#7 峻厳、神に見放されし者
──魔女暦5553年 12月12日 《峻厳、神に見放されし者》──
「…………」
クリファトレシカ99階バルコニーからヴェルペルギースの夜景を見下ろすアイヤツバス。
「この飽き飽きする絶景も今日が最後と思えば──全然心に沁みないわね」
この場に彼女以外の存在は無い。しかし、戦火の直感は告げている。
時は来たれり。戦火は暴かれ、裁きの刃を向けられること。
そして、再誕を果たすことを。
「じきにバシカル達が証拠をもってこの場に集う。アクセルリスは後から招集される形になるでしょうね」
全てを見通す知識。欺瞞のその称号も、もうじき消える。
「なら、私がやることは──限られているわね」
そう言って、バルコニーから飛び降りた。
その直後、99階に足を踏み入れる者がいた。
執行官バシカル。その眼光はあまりに鋭い。
「…………まだ誰もいないか」
呟きには僅かな安堵があった。これから皆に告げる、戦烈なる真実を己の中で纏め直す暇ができたのだから。
◆
時を同じくして、強大なるエゴを競わせ合う二人がいた。
鋼の魔女、残酷のアクセルリス。
鉄の魔女、峻厳のゲブラッヘ。
その二人に他ならない。
「──喰った。戦火の魔女の力も、お前の呪いも、全部」
「ハ、ハハ……! 流石は、アクセルリスだ……そういうところが、本当に嫌いだ!」
黒き影の鎧を纏うアクセルリスと赤黒い呪いの稲妻を身に奔らせるゲブラッヘ。
極限にも至るエゴの衝突が繰り広げられていた。
「だがボクを殺すには至らなかったようだね! 残念だった! 何度でも、何度でもボクはキミを襲う! 師匠がボクを見てくれている限り、何度でも!」
戦火の禍根を刻んだ左目だけを大きく開き、狂った歓喜に身を躍らせる。
「気持ち悪い」
「さぁ往くぞ! 何度でも、何度でも、何度でも──!」
そしてゲブラッヘが長刀を振り被り、駆け出そうと構えた──そのときだった。
「────え?」
ゲブラッヘの身体は、動かなかった。
それは、何かが彼女の身体を縛っていたからだ。
そして、気付いたころには、遅い。
「ぐぅあーっ!?」
あっという間にその拘束は強まり、ゲブラッヘを虚空に磔にしていた。
「ぐ……!? これは──ッ!?」
彼女を捕らえたそれは、黒色の魔法陣だった。
「う、ぐぁ…………! 魔力が……!」
魔法陣は黒く輝き、ゲブラッヘから魔力を──戦火の魔女の力を、吸い上げていた。
その影響が消えるにつれ、アクセルリスの輝きも元の銀色に戻り、右目も灼銀となった。
「これは……」
訝しむ。その背後に、足音が迫っていた。
「──見つけたわ、アクセルリス」
当然、正体はアイヤツバス。驚愕に見開かれる二つの目を見る。一つは強く、一つは弱弱しく。
「ッ……!?」
「お師匠サマ! まさかとは思いましたけど……」
「話は後。バシカルたちがあなたのことを呼んでいるわ。大事な話があるそうよ」
目で促す。その先は、クリファトレシカの上──つい先ほどまで、アイヤツバスが佇んでいた天空。
「邪悪魔女会議室ですね、了解しました。それで、お師匠サマはどうするんですか?」
「私は…………先に、この子を処理するわ」
「っ……う、ぐ……」
微笑みの奥で捉えたのはゲブラッヘに他ならず。視線に晒されたゲブラッヘは、もはや恐怖に呻くのみ。
そしてその選択にアクセルリスは感情を抱かなかった。
「分かりました。お願いします」
「直ぐに終わらせて合流するから、安心してね」
「はい、待ってます! では!」
すぐにアクセルリスは走り去った。銀色の残像を残して、未来へと。
「…………さて、ゲブラッヘ」
そしてアイヤツバスは、ゲブラッヘを、見た。
「ひ……う、あぁ……っ!」
「分かってるわよね」
どこまでも冷たい眼差しと、どこまでも熱い感情。
アイヤツバスは、定めた。
「────さよなら、ね」
ゲブラッヘを覆うように魔法陣が浮かび上がり──弾ける。
「ぐああああ────!」
その体が宙を舞い、無様に墜落した。
「私の忠告を破り、私の力を勝手に持ち出し、私の弟子を襲い──どこまでも不出来な弟子ね、貴女は」
「う、うううう……!」
哀しき唸り。それを見下すアイヤツバスの眼光には、何の感情もなく。
そしてゲブラッヘは、混ざり合った感情を言葉として絞り出した。
「…………どう、して」
「なにかしら?」
「どうして、彼女を……アクセルリスばかりを見るのですか…………!」
それは、哀れなほど純粋な嫉妬だった。
「アクセルリスは頽廃の岡の大戦火、そのたった一人の生き残り……! 彼女を殺せば、あなたが最後に起こした戦争は、完璧なものになるはずです……!」
ゲブラッヘが初めから語っていた『美学』。しかしそれは、真実の前では余りにも逆効果なもの──アイヤツバスはアクセルリスと出会うためにかの戦争を起こしたのだから。
「それに……彼女は貴女の命を狙っている……! そして彼女は『強い』……! 故に生かしておけば、いずれ貴女を脅かす存在になると!」
蠢く怨念、轟く慟哭。よろめきながら立ち上がる。
「だからこそ、ボクは……あなたのために戦ってきた! なのにあなたは! なぜアクセルリスだけを!」
訴える。己の存在、その全てを託した談判だった。
「ゲブラッヘ」
「は……!」
アイヤツバスは、言った。
「あなたは何も理解していないのね」
冷たい言葉だった。
「……なに、が」
「ここまで愚かだとは思わなかった。私の弟子として育てられておきながら、己の在り方を分かっていなかったなんて」
「なんの話なんですか……!」
「教えてあげるわ。ゲブラッヘ──あなたは『アクセルリスの代わり』なのよ」
「…………は?」
空虚になる。
「今のあなたにこれ以上投げる言葉はない。だから理解しなさい。あなたは『代替品でありながらオリジナルを消そうとした、愚鈍極まりない存在』であると」
「な……な…………」
ゲブラッヘの瞳が揺れる。敬愛する師から与えられた言葉、残酷な真実。それを受け入れようとしない、防衛本能か。
「私にとってはアクセルリスが全てなの。ここまで来ればわかるでしょう? どこまでも愚かで惰弱で醜い二番弟子と、どこまでも理知的で強く美しい一番弟子──どちらが私にとっての『弟子』かは」
それがゲブラッヘにとっての全てだった。
「あ…………あ」
ゲブラッヘの体から力が抜けていく。全ての拠り所を失い、全ての存在証明が散った。
「無駄話が過ぎた。最後まで私の足を引っ張るのね、あなたは」
アイヤツバスは空を見上げ、直ぐに歩き出した。
「もうあなたのことはどうでもいい。生きるか、死ぬか、自分で決めなさい。ただもう二度と私とアクセルリスの前に現れないでね」
振り返りもせず歩み去った。アクセルリスが待つ、戦火の祭壇へと。
◆
「…………」
ゲブラッヘは、たった一人で残された。
「……は……はは」
全て、全てを失った。虚無に満ちた笑い声が響く。
「ははは。はは……ははははは…………!」
そしてゲブラッヘは闇に消えていった。