#4 スーパープルームの如く
【#4】
恐るべき脱線事故。その後にはしばし不思議な静寂が広がっていた。
「────ぅ」
そして、幽かに聞こえた声がある。
「──っぷはあ!」
魔行列車の残骸を跳ね上げ、這い出たのはアクセルリスだ。彼女は鋼による防壁で覆い、身を護ったのだ。相変わらずの汎用性である。
「グラバースニッチさん! 無事ですか!?」
「────かはァッ! ああ、生きてる。無傷……ではないが、俺ならこの程度すぐ治る」
彼女もまた、万全ではないものの、鋼の防壁によって護られていた。
「酷い事故だったな、一体何があったらこんなことが起きるんだ」
「……それがグラバースニッチさん、どうにも事故じゃないようなんです」
「何?」
「見てください、突っ込んできた方の列車。明らかに、線路の無い道を走ってきている」
見れば、アクセルリスの言葉通り。
この場に、線路は一同が会していた魔行列車を導く一筋のみがある。ましてや直角に繋がる線路など存在してはいないのだ。
「じゃあなんだ、どっかのバカが線路の無い道に列車を走らせて突っ込んできたとでも?」
「そうとしか考えられませんが」
「魔行列車の運行は魔列社によって完璧に管理されている、そう簡単に暴走を起こすことは出来ないハズだ」
「それこそ、魔列社のトップでもなければ……」
混沌たる状況は苦し紛れの結論に辿り着く──だが、この場においては、それこそが唯一無二の解答でもあった。
「その、通りだ」
声。途切れ途切れのそれは、二人の背後──二台目の魔行列車から聞こえる。
「誰だッ!」
「その声は」
アクセルリスは敵意に、グラバースニッチは驚愕に、それぞれの想いを宿す眼を向けた。
そして二人が同時に捉えたのは──兵器の魔女ディサイシヴ・リットガゼルだった。
「ディサイシヴさん!?」
「お前、どうしてここに……? いやそれよりも、さっきの列車はお前が……!?」
「……ああ、そうだ」
一言、ディサイシヴは返す。
「グラバースニッチ、お前の言う通り……私が、魔行列車を走らせ、突撃した」
見れば、その身体はあちこちが新しい傷だらけだった。無理もない、衝突事故の衝撃を最も間近で喰らったのだから。
「なぜそんなことを!」
「イヴィユを止めるためだ。元より彼女がヴェルペルギースから逃れたのは私に責がある」
「だからってなんて無茶を……あんな乱暴な作戦、お前らしくもない」
「それは私が一番自覚している」
自嘲気味に、薄く微笑んだ。
「それでも、私の体は動いた。止められない衝動に突き動かされるように」
その眼はアクセルリスを映す。
「ああ、私ともあろうものが、魔列社の代表である私ともあろうものが──ここまで浮かされてしまうとは、な」
そして、その場に座り込んだ。
「ディサイシヴさん!」
「問題ない。列車事故のシミュレーションは怠ったことがない、万全の対応はした。故に負傷は最低限に収まっている、僅かばかり休めばすぐ動けるようになる」
「でも」
「今は私の安否よりも優先すべき事項が残っている。それを処理すべきだ」
「──っ!」
アクセルリスは、グラバースニッチは、咄嗟に身構える。
それはディサイシヴに敵の生存を示唆されたからでは、ない。
五感が、告げたのだ。
肌は捉える。空気が焼け付いていく感覚を。
耳は捉える。強く禍々しい胎動を。
鼻は捉える。燻り狂う硝煙の匂いを。
口は捉える。焦り、乾燥していく味を。
そして目を向ける──赤黒い魔力が渦を巻き、漏れ出しては消えている。
「……まずいことが起こってる」
明白なる事実。鋼と獣、槍と爪、銀と黒。それぞれのエゴを強く固持し、魔力の渦中を睨み据える。
