#2 澄江よりも遠く
【#2】
魔都ヴェルペルギース東部ケイトブルパツ地区、ケイトブルパツ駅第9ホーム。
己の目の前で唸り声を挙げる魔行列車を見上げ、イヴィユは微笑した。
「準備が整ったようだ。見様見真似だが上手くいくものだな、はは」
彼女に免許はない。
ただ一度、かつての同僚だったディサイシヴの業務を見る機会があった。その記憶を頼りに魔行列車の発車プロセスを完遂したのだ。
外道に堕ちようとも健在なその適応力は、今となっては魔女機関にとって脅威でしかない。
「さて、何事もなく外に出られればいいんだが」
そう言いながら、体に魔力を循環させた。
直後、弾丸がイヴィユの体の表面を滑るように受け流されていった。
「やっぱりそうはいかないよな」
「対象──外道魔女イヴィユを発見。処分を開始する」
業務的にそう告げるのは──隠された残酷魔女、兵器の魔女ディサイシヴ。
「久しいな、ディサイシヴ。まさかこんな形での再会になるとは思っていなかったが」
「興味がない」
無感情に言葉を返し、その手に新たな銃を生み出す。
「つれないな。お前が銃を発明し、私がそれをより発展させていった。我らは良いビジネスパートナーだったじゃないか」
イヴィユもまた、ミリタリーコートの裏から銃を取り出し、構える。
「……ああ、いいパートナーだった。いい関係だった。私にとって、大事な存在といってもいいだろう」
そして躊躇いなく銃口を向けた。
「だから犠牲になってもらう。私の進化のために」
「興味が、ない」
ディサイシヴは再びその言葉を口にし、弾丸を放った。
「相変わらず全く愛嬌がないな!」
嘲りを交えた笑みを浮かべながら、迫る弾丸を躱すイヴィユ。
「『仕事』のときはあんなに表情豊かだというのに。何故本当のお前は笑わない?」
「必要がない」
「そうか? 私はそうは思わないが、な!」
両者の弾丸が交錯する。共に銃器のプロフェッショナル、その弾道を読む能力も優れている──故に、互いの弾丸はことごとく外れる。
「表情──感情こそが自我を自我たらしめる。それは進化の一つの根源だ! 喜び、怒り、哀しむからこそ私は進化し続けた!」
「その果てが同胞殺しの外道というのなら私が正しい」
だんだんとボルテージを上げていくイヴィユに対して、ディサイシヴはどこまでも平板に、冷酷に。
「私が演じている道化も、本質的には意味があるものだとは思わない」
「それは確か……先代《鉄道の魔女》から受け継いだ心持、だったか」
同時に弾を打ち尽くす。イヴィユは弾を込め直し、ディサイシヴは空の銃を投げ捨てながらまた新たに銃を生み出した。
「ああ確かに、お前にとっては最善の進化だっただろう。先代の目は鋭いな!」
「当然、先代のことは尊敬している。だがこの心持だけは理解していない。今も、なお」
銃口が交叉する。その状態で、二人は言葉を交わし続ける。
「残念だな。だが私なら理解できる」
「そうか」
「そしてディサイシヴ、お前もやがて理解できるようになる──私のように『正しき答え』を知れば、それはより早いだろう」
「外道に堕ちれば理解できると?」
「必ずしもではないさ。私の場合、その方法が仕方ないものだっただけだ」
「何れにせよ興味がない」
再びその言葉が繰り返される。同時に、イヴィユの額を弾丸が滑り流れていった。
「私はディサイシヴ。魔列車の代表、魔行列車の管理官、そして残酷魔女。私はここにいる」
「……相変わらずの、堅物だな!」
吐き捨て、二人は銃を構えたまま肉薄する。
数度の射撃でイヴィユの技能を理解したディサイシヴは、『ゼロ距離での接射』こそが攻撃を与えうる最善手だと選んだ。
そしてイヴィユもディサイシヴの考えを読んだうえで、それを迎え撃つこととした。
「さあ見せろ! ディサイシヴ! お前の本性を!」
「繰り返す。興味がない」
互いに取る戦術は一致した。
敵の身体に銃口を当て、引き金を引く──だがそれが血飛沫となるより先に、腕ごと振り払われ、弾丸は空を撃つ。
そのやり取りが極めてミニマルに、かつスピーディーに繰り返されていた。
一手間違えれば致命となるその『撃ち結び』の中、極限を超えた先でも尚二人の魔女は言葉を交わす。
「教えろ。教えてくれディサイシヴ! お前が見ているものを!」
「その方法を私は知らない。それに、私もお前も見えてるものは同じだろう」
「そんな物質主義的な話をしてるのではないと分かるだろう!」
「分からない」
二人の手が同時に動き、二人の銃が同時に放たれる。互いに傷はなく。
「分からない。何故それほどまでに私に興味を抱く? 私のような──『何もない』存在に」
ディサイシヴが遂に零した、彼女自身を示す言葉。『何もない』。
「理由だ! お前がその精神へと辿り着いた理由、それにこそ進化の淵源が宿っている!」
「理由も何も。生まれつきだが」
「全く、話が噛み合わん──!」
結び、結び、更にぶつかり合う。その中で、イヴィユが不意に問う。
「ディサイシヴ──お前は笑ったことがあるか?」
「当然だ。仕事中の私を見たこともあるだろう」
「そういう意味じゃない。心の底から、愉快を感じ、止められない感情のまま──笑ったことはないのか、と聞いてるんだ」
「であれば、ない」
「やはりか」
幾度目か。銃口を反らしながらイヴィユは溜息を吐く。
