが」
「ただ、その代償として──ボク自身の心と体も、どんどん錆びていくのを感じる」
ゲブラッヘはゆっくりと手を握り、そして開いた。己の存在を確かめるように。
「まだ動く。いつ動かなくなるかは分からない。それより早く、キミを錆び付かせる」
「そんな力をよく使えるな。死を覚悟したからなのか?」
「ボクは違う。キミに勝ちたいからだ」
決然と、言った。
「一秒でも、一瞬でも、キミより長く生きる。それこそが、ボクにとっての最高の勝利なのさ」
それがゲブラッヘの最後の決意。しかし向けられる灼銀の眼は、気味の悪いものを見る色をしていた。
「理解できない。自分の死を見据えた勝利なんてなんの価値もない」
己の死。それが介在する以上、アクセルリスにとって唾棄すべきものなのだ。
嗚呼やはり、この二人が交わることは永久にないのだろう。平行線を往き続ける二つの5のように。
「わかってたよ、キミがそういう反応をすることは。ボクも理解してもらおうとは思っていないし」
「なら黙って死ね」
「そうはいかない。ボクにもボクの信念がある。それを通すために、キミを殺す!」
「やってみろ」
ゲブラッヘが手を伸ばす。その背後から錆び付いた鎖が延び、アクセルリスを狙う。
「代り映えしないものを」
アクセルリスは槍でそれを弾く──だが、鎖が蛇のように蠢き、その槍と腕に巻き付いた。
「恵まれたキミと違って、ボクはできることが限られているのさ。だからその分、こうやって洗練させる必要があった」
手を引く。鎖が巻き上げられ、アクセルリスを間合いへと引き摺り込む。
「結局無駄な努力だったけどね。でもこうしてキミに勝つために使えるのなら、充分だ!」
「誰に勝つって」
鋭い眼光が敵を映す。そしてアクセルリスは、鎖の引力に抗うのを止め──逆に、ゲブラッヘ目掛けて肉薄した。
とらわれざるもう片方の手に剣を生み出し、残酷と共に強く握る。
「キミの方から来てくれるなら好都合だ……!」
ゲブラッヘもまた長刀に錆色の光を纏わせ、アクセルリスを迎え撃つ。
「ふ──はああアッ!」
奔る錆の斬撃──光る灼銀の眼は、その軌道を完全に捉えた。
「────」
地に這うほどに姿勢を落とし、斬撃を躱す。頭上の空間が錆びる感触を五感で味わいながらも、アクセルリスの感覚は『生』によって漲り、研ぎ澄まされている。
「終わり」
そして、跳び上がりながら、攻撃後の無防備な首を狙って剣を振るった。
「そうは! させるものか!」
ゲブラッヘが叫ぶ。振り抜いた長刀の軌道を強引に捻じ曲げ、下から迫るアクセルリスへと力のままに振り下ろした。
「な」
生存本能が『死』を告げ、激しく声を上げる。それに身を任せるように、両手の槍と剣で防御を構えた。
しかし、長刀に残る錆色の力は、強固たるアクセルリスの鋼を容易く切り裂いた。
「──」
鋼の破片を眼に映し、アクセルリスは更なる状況判断の末──迫る刃に手を伸ばした。
「ッ! ぐ…………!」
間一髪で太刀筋は止まる──アクセルリスの掌から流れる血を代償として。
ゲブラッヘの長刀が錆び始めていたからこそ成せた無茶だ。刺す痛苦にアクセルリスは顔をしかめる。
「お見事。でもボクにとっては大チャンスだよ」
その刃が命の数センチまで迫った好機。ゲブラッヘはこれを逃すまじと、再び長刀に魔力を籠める。
「させるかッ!」
錆色が満ちるよりも早く、アクセルリスの拳がゲブラッヘを穿った。
「ァぐ……!」
重い鈍痛、ゲブラッヘに僅かな隙が生じる。そしてアクセルリスはその一瞬で、地面を転がりながら身を離した。
それは完全な戦術とは程遠い、泥臭く場当たり的な闘争だが──生き残れば、それでいい。
「はァ……痛い……クソ、痛い……!」
痛みを誤魔化すように傷を負った手を強く握りしめる。その痛覚が生存本能をさらに研ぎ澄ませ、より強い殺意を持たせて殺すべき敵を見た。
「あ……ア、ぐああ…………!」
ゲブラッヘは今にも倒れ込みそうなほどに悶え、苦痛に耐えていた。
無理もない。今の斬り結びで、彼女は二度あの魔法を行使したのだ。
その代償は重く。
「これ、は…………」
ボロ布の中から伸ばした左腕──錆に覆われた悍ましい姿を見せていた。
「いよいよ、ボクの身体も、か」
達観したように呟く。それと同時に、その左腕が錆びて朽ち消えた。
もう長くはない。
「まだやる?」
アクセルリスがそう訊ねた。
「心配してくれるのかい?」
「そんな訳ないだろ」
舌打ちし、続けた。
「これ以上は無駄だ。どうなっても私が勝つ。だから余計なことはもうやめろ」
それは宣告。死にゆく者への冷たい言葉。
「お前が今死のうがいつまで生き永らえようがどうだっていい。ただ、これ以上私に関わるな」
「…………はは、面白いことを」
しかしゲブラッヘは、変わらぬ態度で笑う。
「言っておくよ。ボクはまだキミに勝つつもりでいる」
不敵に、そう言ってのけた。
その言葉には、これまでと変わりない殺意が満ちていた。
「────」
アクセルリスは目を見開き、そして溜息を吐いた。
「バカは、どこまでいってもバカだったか」
呆れと諦めが混ざった言葉を吐き捨て、槍を構えた。
「なら、来い。私は私の命を脅かす存在を許すわけにはいかない……!」
「ハハハ! らしくなってきたじゃないか!」
快活に。しかし声色とは裏腹に、その表情には影が差す。
「……しかしこれ以上膠着を続けるのはうまくない自覚もある。だから、これから、無茶をする」
ゲブラッヘは残された片手を天に掲げる。足元から一本の鎖が生まれ、その先端に長刀の柄を絡ませる。
そして、長刀と鎖が、共に錆色の光を放ち始めた。
「これは蛇だ。そしてボク自身だ。キミという選ばれた存在を、楽園から蹴落とすための!」
見開いた眼が血走る。残された命を燃料として引き出し、錆の魔法を発動し続けている。
すべては、アクセルリスに勝利するために。
「アクセルリス──キミは! ボクが! 殺す!!!」
【続く】