#1 残光在り
【進化の収束点】
戦火の魔女が再臨し、この世界を終局へ向けた。
これは、その後の出来事である。
◆
クリファトレシカ98階、残酷魔女本部。
どこまでも昏く、どこまでも沈んだ雰囲気が、部屋を包んでいた。
「…………」
副隊長たるミクロマクロ。重く深い表情で眉を抑える。
否、彼女だけではない──アクセルリスも、グラバースニッチも、アーカシャも、アガルマトも、イヴィユも、ロゼストルムも──この場にいる全員が、同じような表情を見せていた。
理由は語るに及ばず──彼女たちの隊長である殺伐の魔女シャーデンフロイデが、戦火を殺し伐つこと叶わず散ったからだ。
「…………」
重苦しい沈黙。心臓が握り潰されるほどの空気。口を、瞼を、心を閉ざし、それぞれの暗黒に身を投じている。
その中で、ミクロマクロが口を開いた。
「隊長シャーデンフロイデの殉職──それにより、次期隊長が定まるまでの間、副隊長である私が残酷魔女の指揮を執る。異論は無いな」
「……てめぇ」
静かなる宣言。最も顕著なる反応を示したのはグラバースニッチだった。ミクロマクロの胸元を掴み、その眼前で吠える。
「よくもこんな状況で抜け抜けと……!」
「お止めなさい、グラバースニッチ!」
ロゼストルムの制止すらも届かず、獣は牙を剥く。
「どう思ってんだよ、てめぇはァ!?」
「シャーデンフロイデならば間違いなくこう言う。私は間違えていない──皆もわかっているだろう」
「……バカが、俺はそういうことを聞いてるんじゃねえ……!」
呆れたように手を離し、グラバースニッチはミクロマクロの瞳を──空虚な瞳を見た。
「それは『シャーデンフロイデの言葉』だろうが……!」
「……それが、どうした」
「俺が聞きたいのはお前の──『ミクロマクロの言葉』だ……!」
「ああ……そんなことだったのか」
虚ろに──ミクロマクロは答える。
「やめたいよ。こんなことは。辛い。故郷に帰り、静かに余生を暮らしたい」
その本音に誰もが息を呑んだ。
「でもやらなければならないんだ。私たちが残酷である限り、ね」
言葉から感じ取れたのは、濁った諦めと歪んだ使命感だった。
「──ああ、クソ……クソッたれ……!」
グラバースニッチは呪詛めいた言葉を吐き捨て、部屋を後にした。
「話は終わってないんだけどね、やれやれ」
「無理もないよ、こんな状況では」
アーカシャが言葉を返し、そして一同に目を向けた。
「どうするのかな? 副隊長」
「仕方の無いことだ。今日のところはこれでお流れとしよう」
ミクロマクロは諦めたように目を閉じ、深くソファに腰かける。
「わたくし、グラバースニッチの様子を見てきますわ──」
言うも早くロゼストルムは立ち去る。獣を追う薫風が残滓となった。
「全くロゼの面倒見の良さには感服だ」
「ィ、イヴィユは追わないのぉォぉォ?」
「私はここに残った方がいいと──そう進化が囁いたのでな」
「はは。やっぱりカンがいいね、きみは」
「お前ほどではないさ、ミクロマクロ」
互いは不敵な笑みを浮かべ合う。
「ただ、その前に」
ミクロマクロが首を傾けた。そして視界に捉えたのは──アクセルリスだった。
「何か言いたげだね」
「……お見通しなんですね」
「誰にでもわかるさ、そんな顔してたら──言ってごらん」
「──」
アクセルリスは一瞬の逡巡を超え、すぐに声に出した。
「ミクロマクロさんは──過去に何があったんですか?」
「──へぇ」
口角を上げた。しかし、その眼は微笑んではいなかった。
「それを聞いちゃう……か」
「無礼な質問でしたら謝罪します」
「いや、気にしないで。私もそろそろ後悔するべきときだと思っていたからさ」
「後悔──」
その言葉が引っかかりとなった。生まれた好奇心は何物にも止められず。
「なに──他愛ない昔話さ。興味がなかったら聞き流してくれ」
そう前置きをして、ミクロマクロは重く口を開いた。
「かつて、「ひとり」の魔女がいた。そして彼女には愛する人がいた」
『ひとり』。その意味に、銀色の勘はすぐに気付く。
「ふたりは永久に、共に、生を歩んでいくものだと──疑わなかった。愚かなやつだろう。この世に不滅なるものなど存在しないと、誰でもわかっていたというのに」
その言葉が導く解はひとつ。
