#6 死にゆくあなたに真実を
──魔女暦5553年 10月16日 《死にゆくあなたに真実を》──
南部クーノスーペ地方、とある名もなき森。
鬱蒼と茂っているのにも関わらず、生の鼓動が聞こえない不気味な森だ。そこにアイヤツバスは足を踏み入れていた。
(……私でも感じ取るのが難しい。この隠蔽能力、流石はブルーメンブラットといったところね)
幽かな手掛かり、それよりも薄い魔力の糸。注意深く手繰り寄せ、進む。
まるで森を食い荒らすかのように魔力を探り続け──そしてアイヤツバスは森の奥に辿り着く。
(ここが)
小さな広場、蔦に覆われた小屋。周囲に満ちる、《花弁》の魔力。
感じる。先程まで潰えていた生の息吹が、蘇ったのを。
(──いる)
アイヤツバスの歩みに迷いはない。小屋へと向かい、そのドアを叩いた。
数秒のち、声がした。
「────名乗れ」
「邪悪魔女9i、知識の魔女アイヤツバス」
名を告げる。
ブルーメンブラットほどの魔女であれば、下手な姑息を行う方が悪手となる。だからこそ、アイヤツバスは己の存在を包み隠さず伝えたのだ。
(──さぁ、どうする)
さらにその数秒のち、ドアが軋んだ。
「……アイヤツバス、なのか」
隙間風のように、そう声が漏れた。
「そうよ」
「……彼女の名を騙る者であるという可能性は?」
「そんな魔女がここまで辿り着けるはずもないでしょう。それに、そんな不届き者がいたのなら──私が消してる」
冷静な口振りの裏から垣間見える滅亡の色。
質問者は、一息の間を挟んで、返した。
「…………その声色、その言葉、その自信。ああ、認めよう」
ドアがさらに大きく軋み、ゆっくりと開き始めた。
そして姿を見せたのは、新緑色の髪と翠玉のような瞳の魔女。
アイヤツバスの記憶と違わぬ、《花弁の魔女ブルーメンブラット》その人だった。
「──久しぶりね、ブルーメンブラット」
心中の殺意を瀬戸際まで迸らせ、アイヤツバスは言葉を紡ぐ。
「ああ……君と再会できてとても嬉しいよ。正直、もう二度と会えない覚悟もしていた」
ブルーメンブラットの笑顔が咲く。永い孤独から解放された、安堵の表情だった。
それを見て、アイヤツバスは一つの確信を得た。
(──気付いていない。私が自身を追放した主犯だと──)
差し込む僥倖。アイヤツバスの口元に、自然に笑みが浮かぶ。
「……どうした、アイヤツバス。そんなに微笑んで」
「当然でしょう。私も貴女と同じで──再開を心から喜んでいるのだから」
その言葉に偽りは無い。
「そうか。君のような魔女が待っていてくれたとは、私も幸せ者だったようだ」
溜息を吐き、微笑むブルーメンブラット。
「話したいことが沢山ある」
「私もよ」
「今すぐにでもヴェルペルギースに帰還したいところだが、私がここにいた痕跡は残しておきたくはないな」
「ふふ、相変わらずの用心深さね」
「当然だ。私が今日まで生き残ってきたのもそれのおかげだからな」
「手伝いましょうか?」
「いや、いい。自分のことは自分で済ませるさ。そうだな……私が作業してる間、魔女機関でどんなことが起こったのかだけ話してくれないか?」
「そんなことでいいのなら、ぜひ。吟遊詩人にでもなった気分で語らせて貰いましょう」
眈々と。来たるべき時を待つ。
◆
「…………そうか。アディスハハは元気でやっているんだな」
ブルーメンブラットは手を休めぬまま、アイヤツバスの語る魔女機関の『現在』を聞き届ける。
そして今は、一人残してきた弟子に思いを馳せていた。
「それが聞けて良かった。いい友達もできたようだし。君の弟子──アクセルリスだったか」
「ええ。それはもう、愛情も友情も混ざりあった、素晴らしい絆よ」
「彼女たちと会うのが楽しみだ」
笑顔を浮かべる。新たな希望を思ってのものだ。
「そうね」
アイヤツバスは無感情を押し殺し、そう答えた。
「……さて、聞きっぱなしも申し訳なくなってきた」
「あら、気にしないでいいのに」
「そう言わず、少しは私の話も聞いてくれないか?」
「……ええ、いいわよ」
頷く。凪ぐ殺気が揺らいだ。
「私が今ここにいる理由についてだ」
知ってか知らずか、核心を穿つ。
「……聞いた話によれば、何者かの陰謀により魔女機関を追放されたと」
「ああ、概ねその解釈で間違いない──と、思う」
「思う、とは?」
「正直なところ、私にもイマイチ実態が把握できていないんだ。単独任務の最中、正体不明の魔女に襲われ、ヴェルペルギースに戻ることも許されず連日追われ続けた」
「……物騒ね」
心にもない言葉だった。
「それから何とかこの森に逃げ込んで魔力による隠蔽を施し、安全地帯は手に入れた。だけど──魔女機関には戻れなかった」
「何故?」
「見えたんだよ。私を追ったその魔女が、魔女機関の紋章を身に着けているのを」
「……それはつまり」
「ああ。魔女機関の中に、『私の存在を好く思ってない』──あるいは『私のことを殺そうとしている』魔女が存在する。確実に」
ブルーメンブラットの眼光が鋭くなる。用心深さで有名な彼女が、そのような現状を受け入れるはずもなく。
「だから私は安全策を取った。それ即ちこの森で暮らし続け、魔女機関からの救助を待つこと」
それがブルーメンブラットの選択。魔女の力を信じ、組織の力を信じ、時の力を信じ──待ち続ける。勇気が必要な選択だった。
