#3 殺戮中枢
【#3】
「はぁッ!!!」
扉が勢いよく蹴破られた。覗くのは、黒き鎧。
「やはりここか、アイヤツバス……!」
それは執行官バシカル。剣を構え、背後にシェリルスを控えながら押し入る。
「バシカルさん……!」
「あら、バシカルにシェリルス。揃いも揃って何の用──なんて、とぼける必要はないわね」
「貴様を殺す」
冷徹に言い放つ。その眼には、後悔の色が見える。
「全てはあの日……貴様を殺せなかった私の罪だ」
「ふふ、相変わらずの馬鹿真面目ね。貴女らしくていいと思うわ」
「減らず口を……! すぐに物言わぬ屍にしてやる」
そう叫ぶ刹那駆け出す──その一歩目を、魔法陣は阻んだ。
「ッ……!」
「血気が盛んなんだから、もう」
呆れたように呟き、そして立ち上がりかけたアクセルリスを見る。
「もっと話すべきことはあるんだけど……そんな状況じゃないわね」
「待っ……!」
アクセルリスは直感的に、アイヤツバスの行動を読み取った。手を伸ばす──だが、届かなかった。
「ふふ──」
アイヤツバスが両手に広げた魔法陣から、黒い閃光が放たれ、周囲を包み込んだ。
「う──!」
「ぐ…………っ!」
アクセルリスも、バシカルも、シェリルスも。その禍々しい魔力が満ち満ちた光に、目を覆うしかできない。
少しの後、光が収まる。当然その場にアイヤツバスの影はなく。
「逃げたか……! だがそう遠くへは行っていないはず……!」
追走の意志を見せるバシカルを前に、アクセルリスも遂に立ち上がった。
「私が魔力を『見ます』。私なら見間違えるはずがない」
「──ああ、頼む」
灼銀の右目に咎の力を込める。よく見慣れたアイヤツバスの魔力が可視化され、導となる。
「地下──」
その導は確かに工房の地下へと続いていた。魔法書と魔道具がひしめく、アイヤツバスの領域へと。
「付いてきてください!」
急ぎ階段を下っていくアクセルリス。バシカルとシェリルスも、言葉を返すよりも早くそれに続いた。
◆
「いない────」
地下に至り、辺りを見回す。しかし、魔力の残滓こそ見えど、アイヤツバスそのものは存在していなかった。
「どっかに隠れてンのか……?」
「濃さで分かります、お師匠サマは既にこの場にはいない」
「転移魔法も考えづらい……ならば抜け道が存在するのが最も有力だろう」
「抜け道……聞いたこともない、ですが」
言いながらにして右目に籠める魔力を強める。戦火の残滓が色濃くなり、その道が彷徨の果てに一つの壁へ向かっているのが見えた。
「あそこです」
そしてアクセルリスが指差したのは、巨大な鍋だった。
「間違いなくあそこの壁に抜け道がある」
「……だが、鍋が邪魔だな。斬るのが手っ取り早いが──」
剣を構えながら、バシカルはアクセルリスを一瞥した。
「いいか?」
「──っ」
言葉を詰まらせる。なぜならば、あの大鍋は──『彼』を生んだ器なのだから。
しかしアクセルリスは迷わなかった。
「お願いします」
それは過去を断ち切ってでも進むという、彼女の覇道の証明だった。
「せい──ッ!」
承諾を受けてすぐ、ロストレンジは振るわれた。一抹の迷いもなく、大鍋は両断された。
そしてその奥、壁の一箇所──外見では他と変わらないが、アクセルリスは確かに濃密な魔力を見ていた。
「私──ありがとね」
手を当て、残酷な魔力を注ぐ。その一部が霧散し、薄暗いトンネルの入り口が顔を見せた。
「間違いなく、魔力はこの先に続いています」
「良し、行くぞ!」
「──はいッ!」
決意を籠め、三人は駆けた。
◆
トンネルは意外と短かった。抜けるとそこは、穏やかな丘だった。
「こんなところに繋がってたのか……」
アクセルリスも初めて見る光景。しかしそんな感慨を呑み込んでいる暇はない。
「師匠ッ! いましたッ!」
シェリルスの声──離れた小高い丘でこちらを見下ろすアイヤツバスが、アクセルリスにも見えた。
「あら、思っていたより早かったわね。でも、丁度いい」
「逃がしはしない。世界の果てへと逃げ延びようとも、私がお前の命を奪う!」
剥き出しの殺意のままに駆け出すバシカル。しかしアイヤツバスは、挑発的に言う。
「バシカル──貴女が見るべきは、こっちじゃないと思うけど」
