#3 命の音色を絶やす戦歌
──魔女暦5552年 10月10日 《命の音色を絶やす戦歌》──
一年の大半を霧に覆われた、昏き町──それがここ、キリノ町。
余りにも濃い霧にも関わらず、アイヤツバスの歩みは真っ直ぐに──たった一つの道標、強く光る『赤』を目指して。
「……ここね」
成るべくして成る。辿り着いたのは一つの建物。看板には、《プレルード医院》と。
「急がなきゃ──」
看板によれば、現在は診察時間外。しかしアイヤツバスは迷いなく足を踏み入れる。ある一つの、性急な目的のために。
当然、医院の中には人は居らず──しかし、人ならざる一つの命はあった。
それは影の中に住まう赤い光の使い魔。
「トガネ」
〈うん……? あれ、創造主!? どうしてこんなところで〉
「話はあとよ。アクセルリスはどこ?」
〈主ならあっち……あの部屋に、医者と一緒に入ってったぞ〉
トガネが示す先には『診察室』と。
「どれくらい時間が経ってる?」
〈そこまでではないと思うけど……〉
「……ついてきて」
〈ちょ、オイ!?〉
トガネを己の影に宿らせ、アイヤツバスは診察室──そのドアを開いた。
〈あれ……あれ?〉
がらんどう。その部屋の中には、アクセルリスも、『医者』もおらず。
〈主!? どこ行ったんだ!?〉
「遅かった、わね」
〈創造主、なんか知ってるのか!?〉
「その答えを今から見せるわ」
アイヤツバスが両腕を広げる。彼女の足元に、ドス黒い魔法陣が生まれる。そして。
「────ッ!」
盛大に、弾ける。渾身の衝撃波魔法だ。
節理、豪快な音と共に床が派手に壊れる。
「っ何!?」
「あ、あ……?」
崩落した床の下からは、二つの声が聞こえた。
〈な、なんだってんだー!?〉
混乱を続けるトガネを置き去りに、アイヤツバスは黒コートをなびかせ降り立つ──磔にされ、痛苦を与えられ続けていたアクセルリスの側へと。
「アクセルリス、大丈夫?」
「お、ししょう……サマ……?」
「お前は……ゴグムアゴグ……!」
プレルード医院の主、レキュイエムの声。それには全く耳を傾けず、アイヤツバスはアクセルリスの身体を診る。
「これは酷いわね……」
赤紫に変色した腹部。容赦のない打撃の痕──それも複数回。さらには刺さったままのメスからは絶えず血が滴っている。
さらに右脛は綺麗に肉が裂け、おびただしく血が流れ出ている。
見るも痛々しい、苦痛の向こう側。
「……」
アイヤツバスの心の奥から沸き上がる──それは赤黒く、悍ましく、煮えたぎる感情。
彼女はアクセルリスの腹に刺さったままのメスを引き抜き、レキュイエムへと投げつける。レキュイエムは別のメスでそれを弾いたが、全て些事。
そのわずかな間に、アクセルリスに手を当てた。すると、輝きながら傷痕が塞がってゆく。
「う……あ……?」
「応急処置よ。逃げなさい」
刃となっている魔法陣の縁を用いて、拘束具を簡単に壊す。アクセルリスの身体が自由となる。
それと同時に赤い光がその影に入り込む。出遅れこそしたが、状況を判断したトガネの行動だ。
「トガネ、アクセルリスをよろしくね」
〈合点承知! 主、行くぞ!〉
「お師匠サマ……トガネ……? なんで……?」
「話は後。今は早く逃げなさい」
レキュイエムの攻撃を魔法陣で防ぎながらアイヤツバスは言う。
〈そうだ! 行くぞ!〉
「う……ありがとう、ございます」
そしてアクセルリスはトガネの助けを受けながら、アイヤツバスが空けた穴から逃げ去っていった。
「……さて」
それを見送ったアイヤツバスは改めて憎むべき敵──レキュイエムを赤黒の眼に映した。
「……なるほどね。戦火の魔女の弟子か、あれは。道理で魔法陣なんて古惚けたものを使う訳だ」
レキュイエムは苛立ちを露わに机を蹴り飛ばす。
「古惚けたとは失礼な。由緒正しき魔法の基礎よ?」
「なぜここに?」
「弟子の窮地を救う。理由としてはそれで充分でしょう?」
「……本当の事を言えよ」
「たまたま近くに来ていたら、何か嫌な予感がして、気付いたらここにいただけよ」
「意味わからん……」
頭を振るレキュイエム。
「……なあ」
「何?」
「見逃してくれないか。戦火の魔女と戦って勝てるわけなど無いから」
「駄目よ」
「どうしてもか」
「どうしても、駄目よ。貴女は私の愛弟子を傷つけ、命の危機にまで追い詰めた。そんな魔女を許すわけにはいかないでしょう」
「……だよなあ」
「それに。そもそも。私は魔女機関の幹部である邪悪魔女。貴女は魔女機関に背き叛逆する外道魔女。であれば、私が貴女を殺すのは誰にだって理解できる道理よね?」
「そうなんだよなあ……やれやれ」
真実の前では余りにも矛盾に満ちたその言葉たち。レキュイエムは皮肉を吐き出すこともなく、諦めと共に聞き流す。
そして彼女は瓦礫の中から楽器を探し出す。
「私のコレクションもめちゃくちゃだ。もう駄目みたいだね、こりゃ」
「そうね」
「ま、私は抗うけどね」
一本、ヴァイオリンの弓を拾い上げ、剣のように構える。
「……そう、抗ってやるさ。死ぬまで」
「やめた方が身のためよ」
アイヤツバスの周囲に無数の魔法陣が展開される。
そこから放たれる光を浴びながら、レキュイエムは静かに微笑んだ。
「──いくよ」
一拍。空白なる空気が弾け──レキュイエムが駆けた。
「はぁッ!」
鎮魂の魔力によって補強されたヴァイオリンの弓は、鍛えられた刀のような鋭さを秘める──が、アイヤツバスの魔には遠く及ばず。
「レキュイエム──だったわね。貴女の名前」
その弓を魔法陣で遮りながら、アイヤツバスは語りかける。
「ふん、バズゼッジから聞いたか?」
「──ええ。惚気話を、飽きるくらいに」
「だからどうしたと言う!」
力を籠め、圧し込む──しかし、一寸とも揺らがず。
「レキュイエム。私は今──『怒り』を覚えているわ」
赤黒の眼が、鎮魂の魔女を映した。
それは、恐ろしいほどに鋭く、狂おしいほどに透明で。
「──ッ」
渦巻く悪意の極みを察知し、レキュイエムは身震いする。
同時に本能が囁いた。そしてそれに従い、間合いを開こうと──
「逃げられるとでも」
陰惨なる呟き。レキュイエムはそれを聞いてしまった──故に、もう、逃げられなかった。
「あ」
アイヤツバスが、レキュイエムの身体を両断した。
「──ぐ」
どさり。その上半身が無様に墜落し、その下半身は力なく膝を付いた。
「私の愛しい愛しい弟子──それを汚そうとした罪、その重さが『それ』よ」
「…………狂っている」
僅かな余力を絞り、レキュイエムは語る。
「貴様は……貴様はいつか、滅ぶ」
「ええ、滅ぶでしょう。この世界と共に──それが私の悲願なのだから」
「…………魔女、め」
ドス黒い怨嗟を残し、レキュイエムは旅立った。その表情は、どこまでも満ちる憎悪と恐怖に満ちていた。
「……」
既に去ったものにアイヤツバスは興味を示すことはなく。
やがて、その場に生の息吹は一つとして無くなった。