#1 エボル・エボル・エボル
【妖精の森】
【#1】
青く澄み渡った空。心地よさのある冷たい空気。適度に身を刺す風。
それは理想的な冬の朝そのもの。今日もまた、健やかな一日が始まる──
──はずもなく。
「……」
此処には、殺気を迸らせながら睨み合う一組の魔女がいた。
「相変わらずだな、お前は。変わらぬ不愉快さを私に感じさせる」
「私のことが不愉快って感じるなら、お前は私の道に存在すべきものじゃないんだ。だから死ね。あるいは殺す」
殺意を隠すこともなく言葉を投げ合う二人──アクセルリスとイヴィユである。
そう遠くない過去では、二人は信頼し合う関係として共に任務を果たしてきた。それが今では命を狙い合う。哀しいほどに殺伐で、狂おしいほどに残酷だった。
「ああ──怖い。私はお前のことが怖い」
そしてイヴィユが吐き出したのは、純粋なる『恐怖』の感情。
「だが! その恐怖こそが、私に真なる進化の在り方を示す灯火となった! 感謝はしておこう」
「何言ってるか分からないけど、どうせ殺せば同じか」
「確かにお前の力ならば、私を殺すことができるだろう──少し前までならば」
イヴィユは不敵に笑い、銃を構える。
「だが私は進化を遂げた! それもこれまでのような停滞しきったものではない、純粋で始原なる進化を!」
「そうか、よかったな」
進化の言説を耳に入れることもなく、代わりに槍を放った。
しかしそれは笑いを止めないままのイヴィユに受け流される。
「御託は不要ということか」
「元々お前と話す気はないんだよ、こちとら」
「浅はかだな、極めて」
「それは私が決める」
瞳に強い残酷を宿し、アクセルリスは駆け出した。強く踏み込み大地が抉られる。
「とにかく、死ね」
長槍の一閃。不意討ち気味の一撃で首を狙う──だが、またしても受け流された。
「……」
その際、灼銀の眼は映していた。攻撃を受け流す瞬間に、イヴィユの輪郭が白銀色に仄く光ったことを。
「妙な魔法を」
「魔法……というと少し違うな。知っての通り私は魔力を魔法として行使することを得意としない」
続けざまに放たれる槍の連撃。その全てを受け流しながらイヴィユは語る。
「だから私は魔法と別の方法で魔力を利用することにした。詳細は企業秘密ゆえ、黙秘する」
「知りたくもない──」
アクセルリスが奔らせる槍は、なべて必殺を狙う残酷の現れ。一槍でも刺さったのならばその刹那に敵を殺すだろう。
しかしイヴィユはその『殺意』を紙一重で躱し続けていく。笑いながら、恐怖を謳いながら。
「怖い。一撃一撃が私を殺そうとする槍の雨に晒され、私は凄まじい恐怖を覚えていく」
まるで誰かに語るかのように、淡々と。
「ああ、これだ……これこそ正しき進化の形なのだ! 死の線を潜り抜けた先に見える、進化が!」
「いい加減、黙れ」
舌打ち。一際鋭い槍をイヴィユの顔面に突き刺す──よりも先に、流水のように滑らかな掌底がアクセルリスを穿った。
「ぐ……!」
「まず、一打」
痛みは浅い。しかし追撃を警戒し、アクセルリスは過剰に思えるほど距離を離した。
「この程度……か、お前の進化とは。浅はかなのはお前の方なんじゃない?」
「あのアクセルリスに与えた最初の一打だ、私にとっては大きな一打となるだろう」
「言ってくれるじゃん」
吐き捨て、両手に槍を握る。
「その一打が最後だ。進化はここで止まる」
「語るな! 私の進化を、私以外がッ!」
その言葉を皮切りに、怒りを表象させイヴィユは駆けた。
「──ッ!」
迫る敵に照準を定め、槍を放つ──しかしそのどれもが、同様にして受け流される。
「理解できないか! 私に槍が通用しないことを!」
「いや。確かめただけだ」
「虚言をッ!」
射程に捕らえた。駆ける脚を抑えぬまま、すれ違いざまに弾丸を放つ──それがイヴィユの狙い。
だが、しかし。
「何」
彼女が引き金に指をかけた瞬間、手のひら大の小さな槍が銃を貫き、砕いた。
「丁度いいサイズを、な」
「賢しい──ッ!」
