#5 追懐のオストラキスモス
──魔女暦5553年 10月14日 《追懐のオストラキスモス》──
常夜の都、その奥の夜。
夜も更ける中。魔女機関の魔女たちも、多くが休息をとる時間帯。
「…………」
しかしアイヤツバスは、闇と静寂が支配する部屋の中、ひとり佇み物思いに耽る。
そこは彼女専用の研究室。暗い部屋を、赤黒い光が仄く照らしていた。
(色んなことがあったわね)
心中にて、誰に語るでもなく独り言を呟いていく。
(ニューエントラル──竜骨洞──カーサースの森──旧シンデレリア王朝跡。どれも手出しし辛い場所だったけど、終わってしまえばこんなもの)
追懐するのは魔女枢軸との死闘が繰り広げられた地。その数々に、知識が探し求める戦火が眠っていたなどと、誰が想像するだろうか。
それら全ての戦いは、余すことなくアイヤツバスの手中だったのだ。
(ラ・オウマリアスの体内に取り込まれたのはさすがに想定外だったけどね)
そして、それらが過去の出来事とされている以上、一つ確かなことがある。
既に、魔女枢軸は終わりを迎えていることだ。
コフュンは黄泉還ったのち、超龍と旅路を共に去った。
ゲデヒトニスは役目を終えたのち、記録と記憶に清算を果たし散った。
ゲブラッヘはどこかへ消えた。
残す手駒はカーネイル一人。最も優秀で、最も信頼を寄せる殺戮中枢。
(──みんなのおかげで、《戦災の欠片》は全て集めることが出来た)
彼女自身のかつての力の断片。それらは総てが彼女の手の中に戻り、真の姿を取り戻していた。
それを保管しているのがこの部屋、研究室である。
現在は魔力による強い拘束が施されているため、そのおぞましい魔力の流出は最低限に留められている──だが、見逃せない量が漏れ出しているのもまた事実。
それでも尚カモフラージュが完成しているのは、現在アイヤツバスが研究している『モノ』が関係している。赤黒く光る『ソレ』である。
(不思議な感じね。以前の私自身の力を『研究』するなんて)
それこそは《戦火の魔女の魔力》である。
かつて、《吸血の魔女クラウンハンズ》が落とした戦火の魔力が込められた赤い結晶を、アイヤツバスは回収していた。
そしてそれを解析・実用化し、巨大龍の侵攻から魔女機関を護るための力として利用していた。
故に、彼女の研究室には常に戦火の魔力が漂っている。だからこそ、誰も『本物』があるとは気づかないのだ。
もともと邪悪魔女にして部門長の研究室であるがゆえに、容易く足を踏み入れることも許されない。
灯台の下は暗い。それはアイヤツバスが今に至るまで証明し続けた事実である。
戦火、再誕の儀──準備は整った。一つの萌芽を除いては。
(……となれば、残す懸念はひとつ)
彼女が見下ろすのは、一枚の紙──伝書。
しかしその書面に文字は無く、代わりに5本の押し花が飾られているのみ。
『花暗号』──失踪した前任の邪悪魔女4iであるブルーメンブラットから届いたもの。
提供された情報により既にその解読は完了した。なれば彼女を迎えに行くのが道理──なのだが、アイヤツバスにはそれを躊躇うだけの理由がある。
◆
ブルーメンブラットの失踪。その元凶こそがアイヤツバスである。
凶行の動機は極めて単純。『アクセルリスを邪悪魔女にする』こと。
それに至った理由はみっつ。
一つ。己の弟子であるアクセルリスが他の部門長となることで、実質的にその部門をも己の支配下に置くため。
二つ。最高幹部である邪悪魔女、そのうちの一人の師でありながら自身もまた邪悪魔女であるという特権的な肩書を手に入れ、魔女機関内での活動の柔軟性を得るため。
三つ。これが最も重要で──アクセルリスの喜ぶ姿が見たいから。
そしてアイヤツバスは、邪悪魔女のシステムの穴──『後任の指名がないまま邪悪魔女が引退した場合、他の邪悪魔女による魔女の推薦が行われ、多数決で賛否を決定する』という点を付いた。
僥倖にも、その推薦権は今アイヤツバスの手の中にあった。ブルーメンブラットを『消し』、その後釜にアクセルリスを当て嵌める。それが魔女の計画だった。
だが周知の通り、その目論見は破れた。
非常に用心深いブルーメンブラット。彼女は執行官であるバシカルにのみ遺言を残していた。だからこそ、後任として選ばれたのはアディスハハだった。
加えて言うのなら──彼女は表舞台からは姿を消したものの、確実に生き延び、今もどこかに潜伏しているのも事実である。
(予想を超えた用心深さ──彼女は見事、私を上回った)
アイヤツバスの、数少ない敗北だった。
しかしアイヤツバスも甘くはない。歴戦の魔女である彼女が、第二第三の手を用意しないはずもなく──結局、他の邪悪魔女がその餌食となっただけだ。
元邪悪魔女5i、属性の魔女アトリビュート。彼女はアイヤツバスの暗く黒い計画に飲み込まれ、人知れず世を去った。
そしてめでたくアクセルリスが後任として邪悪魔女の座に就いた。それからのことは、誰もがよく知っているだろう。
◆
(────邪魔)
簡潔に言えば、それが全てだ。
追放にこそ成功した。しかしブルーメンブラットは生きていた。
(もし『自分の失踪はアイヤツバスの企てによるものだ』なんて証言をされれば私に疑いが掛けられる。あと少しで全てを取り戻せるこのタイミングでは、あまりにも邪魔……)
赤黒い瞳が不愉快そうに歪む。歪む。
(……いや、簡単な話ね。誰よりも先に彼女を消せば良いだけの話──今度こそ、確実に消せば)
邪悪なる決意が渦巻き凝固する。
(場所は割れた。彼女を救おうとするアディスハハの尽力で私は彼女を滅ぼすことができる。皮肉ね)
命を育む師弟の絆。戦火はそれを私利として、掌握するまで。