動きはすぐに起こった。
「────」
列車の瓦礫が激しく宙を舞った。
降り注ぐ脅威と化したそれは、しかしアクセルリスたちに牙を剥くよりも早く、消滅した。
「これは……!」
そして、瓦礫の下から現れ出でたる、それは。
「──は、はは……ははは……! 私は……私はなんて運がいい……!」
イヴィユだ。その身体には深く手酷い傷が幾つも刻まれている──だが、イヴィユは余裕綽々と立ち、笑い続ける。
その理由は、すぐに明らかとなる。
「傷が癒えて……!?」
灼銀の眼が映す中、イヴィユの全身の傷が目に見えて回復していく。それはグラバースニッチの《魔合身獣》とは比べるべくもなく、速く。
そして同時に、アクセルリスはその根源をも「見」た。
「イヴィユの胸に、ペンダントが刺さって……!」
そう。それこそが、彼女たちの五感が告げた《敵》の正体。
彼女が所持していたシャーデンフロイデの形見のペンダント。魔力を貯蔵する性質のあるそれは現在、濃縮された戦火の魔力を有していた。
それが列車事故によってイヴィユの胸に突き刺さり、そこから彼女の身体に戦火の魔力を注ぎ込んでいるのだ。
形こそ異なれど、起こっているのはバースデイやイェーレリーが行ったものに近い。
「この魔力……この熱……! これが戦火の魔女の力……! 素晴らしい、素晴らしい……!」
本来であれば、宿すものの身すらも蝕む諸刃の魔力。しかしイヴィユは、その類稀なる適応力を無意識下に発揮し、その恩恵だけを受けている。
「嗚呼、魂が燃える……! これは最早! 進化を超えた! 我が『心火』……私は! 進化した!」
心火。その言葉を口にすると同時に、イヴィユの身体から燃え上がるように魔力が吹き上がり、その輪郭を獄炎の朱色に染める。
今、イヴィユは《心火の魔女》となったのだ。
「……ッ」
生まれ変わったイヴィユ。彼女から迸る熱い魔力を受け、アクセルリスは無意識のうちに舌打ちをした。
「炎……私が嫌いなやつ……!」
激情のまま、槍の群れを放つ。イヴィユ一人には過剰と思われるほどのそれは、しかし。
「滾るッ!」
手を振り抜いた朱い熱波によって、全てが溶けて消えた。
「だから嫌いなんだッ!」
歯噛みしながらも、周囲に更なる槍を展開し、イヴィユを見据える。
恐るべき戦火の魔力をその身に宿した敵、それが何よりも警戒すべき対象だとアクセルリスは痛いほどに知っているからだ。
「どう来る。どう動く」
灼銀の眼に全神経を傾かせ、イヴィユの一挙手一投足を観察し続ける。
そして、残酷なる視線を受けながらにして──イヴィユが、動いた。
「ふ──!」
空へ。戦火の魔力を満たしたその身体は、軽い跳躍にして高い空にまで届く。
「上かッ!」
防御、そして反撃の体勢を取る二人。しかしイヴィユは、墜落してこない。
「……来ない?」
呆気にとられたように、アクセルリスとグラバースニッチは視線を交わし合う。
「逃げたのか? あれほどの力を手に入れたというのに」
「他に目的があるのかもしれません。思えばそもそも奴がペンダントを盗み出した動機も、分かっていない」
「ロクなことではないだろうな。何にせよ追跡しない理由はない、急ぐぞ」
「はい。私が戦火の残滓を見逃すわけがない、すぐに追いつけるはずです──」
そして二人はイヴィユの残した魔力を追い、駆けた。
◆
先の言葉の通り、イヴィユはすぐに見つかった。
彼女は切り立った崖から、世界を見下ろしていた。
「随分と優雅だな。景色を見て感慨に浸る余裕があるのか」
「勿論。偶然ではあるが──私が得た新たな力は、私の心に安らぎを与えるに足りるものだったのさ」
「それは、私を殺せるからか?」
