#2 それは一直線の矢のように
【#2】
時は遡り、舞台は死んだ妖精の森に移る。
「……」
森の奥にて、アイヤツバス工房のドアをノックするのは──かつての家主、アイヤツバス本人だった。
「誰もいない、と。うんうん、好都合」
変わらぬ不気味な微笑みを浮かべ、工房に背を向けた。
「さて、それじゃ……何から始めようかしら」
企ての予兆。此度の戦火が裂く『糸』は──そちら側から姿を見せた。
「……アイヤツバスさん」
「あら──ファルフォビア。久しぶりね」
ファルフォビア。アクセルリスの親友、死んだ妖精の森を守護するエルフ。
当然ながらアイヤツバスとの付き合いも深い。彼女にしてみれば、久方ぶりの再開となる──のだが。
「どうしたの? 浮かない顔して。しばらく合わない間に何かあった?」
「…………なんで」
震えた声で放つのは、問い。
「なんで、あなたは……そんな顔をしていられるんですか?」
「──それは、どういう意味かしら」
「私はあなたが怖い……いや、気持ち悪い」
「要領を得ないわね。結局何が言いたいの」
「……っ」
決意を感じさせる沈黙ののち、ついにファルフォビアが口を開いた。
「私の母を殺したの、あなたなんでしょ」
「へぇ」
アイヤツバスは、微笑んだ。
「聞いておくけど、どういう理由で私を疑ってるの? 貴女の母──フィルファレルロは『行方不明』という扱いの筈だけど」
「理由も何も、私は見つけた────母を」
「それはどこで?」
「……ここ、あなたの工房の庭──丁度、私が今立っている真下」
以前、アクセルリスの熱意に影響されたファルフォビアは、消息を絶った母の手掛かりを探すべく行動を開始した。
死んだ妖精の森を隅々まで、文字通り隅々まで調べ尽くし──そして、見つけて「しまった」のだ。
「ご丁寧に、母の使っていた剣と弓も埋められていた。あなたとアクセルリスしか立ち入らない、この庭に」
悲痛に満ちたファルフォビアの眼差し。それに晒されたアイヤツバスは、静かに息を吐き、言った。
「……ええ、その通りよ。よく辿り着いたわね、ファルフォビア」
「────ッ!」
露になった真実に、言いようの無い感情がファルフォビアの内で迸る──それを一重で抑え込み、聞いた。
「どうして……どうしてそんなことを……!」
「端的に言えば──邪魔だったから」
「そん、な……!」
「フィルファレルロは私の正体を知ってしまった。そうなった以上、生かしておく理由もない」
「正体って……!」
理解不能の群れに苛まれたまま、ファルフォビアは声を絞り出す。
「わからない……何もかもが……! あなたは、一体、何なんですか!」
「そうね。隠す必要も、もうない」
言うと、アイヤツバスは抑え込んでいた己の魔力──戦火の魔力を解放した。
「────ッ!?」
悍ましい風がファルフォビアを突き抜ける。本能が『異』を感じさせる魔力を味わい、目を細める。
「これなら貴女でも分かったでしょう。私が《戦火の魔女》であるということが」
「戦火の……魔女……!?」
世界に名を轟かせる、最恐最悪の外道魔女。その正体が親交のあるアイヤツバスだったという事実だけで、ファルフォビアにとっては計り知れない衝撃──だが。
「あなた、が…………!?」
「隠していてごめんなさい。許してもらおうとは思わないわ。でも私にも都合がある」
揺れ惑うファルフォビア。しかし、何かに気づいたかのように目を見開き──その身体の震えが激しくなった。
「なら……なら、あれも、まさか……!」
「あら? 何か言いたいことがあるの?」
「そんな、そんな、そんな…………!」
彼女は最早狂気に足を踏み入れ、精細なる受け答えができない。
その代わりに、彼女の言葉を語る者が姿を見せる。
「……聞かせてもらったぜ、アイヤツバス」
「ダイエイト、久しぶりね。今日は懐かしい顔がよく見える日なのかしら」
荷台を引きながら現れたるは竜人行商ダイエイト。アイヤツバスはお得意先のひとつ、だった。
「しっかりしろ、ファルフォビア。喋れるか?」
「私、には……!」
「……分かった、俺が代わりに言おう」
ダイエイトはアイヤツバスをはっきりと見据え、言う。
「ファルフォビアの弟──フィアフィリアが守護する《まどろみの森》。それが、燃えた」
「あら、大変ね」
「大規模な火災──森の生き物たちは半数以上が死に絶え、君臨していた《森の王》もまた──焼け死んでいた」
《森の王》。かつてアクセルリスとアディスハハに試練を課した王たる大蛇が、死んだのだ。
「そしてフィアフィリアも深い火傷を負ってしまった──この通り、だ」
「ぅ…………」
荷車を見せる。そこに横たわるフィアフィリアは、その身体が見るも無残なほどに焼け爛れ、苦しみに喘いでいた。
「俺はあんたにフィアフィリアを治療してもらうつもりで来たんだが、こんなことになるとはな」
低い声色で呟き、そして問う。
「単刀直入に聞く。まどろみの森を燃やしたのも、あんたなんだろ」
「そうよ」
短い問いは、短い答えで返された。
「森の王──あの存在は、私ですらも見逃せないほどに強大なものだった。だから消した──森ごと、ね」