「あるとき──魔女の恋人が殺された。殺めたのは無差別殺人を行っていた外道魔女だった」
紡がれた愛は引き裂かれた──口頭では容易いが、しかし。
「魔女はひどく哀しみ、狂しみ、嘆いた。やがて枯れ果てた彼女に残されたのは──途方もない憤怒」
ミクロマクロの眼光が鋭くなる。まるで、語るその『憤怒』を思い出したかのように。
「己の内側から溢れ出す衝動のまま、魔女は仇である外道を追った。どこまでも、いつまでも、全てを捨ててでも」
険しい修羅の道。ミクロマクロの飄々とした言葉の裏からも、それは見え隠れする。
「そして魔女は、長い長い時と道を超え──ついに外道を討ち、恋人の仇を取った」
「……」
アクセルリスはただ口を噤み、そして想う。復讐を果たした、その直後の感情を。
「──ここで終わるならば、誰もが感銘するような薄っぺらい物語として、消えていくだけだっただろう」
それはまるでありふれた復讐譚。
「しかしこれは現実であり、その後も消えぬ生が残ってしまうのさ」
ミクロマクロは一度目を伏せ、そして再び開いた瞳には、狂うような光が宿っていた。
「復讐を果たした魔女には何も残されていなかった。『復讐』こそが彼女の全てとなってしまっていたのさ。全く、無様極まりない話だろう!」
嘲りの笑い声が響く──空しく、虚しく。
「……やがて虚無だけを抱えた魔女は、故郷に戻り、静かに朽ちていこうと考えた──だが、魔女は差し伸べられている手を見つけてしまった」
『手』。それはきっと冷徹に、或いはより殺伐と。
「何としてでも復讐を果たすその執念──『残酷さ』。それが切欠だった、らしいよ」
「それは、つまり」
「ああ──そうしてその魔女は、外道魔女を処断する魔女──『残酷魔女』となったのさ」
残酷魔女。それは道を外れた魔女を処断する専門の魔女だと──もはや言うまでもなく。
「その哀れで愚かな魔女の名は──」
「──《ミクロマクロ・コスモカオス》」
言葉を奪い、アクセルリスはその名を口にした。
「おっと、クライマックスのセリフを奪わないでくれよ。先輩に見せ場をくれたっていいじゃないか」
冗談めいて笑う。
──だが、その心の奥で彼女が真に笑うことは、なく。
「……とまあ、それが私の過去だ。つまらなかっただろう」
「──そんなことはありません、決して」
「そうか? そう言ってくれるのなら、『彼女』も喜ぶだろう」
ミクロマクロは静かに一つ息を吐いた。そして、真剣な眼差しでアクセルリスを見た。
「アクセルリス──こうなるなよ」
「それは」
「復讐の怒りに呑まれ、全てを忘れてそれを果たした先、心に空虚だけを残す。そんなことが無いように──さ」
その言葉は、静かな虚無を孕み──忠告の槍を、アクセルリスに向けていた。
「…………ッ」
アクセルリスとて、覚悟がないわけではない。これまでの覇道の中、全ての決意はとうに固めていた。
しかし、実際の復讐譚とその末路を目の当たりにして、その残酷の心は不満げに蠢いていた。
「私は」
「ま、君ならきっと大丈夫だ」
詰まるアクセルリスの声を、ミクロマクロが掻き消した。
「君は私と違う──それを成し遂げたあとも、君には愛する人が待っていてくれるのだから」
その覇道は、残酷を包む命の蕾によって彩られ──護られていた。
「だから好きなようにやって、好きなように生きればいい」
ミクロマクロの表情に色が戻った。アクセルリスの心にも安堵の光が差す。
「ちょっと脅かしちゃって悪かったね。少しでも気分を良くしたかっただけさ」
「……お心遣い、ありがとうございます」
「気にしないでくれ。先輩として──いや、残酷魔女の代表としての責務だよ」
静かに笑みを浮かべそう言った。
◆
僅かの間。改まり、ミクロマクロが口を開く。
「では本題に──」
「あ、その前にもう一ついいですか?」
だが、不意にアクセルリスが再び制止をした。
「本当は皆さんが揃っているときに話したかったんですが……重要な事項なので、どうか」
「……気になるね、君ほどの魔女が重要とするとは。是非聞かせてくれ」
「こちらなんですが」
アクセルリスが取り出したのは──真っ赤な結晶のペンダントだった。
彼女の右手に収まるそれを、残酷魔女たちは顔を覗かせて観た。
そして誰もが、すぐに気付いた。
「……これは、シャーデンフロイデの」