挑発するようにアクセルリスが歩み出る。
「それも半分、といったところだ」
「もう半分は?」
「知りたいか? 知りたいのならば、己の起源に問うことだ」
「答える気がないなら別に構わない。死ね」
残酷を吐き捨て、槍の群れを率い、駆け出す──
だがそのとき、アクセルリスの脳裏に懐かしき予感が走った。
「────ッ!?」
そしてそれは、直ぐに形を成す。
「あれは」
周囲に満ちる、赤黒く邪悪なる魔力──イヴィユから漏れ出す『それ』よりも圧倒的に強いそれは、即ちオリジナル。
段々と一点に集い、人の形を成していく。
「──ッ」
目を細めるアクセルリス。その眼前で顕現したのは──戦火の魔女だった。
「おはよ、アクセルリス。元気そうね」
「もちろん、私ですからね」
「ふふ、流石ね」
アイヤツバスは弟子にそう微笑み、そしてイヴィユへと向き直る。
「さて。おつかいご苦労様、イヴィユ」
己の魔力を宿した彼女へ、まず発したのはいたわりの言葉だった。
「さ、そのペンダントを頂戴な」
そう言って、イヴィユに手を差し出した。それが意味していることとは、つまり。
「まさか、アイヤツバスとイヴィユが手を組んで……!?」
グラバースニッチの思考を過ぎったのは最悪の展開だった。本人、カーネイルに次ぎ、イヴィユまでもが赤黒き戦火の外道に堕したのか、と。
「──いや」
しかし、アクセルリスの考えと真実は、違った。
「断る」
それがイヴィユの答えだった。
「断る? おかしいわね」
アイヤツバスは首を傾げる。続いて語られるのは、戦火と進化の躱した盟約。
「貴女に正しい『進化』の方向を指し示したのは私だというのに。そのお礼に私の頼みを聞いてくれる、そういう約束だったでしょう?」
「私が貴様の言う事に従うとでも思っていたのか?」
「あら。それじゃあ貴女は魔女機関を裏切ったフリをしていたとでも?」
「否──私の敵は「二人」いる。ただそれだけだ」
イヴィユはアイヤツバスを睨み、そして振り返ってアクセルリスを睨んだ。
「アクセルリス。アイヤツバス。その師弟こそ、私の敵だ」
朱色に染まった目。それは戦火の魔力を我が物とした証明。
「そして、その二人の敵を同時に殺しうる力──《心火》を、私は得たのだ!」
激しい言葉と共に、体から朱い炎を吹き上がらせる。その色こそ、戦火を喰らい進化した、心火だった。
「であれば貴様との契約も護る必要などない」
「へぇ。私を殺して踏み倒すと」
「その通りだ。さあアイヤツバス、そしてアクセルリス。死の覚悟をせよ……!」
殺意の視線。それに晒されたアクセルリスの選択は、意外な切っ先を見せた。
「グラバースニッチさん、戻ってディサイシヴさんの容体を確認してきてください」
「なに? 何故だ」
「イヴィユの目的は私とお師匠サマのようです。故に私たちが対処をします」
「お前一人であの二人と戦うのか? 流石に無茶だ、俺も戦う」
「……戦火に、巻き込まれる危険性がある」
「──」
その言葉を聞き、グラバースニッチはふとアイヤツバスを見た。
「────」
背筋が凍り付き、同時に獣としての本能が囁いた。『退け』と。
「…………それなら、仕方ない。怖気づくような俺じゃないが、今回ばかりは指示に従ったほうが利口そうだ」
その言葉を残すとすぐにグラバースニッチはその場を去った。
それを見届け、アクセルリスは戦火を宿す二者へと視線を向けた。
「今際の際で他人の心配か? お前らしくもないな、アクセルリス」
「冗談でしょ。私の魂は『死』を告げていない。なら生存本能が働くはずもない」
「どうやら貴女は分かっていないようね。アクセルリスのことも、私のことも、貴女自身のことも」
【続く】