#1 それは希望のインテルメッツォ
一つの、幕間。
【黒炯炯】
「────っ」
激しく息を切らす二人の魔女。
「ふふ……流石、強いわね」
極まった状況の中でも不敵に微笑み、赤黒い視線を向けるのは、戦火の魔女アイヤツバス。
「黙れ……私の前で、その口を開くな……!」
一方で、強い憎悪に塗れた真黒の瞳を返すのは、冷徹の魔女バシカル。
彼女こそディサイシヴが語っていた『別動隊』であり、逃走するアイヤツバスに追いついたのち、こうして交戦を開始していたのだった。
「貴様……どれ程までに執念深い……!」
繰り返すが、二人は共に息を切らしている。それは、彼女たちの戦いが長引いていることを指す──恐らくは、想像以上に。
「我が剣が幾度となく傷を負わせようと貴様はそれを癒す──だが、その苦痛は残るはずだろう! だのになぜ、いつまでもその薄ら笑いを消さない!」
「知りたい? そうね、貴女がもう少しがんばる姿を見せてくれたらいいわよ」
「それよりも早く、その首を落とす!」
土埃が立ち、バシカルの姿が消える。
「っ」
殺気が空気を割き、己の背後に回ったことをアイヤツバスは感じ取る。
半ば本能のまま、首筋に魔法陣の防壁を生み出す──直後、重々しい衝撃がその骨身に響いた。
「危なかったわ。これを喰らっていたら、流石の私も命はなかった」
「貴様……ッ!」
バシカルは激情のまま、愛剣ロストレンジを振り下ろした。アイヤツバスはそれを魔法陣を纏わせた腕で受ける。
「斬ッッッ!」
「く……! 重いじゃない……!」
その恐ろしいほどに暴力的な剣筋は、魔法陣で防いでいながらもなおアイヤツバスの身体に傷を負わせるほどだ。
「誓った。全て、全て、私は力で圧し斬ると! 私にはそれができる力があると! そして、それを支える姉がいたから!」
声を震わせながら、見開いた眼を血走らせ、刃に更に力を籠める。
「だが違った。間違っていたのだ! 私には力しかなかった……それは他の全てを見えなくする、呪いだった!」
慟哭、最早虚しく。
「嗚呼、私には斬ることしかできないのだ──だから私は! 貴様を斬る!」
狂奔の叫びを力に籠め、剣を圧し込む。遂に、魔法陣にヒビが走った。
「っ!」
アイヤツバスの目はそれを見逃さなかった。そして彼女は状況判断し、防壁が砕けるより早く身を退かせる──
「させん! 斬る!!!」
だがバシカルは、バシカルの剣はそれよりも早く──その剣筋にある総てを、斬った。
「────」
魔法陣は砕け、振り抜かれた先の大地には深すぎる痕が刻まれた。そしてアイヤツバスは、右の肩を始点とする致命の死線がその身体に刻まれた。
「っはァッ……!」
余りに暴力的な一断に、バシカルの身にも反動が降りかかる。
「だが、斬った! これまでで最も深い……!」
見やる。アイヤツバスは数歩後ずさり、立ちすくんでいた。当然、その身体には深い傷が刻まれ、今も赤黒く染まった血潮が吹き出し続けている。
口からも血を流しながら、震えた声でアイヤツバスは呟く。
「…………見事、だわ。シャーデンフロイデ以上に私を追い詰めた。やっぱり、私の一番の敵となるのは貴女のようね」
語るその姿、瞳は朧げに揺れ、震える脚で支えられる躰は今にも斃れそうに。
「このままじゃ、流石に死ぬ──出し惜しみは出来ないわね」
そう言って取り出したのは、赤黒いペンダントだった。奪い返した己の力が満ちたそれを、アイヤツバスは残された全ての力で握りしめた。
ペンダントが輝き出し、放つ赤黒い光で周囲を染め上げる。
「それは…………!」
戦火の企みを阻止すべく、バシカルは剣を握る──だが、濃縮された戦火の魔力が漂う中を駆け抜ける力は、彼女に残っていなかった。
