#6 殺し伐つ
【#6】
「──しゃああアアッ!」
殺伐。拳撃は何者にも捉えられず、ただ白銀の帯と化す。
「ふふ。流石は強いわね」
アイヤツバスはその連弾を赤黒い魔法陣で凌いでゆく。穿つ一撃に対し、妨げるのは一つの魔法陣。
それは、複数打を受ければ魔法陣が砕けることを悟ってのことだ。
「まだ、力を取り戻したばかりとはいえ──」
本人の言葉の通り、かの戦火の魔女の力をも脅かす。それこそが殺伐、それこそがシャーデンフロイデ。
「追い縋るか、これに──!」
しかし、アイヤツバスもまた、殺伐極まる攻速を妨げ続ける。最高速を保ったままのシャーデンフロイデに、対応しているのだ。
「……すごい」
領域外のアクセルリスは、ただ無意識のうちにそう零すしかできなかった。
そして極限の攻防は、殺伐たる状況判断により不意の終焉を迎える。
「はあッ!」
「おっ、とと……」
強力な蹴撃。アイヤツバスは変わらず魔法陣で防ぐ──が、シャーデンフロイデはそれを踏み付けた反動で間合いを広げた。
「一先ずの小手調べは終わりだ」
「小手調べ? その割には全力だったように感じたけど」
「当然だ。私は常に総ての力を以て闘う。残酷魔女隊長としての矜持だ」
臆することもなく言い放ち、両の拳を開いた。
「立派なものね。どこまでも曇りのない、素晴らしい鋼の精神。私好みよ」
「今の貴様に好かれてもいい気持はせん」
「それで? そんな貴女は今の小手調べで何を見出したのかしら?」
「このまま続けても状況は動かない──その事実だ」
シャーデンフロイデはそう言い、拳を握り直した。
「故に。流れを断つ」
玉石のように固い拳を構えた。静かに息をし、アイヤツバスを睨む。
「──なら見せて貰おうかしら。その快刀乱麻を!」
アイヤツバスが動いた。一息に言い切りながら、地這う刃の魔法陣を放つ。
「──!」
シャーデンフロイデの輪郭が青白く仄光る。
行使される殺伐の魔法──世界が、それを刮目する。
「はッ!」
次の瞬間、魔法陣は大地より顕現した青白い結晶に阻まれ、消散した。
「へぇ──」
「──これは」
灼銀と赤黒、師弟の眼は同時に細められた。
「結晶……いや、これは……《宝玉》」
アクセルリスはその正体を見抜く。
銀の慧眼はその通り、シャーデンフロイデの魔法によって生み出されたのは《宝玉》である。
なれば、それが意味することとは。
「私にすら隠し続けた、貴女の魔法──それがこんなものを生み出すだけな訳、ないわよね」
「明察とだけ言っておく」
「じゃあ、なんのつもりなのかしら? これは」
「己で考えてみろ、知識の魔女」
唸るように言葉を紡ぐシャーデンフロイデの体からは、溢れ出すほどの魔力が青白い粒子となり立ち上る。
「……元、だけどね」
挑発を聞き流しながら、アイヤツバスは更なる魔法陣を生み出す。その数六つ、異なる軌道で同時に放たれた。
狙うは、シャーデンフロイデの心臓。
「ひとつ、ふたつッ!」
初撃。眼前、二つの刃を先程と同じように宝玉で打ち消す。
その間に双の刃が左右から迫る。だが、シャーデンフロイデは既にそれらを捉えている。
「みっつ、よっつッ!」
後方宙返りで躱し、刃を相殺させる。これで四つ。残す二つは──
「背後、だろう!」
振り返るよりも早く、足元に生み出した宝玉を踏み付け、高く跳躍した。
直後、宝玉が砕ける衝撃に呑まれ、最後の二つの刃も消滅した。
僅か、瞬き一度の間の攻防だった。
「お見事──だけど、全て想定内」
そう言うアイヤツバスの指先には、黒色の焔が産み出されていた。
「残酷魔女はみんなそう。愚者の一つ覚えのように跳び上がり、空からの急襲を狙う。進歩しないのね、昔から」
嘲笑いながら火球を放つ。手のひらサイズのそれは、しかし異常なほどの熱と速度をもって、シャーデンフロイデを焼き焦がそうと奔った。
「────」
《戦火》の体現たるそれが迫る中、シャーデンフロイデの身体に青白い魔力の粒子が収束していた。
その直後、シャーデンフロイデの様子が変わる──例えるならばそれは、魂が入れ替わったかのように。
「──ッ!」
唸り声と共に身を捻る。熱が身を掠める──が、その身は燃えず。
そして躱された火球が結界に触れ爆発するのと、シャーデンフロイデがしなやかに着地するのと、そのままアイヤツバスへと襲い掛かったのは、全て同時だった。
「しゃああああッーーーー!」
「あら、あらあら」