「戯言を抜かすな! そんな言葉で私が惑わされるとでも、思うか──!」
最高潮を迎えた感情のまま、遂に黒き刃が戦火に届く──その瞬間だった。
「────ぅ」
小さな、ごく小さなうめき声。しかしバシカルは、それをしっかりと聞き届けてしまった。
なぜならそれは彼女の愛弟子──シェリルスの声だったからだ。
「シェリルス!?」
立ち止まり、振り返る。黒き眼に映ったのは、力なく倒れていくシェリルスの姿だった。
「シェリルスさん!?」
すぐ側で不意に倒れたシェリルスの身体をアクセルリスは支える。そのとき、彼女の背に目が行った。
「……ッ!? なに、これ──」
そこには、数本のナイフがしっかりと突き刺さっていた。
「これだけのナイフが刺さってて、シェリルスさんは何も……!?」
アクセルリスが疑念に頭を曇らせる中、駆け付けたバシカルもその惨状を見た。
──そして、その表情がみるみる淀んでいった。
「これは──こんなことができるのは──!」
見上げる。トンネルの遥か上方、崖の上に一つの影が見えた。
その影はバシカルの視線を受け、一同の前へと舞い降りた。
そしてそれは──
「────御機嫌よう、皆様」
冷たき姉妹、その姉──カーネイル・キリンギだった。
「姉、ちゃん」
「カーネイルさん……!?」
バシカルも、アクセルリスも、その瞳が動揺で激しく揺れる。その姿を見てアイヤツバスは笑う。
「ふふ……すごい良い顔するんだから、みんな」
そう言って背を向けた。悠々と歩き去る──その姿を、惑いながらもバシカルは捉えていた。
「ッ…………アクセルリス、行けッ!」
「でも」
「ここは……カーネイルは私が対処する! だから行け!」
「──了解…………!」
苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、アクセルリスはアイヤツバスを追い駆けた。
バシカルはその背を祈るように一瞥し、すぐにカーネイルへと向き直る。
「…………」
シェリルスに刺さったままのナイフを抜き、魔力を注ぎ込む。黒い輝きと共に傷口が塞がり始める。バシカルが得意とする回復魔法、それによる応急処置だ。
意識を失ったままの彼女を優しく横たわらせて、顔を上げた──表情だけは、冷徹のままに。
「…………」
銀色の風──残酷の残滓であるそれに包まれ、黒き姉妹は互いに目を向き合わせる。
先に口を開いたのはバシカルだった。
「全て、説明してくれ」
「説明? 簡単なこと。私は戦火の魔女さまの尖兵だった。それだけよ」
「魔女枢軸を指揮していたのも」
「それも私。ずっと、初めからね」
「……それは、姉ちゃん自身の意志で──間違いないのか」
「うん。全ては私が望んだこと」
姉の意志を知り、バシカルは唸るように言葉を零す。
「…………どうしてだ。どうしてなんだ……!」
「どうして、って言われても……私がそうしたいと思ったから」
「何がだ……何を望んだっていうんだ」
「──頽廃の炎のままに、全てを壊したい。そんな破壊衝動。それが私の行動原理……納得してくれた?」
「するわけが! …………ないだろ……!」
声を荒げる。その魂は震え続け、冷徹なはずの精彩を欠く。
「教えてくれ。いつからだ。いつから姉ちゃんは、そんな風に変わってしまったんだ」
縋るような問い。生まれてからずっと共に歩んできた双子の姉が変わってしまった切欠を、バシカルは求める。
しかし、カーネイルの答えは、ひどく無常なものだった。
「変わってないよ。私は最初からこうだった」
「……なんだと?」
驚くべき事実。その告白を受け、バシカルは大きく揺れ惑う。
「知らないぞ、私はそんなこと!」
「そりゃ隠してたからね。バシカルはクソ真面目だから、こんなこと知ったらただじゃおかないと思ってたし、事実そうだし」
軽く語るカーネイルには、何かが根本的に欠如しているように感じられた。
「…………」
「でも大変だったんだよ。バシカルが想像する以上に、この衝動は激しいものなんだから」
絶句するバシカルを前に、カーネイルはただ己の身の上を語る。
「うん。だから私は、これを抑えるために、あえて『精神を乱した』」
「あえて──だと?」
「考えてもみてよ。何の理由もないのにあんな情緒不安定になる人間、おかしいと思わない?