「思うにお前は『大きなもの』に触れたことがないんじゃないか?」
「意味が分からない」
「ああ。否応なしに心を動かしてしまうような、滅茶苦茶で輝かしい存在、或いはその余波だ」
「意味が、分からない」
「生けるものはなべてそれらに触れることで心を動かされ、感情を抱き生きていく。そういうものだ」
「お前の講義を聞くつもりはない。口を閉じろ」
ディサイシヴの動きが一際鋭くなる──だがイヴィユはそれを読み、躱す。
「それに触れれば嫌でも理解するぞ。『感情とは、生命とはこういうものなのか!』と」
「何度言えば理解する? 興味も、必要も、ない」
弾丸のように冷たく言い切る。
「私は兵器の魔女。魔列社を統べるもの。不用意な心の動きなど不必要。故に何も持たずに生まれてきた。それが私だ」
それが、ディサイシヴ自身の存在証明だった。
「嗚呼、全く──」
聞き届けたイヴィユは、一つ言葉を漏らす。
「私にできるのは──同情だけだ」
「……同情、だと?」
「ああ。何にも心を動かされることなく、ただ平坦な精神のまま生き続けるなんて、胸が張り裂けそうになる思いだ」
「そうか。外道に堕ちたお前に憐憫の目を向けられるなど────」
しかしその一瞬、確実に、ディサイシヴは淀んだ。
振り切るように言葉を続ける。
「──不愉快だ」
その言葉を皮切りに、これまで以上の猛攻がイヴィユを襲う。
「ぐ……! なんだ、少しは感情的な部分もあるんじゃないか! 安心したぞ!」
防戦一方になりながらも意思を表明し続けるイヴィユ。ディサイシヴはそれを見下ろし、感情の無い言葉を放つ。
「黙れ。雄弁など無益なものでしかない。戦いの場においては、尚」
素早く攻撃を構える。感情を捨て辿り着いた、オートマチックなる極地。
「ッ!」
イヴィユの反応が遅れる。受け流しも、できない。
無防備となったその脇腹に、銃撃の反動を利用した鋭い打撃が決まった。
「ぐあ……あっ!」
イヴィユは吹き飛ばされ、魔行列車に転がり込んだ。
そのとき、目の前の鉄塊が、低い音で唸った。
「──駆動音?」
その音の意味は、ディサイシヴが一番知っていた。
そして見えたのは、動き始める魔行列車と、笑うイヴィユ。
瞬間、ディサイシヴは理解した。
「逃走経路、とでも」
これまでの戦いは単なる時間稼ぎ。魔攻列車によるヴェルペルギースからの脱出こそが本命──それがイヴィユの考えだと。
「させない」
ディサイシヴは両手に銃を生み出し、列車内のイヴィユへと迫る。
イヴィユは動かない。魔都から脱出する手段は魔行列車のみ。当然だろう。
「仕留める」
殺意を鋭く研ぎ澄ませ、肉薄する。
「ふ──ははは」
そしてイヴィユは笑い──
ディサイシヴの一撃を受け流し、そのまま車外へ躍り出た。
「な──」
想定外の展開、ディサイシヴは目を大きく開く。
その視線がイヴィユと交錯し、そして真実を理解した。
(イヴィユがこの列車に乗せるつもりだったのは、私──)
そう。イヴィユはヴェルペルギース全ての魔行列車を管理するディサイシヴから逃れるために、彼女自身を魔行列車に乗せ追放する策を編んだのだ。
「乗せられたな、ディサイシヴ!」
歓喜の声。だがまだ遅くはない──ディサイシヴもイヴィユを追って下車しようとする、が。
「私が抵抗を許すとでも……!」
この機を待っていたと言わんばかりに、大量の銃を使い捨てながら弾幕を展開し、ディサイシヴをその場に釘付けにした。
「ぐ……く……!」
絶え間なく浴びせられる銃弾の雨、その危険性は彼女自身が誰よりも知っている。故にディサイシヴは身を伏せ、命を護るという選択肢しか取れなかった。
そして、魔行列車がゆっくりと、しかし確実にその速度を上げていく。
「さよならだ、ディサイシヴ。もう二度と会うことはないかもな」
走り去ろうとする鉄塊に、イヴィユはそう別れを告げた。
その直後だった。
「だっらあああああああッ!!!」
咆哮と共に、イヴィユ目掛けて突撃してきたものがあった。
「何!?」
それは地を這う銀の彗星──アクセルリス。
彼女は第9ホームまで駆け付けた全速力のまま、イヴィユに跳び蹴りを叩き込んだのだった。受け流される間など、なく。
「ぐ──あアァッ!?」
「な──!?」
勢いのまま、アクセルリスとイヴィユは魔行列車に転がり込んだ。
その二人に押し出され、ディサイシヴは魔行列車から弾き出された。
「待て! 俺を置いていくな!」
更に数秒のち、追いついたグラバースニッチもまた転がり込むようにして魔行列車に乗り込んだ。
そして魔行列車は発車し、すぐに第9ホームを後にした。
ぽつんと一人、残されたディサイシヴ。
「なんだ──今のは」
丸く見開いた眼で魔行列車の残影を見る。周囲には鋼の残滓も漂っていた。
「アクセルリス……なんて無茶苦茶を」
反芻したのは銀の名前。嵐のように残酷魔女に現れ、数々の輝かしく血生臭い轍を残していった魔女。
その姿が、彼女の瞳に重なっていた。
「…………は、はは」
そして自然と浮かんだのは笑いだった。
無論、『仕事』の際に作る道化の笑いではない。魂の底から痛快を叫ぶ、根源たる感情。
もとより自分に備わっていないと信じ続けていたそれが発露している現状に、ディサイシヴは奇妙な心地よさを味わっていた。
「ははは──」
不器用な、しかし純粋な笑い声が、静まったホームに響いていた。
【続く】