#4 さようなら、知識の魔女
【#4】
時は、暫し遡って。
「────お師匠サマ!」
アクセルリスはアイヤツバスの元へと辿り着いていた。
そこは何もない丘。殺風景たる世界に、アイヤツバスの存在ただ一つだけが違和と共に佇んでいた。
「流石に、あなたからは逃げきれないわね」
その言葉とは裏腹に、彼女の態度はアクセルリスの到来を待ち受けていたかのよう。感じられるのは全幅の余裕だけ。
「いいわ。話の続きでもしましょうか──あるいは、この場で槍を手に取るか」
「ッ……」
師から突き尽きられる背徳の二択。残酷のアクセルリスの選択は──
「…………知りたいことが、まだ沢山ある」
「うん。何れにせよ、今のあなたじゃ私を殺すことは出来ないようだし」
全ては手中。全知のようにアイヤツバスは笑う。
「それで、何が知りたい? 今のあなたには知る権利があるし、私には話す義務がある」
「……繰り返し問います。お師匠サマは本当に、戦火の魔女なんですか」
「そうよ。そこに間違いが挟まる余地は無い。私こそが、戦火の魔女」
それこそは真実。改めて世界に己の存在を刻むように、アイヤツバスは言った。
だがアクセルリスとて、揺るがぬ事実を再度確認するために意味のない問いをするような魔女ではない。
「納得できないことがあります。お師匠サマからは、全く戦火の魔力を感じることができませんでした」
それこそが一番の謎なのだ。
戦火の魔女、その魔力は極めて邪悪かつ濃厚なものであり、魔力感知能力に長けていない魔女でもまざまざと感じられるほどのもの。
たとえ広大なヴェルペルギースであっても、『それ』が僅かでも灯れば、すぐにケムダフなどに察知される。
それだけの魔力の筈──しかし、アイヤツバスからは全く『それ』が発せられていなかった。
「それは、何故なのか……!」
「……さっき私が言った事、覚えてる?」
「それは──」
銀色のフラッシュバックは、スープの味と共に。
◇
「今はちょっと、その力を失ってはいるけど、ね」
◇
「あの言葉に深い意味はないわ。言葉の通り、今の私には戦火の魔力は無い」
「何らかの要因で戦火の魔力を失い、称号も変化したってことですか……?」
邪悪魔女7i:再生の魔女シャーカッハは、外的な要因で魔力が変化し、称号さえも変わったという経緯を持つ。
その事実が裏付けとなるのならば──逆の事象も、あり得る話だろう。
「──経緯を、聞かせてください」
「また少し長くなるけど」
「構いません──私は知りたいんです……! あなたの全てを!」
「……愛する弟子からそこまで言われちゃったら、話すしかないわね」
嬉しそうに笑った。その姿は、理想的な師匠のものだった。
「これは私が戦火の魔女になった後からの話。ケターの声を聴いた私は、『世界滅亡』のために活動を始めた」
数刻前に明かした歴史──その続きだ。
「死んだ妖精の森に工房を建て、身を隠しながら各地で戦争を起こし続けていた」
「……そのころからもう、あの工房はあったんですか」
アクセルリスは恐怖する。これまで生活していた工房に、戦火の影は潜み続けていたという事実に。
「でも物事は上手くいかないもの。噂か何かで《戦火の魔女》の名が広まっちゃって、魔女機関も遂に捜査に乗り出した──そのすぐ後かしら」
アイヤツバスが顔を逸らした。その方角は、世界のヘソの方を向く。
「やっぱり魔女機関は優秀なもので、私の正体を掴まれかけたことがある」
「……どう対処したんですか、当時のあなたは」
「思いついたのは『《戦火の魔女》を分離する』というもの」
「分離……?」
アクセルリスの瞳が怪訝に細められる。
「可能なんですか、そんなこと」
「分からなかった。けど、私が思いついたってことはきっと出来る。そう信じて試したら──それは、見事に」
その絶大な自信には、全きな完璧だけがあった。
「そうして分離した私の力は、不思議なことに結晶化した。私はそれを《戦災の宝珠》と名付けた」
「結晶──」
アクセルリスが想起するのは、バースデイやイェーレリーが利用したあの赤色の結晶だ。