「貴様、貴様──!」
虚しく響く声。その眼前で、アイヤツバスが赤黒い『濁り』に包まれていく。
そして一つ、二つと胎動したのち──弾け、アイヤツバスの姿が晒される。
それは身に一つの傷もなく、禍々しくも美しく整えられた戦火の魔女そのままの姿だった。
「ふう。危ないところだったわ、本当に」
アイヤツバスは笑う。外部からの魔力を取り込んだことで、疲労も苦痛も全て回復した。まさに万全の状態だ。
「…………何故だ」
絶望的な状況を前に、バシカルは呟いた。それは再びの問いだった。
「何故何度でも立ち上がる? 何故どれだけ傷付いても立ち続ける? 何故貴様は──生き続けるというのだ」
「それは『縁』だよ、バシカル」
答えたのは、バシカルの背後に現れていた魔女──彼女の姉、冷静の魔女にして殺戮中枢カーネイルだった。
「お待たせ致しました、アイヤツバス様。カーネイル只今到着した次第です」
「姉ちゃん」
「へえ、まだそうやって呼んでくれるんだ。嬉しいよ」
「『縁』とは、何だ」
「そうだね。『命と命を繋げるもの』かな」
袂を別った妹を一瞥もせずに横切り、アイヤツバスの横に侍る。
「それがあるからこそ、アイヤツバス様は偉大なる目標に向かって進み続けるし、貴女は私を斬れない」
バシカルの目に映る彼女は、ただアイヤツバスだけを見つめていた。
「アイヤツバス様はその先祖である戦の魔女ケターとの強い『縁』により、『世界滅亡』という果てしない目標であっても諦めずに邁進することが出来ているの」
「その通りね。私が魔女となったときに結ばれたケターとの『縁』が私の一番の力。それがある限り、私は決して足を止めない」
「そして貴女が私との間に見出している『姉妹』という『縁』。それが貴女の剣筋に囁きかけてるからこそ、私を斬れない」
戦火の魔女と殺戮中枢が語るのは、彼女たちが力とする『縁』の真相。
「……姉ちゃんは、私との間に『縁』を持っていないのか」
「ええ、初めからね」
「────そうか」
バシカルの力が抜ける。握る剣の切っ先は地面を向き、首は項垂れる。最早戦いを続けることは叶わない。
そして追い討ちをかけるように、カーネイルは言葉を続ける。
「だから『縁』が存在する限り──『縁』を断ち切れない限り、魔女機関がアイヤツバス様を止めることはできない。つまり、世界の滅亡を止めることはできないってこと」
「…………?」
だがその言葉に、バシカルの表情が変わった。しかしアイヤツバスもカーネイルも、気が付かなかった。
「……もうこれ以上なにかをする気力は残ってないみたいだね」
カーネイルはバシカルを一瞥し、溜息を漏らした。
「最後の情け。今日はここで見逃してあげる。よろしいですか、アイヤツバス様?」
「ええ、問題ないわ。それじゃさよなら、バシカル」
「バシカル、我が愚鈍で愛すべき妹よ。次に会うのは世界が滅ぶときになるでしょう。それじゃ」
二人はそのまま去っていった。バシカルはそれを追えなかった──否、追わなかった。
◆
「──」
閑散の中、ひとり佇むバシカル。
だが彼女は、かつてのように失意の中で殺意を失ったがために動かなかったのではない。
逆だ。
「『縁』がある限り、アイヤツバスは滅ぼせず、カーネイルを斬れない」
希望を、見出したのだ。
「そうか、ならば」
顔を上げた。その眼は、これまでの迷いや惑いが消えた、澄んだ黒をしていた。
「ならば──私は『それ』を斬る」
決意は冷徹の元に固まった。
であれば、後は冷徹に事を進めるのみ。
「よし、まずは」
そしてバシカルは動き始めた。
世界を正す希望の刃、それを手にするために。
【黒炯炯 おわり】