#1 デス・スイープ・マーチ
【なんでもない一日 #1】
先のテントウムシ。カーテンの隙間から光が差し込んでいる。
部屋の扉がノックされる。
「すー……すー……」
彼女は未だまどろみの中だ。
ノックが止み、すぐに扉が開けられる。
「アクセルリス?」
「すー……ん……おししょーさま……?」
「起きなさい」
優しげな声が耳にやんわり流れ込む。
「ふあーあ」
すんなり起きるアクセルリス。熟睡できたようで、寝癖も今日は大人しい。
「おはよう。ご飯はできてるからね」
「はい」
アイヤツバスが部屋を出ると同時に大きな欠伸をする。
「いい朝だ」
寝ぼけて適当な事を口走る。アクセルリスにはよくあることだ。
今日はアクセルリスもアイヤツバスも仕事が休み。
アイヤツバスたちの、なんでもない一日。今回はそれを少し覗いてみよう。
「おはようございますお師匠サマ!」
朗らかな声。すっかり覚醒したアクセルリス。
どこかへ出かけるわけでもないのに、髪はキッチリと結い、魔装束もいつものようにキメている。
「朝ごはんは何ですか!? 鶏肉ですか!?」
「パンよ」
「鶏肉パンですか!?」
「普通のパンよ」
「鶏肉要素どこですか!?」
「ないわよ」
「なんで」
「朝からがっつり食べてたら太るわよ?」
「私は大丈夫ですよー、太りにくい体質なんです。ほらほらみてこのプロポーション」
確かに鋼の魔女アクセルリス、体形には人一倍気を使っている。彼女の魔装束はお腹が露出しているタイプだからだ。
その甲斐あってかどうかはともかく、彼女は大喰らいな割には華奢なウエストを維持できている。
「……いや、太りにくい体質っていうか……」
──だが腹部よりもそのやや上にある果実の方が目立っていることに、悲しいかな彼女は気付いていないのだ。
「……他のとこに入ってるっていうか」
「え? どういうことですか?」
「……何でもないわ。戯言よ。さっさと食事を済ませましょう」
「はーい」
不服そうにパンを頬張るアクセルリス。
「…………」
それを見つめ、腕を組むアイヤツバス。
いつの間にか我が弟子は立派に育ったなぁ。
かつての自分はどうだったか。記憶を掘り返そうとしたが、遠い昔の事なので早々に諦めた。
先のハチ。食事は済まされ、片づけられた。
「『アレ』、時間通りに始めるから準備しといてね」
「了解です!」
「あ、そうだ、アクセルリス目薬持ってる?」
「目薬ですか? ありますよ!」
「私の切れちゃったみたい。貸してくれる?」
「いいですよ、どうぞ」
「ありがと」
目薬を投げ渡した後、アクセルリスは師匠を見つめる。
アイヤツバスもそんな弟子を見つめ返す。お互い怪訝そうな顔をしている。
「…………」
「…………」
「……え、なに?」
「え、使わないんですか?」
「あー、そのね」
「なにか不備でもありましたか?」
「そのー、恥ずかしくて……」
「……目薬注すのが!?」
「いやいや、メガネ外すのが、ね」
「あー、なるほ……って、そういうものなんですか……?」
「そういうものなのよ」
赤面するアイヤツバス。滅多に見られるものではない。
「分かりました、じゃあ私戻りますね」
「ごめんね、使い終わったら置いておくから」
「はーい!」
先のフクロウ。二人は工房の地下にいた。
あの大鍋はトガネを生んだことで役割を終え、隅に追いやられている。
「さ、やるわよ。覚悟はいいかしら」
「もちろんです。このアクセルリス、全てを捨てる決意はできています」
「よろしい」
アイヤツバスはメガネを整え、宣言する。
「これより工房掃除を始める!」
「おー!」
「トガネの錬成を始めてから殆ど手つかずだったからね、結構貯まってるわよ」
「上等です! 敵が多かろうと全て処理して生き残ります!」
強く言い切るアクセルリス。銀の瞳は闘志に燃える。
「ふふ……私も負けてられないわね」
アイヤツバスの眼光も冷たい鋭さを宿す。
二人とも臨戦態勢だ。
〈……えっいつもこんなテンションでやってんの?〉
使い魔トガネは口を挟まずにはいられなかった。
「うん」
「そうよ。こうやった方が盛り上がるでしょ?」
〈いや、掃除に盛り上がりとかいらないんじゃないか……? 俺が変なのか……? 無知なのか……?〉
疑心暗鬼と自問自答の二重螺旋階段式思考に陥ったトガネ。彼には目もくれず二人の魔女は作戦を始める。
「さーやるわよー!」
「おっしゃー!」
「私はこっちをやるから、貴女は反対側をお願い」
「了解です!」
「なんかよくわからないものが出てきたら呼んで頂戴ね」
「分かりました!」
二人は手分けして掃除・整頓をし始めた。
トガネを作り始めたのはいつの事だっただろうか。アイヤツバスの言う通り、相当にいらないものが貯まっている。
「これは……」
アクセルリスが棚の隙間から引きずり出したのはしなびた野菜 (のようなもの)。
「……シノビジーンかな」
試しに臭いを嗅いでみる。