「うん……間違いないね。今となっては、私たちにとって形見のペンダント」
それが、シャーデンフロイデが肌身離さず身に着けていた宝物だということを。
しかし、であれば──腑に落ちぬ点が、一つ浮かぶ。
「で、でも、シャーデンフロイデのペンダントってぇェ……」
「ああ。あれは透明だった。どこまでも透き通るような透明さ──幾ら進化を重ねようと忘れるべくもない」
「となると、何か理由があるんだろう? アクセルリス」
「はい。おそらくこれは『魔吸石』によって造られたものです」
魔吸石。触れた魔力を吸収する性質を持つ魔石。
それが色を変えているということは、つまり。
「成程、魔力を吸収しその色を変えたと」
「だとすれば、その魔力は……?」
アーカシャが疑問の色を見せたところで、ふとアクセルリスが言う。
「これ、今は私が魔力で抑え込んでいるんです」
「何故、そのようなことを」
「これが答えです──」
そして、封じ込めていたその魔力を、ほんの一瞬だけ解き放った──
「──!?」
直後、部屋中に邪悪極まる魔力が満ちた。
赤黒く可視化されるほどの濃度を持つそれが何かは、もはや言うまでもなく。
「これ、は──」
「わかってもらえましたよね」
アクセルリスは動じることなく、再び銀色の魔力でそれを抑え込んだ。
「これは《戦火の魔力》です。このペンダントには、シャーデンフロイデさんが最期に奪った戦火の魔女の魔力が秘められている」
「──」
衝撃が走る。驚きに目を見開くもの、怯えて縮こまるもの、興味に惹かれ笑みを浮かべるもの。皆それぞれの反応を示す。
その渦中、アクセルリスは想起する──殺伐の終幕を。
(そう──シャーデンフロイデさんは最後に、お師匠サマから魔力を奪った。これがシャーデンフロイデさんの狙いで、そして──)
その沈黙の奥から、アーカシャが声を発した。
「これが何を示しているのか。君には分かるのか、アクセルリス」
「……いえ、今のところは分かりません──だけど、確実な意味は籠められています」
強い意志で、言った。
「シャーデンフロイデさんが、私に託したものですから」
その言葉に皆が頷く。隊長シャーデンフロイデの殺伐たる生き様を見届けた残酷魔女たちならば、誰もがその遺志を信じるのみだ。
「とりあえずコレは私が預かっておくよ。調べるだけ調べてみる」
「お願いします、アーカシャさん」
そして星は委ねられた。どこまでも赤い光を放ちながら。
それが世界を護る力になると信じて。
◆
「……さて、ではいよいよ本題に移ろう」
ミクロマクロが目の色を変える。
「といっても、そこまで大ごとではないんだけどね。何の変哲もない、いつもの私たちの任務だ」
残酷魔女の任務。それは言うまでもなく、一つである。
「新たな外道魔女か?」
「その通りさイヴィユ。『戦火の魔女が正体を明かし、それが邪悪魔女の一人だった』──しかしそれはあくまでも『魔女機関内だけ』で知られる大事件」
完璧な情報統制を裏付ける。だが、それゆえに。
「外野の外道はそんなこと知らないからね、今日もお構いなしに問題を起こしやがるのさ」
「今回の任務対象はどのような魔女なんですか?」
アクセルリスの問い。ミクロマクロよりも早くアーカシャが返す。
「《隠密の魔女ハイデンジーク》。魔女としては若手で、称号の通り隠れることに特化した魔法を操る。それを使って窃盗を繰り返していると」
「魔女になってまでやることがセコいなぁ……」
「とはいえその隠密力は確かだよ。民間の手に負えなくなったからこうして魔女機関に任務が入ったんだし」
「うん。そんなわけで、ハイデンジークの処分──今回はなるべく捕縛がいいかな。それをアクセルリスとイヴィユ、君たちに任せたい」
副隊長が選んだのは鋼と進化だった。
「確かに私の眼なら魔力を追うのは簡単……ですけど」
「私である理由が掴めないな。捜索であればグラバースニッチの嗅覚のほうが向いているだろう──何の意図がある、ミクロマクロ」
イヴィユは真意を問う。幾度もの進化を超えてきた瞳に、ミクロマクロが映った。
「重要なのは、絞り出せたハイデンジークの現在地にある」
「それは……?」
「《霊峰スィンカー》さ」
霊峰スィンカー。その名を耳にするとすぐに、イヴィユの表情が変わった。
「────成程、全て理解した」
【続く】