恐らくはそれらの源流こそが《戦災の宝珠》なのだろう。
「それで私は《戦火》ではない、偽りの新たな称号──《知識》を名乗るようになって、潔白な身分を手にした」
「潔白って……まさか、それで」
「鋭いわね、流石は我が弟子。《戦火》であることを失った私は、これを機にと魔女機関に入ったの」
「そんなこと──思いつかない」
「灯の下は暗いもの。身を隠すには最適。そう考えたら、悪くはないこと」
徹底的に身を隠す繊細さと、己を探し求める魔女機関に身を置く大胆さ。二律背反の不安定こそが、アイヤツバスの真髄。
「それからは魔女機関でまじめに働きながら、時々戦火の力を取り戻して戦争を起こす。そんな生活を続けていた──ある時」
入れ子構造なパラドクスの中、アイヤツバスは己が辿った一つの結末を語る。
「私が邪悪魔女に就任して少し後のことで、『頽廃の岡の大戦火』と呼ばれるようになる戦争の直後のこと」
「……私と出会う、少し前」
「極めて優秀な魔女機関の使者──バシカルとカーネイルの姉妹が、私のことを追い詰めた」
アクセルリスには思い当たることが、一つあった。
「カーネイルさんが言っていた、あの事──」
「小さな洞穴に逃げ込んだけど、もう時間の問題。それほどまでに私は追い詰められた。だから──」
一瞬の沈黙からは、かつての決断とわずかな後悔が。
「だから私は戦火の力を世界に解き放った」
「世界に……? それは、具体的には……」
「戦火の魔力が世界の各地に散らばって再結晶化することになった。余波で洞穴は崩落し、私は生き埋めになった」
その日、戦火の魔女が『消えた』のだ。
「私のことは初めからから内通者だったカーネイルが救助して逃がしてくれた──だけど、戦火の魔力は私から完全に失われることになった」
それが戦火の魔女の終幕。真実は、アイヤツバスが己の夢を成し遂げるための最終手段だった。
「後はあなたも知っていること。傷を癒した私は戦争が終わったことを確認し、あなたを探して手を差し伸べた」
「……そういうことだったんですか」
語られるのは己の理解を超えることばかり。しかしそれはなべて真実だと、アクセルリスは噛み締める。
「それからは戦火の力を取り戻す為に動いていた。魔女枢軸を作ったのも、あなたを邪悪魔女にしたのも、みなその為」
「……私の道筋さえも、お師匠サマの計算の内だったと?」
「そうなっちゃうわね。申し訳ないとは思ってるわ」
「…………ッ」
魂源から湧き出す銀色の怒りを際で抑えながら、アクセルリスは更に問う。
「──そうまでして取り戻したい戦火の力とは、いったい何なんですか」
しかしアイヤツバスが答えるよりも早く、彼女は己の言葉を続ける。
「世界滅亡への戦争を起こすために、再び戦火の魔女に戻る必要がある──そういうことなんですか!」
罪を暴く法務官のごとく、鬼気迫る灼銀の眼光が凄んだ。
それに晒されたアイヤツバスは暫し沈黙したが──弁明のように、言葉を続ける。
「…………それは少し、違う」
「では、どのような!」
「ここまで、隠してきたことが一つある」
「……?」
含みを持たせるその声色に、アクセルリスは恐ろしいものを感じた。
だが、覚悟の間もなく、アイヤツバスは曝け出す。
「私の戦火に巻き込まれて潰えた命。その生命や怨念は、魔力エネルギーとなって私の糧となること」
「────」
明かされたのは、余りにも悍ましき戦火の機構だった。
「そして世界滅亡のためには魔力を貯める必要がある。それも、考えられないほど膨大な魔力を」
「──何に、利用するんですか」
「それはまだ言えない──だけど、あなたもきっと、知っていること」
意味が隠されたその言葉。しかし今のアクセルリスは己の記憶を想起できるほど、感情を抑えることができない。
「勿論、戦火の力を取り戻すのも大事。でもそれ以上に、これまで私が糧としてきた命たちを無碍に失うわけにはいかないから」
消えていった命たちを継ぐ。聞こえはいいが、その実は邪悪なる魔女の野望。
最早アクセルリスは、ぽつり呟くのみ。