更なる問いが投げられるよりも早く、アイヤツバスは行動の理由を明かした。悪びれもせず、ただ淡々と。
その様子にダイエイトは背筋が凍るのを感じ、一つ身震いをした。しかし、臆せずにアイヤツバスへと相対し続ける。
「……流石は戦火の魔女だ。あんたの行動は想像もできない」
「褒め言葉として受け取るわ、ありがとう」
戦火の魔女は微笑みのまま、小さく頷いた。
「それで、どうするの? 私の正体が分かって、私の行いを暴いて、そして?」
「許せ……ない……!」
俯いていたファルフォビアがゆっくりと顔を上げる。
「母を殺し、フィアフィリアまで危険な目に遭わせて……!」
「言ったはずよ。許してもらおうとは思わない、と」
「アイヤツバス……戦火の魔女……! お前はこの世界に存在しちゃいけない……!」
激しい怒りのまま、剣を抜いた。
「おいで」
アイヤツバスは優しく、手を伸ばした。
直後──彼女の右肩に、一本の矢が深く突き刺さった。
「──」
「入った!」
目を見開き声を荒げるダイエイト。それは、彼自身もこの一撃が届くことを信じていなかった証明でもある。
しかし、現実は好転した──この好機を逃すまじと、吠える。
「バウン!」
「はぁあ──ッ!」
呼びかけに応じて現れたのは、彼の用心棒であるゴブリンのバウンだった。両手に短剣を携え、アイヤツバスの死角となる右側から迫る。
アイヤツバスはゆっくりと首を傾け、バウンを見た。
「これで全員──場所は割れたわね」
身じろぎもせずに魔法陣を生み出し、バウンの道を遮る──同時に、煮え滾る赤黒の目で、ファルフォビアたちを見た。
「ぐ!」
「貴方たちには何もしないつもりだったんだけど。ま、正当防衛ってことで」
「──ッ!」
否応なしに味わう恐怖。しかし彼らも退くつもりはない。『アイヤツバスを殺す』──その決意をもって、この地に集ったのだから。
「しゃあアッ!」
「はあッ!」
魔法陣を躱して迫るバウン、それと同時に蹴りかかるファルフォビア。異種なる挟撃がアイヤツバスを襲う。
「うん。動きのキレは悪くない。練習の成果ね」
己の命を狙う者たちを称賛しながら両手に生み出した魔法陣で二人の攻撃を受け止める。
だがファルフォビアは、笑っていた。
「──今ッ!」
刹那、ファルフォビアの声に呼応し、一本の矢が音の壁を突き破りながら飛来した。
それは精確にアイヤツバスの額を狙って空を駆け、そして──
「あら、危ない」
魔女を貫く寸前で、魔法陣によってその動きを止められた。
「な……!」
驚愕に目を見張る──だが、真なる悲劇はここから幕を開ける。
「あの辺り、ね」
アイヤツバスが言った。すると、矢を受け止めたままの魔法陣が、その表裏を入れ替えた。
そして。
「威力も精度も素晴らしい一矢ね。自分でも味わってみたらどう?」
解き放った。
矢はアイヤツバスへ迫った勢いのまま、光のように虚空を駆け──
「────う」
『何か』に、突き刺さった。小さな呻きが森に鳴った。
「カプティヴ!」
「他人の心配をするなんて、優しいのね」
「──っ!」
身構えたが、遅かった。
アイヤツバスの心臓に刻まれている戦火の紋、それが強く光を放った──次の瞬間には、ファルフォビアとバウンは手近な樹に叩き付けられていた。
「う、ぐ……!」
「くっ……!」
「ふぅ。やれやれ」
アイヤツバスは服を軽く整えた後、変わらぬ微笑みのまま見渡した。ダイエイトと彼の荷車の姿が消えていたが、最早気に掛けることもなく。
「私ですら命の危険を感じた一矢、見事だったわよ」
「どうして、カプティヴの場所が……!」
カプティヴ。ファルフォビアの旧友で、弓の名手であるエルフ。
狙撃手の正体は彼女だったが──その弓の腕前が仇となってしまった。
「どうしても何も、先に場所を教えてくれたのはそっちでしょ? ほら」
示したのは肩に刺さり続ける一度目の矢。
「こんなに分かりやすいヒントまで残しておいて、ねえ?」
その矢を引き抜き、傷痕に手を当てた。赤黒い炎に包まれ、傷が塞がっていくのをファルフォビアに見せつける。
「不意の一撃に全てを賭けるべきだったわね。次に生かすといいわ。次があれば、の話だけど」
掌に赤黒い炎を生み出し、それをファルフォビアに向ける。
その時、遠くからダイエイトの声が響いた。
「バウン! ファルフォビアを連れて退け!」
「──了解……ッ!」
同時にバウンが再起する。ゴブリンのタフネスと、雇い主の命令を絶対に守るという根性の交差だった。
素早くファルフォビアを背負い、駆けた。アイヤツバスの目の前で小さいその影がさらに小さくなっていく。
「撤退ね。うん、いい判断。流石はダイエイト」
旧知への賛辞を呈したのち、アイヤツバスは考えた。
「さて、生かしても殺しても変わらないけど──」
ふと戦火の目に入ったのは、身につけたままだった魔女機関のエンブレムだった。
「魔女機関として、外部への情報漏洩は見逃せないわよね」
微笑み──普段と変わりないはずのそれは、赤い木漏れ日を受け、不気味に映った。
【続く】