目論見を崩され、離脱しようとするイヴィユ。アクセルリスはそこに槍を放った。
「何度試そうと無駄だ!」
イヴィユはこれまでと同様に、身体に魔力を流しその槍を受け流す──だが、一つ想定外が存在していた。
それは視界の端で捉えたアクセルリス本人──残酷に構える、銀色の獣。
彼女はイヴィユが槍を受け流すのと同時に、その腹部側面に強烈な拳を叩き込んだ。
「が──ふッ」
吹き飛ぶ、辛うじて受け身を取るがその恰好は無様に揺らぐ。
「受け流せるのは何か一つ、だけみたいだな」
「──ッ!」
アクセルリスの声はイヴィユのすぐ傍から。残酷は敵を殴り飛ばしながら、追撃を叩き込むべくそれに並走していたのだ。
「タネは割れた。粉々に噛み砕いてやる」
粛々たる宣告。それは振り上げた拳と共にイヴィユを狙う。
「小癪な!」
覚束ない身で、咄嗟に魔力を循環させ攻撃に備える──今度はしなやかに、アクセルリスの拳を受け流した。
だが、腹部に激痛が走ったのもそれと同時だった。
「が……!?」
イヴィユが目を向けると、己を背から貫く銀の槍が見えた。
「体勢が崩れて急所を外したか。ツいてないな」
アクセルリスは残酷に、言葉と共に刃を振り被った。
「より苦しむことになるお前が、だけど」
「ぐう……あああッ!」
獣のような叫び。イヴィユが放ったのは衝撃波魔法──その対象はアクセルリスではなく自分自身だった。
無様に宙を舞い吹き飛ぶイヴィユ。アクセルリスは空を斬った刃を消しながら、その着地点を見定めていた。
「へえ」
当然、その衝撃はイヴィユの身に重いダメージを残すものとなる。だが彼女はそれと引き換えに、進化の終焉を先延ばしにしたのだった。
「が……は、あ……!」
どさりと着地し、呻く。痛苦と共に槍を引き抜き、血走った眼でアクセルリスを見た。既に彼女は複数の槍を従え、歩み始めていた。
「新しい能力を手にしたはいいものの、まだ使いこなせていないみたいだな。《進化の魔女》らしくないブザマだ」
存在証明を否定する嘲りと共に、アクセルリスは近付く。
「いいや、いいや! その事実が確認できた……それこそが進化だろう!」
「ここまで痛めつけられないと進化もできないのか。随分と耄碌してるな」
「それはお前が『進化』を理解していないからに相違ない」
「あいにく興味ないんだ、元から」
「であれば、愚かだ。生けとし生けるものはみなすべて進化し続けているのだから!」
熱狂奔るイヴィユ。だが彼女を狂わせたのはアイヤツバスではなく、彼女自身なのだ。
「お前も進化の岐路に立たされるときが来るだろう。それは遠くはない。そのときに私の言葉を思い出し、後悔する」
「ごちゃごちゃと。お前の言葉に思い出す価値なんて何もない」
「さぁ、どうだろうな! ハハハ!」
「──」
アクセルリスは小さく舌打ちし、手をかざした。彼女の周囲に浮いていたすべての槍が、イヴィユを狙いに定めた。
イヴィユもまた、体勢を整え、高速で魔力を循環させ始めた。
熾烈なる戦いが、本格的に始める──その寸前だった。
「──アクセルリスッ!」
名を呼びながら、アクセルリスとイヴィユの間に降り立ったものがあった。
それは黒き獣のグラバースニッチ。
「グラバースニッチさん……?」
呆気にとられたアクセルリス。何らかの緊急事態を察知し、槍を消した。
「何が」
「よく聞けアクセルリス。お前の家──あの森が、燃えている」
「────ッ!?」
唐突に投げられた、衝撃的な言葉と情報。アクセルリスの脳裏が一瞬にして赤黒に染め上げられる。
「イヴィユは俺が対処する、お前は急いで向かえ!」
「──はい、ありがとうございます……ッ!」
瞬間的に巡った思考を超え、アクセルリスは迷うことなく踵を返し走り出した。
後方から聞こえてくるイヴィユとグラバースニッチのやりとりなど耳に入るわけもなく、ただ不安と怒りに染まりながら。
「────」
灼銀の右目に宿るは惑う残酷。突然のことに、まだ理解が追いついていない──だが、それはその眼で確かめれば済む。
アクセルリスは駆けていった。
【続く】