#1 タイムパッセージ
【今までと、今と、これからと】
──朝。空が薄紫に滲み、一日の始まりを告げる。
今となっては、たったひとりの世界。
真の主が捨てた──厳密には、捨てたわけではないが──その工房。
「…………」
アクセルリスは己の部屋で沈黙と共に横たわっていた。
見慣れた天井をじっと見つめ、沈思黙考へ浸る。
(いろんなことが、起こりすぎた)
戦火の魔女の顕現。シャーデンフロイデの殉死。それらの大きな出来事から日も浅いうちに起こった、イヴィユの謀反とロゼストルムの死。
既にシャーデンフロイデとロゼストルムの葬儀は済んだ。しかし、残酷たちの昏迷の傷は浅くなく、故に癒え切らない。
「……」
目を閉じる。光景が、ありありと想起される。
◆
「────ッ!」
強く壁を殴りつける音。グラバースニッチが感情の波に抑えきれず起こしたものだ。
「ひゥ……う、ぅゥ……っ……!」
それと同時に響くのはアガルマトのすすり泣き。
「……」
アーカシャは一同に背を向けたままデスクへ向かい、その表情を隠す。
アクセルリスもまた、口を噤んだまま、重苦しい空気に耐えていた。
──やがて、ミクロマクロが口を開いた。
「残念な出来事だった」
まずはそう、淡泊に。
「シャーデンフロイデを喪ってから日も経たぬうちにこんなことが起きてしまうなど、誰にも予測できたものじゃない──だから、私たちは何も悪くないんだ」
それは一同の心へ配慮を向けた言葉。決して誰の責でもなく、と。
「だからといって呆けている場合でもない。イヴィユの行方は掴めていないが、発見し次第迅速な処理が必要となる。元々魔女機関の側だったからね、何を仕出かすか分からない。故に危険だ」
淡々と告げる。きっとこれも、『隊長』の真似事なのだろう。
「……各々の体調のこともある。今日はこのあたりで解散とするけど、何か言いたいことがある人は?」
「いいですか」
名乗り出たのはアクセルリスだった。
「イヴィユの処分、私に担当させてもらえますか」
「どうしてかな」
「ロゼストルムさんを殺した後、イヴィユは私に言ったんです」
◇
『アクセルリス……お前のせいだ。お前が招いた……結末だ』
◇
「……と」
「心当たりがあるのかい?」
「いえ、全く」
逃避も転嫁もなく、アクセルリスはそう言い切った。
「それでも──そのような言葉を残していった以上、私が担当すべきだというのが責任かと感じまして」
「うん。理に適っている動機だ。問題ないよね、グラバースニッチ?」
「……ああ、良いだろう。ただ──俺にも一発あいつを殴らせろ」
「理由は?」
「無い」
獣の選択に深い理由は無い。ただ怨恨を拳一つに宿し、己を納得させるための決断だ。
「うん、認めるよ。じゃあ対イヴィユの実働はアクセルリスとグラバースニッチ、二人に任せることとする」
「ありがとうございます。必ず、私が──」
決意、銀色に輝く。
「──私が殺します」
◆
そして、今がある。
「…………ふぅ」
アクセルリスは静かに溜息を吐き、起き上がった。
あれから色々と考えを巡らせてみたのだが、結局イヴィユの言葉の真意は掴めていない。
「私が何をしたっていうんだ、マジで」
実際のところ、アクセルリスは深い苦悩はしていない。己の覇道の渦中で、誰にどんな影響を与えようが預かり知るものではない。そう自分で定めたから。
では何故ここまでイヴィユの言葉を引き摺るのかといえば、それは純粋な『怒り』である。
「何があったか知らねぇけど私のせいにするなよなホントに!」
それはかつて誕生の魔女バースデイとの闘いで垣間見せた性質。
アクセルリスは『自身の命を生きていく』ことに必死であり、他者の機微に構っていられるほど余裕ではないという信念である。
バースデイはアクセルリスに『答え』を求めた。そしてイヴィユはアクセルリスに『理由』を見出した。アクセルリスにしてみればその二つに差はない。
だからこそアクセルリスの魂が怒りの表情を見せているのだった。
「まったくもー! ごはんごはん!」
と、アクセルリスは苛立ちを露わにしながらも──朝食の用意を済ませていた。