「それ、は」
語られたのは、カーネイルの根源たる感情。彼女は自身の破壊衝動を抑えながら『正常』に身をやつすために、自らその精神性を支離滅裂にしたのだという。
しかしその真実にバシカルは口を紡ぐばかり。なぜならそれは。
「うん、思わないんだよね。バシカルは──そういう子だから」
「──ッ」
返す言葉を持たず、ただ歯噛みする。
「……正直、バシカルの勘がもう少しでも鋭かったら、私の正体は暴かれてたと思うんだ」
静かな独白。その声色は優し気に嘲笑う。
「あなたが私の妹で、本当に良かった──ありがとね」
そのことばは、とても純粋で、余りにも悪意に満ちていた。
「────アアアッ!!!」
刹那の静寂、そののちにバシカルは吠えた。
ドロドロに混ざり合った激情に突き動かされ、ロストレンジを振り被る──カーネイルはそれを避けようともせず、ただ微笑んで見ていた。
世界を断つ斬撃音が響いた。
しかし、カーネイルの身体に傷はなく、代わりに彼女の手前の大地に深い斬傷が刻まれただけだった。
「────ハァ……ッ、ァ…………ッ!」
「そう。そうだよね。バシカルは、私を斬ることはできない」
ロストレンジを地に突き立て、バシカルは肩で息をする。
「黙れ……!」
「何故なら私たちは姉妹だから。私たちの間にあるこの強い『縁』は、貴女には断つことができないのです」
「黙れッ!」
「でも、私は違う」
そう言うとカーネイルは、葛藤の素振りも見せぬまま、回し蹴りを叩き込んだ。
「ぐあッ……!」
無防備を襲われた一撃。バシカルはシェリルスの側まで転げたのち、フラフラと立ち上がる。
「…………何故だ」
そして口から零れるのは、問い。
「何故そんな邪悪な心が、姉ちゃんの中に存在していたんだ……!」
「……」
「分からない……! 何故、何故姉ちゃんだけなんだ……! 私は……!」
己には解を導き出せないと分かっていながら、自問自答を繰り返す。冷徹なる執行官には似つかわしくない、哀れささえ感じる姿。
それを目に映したカーネイルは、呆れの感情を籠めて言葉を編んだ。
「バシカル──あなたは、考えたことがないの?」
「なにが、だ」
「あなたがあなたのまま、ここまで歩んでこれた理由を」
「……何が言いたい」
「鈍感ね。私と違って」
『私と違って』。それに、バシカルは嫌な感情を覚える。
それは二人を決定的に乖離させる言葉。
「なら、教えてあげる」
「…………」
「どうしてあなたは力で押し通し続けることができたのか? それは私が技巧的に助けてきたから」
「……やめろ」
「どうしてあなたは料理が得意じゃないのか? それは私が料理上手だったから」
「それ以上は」
「──どうしてあなたの心は、どこまでも誠実なのか」
「言うなッ!」
「それは私の心が! はじめから邪悪に歪んでいたから!」
「────ッ!」
それが答えだ。
冷たき双子──その姉妹の間には、はじめから『繋がり』はなかったのだ。
片方の持たぬものを、もう片方が持つ。そうして互いを完全に補完し合うことで、ふたりはここまで辿り着いた。
だとすれば、その法則が精神にも反映されているだけだ。
それこそが、カーネイルの歪みの臨界だった。
「…………」
カーネイルの叫びを聞き届け、バシカルは最早力なく立ち尽くす。
此処に、決別は成ってしまった。
「これから、どうするんだ」
バシカルとは思えぬほど、弱弱しく訊いた。
「そうね。最期まで戦火の魔女さまの夢を叶えるため付き従うわ」
「もう、魔女機関には戻れない」
「魔女機関? もうどうでもいいわ。環境部門秘書──そんな肩書も今の私にはゴミみたいなもの」
誇りと共に全うしてきた秘書の任を、彼女は易々と捨て去った。
「私の新しい肩書は……そうね。『殺戮中枢カーネイル』とでもしておきましょう」
それは、彼女の本性をまざまざと現した、悍ましい名。
「うん、いい名前じゃない! これで思う存分──私は破壊を楽しめる! 何にも縛られることなく!」
高らかに、嬉しそうに謳うカーネイルを、バシカルはただ目に映すしかできなかった。
「……さて。お別れも済んだし、今日のところはこのあたりで──あちらの様子も気になることですし」
カーネイルが目を向けるのはバシカルではなく、その遥か先──アイヤツバスとアクセルリスが消えていった先。
バシカルもまた、その目線に釣られるように振り返る。そこでは、彼女にも視認できるほどの戦火の魔力が満ち満ちていた。
「ではバシカル──我が愛しき妹よ。どうか、達者で」
ふっ、とカーネイルの気配が消えたことを、バシカルは感じた。
「────」
彼女は、その場に膝を付いた。
【続く】