#4 まがい物のミッシング・リンク
【#4】
進化の凶行、その数日前のこと──
イヴィユは再び霊峰スィンカーへと赴いていた。
「…………」
空を望む。かつての暮らしでは毎日見ていた空。里から出てもときたび戻り、懐古と共に見ていた空。
今の空の色は、これまでのそれとは違う。
「……は、あ」
どこまでも澱み、重苦しくイヴィユの肩にのしかかる。震えと共に息を吐いた。
「──戦火の魔に怯え、残酷の眼に竦み──それでもなお体裁を選んだ私に、何ができる?」
儚き問い。虚空へと投げるが、当然答えは得られるはずもなく。
「あれらを前にして感じてしまった。私は所詮、弱く脆い存在だと──」
イヴィユとて弱き魔女ではない。際立った器用さと危機管理を生かした新たな兵器の試用員という立場は、他に代われるものではなく。残酷魔女としても、失敗することない優秀なエージェントであった。
その彼女が、ここまでに打ちひしがれてしまうほどに──かの魔女たちの力は、強大なものだったのだ。
「私の……進化は、間違っていたのか?」
そして口にしてしまうその問い。あらゆるものを『進化』と捉え貪欲に進んできたイヴィユがそれを問うことは、全ての瓦解を意味していると言っても過言ではなく。
「私、は──」
最早自身の中に解は無く。イヴィユは何かに縋るように、ただ手を伸ばした。
「私はそうは思わないわ」
突如、その手の先に一人の魔女が顕れた。彼女は優しく、イヴィユの問いに答えた。
「御機嫌よう、イヴィユ。貴女とこうして接触するのは初めてだったかしらね」
「──アイヤツバス」
それは紛れもなく戦火の魔女アイヤツバス。しかしその眼差しには殺気が籠らず、むしろ母性と慈愛に満ちた優しいものだった。
「──ッ」
イヴィユは咄嗟に銃を構えようとした──だが、やめた。どうせ自分では太刀打ちすることは出来ない──そんな諦めが彼女を支配していたからだった。
「……何の用だ。こんな私に」
「貴女の吐露、聞かせてもらったわよ。私たち師弟が迷惑をかけたようね」
「だったらどうした。私の本心を知ってなお、弱い私に何を求める」
「そうね、ちょっとかわいそうだと思って」
「嗤いに来たのか?」
「違うわ、お詫びをしに来たのよ」
「詫びだと?」
イヴィユの目が歪められる。
「ええ。私たちのせいでそんな弱気になっちゃったのなら、私がその責任をもってあなたを元気付けるわ」
「……何を企んでいる、戦火の魔女」
余りにも怪しさに満ちた言葉に、たとえ心折れていようとイヴィユは警戒心を見せる。
しかし、アイヤツバスは。
「何も。今言ったことが全て。それだけよ」
「……度し難い」
全ては理解不能に終わった。イヴィユはアイヤツバスに殺戮の意思がないうちに逃げ延びようと、背を向けた。
「────」
しかし、ふと。
イヴィユの中で、一筋の閃きが生まれた。
「詫び……というのなら、ひとつ私の問いに答えてくれるか」
「ええ。それで満足するのなら、なんでも」
イヴィユは振り返る。濁った瞳でアイヤツバスを、見た。
「どうすれば私はより進化できる」
望んだのは、更なる進化だった。
「私は弱い。ならば──強くなるだけだ。貴様やアクセルリスを凌ぐほど、強く」
「貪欲に力を求めるその姿勢、残酷魔女として素晴らしいわね」
「答えろ。答えないのならば用は無い」
「そんなに焦らないで。答えてあげるから」
アイヤツバスは赤黒い瞳を歪ませて笑い、そして言った。
「そもそも私は貴女の進化が間違っていたとは思わないわ。ただ、十全でもなかった」
「……なるほど。貴様はそう解釈するか」
イヴィユは目を閉じる。己の進化が間違っているものではないことを告げられ、一時の安堵を得る。それがたとえ戦火の魔女であろうと。
しかし、故に、求める。
「何だ。何が私には足りていない」
目を見開く。その語調は強く、焦る。
「それさえ知れれば私はより進化し、より強くなれるのだろう!」
「ええ、そうかもね」
「正しい進化、硬き進化さえあれば、貴様や、アクセルリスにも──」
血が滲むほど拳を強く握る。それは『進化』への歪んだ執着が成すもの。
「教えろ! 何だ、それは! 何だ!」
「『犠牲』ね」
「────犠牲」
示された答えを、うわ言のように反芻した。
「私は戦火の魔女の力を取り戻すときに、『弟子との縁を断つ』ことをした。言うまでもなく、それは私にとってとても大切だったもの──それを『犠牲』にしたことで、私は更なる力を手に入れた」
戦火は語る。燃えるように、その黒の奥を。
「アクセルリスもまた同じ──『私との繋がりを切った』。そしてあの子は深い葛藤に落ち、それを乗り越えることでより強く、より輝くようになった」
「……」
「分かったでしょう? 貴女の今までの進化には『犠牲』がなかった。大切なものを失って強くなるという魂の仕組みを知らなかった──それが全てよ」
「…………理解、した」
イヴィユの目の色が変わった。
両手で顔を覆う──その隙間から除く表情は、狂ったように、歪んでいた。
「嗚呼……感謝する、アイヤツバス。見えた……見えたぞ、私のするべき進化が……!」
「ふふ、よかったわね」
「そうと……そうと決まれば、こんなところにいる暇はない。こんな古惚けた枯れ山なんかには、私の進化は無い」
イヴィユはそうとだけ言うと、歪んだ足取りでその場を去っていった。
アイヤツバスはその背を見送りながら、心の底で──嘲笑った。
「…………バカね。この世界で『縁』より強いものはないというのに」
そして彼女も消え、霊峰は沈黙に堕ちた。
【進化の収束点 おわり】