#1 雨の中の讃歌のように
【錆】
世界は緩やかに歪み続ける。
進化を見誤り、外道へと踏み外した進化の魔女イヴィユ。
彼女の手によって、戦火の魔力が封じ込められていたシャーデンフロイデのペンダントが戦火の魔女の元へ戻ってしまった。
魔女機関はこれを更なる危険事態と定め、いつ襲い掛かるかも分からない戦火に備え、剣呑な雰囲気を醸していた。
だがその対応とは裏腹に、暫くの間戦火の魔女の活動は確認できずにいた。
当然魔女機関も座して破滅を待つはずもなく、先手を打つべしと戦火の魔女の捜査を行っていたが、そちらも成果はなく。
災禍と紙一重の、奇妙な平和が、魔女の世を包んでいた。
◆
そんな中のある日のこと。
「…………ん」
アクセルリスは戦火とは別件の単独任務、その帰り道にふと廃村を通りかかった。
「村? 地図には載ってなかったけど」
確かに、彼女が見ていた地図上では、この周辺は何もない野原と示されている。
だがその村は幻ではなく、実在していた。
「地図から消えるほど前に滅びた村……なのかな」
眺める。どこか見覚えのあるような、懐かしい感じがする。
「似てるのかな。私の村に」
ふらり、何の理由もなくアクセルリスはその廃村に足を踏み入れた。
「ん……やっぱり、どこか似た感じがするなぁ」
見渡す。内側からみてもやはりその村はアクセルリスの記憶に懐かしく語りかけている。
そしてそれは決してセンチメントな一致ではなかった。アクセルリスもそのことに気付いていた。
「家とかの、この感じ……間違いない、この村は戦争で滅んでる」
その理由は、この村がアクセルリスの生まれたメダリオ村と同じように、戦争に巻き込まれて滅んでいたからだった。
「これもまた、お師匠サマの起こした戦争なのかな」
「────その通りさ」
独り言でしかなかったその問いに、返す者がいた。
アクセルリスの死角より聞こえた声。アクセルリスにも勘付かれずに存在していたその者。
「誰だ」
警戒と共に振り向く。そこにいたのは。
「久しぶりじゃないか、アクセルリス──」
「──ゲブラッヘ」
戦火の魔女の弟子、鉄の魔女ゲブラッヘ。かつて幾度となくアクセルリスの命を狙い続けた狂気の峻厳、彼女だった。
「また会えてうれしいよ、本当に」
虚ろに語るその姿。見るも無残なほどに傷付き、今にも倒れそうなほどボロボロだった。半身を薄汚れた布で覆い、得物だった長刀は錆び付き、今は杖代わりに使われている。
以前の戦いの際、戦火の魔力を無断で利用した代償か。左目は真黒に染まり、真黒の涙を流している。
そしてその左目を中心とした黒いヒビ割れのような文様が全身を包み込んでいた。
身体に残る傷は、戦火の呪いによるものか、黒く滲み、癒えることはない。
「生きてたのか。お師匠サマに殺されたものかと」
「はは。殺す価値もなかったらしいよ、ボクは」
「だろうな。で、なぜお前がここにいる?」
「それはボクが聞きたいことだよ、アクセルリス。キミは一体──なんの巡り合わせで、ボクの故郷にやってきた?」
「故郷?」
訝しみ、再びその廃村を見渡した。
「ここがお前の生まれ育った地だと?」
「そうだよ。名前はもう忘れちゃったけどね」
立っていることさえ気怠いのか、ゲブラッヘはその場に座り込む。
「折角の機会だ。キミさえよければ、ボクの昔話でもしてあげようか?」
「お前────」
ゲブラッヘ。それは今までアクセルリスが対話を拒み続けてきた相手。であれば、その誘いに対する答えも一つになる──しかし。
「──ああ、話せ」
アクセルリスは初めて『対話』を選んだ。彼女自身、頭では理解できない選択だった。だが、心の底に芽生えた一筋の奇妙なる好奇心を見逃さなかったのだ。
「へぇ?」
その答えにゲブラッヘも面食らった様子で。
「驚いたよ、却下されるものだとばかり」
「話すなら早くしろ。私の気が変わる前に」
「はいはい、了解だよ」
そう言って、ゲブラッヘは少し沈黙する。これから語られる過去の長さが、感じられる。
「どこから話したものか、悩むけど──ボクの『起源』である日から話すのがベストかな、うん」
『起源』。その言葉から、ゲブラッヘは語り始める。
「あの日──近くで起きた戦争に巻き込まれ、一瞬にしてこの村は滅んだ」
凄惨極まるそれを、淡々と語っていく。
「生き残りは何人かいたけど、止まない戦争の飛び火に一人、一人と命尽き、最後には、ボクだけが残っていた」
想起のゲブラッヘ、その眼に今までのようなニヒリズムはなく。
「そうしてボクも滅ぶ、そう覚悟したら──戦争は不意に終わった」
アクセルリスは目を細める。全貌を、掴み始める。
「ボクは神様に願いが届いたんだと思っていた。だけどまるで違った。戦争が終わったのは、神様の願いが叶ったからだったんだ」
「それ、は」
「理想の弟子が欲しい、という願いがね」
ああ、やはり。
ゲブラッヘが巻き込まれた戦争も、アイヤツバスが最後に起こした最大の戦争こと《頽廃の岡の大戦火》だったのだ。
「お前も、なのか」
「そうなるね。だけどボクの場合は、望まれた存在ではなかった」
アイヤツバスが頽廃の岡の大戦火に託した願いは『己の理想を叶える少女を見つけること』。
その為に歪められた世界は、その条件を満たすアクセルリスに辿り着くまで、戦火に飲み込んだ彼女以外すべての命を滅ぼした。はずだった。