「…………わからない」
そしてアイヤツバスは表情を変えず、微笑みのまま────不意に言葉を切り出した。
「──さて。お話はこのあたりにしておきましょう。今のあなたに必要なことは語った」
雰囲気が変わった。アクセルリスはそれを感じ、素早く顔を上げる。
「アクセルリス──どうして私が自分から正体を明かしたのか、分かる?」
「それは」
アクセルリスの思考に最悪の想定が走る。そしてそれはきっと、真を得ている。
「魔女機関が正体を掴んだからじゃない。単純な、タイミングの問題」
「それは、まさか──」
アクセルリスの言葉よりも早く、アイヤツバスが言う。
「────既に私は、『取り戻している』」
「──ッ!」
アクセルリスは凍り付いた。
その言葉が意味しているのは、もはや考えるまでもなく──
「世界の各地に飛び散った力。集めるのは大変だったけど──ようやく」
取り出したのは赤黒き結晶。その奥には幾何学的な文様が秘められている。
これこそが、《戦災の宝珠》。
「させない──ッ!」
考えるよりも先に、槍が発射されていた。しかしそれは、結晶から放たれた魔力を受け、一瞬で霧散してしまった。
「ぐ──う……ッ! これは、間違いない……戦火の…………っ!」
濃密な戦火の魔力。余波を受けたアクセルリスは、辛うじて立つのがやっと。
そして、灼銀は見届けることとなる。戦火の魔女の、再誕を。
「やっと…………やっと。やっと……!」
アイヤツバスの赤黒い眼が、狂喜に歪んでいく。
高らかに喜びを謳う。これほどまでに昂揚したアイヤツバスの姿、アクセルリスでさえも見たことがないもの。
「私は……! 力を取り戻す……!」
そう言って取り出したのは──一つのベルトだった。
バックルには『いかにも』な空洞が開いているそれは、アクセルリスの記憶に存在するもの。
「あれって……!」
そう。彼女が工房の地下を掃除した際に見つけ出した、《古のマジアティックアイテム》なるもの。
かつてはすべてアイヤツバスの戯言だと気に留めることもなかった言葉の数々は、よもや────
「ふふ……あはははは……!」
子供のように笑いながらベルトを巻き、そして宝珠を嵌め込んだ。
「これで、これで私は……! ふふふ……!」
ゆっくりと、両手を構える。
「お師匠サマ、待って…………!」
「アクセルリス──ありがとう」
優しい師の微笑みでアクセルリスを一瞥し──しかし彼女の言葉は聞き入れぬままに、アイヤツバスは、言う。
「────さようなら、知識の魔女」
直後、かつてないほどの戦火の魔力が爆発と高波になり、辺りを吹き荒んだ。
一瞬の暴風。しかしそれは、周囲の草木を全て枯らし尽すには充分なもの。
「────ッ!!!」
戦火の瘴風を受けながらも、しかしアクセルリスは立ち続けた。
「く…………ぅっ!」
右目から全身に伝わる咎の熱が揺らぐ身体を支え、そしてその魂へも炎を宿させる。
「────お師匠サマッ!」
灼銀の右目が、アイヤツバスを確かに映した。
「────」
爆心地。立っている一人の魔女は、アイヤツバスであり、知識の魔女ではない。
「────お久しぶり、ごきげんよう」
禍々しく麗しい、出会いの言葉。それは世界そのものへと。
「私は──アイヤツバス。戦火の魔女アイヤツバス」
取り戻した力、己の名と馴染ませるように、呟いた。
黒いコートの下からでも見えるほどに、心臓の位置に刻まれた戦火の紋章が赤く光り、脈動する。
腰のバックルでは戦災の宝珠が同じように光り、その体へと本来の魔力を捧げている。
赤黒い瞳はこれまでよりもその鮮やかさを増し、邪悪に煌めく。
「……こんなもの、もう邪魔なだけね」
そう言って外した眼鏡を握り潰す。
そしてレンズ越しではない──生の戦火が、初めて、アクセルリスへ目を向けた。
「アクセルリス。あなたはどうする?」
「わた、し────」
戦火の眼光は、しかし優し気にアクセルリスを見る。
「私は────」
全ての仇。愛する師。二つの視線を見つめ返しながらも、言葉は詰まり続ける。
「──私はッ!」
【続く】