先程までとは大きく異なる、荒々しい怒濤の連撃。
アイヤツバスは同じように魔法陣でそれを防いでいく──その中で、すぐ気付く。
「強い──わね。さっきよりも、一際」
それは重さ。シャーデンフロイデの拳に宿る剛が、さらに鋭く牙を剥いていた。
まさに野性を解放したような、その様相。アイヤツバスは何かを感付く──それは、アクセルリスもまた同時に。
「でもその分、守りが甘くなってるわよ」
そしてアイヤツバスが見抜いたのは、その捨て身の代償。手薄となった防御を見抜き、一手を打つ。
生み出されたのはごく小さい魔法陣。投げナイフめいて放たれたそれは──
「ッ!」
シャーデンフロイデの肩口に決して浅くない切傷を残した。
「まず一つ。そこから、貴女を崩していく──」
迸る殺伐の血は戦火の侵略、その魁に────ならない。
「この程度ッ! 傷になるとでもッ!」
「っ!」
シャーデンフロイデの攻め手は、全く衰えることを見せない。変わらぬ波濤のまま、野性の牙を奔らせ続ける。
「ヤンチャね、もう……!」
耐えぬ殺伐の炎に呆れながらも、アイヤツバスは二度、三度と小さな魔法陣を放ち続ける。
それらによって、シャーデンフロイデの体には無数の傷跡が生まれていく。小さな傷だが、積み重なればいつかは致命を招く──アイヤツバスがそう考えたとき、その耳に異様な呼吸音が聞こえた。
「──スゥーッ! フゥーッ! スゥーッ!」
それは魂に熱をくべる音。具体的に言うのならば、『魔力を超高速で生成し、過剰に体内に循環させる』音である。
アイヤツバスの目に映る。呼吸に合わせ、傷口が塞がっていく光景が。
「え」
一瞬浮かぶ疑念。それはほんの一瞬だったが、強く尊き《獣》である今のシャーデンフロイデにとっては。
「隙、余りにもッ!」
遂に強烈極まる掌打がアイヤツバスの鳩尾を穿った。
「ぎッ、あああああああッ!」
水平に吹き飛び、結界の壁に叩き付けられる。そのままふらり倒れ込むが、寸でで持ち堪え、体勢を保った。
「ぐ……! 痛い、じゃない…………!」
彼女の表情と声色は苦痛に歪む。あの戦火の魔女に、確かな一撃を叩き込んだのだ。
「あの音……やっぱりそういうことなのか……!」
アクセルリスの耳にも呼吸音は聞こえていた。そして彼女は、アイヤツバスよりもそれをよく知っていた。
「『魔合身獣』……グラバースニッチさんの使う呼吸法……! だけどあれはグラバースニッチさんにしか使えないはず……だから、つまり」
「その通りだ。良く気付いた、アクセルリス」
今のシャーデンフロイデに野性の影はなく、また傷の一つもなく。ただ殺伐に構え、語る。
「こうまですれば、気付くだろう。私の魔法が何なのかを」
「……ええ、分かったわ。痛いほどにね」
身を整えながらアイヤツバスはシャーデンフロイデを見る。そして、その魔法を暴く。
「貴女の魔法は『再現』ね」
「正解だ」
『再現』。それが意味するものは、シャーデンフロイデ本人の口から語られる。
「私の《殺伐》の魔法。それは私の記憶に存在する魔女の力を『再現するもの』だ」
透明なペンダントが揺れる。
「魔女の力──それは戦闘スタイルや技能、武芸、そして魔法に至るまで。それが何であろうと、私の魔法は『再現』する」
《宝玉》はジェムジュエルを、《獣》めいた身のこなしと魔合身獣はグラバースニッチを、それぞれ再現したものだ。
残酷魔女の隊長であれば、その朋友たちの戦いを全て見届ける。であれば《殺伐》の魔法によって如実に再現できるのも道理なのだ。
「それが私。それがシャーデンフロイデ。それが残酷魔女隊長なのだ」
「ええ──面白いわね。とても興味深い。だけど──可哀そう」
対してアイヤツバスが向けた感情は憐憫だった。
「誰かを模倣することでしか存在を証明できない魔法なんて、とても哀れだわ」
「構わない。構うものか。喜びも怒りも哀しみも私にはいらない。私が求めるのはただの糧だ」
「糧……」
アクセルリスは無意識のうちにその言葉を反復する。
「私が私であるために、私は全てを私の糧にする。そう誓い、殺伐に──ただ殺伐に、ここまで来た」
あらゆるものを糧として果たすべきもの。彼女は今、それに手が届いているのだ。
「だから、お前を殺す」
宣告。青白い粒子が再びシャーデンフロイデに集う。それは戦いの再開を示す合図となり、両者の命を残酷の元に晒し出す。
「────さぁ、詰めるぞ」
シャーデンフロイデの透明なペンダントが揺れた。
【続く】