「う゛」
激臭。アクセルリスの意識が一瞬あっちに行く。
「やばい、やばいコレ」
迷うことなくゴミ袋へ突っ込む。
「はー、危なかった」
そう呟きながら反対側を覗き込む。
「……なんで?」
こちらにもあった。いったいどのような管理をしていたのだろうか。
「お師匠サマって……案外ずさんだよね……」
二本目のシノビジーンを放り込みながら呟いた。
そんなこんなで掃除が半分くらいまで進んだ。
アクセルリスはその途中で、いくつもの見慣れない物品を見つけた。
アイヤツバスが言うには、そのほとんどが彼女がかつて使っていた《マジアティックアイテム》だそうな。
だが彼女にはもう無用の長物らしく、過半数はゴミ袋行きとなった。一部の面白そうなものはアクセルリスが引き取った。
そして、また一つ。
「ん?」
アクセルリスが見つけたのは謎の輪。直径は彼女の腰ほど。
「お師匠サマ、これはなんですか?」
「それもマジアティックアイテムよ」
「またですか。いくつあるんですかマジアティックアイテム」
「いや、それは格が違うわ」
「ほう?」
「なんてったって《古のマジアティックアイテム》なんだから、それ」
「何ですかそれ胡散くさ」
細部を色々と見てみる。言われてみれば確かにいにしえっぽい。
「どう使うんですか、これ」
「腰に巻くのよ。ベルトだから、それ」
「おお、本当だ」
少し弄ると留め具が外れたようで、輪が開く。
「とある魔女がこれを使って力を引き出し、悪と戦っていたそうな」
「……っていう設定ですか?」
「さあ? 実在したんじゃない?」
「光ったり鳴ったりするんですか、これ」
「いや、そんなデラックスかどうかまでは知らない」
「というかなんでこんなものがあるんですか」
「何でだったかしらねぇ……」
「捨てないんですか?」
「いやあ、いつかマニアが高く買い取ってくれそうだし」
「お師匠サマ結構がめついですよね」
「資本は大事よ」
メガネの奥が鋭く光る。流石はベテラン邪悪魔女、リアリストだ。
「ちょっと使ってみてもいいですか?」
「いいわよ、壊さないようにね」
整頓の手を止めないままアクセルリスの監視も行う。見事なマルチタスク。
「んしょ、こんな感じかな」
巻いてみる。重さはそこそこ。
「で、ここからどうするんですか?」
「ベルトに魔力を込め、気合を入れるとスーパーマジアパワーが解放され、魔女戦士に超変身する」
「まあまあありがちな設定ですね」
「私にはよく分からないけどね」
「なんかスイッチとかある感じですか?」
「ない感じね」
「じゃあ本当に魔力と気合だけで何とかするんですね……」
観念。だがやるだけやってみる。
「魔力……気合……」
力を貯めるアクセルリス。表情を固め、手を前に突き出し、言う。
「変身!」
…………がもちろん、何も起こらない。
「…………お師匠サマ」
今、アクセルリスの顔は赤より真っ赤だ。
「……言わんとすることはわかるわ」
「謀りましたね」
「そんなつもりはなかった……と言えばウソになるわね」
微笑。悪魔的だ。こういった悪戯心があるから困るのだ、この人は。
「実はそれ、ベルトだけじゃ機能しないのよ」
「と言うと」
「バックルを見てみて」
訝しげに視線を落とす。そこには『いかにも』なスペースがあった。
「……まさか」
「そう。そこに対応する《宝珠》をはめないと動かないの」
「何という……」
購買意欲を悪戯にくすぐる商法にアクセルリスは憤慨を覚えた。
「じゃあこれますますゴミじゃないですか」
「マニアが高く買い取ってくれそうだし」
「……結局私の一人相撲だったか……」
珍しく冷静に自己反省するアクセルリス。確かな成長を感じる。
「さ、おふざけもそこまでにして掃除に戻りましょう。ベルトは元あったところに戻しておいてね」
「はい」
その後は特に面白いものは見つからなかった。
正確に言うのなら、アクセルリスが興味を示さなくなった。あの大火傷の後だ、無理もない。
その甲斐あって掃除は流れる様に進んだ。
そして先のムカデ。ちょうど掃除が終わった。
「……終わったわね」
「終わりましたね……」
地下工房は見違えるほど綺麗になった。
本来であればここから雑巾がけを行うのだが、今日は簡易版のためやらない。
「こりゃ汚し甲斐がありそうね」
「は?」
「あら? 綺麗なものを汚すの、良くない?」
「いや……あまり共感はし辛いといいますか」
可能な限りやんわりとした言い回し。魔女機関での交流の中で、このようなテクニックも学んだアクセルリス。
「こう、汚れてると『こんなになるまでがんばったぞー!』みたいなのが視覚的に分かる感じ」
「あー、まあそう言われればわからんでも……」
「でしょ? 立派に作り上げたものを壊すのも楽しいわよね」
「それはわからんです! 全く!」
「冗談よ」
微笑。この人の事だから冗談で済まないかもしれないのだ、とアクセルリスは心の中でぼやいた。
【続く】