「だけどボクは生き残った。それを見込まれて、師匠──アイヤツバスに拾われたんだ。『素質がある』って言われて、ね」
鋼と鉄は、共に似た道を歩んでいた。
「ま、そんなことはどうでもよかった。ただボクは、孤独の地獄から抜け出せればそれでよかった。そして戦火の弟子となった」
「それが、私と同時期に?」
「厳密にいえばボクの方が少し後になる。だからキミはボクにとって姉弟子にあたるのさ」
「へぇ」
感情を籠めることなくアクセルリスは言った。ゲブラッヘも彼女を見ずに、言葉を続ける。
「師匠はキミを育てる合間を縫ってボクをも育てていた。聞いた話によると、キミとボクが魔女になったのもほぼ同時期らしいよ」
「どうでもいいな」
「それからはキミもよく知ってる話。キミが邪悪魔女になるのに合わせ、師匠はカーネイルに命じて協力者を集めた」
「魔女枢軸、か」
「実際のところ。意味のない組織だったんだけどね。必要だったのはゲデヒトニスとコフュンだけだったから」
目線を遠くに向ける。
「…………ボクさえも、必要なかったんだ」
「そうなのか。惨めだな。アイヤツバスに命を救われ、弟子として育てられ──そこまでは私と同じなのに」
「──そうだ」
一息の後、ゲブラッヘは声を荒げる。
「そうだ! ボクとキミは、同じだったんだ! なのに、それなのに! ボクは……ボクの役割は、所詮!」
激しく声を震わせながら、怒りのままに長刀を何度も地面に突き刺す。
今までの彼女からは考えられない激情に、アクセルリスも少し驚いた。
「…………それが、一番大事なことだ」
少しの後、落ち着きを取り戻したゲブラッヘは話を再開する。
「師匠にとってのボクとは、『予備』だったんだ」
「予備?」
冷酷なその肩書にアクセルリスは眉をひそめる。
「キミも聞いたことがあるだろう。アイヤツバスが弟子を育てるのは『己の果たせなかった夢を託す』ためだと」
「────」
アクセルリスの脳裏に浮かぶのは、初めてゲブラッヘと出会った日の夜、アイヤツバスが語った言葉。
◇
「もしも、私が夢半ばにして斃れたとき、私に代わってその夢を成し遂げてくれる、そんな後継ぎが欲しかった」
◇
そのときは知る由もなかったが、彼女の『夢』とは途方もなく恐ろしく果てしないものであり。
「結局、今のキミをみるに──アイヤツバスの後継ぎはいなくなったようだけど」
「当たり前だろ。私は死にたくないんだから」
「ともあれ。我々の師匠はキミを『世界滅亡』を可能にする存在にするために育てていたというわけだ」
「実感はないけどね」
「そしてボクはその予備──キミさえ世界の滅亡を成し得なかった、或いはキミがアイヤツバスよりも先に斃れたときの予備として選ばれたんだ」
それこそが、ゲブラッヘの存在証明だった。
アイヤツバスからアクセルリスへ。アクセルリスからゲブラッヘへ。最悪の外道魔女は引き継がれる戦火の『縁』により、確実なる世界の滅亡を企てていた。恐るべき周到さである。
「なら一つ質問がある」
アクセルリスが言った。
「その言葉が正しいとするなら、なぜ今のお前がある」
誰もが抱く、単純な疑問だった。
「今、私がこうして戦火の魔女の意志を継がず敵対しているなら、その『予備』であるお前は戦火の魔女の元にいるはずだろ。それがどうしてそのザマだ?」
「……はは、聞いてくれよ。滑稽な話さ」
そう前置きを挟み、決意のもと、ゲブラッヘは言う。
「ボクは見捨てられたんだ。出来損ないとして」
それは己の存在を砕く、言葉の自刃。
「正直な話、ボクは自分自身が『アクセルリスの予備』だということを、見捨てられる寸前まで知らなかった。そしてボクがキミに対して行ったことを思い出してみるといい」
「──戦火の魔女のために、私を殺そうとしていた」
「そういうことだよ。あの人が言っていたのは──『代替品でありながらオリジナルを消そうとした、愚鈍極まりない存在』、だったかな」
戦火の魔女は『望みの弟子が欲しい』という想いを籠め、『頽廃の岡の大戦火』を起こした。結果、その戦争は彼女の望みを叶える一人に辿り着くまで、巻き込んだ全ての命を奪った。
そうして戦火は手に入れた珠玉の弟子に己の夢を継がせるべく育てていた。それと同時に、万が一その弟子が夢を継がない選択を選んだ場合に備え、もう一人の弟子を育てていた。
しかし戦火の真意を知らぬもう一人は、かつての『頽廃の岡の大戦火』を完璧なるものにするため、たった一人の生き残りである一人目の弟子を殺そうとしていた。
それが、残酷なる鋼と峻厳の鉄、二人を取り巻いていた縁の因果だった。
「そしてボクは捨てられた。どうにも予備の確保よりも目障りだったんだろうね」
自嘲に満ちた言葉を吐き捨て、ゲブラッヘは笑う。
そして視線をアクセルリスに向け、訝しそうに訊いた。
「どうした? 笑ってくれないのか」
「笑えるか。何も面白くないのに」
灼銀の眼は、無感動な光をたたえていた。
「聞かなきゃよかった。ふざけた理由で私を殺そうとしていた奴の真相が、もっとふざけた話だったなんて」
「同情してくれてるのかい?」
「するかよ」
言い捨てる。
「無駄な時間だった。お前のことは今日で忘れる。せいぜい死に損なえ」
アクセルリスは背を向け、迷うことなく歩き始めた。残す想いなど一つもないから。
【続く】