#3 ダーウィンの黄昏
【#3】
数日の後。
「アーカシャさんから呼び出されたけど……なにか分かったのかな」
アクセルリスはヴェルペルギースを歩いていた。魔製の月は今日も変わらず、常夜の魔女の都を照らす。
「何か……お師匠サマの弱点に繋がればいいんだけど」
薄い願いを口にしながら、城門を潜り抜け、クリファトレシカへと入る。
目的地は98階の残酷魔女本部。上層フロア直通のエレベーターへと進む。それはアクセルリスにとって何度も通った道、意識せずとも足が動く。
「……ん」
ふとその道中、目に留まるものがあった。
エントランスの掲示板、そこに張り出されていた真新しい記事。
大きく書かれていた見出しの文字が、灼銀に映った。
「『異常な大量殺人事件』……?」
不穏極まるその一文。
そしてさらに、側の小さな文字──そこから一つの単語を、灼銀の眼は見つけた。
「『霊峰スィンカーの麓町』──」
一瞬、アクセルリスの背筋に悪寒が走った。本能が言いようのない不安を囁く。
「……偶然、でしょ」
そう自分に言い聞かせながら、彼女はエレベーターに乗った。
◆
魔女機関本部クリファトレシカ。その潤沢な魔力によって稼働するエレベーターは、雲を貫く高さまでもあっという間に乗客を届ける。
98階。見慣れたフロアに足を踏み入れたアクセルリスは、残酷魔女本部室の前に立つ人影にすぐ気付いた。
「ロゼストルムさん」
「あら、アクセルリス。御機嫌よう」
それは絢爛なりし薫風の令嬢、ロゼストルム。
「おはようございます。任務ですか?」
「ええ。貴女はご存じかしら、謎に包まれた大量殺人の件」
「はい、見ました。霊峰スィンカーの麓の町で起こったそうで」
「そうなのよ。もしかしたらイヴのご家族も巻き込まれたのではないかと、心配で」
憂うのは相棒。
「それで、私とイヴが調査に向かうことになったのですわ。その待ち合わせをここで」
「なるほど……ご武運をお祈りしています」
「あら、有難う」
ロゼストルムはにっこりと笑った。不安の影もない、麗しき笑みだった。
「そうそう、アーカシャが貴女のことを探していましたわよ」
「あ、はい。私もその件でここに」
「あら、そうでしたの。ちょっとタイミングが悪かったですわね、彼女なら今さっき情報管理室へ向かったところですわ。マーキナーと話があるとかなんとか」
情報管理室。クリファトレシカの92階を占有するフロア。先程アクセルリスが通り過ぎたフロアである。
「本当ですか、どれくらい前です?」
「ついさっきですわ。今から向かえば十分合流できると思いましてよ」
「分かりました、ありがとうございます! 失礼しますね!」
「ええ、貴女も頑張って!」
ロゼストルムとの別れ。手短に済ませ、アクセルリスは情報管理室へと向かった。
◆
数刻後。
「……結局手掛かりになりうる情報は得られなかったかー」
溜息のアクセルリス。
彼女は情報管理室にてアーカシャとマーキナーの両名から、シャーデンフロイデのペンダントに吸収された戦火の魔力の解析結果を聞いた。
──だがそれは現時点において魔女機関に存在する情報と大差あるものではなく、それ以上の事象は判明しなかった。
判明したのは、かのペンダントは上質な魔吸石で作られたものであり、かなりの容量の魔力を貯蔵しているという事実だけだった。
「また振り出しに戻っちゃったな、手掛かり探し」
小さく呟いた。だが、その心は折れることのない鋼。必ず戦火へ繋がる糸を見つけ出し、殺す。その意志だけは、永遠に潰えない。
「──本部に行ってみよ」
何とはなしに。それは明確な目的もなく、ただの思いつきだった。
再びエレベーターが98階に止まり、アクセルリスが足を踏み入れた。
──銃声が響いたのはその直後だった。
「──ッ!?」
本能が残酷に叫び、音の出所を睨む。それは──残酷魔女本部室。
「何が……ッ!」
焦りと混乱に突き動かされ、その扉を激しく開いた。
「──」
目に映ったのは、二人の魔女。
「どう……して……?」
胸を押さえながら、理解不能を問い続ける──ロゼストルム。胸からは、鮮血が滴る。
「…………」
そして、相対する──イヴィユ。揺らぐことなく構える銃は、ロゼストルムをこうしたのが彼女であるという、証明。
「──何を……」
耐え切れず、ロゼストルムが力なくソファに倒れ込んだ。
「何をしているんですかッ!?」
アクセルリスの怒号。残酷の極みたるそれを耳にしてなお、イヴィユは沈黙のままに弾を込め直し、ロゼストルムの側へ寄り添った。