それは家主が去ってから定着した新たな生活様式。出来栄えは師のものとは比べるべくもないが、充分腹は満たされる。
「こういうときはたくさん食べるに限る! いただきま──」
いざ残酷なる給餌が始まらん──とする、そのときだった。
こんこん、と小さなノック音が響いた。
「──あ?」
アクセルリスの動きが止まり、目を細める。
「……はーい、今開けます」
至福である食事の時を中断されることは不満だが、客人を無視するのも無礼──苦渋の決断、アクセルリスはドアを開いた。
「どちらさまで──って、あれ?」
灼銀の眼が映したのは、小柄な人影──
「おはよ! 久しぶりだねアクセルリス!」
「ファルフォビア?」
アクセルリスの親友、死んだ妖精の森に住まうエルフのファルフォビアだった。
「ホントに久しぶりだね……どうしたのさ、いきなり」
「いや、私しばらくこの森を留守にしてたじゃん?」
「知らない知らない!」
突然の新情報にアクセルリスはただ驚くばかり。
「あれ、言ってなかったっけ……フィアフィリアのところとか、カプティヴのところとか行ってたんだ」
「へぇー……通りで静かだと思った」
「どういう意味さそれ!」
時を経ても、二人の仲は変わらずに。
「っていうか定住した森を守るのがエルフってものなんじゃないの?」
「まあそれはそれ、これはこれよ」
「ふーん……」
と、ファルフォビアが工房内の様子に気付いた。
「あれ、ごはんどきだった? 邪魔しちゃったかな」
「ん、気にしないで。なんなら一緒に食べてく?」
「え、いいの!? やったー! おじゃましまーす!」
「遠慮ってものがないな……」
そう呆れながらも、変わらぬ親友の姿にアクセルリスは笑顔を見せていた。
「うーん、やっぱり美味しい!」
「あはは、ありがとね」
アクセルリスとファルフォビアは向かい合って食卓を囲む。本来 (アクセルリスにとっては)一人前の料理だが、充分に分け合うこともできる。
「これ私が作ったんだよ」
「え、そうなんだ! 確かに言われてみれば今までのとちょっと味が違うかも……」
「そんな違いに気付くくらい人ん家のごはん食べ慣れてるのもおかしくない?」
「そこはまあ、ご近所づきあいってことで!」
「とか言うけどファルフォビアはごちそうしてくれたことないじゃん?」
「それはまぁ……ほら、私あんまり料理しないし……」
「え、そうなの。じゃあいつも何食べてんの?」
「木の実とか魚とかを適当に焼いたり……あとは町で買ってきたお惣菜とか……」
「……勤勉が聞いてあきれるわ」
「えへ」
談笑。アクセルリスの残酷に研ぎ澄まされた心も、旧き友との交流によりかつての温もりを思い出し、和らぐ。
──だが、ファルフォビアが不意に切り込んだ。
「──そういえばアイヤツバスさんは?」
「……っ」
それは触れられざる深淵。
アイヤツバスが戦火の魔女であったということは、魔女機関の外には伝わっていない。それ自体は世の大混乱を防ぐための手段、なのだが──この場においては、都合が悪かった。
「…………お師匠サマは、今はいないんだ」
「あ、そうなんだ。仕事か何か?」
「うん……まあ、そんな感じで、しばらく工房を留守にするみたい」
「大仕事なんだね! 流石アイヤツバスさんだ……魔女のことは分からないけどね!」
「あは、は」
上っ面の笑顔。幸い、ファルフォビアに真意は悟られず。
「…………」
それでも尚、アクセルリスの心は好転せず──その雰囲気を感じたのか、ファルフォビアが口を開いた。
「ね、アクセルリス」
「ん、何?」
「変わったよね、あんた」
「変わった、って言っても……私たち知り合ってから何年も経ってるし、そりゃ変わるでしょ」
「いやそう、全くそうなんだけど……なんて言えばいいのかな……」
ファルフォビアは己の脳裏上を掴み切れずに目を瞑る。
「──そうだ、今時間ある?」
「え? まあヒマだけど」
「ちょっと散歩しよ? ご飯も食べ終わったしさ!」
「ま、いいけど」
「いい返事ぃ!」
聞き届けるとファルフォビアは足早に外に出た。アクセルリスも疑問を抱えながらもそれに続いた。
【続く】