#1 夏の夜のワルプルギス
これは、少女が再び歩き始めてからの前日譚。
【追奏のオリジン】
ある湖畔にて。
「…………」
長い髪を適当に纏めた少女が、水面に映る自分の顔を見つめていた。
その髪と同じ色の目は、濁ってはいるが僅かに輝く。
(まだ……実感はないけど。でも現実に起こってることなんだ。受け入れなきゃ)
自分自身にそう語りかける。少女の重い過去が、刹那に感じられる。
(私、私は…………ん?)
と。ふと気付けば、知らぬ顔が水面ごしに少女の目を覗いていた。
「お、初めて見る顔だ。君がアイヤツバスさんの言っていた弟子かな?」
振り向く。それは少女と大差ない、小柄の影だった。
「……誰」
瞳を鋭く光らせ、少女は訊ねた。
「ちょ、そんな怖い顔しないでよ! 怪しいものじゃないからさ」
「……え、私そんな怖い顔してた……?」
「うん、すごかったよ」
「ご、ごめんね。まだ他の人と話すのに慣れてなくて」
「なるほど……こりゃ相当ワケありって感じだね」
それはそう呟いたのち、ハッとしたように目を見開いた。
「と、自己紹介するなら私のほうからした方がよかったね」
改まり、そして言う。
「私は《ファルフォビア》。この《死んだ妖精の森》を守護する勤勉な《エルフ》だよ! よろしく!」
満面の笑みでそのエルフ──ファルフォビアは名乗った。
「エルフ……初めて見た……」
「それは光栄! それで、君は?」
「私は」
風が吹き、銀色の髪がなびく。美しい銀色の瞳が、ファルフォビアを映した。
「アクセルリス」
アクセルリス・アルジェント。やがて《鋼の魔女》となる、残酷の少女。
「アクセルリスかぁ! いい名前だね!」
「あ、ありがと……? よくわからないな……」
「アイヤツバスさんの弟子になるためにこの森に来た、ってことでいいのかな?」
「……うん、まあそんな感じ」
「……やっぱりワケありなの?」
鋭く、切り込んだ。
「まあ、少し」
「そっか……深くは聞かないけど、きっと大変だったんだよね」
アクセルリスの心を慮り、ファルフォビアは微笑んだ。
「でもきっと大丈夫だよ、アクセルリスなら大丈夫! がんばってね!」
「────」
底抜けに明るいその振る舞い──それこそが、今だ荒んでいるアクセルリスの心を癒す一滴となったのだろう。
「……ありがと、ファルフォビア」
アクセルリスも微笑み、そう返した。それは彼女が永く忘れていた『笑顔』だった。
「……そうだ、アクセルリス! 私と友達になろうよ!」
「え?」
それは突拍子もない提案。
「友達! 実は私もこの森に来てから一人も友達ができてないんだよね……そもそも他に人がいないっていうのもあるからさ」
「お師匠サマ……アイヤツバスさんは?」
「あの人は格調高いというか……『友達』よりも『近所のお姉さん』って感じで、ちょっと違うかな!」
「な、なるほど」
考えてみれば納得がいく。アイヤツバスを除外してしまえば、この森に友好的関係を築ける存在はないと、森に来たばかりのアクセルリスにも断言できる。
「友達かぁ……うん、いいよ。私もまだいなかったからさ」
「やったー! じゃあ私たち、この森で生まれた初めての友達同士だね!」
「そうだね。なんかちょっと記念っぽい」
「じゃあじゃあ、手を出して!」
「……?」
言われるがまま、アクセルリスはファルフォビアに左手を向けた。
「ちょっと触るね!」
するとファルフォビアは、アクセルリスの手の甲に、指で十字を描いた。
「これでよし、と!」
「……なにこれ?」
「友達のおまじないだよ! これからアクセルリスは緊張したり不安なときに今みたいにすれば、私のことを思い出して安心できるようになる! そういうおまじない!」
「へぇー。これもエルフに伝わる何かなの?」
「ううん、全然!」
「うへぇ」
気が抜ける。
「これは私のお母さんが教えてくれたものなんだ。大切な友達ができたら、これをやってあげなさいって」
「大切な、友達……」
「うん! アクセルリスはこの森でできた初めての友達だから、大切なのは当たり前でしょ!」
真っ直ぐな、どこまでも真っ直ぐなその言葉。アクセルリスの頬が少し赤らむ。
「そこまで言われると、なんか恥ずかしいな……」
「えへへ。これからよろしくね、アクセルリス!」
「うん、ファルフォビア」
微笑みを交わし、互いに少し照れ合う。
二人の友情は、こうして始まった。
「それじゃ私は用事があるからこの辺で! またね!」
「うん、ありがとう!」
「今度はもっとお話ししようねー。ばいばーい!」
そしてファルフォビアは森に消えていった。樹々は深く茂っているが、その足に迷いは見えなかった。流石はエルフ、というところなのだろう。
「友達、かぁ……」
アクセルリスはしばし呆けたような感覚を味わっていた。
思えば『あの日』以降、アイヤツバス以外の人物と会話を交わすこと自体が初めてだった。
久しい『友達』の感覚、思い出せば──自然と微笑みが浮かんでいた。
「────」
それは、新たに始まったアクセルリスの物語──その始まりを彩り支える一ページ目となっただろう。
想いが形となり、吐く言葉があった。
「ファルフォビア──ありがとう」
「呼んだーーーー!?」
「うわぁーーーーっ!?」
それが、アクセルリスとファルフォビアのはじまりだった。
【追奏のオリジン おわり】