「誰かとコンタクトを取れれば対処は出来る。逆に言えば、私一人では殺されてしまう。私はそう判断したんだ」
空を見上げた。彼女にとっては、長く長く一人で見上げ続けた景色だ。
それも、今日で終わる。
「……大変だったのね」
アイヤツバスが動いた。
「慣れてるさ、こういうのは。それに君が来てくれて本当に良かった。君ほどの魔女なら心強い」
振り返るブルーメンブラット。その眼前すぐに、アイヤツバスが映った。
「どうした?」
「ええ、本当に──大変な道程だったのね」
「何を言って」
言葉が途切れる。味わったもの──己の心臓を、異物が通り抜ける感覚。
「何?」
「ええ、それは私も。此処に至るまで大変だったわ」
突き飛ばす。ブルーメンブラットは身を保とうとするが、力及ばずに、崩れ落ちる。
「アイヤツバス、何を」
「貴女は楽にしてあげる。これからの行路はもっと大変だから──『世界の破滅』への道は、ね」
平伏すブルーメンブラットを赤黒い眼が見下ろした。破滅と殺戮に染まった眼差しだった。
「さようなら、ブルーメンブラット。貴女との時間、案外楽しかったわよ」
「──そうか、君か。君だったのか────」
全てを悟った。しかしもう遅かった。
思考も言葉も後悔も遠く、ブルーメンブラットの意識は暗黒に包まれていった。
「…………」
見渡す。己の痕跡が刻まれてはいないか。或いは消し損なってはいないかと。
「ま、私が残すわけもないわね。アレほどではないけど、用心深い自信はある」
独り言を呟き、そしてその場を後にした。
最早、戦火がこの地に残すものはない──
◆
ブルーメンブラットが渦巻く知識の闇に葬られた、その日の夜。
彼女の隠れ家は、物言わぬ死体だけが残っている凄惨な殺人現場となった。
そんな死した空間に、一筋、命の芽吹きがあった。
「────」
軋む。軋む。
そこは小屋の中、その一室。
ごくわずかの書だけが収められている本棚が壁に沿って置かれている。
いわば、ブルーメンブラットが利用していた簡易的な研究室、或いは書斎といった部屋だった。
軋む。軋む。
異形だったのは、部屋の右側を覆うように育つ一本の樹。
軋む。
異常は異形より奏でられる。紛れもなく大樹から放たれている、軋む音。
そして。
「──、────!」
出でる。
それは、『ヒトガタ』──樹の枝、幹、根で編み上げられた『人形』。
そして花弁の『現身』でもある。
〈────君だったのか〉
軋みと唸りの隙間から、明瞭な声がする。それは、紛れなくブルーメンブラットの声だ。
彼女は先刻旅立った。それは揺るぎない摂理。
ではこの存在は──簡潔に言ってしまえば、ブルーメンブラットの『バックアップ』あるいは『残機』である。
用心深きブルーメンブラットは、己の居場所を魔女機関に伝えるより以前に、この『残機』を用意していたのだ。
自身の命を複製するのにも等しい、尋常ではない大魔法。彼女がこれを用意できた背景には三つのファクターが存在する。
一つ。ブルーメンブラット自身が『命』を育む魔法を得意としていたこと。
二つ。彼女には発見されるまでの長い準備期間が存在していたこと。
三つ。この名もなき森自体が魔力を促進させる性質を隠し持っていたこと。
それらが合わさり、ブルーメンブラットは大魔女クラスにも匹敵するこの魔法を完遂したのだ。
〈よもや──アイヤツバスだったとは! 私にさえも予測できなかった真実! だが私は、私の用心深さは! 正しかった!〉
狂奔の熱をもってブルーメンブラットは謳う。
〈しかしそうなれば、魔女機関は今非常に危険な状態だ。これを伝える手段は……ああ、やはり私にはこれしかないか〉
彼女が目にしたのは、集められていた花。彼女の研究──ひいては彼女の存在そのものと離せない存在だ。
〈やがてアディスハハがここに来るだろう。アディスハハに伝わる暗号を。美しく儚い暗号を!〉
必要な花を素早く選び、机に向かう。ひとつ、ふたつと花を添え、みっつめに手を伸ばした──その刹那だった。
〈ぐ、うあ?〉
背中に何かが刺さった感覚。そして同時に、全身から力──人形が動くための魔力が抜けていく。
〈今度は、なんだ〉
みっつめの花を取り落とす。それを足で隅に寄せたのは、一人の魔女。
「元邪悪魔女4i、ブルーメンブラットさま。貴女に恨みはありませんが──御縁もございませんので」
隠されし戦火の尖兵、カーネイル。そして彼女がブルーメンブラットに突き刺したのは《魔救石》──魔力を吸収する魔石。
〈あ、ああ──〉
「用心深く。それが戦火の魔女様からの命であります故。迅速かつ静謐に処理を行わせて頂きます」
〈あ──アディス、ハハ────!〉
最後の力を絞り、ブルーメンブラットは机に突っ伏した。
そして、物言わぬ枯れ木となった。
「対象の完全な沈黙を確認」
冷静に状況を俯瞰し、魔救石を引き抜いた。
「このまま指令に従い、速やかに帰還します」
そしてカーネイルは痕を残すことなく、その場を去った。
「用心深く────」
アイヤツバスからの言葉を反復しながら、夜闇に消えていった。
用心深く。それはどこまでも、用心深く。
◆
ゆえに、彼女は気付かなかった──いや、知らなかったのだ。
死にゆくブルーメンブラットが最期に触れていた花々に、意味が込められていたことを。
マジョソウ。その花言葉は『魔女』。
キルショウブ。その花言葉は『殺す』。
そして、ドクヤダミ──その花言葉は、『知識』。