「ロゼ……許してくれるか。進化のためなんだ。私が……進化するための……犠牲なんだ」
「イヴ……何を……言っているんですの……?」
「ああ……ロゼ。私は……お前のことを愛している……愛しているんだ……」
「そんなの……言わずとも……理解していますのに……」
「だから……私がお前を殺すんだ」
悍ましき言葉を吐くイヴィユ。アクセルリスは考えるよりも早く槍を放っていた。
「離れろッ! ロゼストルムさんからッ!」
「邪魔をするな……私とロゼの最後の時間を……!」
静かに怒りを迸らせながらそれを躱す。行き先を失った槍たちは窓ガラスに突き刺さり、無数のヒビを生む。
「さぁ……ロゼ、さよならだ」
「まって……イヴ……」
力なく伸ばされるロゼストルムの手。イヴィユはそれを優しく握り、そして銃口をロゼストルムの胸に当て────
「やめろ────ッ!!!」
放たれた。
「────」
ロゼストルムの身体から、ゆっくりと力が抜けていく。
「…………は……はは……! やった……私はやったぞ……!」
そしてイヴィユは、狂気とも狂乱ともとれる表情で、フラフラと立ち上がった。
「これで……これで私は、真の進化を手に入れる!」
手にしていた銃を窓に叩き付ける。槍によって楔を穿たれていたそれは、その衝撃で砕け散った。
「アクセルリス……お前のせいだ。お前が招いた……結末だ」
「ふざけるな……!」
アクセルリスが怒りのままに手を伸ばす。しかし、それよりも早く、イヴィユは自ら身を夜の街へ投げ出した。
「は、はは……はははは! ははははははは────」
狂笑が夜に消えていった。
アクセルリスはイヴィユを逃すまいと続こうとしたが──
「──っ!」
それよりも重要なこと──吹き消える命を護ることを選んだ。
「ロゼストルムさん! 大丈夫ですか!?」
「う、ぅ……」
口からは血が泡となって零れ、呼吸は幽かに震えるのみ。
ひとつの命が、消えようとしていた。
「耐えてください、すぐに手当てします!」
「……いえ、私のことは、見捨ててくださいませ……早く、イヴィユのことを、皆様に伝えて…………」
哀しきロゼストルム。彼女はどこまでも、誰かのために献身的になれる。
「そんなことできるわけ……!」
「ダメなのです……! 自分のことは、自分が一番わかっていますわ……! だから……! もう時間がありません……!」
「嫌です! 生きることを諦めるのを、私は許せない……!」
「…………ごめんなさい」
ロゼストルムは激痛に耐え顔を歪める。そして、アクセルリスへと手をかざした。
「アクセルリス……貴女は、善い魔女です」
「……?」
「イヴのこと、任せましたわ」
「何を言って」
そして、全ての力を振り絞り、魔法を解き放った。
「────」
鮮やかに。花びらと共に巻き起こされた風が、アクセルリスを部屋の外まで吹き飛ばした。
「ロゼストルムさん、何をして」
「さようなら」
その微笑みとその言葉が、静まった世界に刻まれた。
────直後、ロゼストルムの躰の内が、爆ぜた。
「あ────」
それはまるで華が咲くように。それはまるで嵐が吹き荒れるように。
ロゼストルムの血肉が、鮮烈な赤となり、部屋中に弾けた。
イヴィユが仕込んだ二発目の『種』。それこそが、彼女の愛を華そのものとし、永遠とするためのものだった。
「──」
アクセルリスは、その残酷な美を見届け──表情を消した。
躊躇うことなく部屋に足を踏み入れ、連絡装置を手に取った。
「────全魔女に告ぐ! 残酷魔女イヴィユが謀反しクリファトレシカより逃走中! 繰り返す、残酷魔女イヴィユが謀反し────」
そしてクリファトレシカは混乱に陥った。あらゆる空間に警報が鳴り響き、機動部隊は即座にヴェルペルギースの捜索を始めた。
◆
「──」
アクセルリスは割れた窓ガラスから夜空を見上げ、夜景を見下ろした。
「私のせい、か」
去り際にイヴィユが残した言葉を繰り返し──そして、呟く。
「──知るか、そんなこと」
その言葉は冷え切った感情で紡がれた。
そして彼女もまた、謀反者を抹殺すべく、夜へと身を投げた。
◆
結果から言うのなら、進化の魔女は逃げ果てていた。
彼女は、もはや残酷ではなく、ただの外道に堕ちていた。
しかしイヴィユはそれを笑う。
何故ならばそれこそが進化であり、彼女の求めていたものだったからだ。
世界の行く先が、より歪んでいく。
【続く】