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残酷のアクセルリス  作者: 星咲水輝
38話 戦火はただ、殺伐と
192/277

#2 運命のオリジン

【#2】



「…………う」


 銀色の微睡より、アクセルリスは目を覚ます。鼻をくすぐる美味な香りがその覚醒をさらに促す。


「家……?」


 テーブルにもたれていた体を起こす。見渡せば、まごうことなき自宅──アイヤツバス工房である。


「ええと、私は──」

「おはよう、アクセルリス」


 彼女が朦朧の内より記憶を掴もうとしていたそのとき、聞き覚えのある声がする。


「もう大丈夫かしら?」

「────ッ」


 その声は、全ての記憶をアクセルリスに取り戻させた。


「ほら、鶏肉のスープよ」


 そう言って料理を運ぶ姿は、今までと変わりのない、《お師匠サマ》であるアイヤツバスのもの。

 だが今のアクセルリスには、その姿が底知れないほど恐ろしく感じてならなかった。


「…………あの」

「ええ。あなたは私に聞くことがいっぱいあるでしょう」


 アイヤツバスはいつものように微笑みを浮かべ、アクセルリスの正面へと座った。


「答えるわよ。もはや、全てをね」

「…………」


 アクセルリスは暫し口を紡ぐ。重い重い感情の濁りが、彼女を動けなくさせていた。

 しかし、とうに全ては振り切った。そのはずだ。そう言い聞かせ、アクセルリスは無理やりに口を開いた。


「本当に、お師匠サマが──戦火の魔女なんですか」



 その声色には祈りの感情が籠っていた。

 もしかしたら、全ては夢のように大きな冗談だったのかもしれない。これで元の日々に目覚めることができるのかもしれない。そういった、祈りだった。


 しかし、彼女は初めから、夢になどは落ちていなかった。



「そうよ」


 アイヤツバスはただ静かにそう答えた。

 その言葉は、アクセルリスを深い絶望に堕とすには十分すぎるものだ。


「今はちょっと、その力を失ってはいるけど、ね」


 意味深長なフレーズ。今のアクセルリスにとっては歯牙に掛けるものではない。


「…………お師匠サマが、ゲブラッヘの師匠だったんですか」

「そうよ」

「お師匠サマが頽廃の岡の大戦火を起こしたんですか」

「そうよ」

「お師匠サマが! 私の家族を殺したんですか!?」

「そうよ」


 縋るような数多の問い。アイヤツバスは肯定するだけだ。


「そんな────どうして」


 余りにも多くの感情に満ち、目が大きく開かれる。宿す灼銀も揺れ惑う。


「わからない……わからないんです……! 何もかもが……!」




 両手で顔を覆う。指の隙間からは、虚ろと共に涙の雫がこぼれていく。

 あれだけ追い求めた、全ての仇を目前にしている──それなのに、アクセルリスの身体には力が満たず。




「どうして…………どうして私を、救ってくれたんですか」


 最後に溢れたその問い。それこそが、アクセルリスが心の最深にて宿していたもの。


「たった一人の生き残りである私に、手を伸ばしてくれたのは」

「それは、前にも言った筈──」


 かつてのあの時、ゲブラッヘとの邂逅を果たした日の夜、アイヤツバスは確かに語った。




「何てことは無い、単純な話よ。私は『弟子が欲しかった』」




「──と」

「……確かにお師匠サマはそう言いました。だけど──本当の理由が、あるんでしょう……?」


 曇りながらも灼銀の眼は真理を見通す──はずなのだが。



「ないわよ、そんなの」

「…………え?」



 その淡泊すぎる言葉に、アクセルリスの脳裏上は真っ白に染まった。


「『弟子が欲しかった』、ただそれだけ」

「意味が……分かりません」

「……無理もないわ。説明するには……どこから話せばいいかしら。少し長くなるけど?」

「教えてください。あなたの、全てを」


 アクセルリスは決然とそう返した。

 まだ真実を飲み込めてはいない。しかし、知るべきことは、知らねばならない。



「そうね──はじめに、《戦火の魔女》の魔法について話さないといけないわ」


 赤黒い眼が知識の光を宿す。


「私が操る魔法、どんなものか分かる?」

「戦火の魔法──それは戦争を引き起こすものだと、魔女機関においては定義づけられています」

「正解。流石は私の弟子ね」

「…………」

「でも重要になるのは、『戦争を引き起こす原理』よ」


 アイヤツバスは薄い笑いを消さぬままに。


「私が操るのは『運命に影響を及ぼす魔法』」

「運命、ってそんな……」

「そう、運命。凄そうに聞こえるかもしれない──でも、案外シンプルなのよ」


 まるで弟子へと知識を伝える師匠のように、彼女は語る。


「言うのなら運命(それ)は布のようなもの。ひとつひとつの《命》が縦の糸として存在し、それらが交わる《縁》が横の糸として編まれる、一枚の布」

「《命》と《縁》……縦糸と横糸……?」

「そして私の魔法は、その横糸──つまり《縁》に介入する魔法なの」


 戦火の魔法が明かされゆく。


「私は横糸に手を加えて、その糸の繋がりを解れさせる。すると布は寄って縮んで、その形を歪めていく」

「……運命を、歪めるんですか」

「そうなるわね。でも安心して。《運命》というものは強固にできているから、歪んでもやがて元の形に戻る──」



 恐ろし気な沈黙。一呼吸後、アイヤツバスが言葉を繋げた。



「──ただ戻るときに、少しばかり世界に反動が起こるけどね」

「……まさかそれが」

「そう。戦争よ」


 それこそが、戦火の魔法だった。


「はじめは小さな諍いから。その規模のまま収まることもあれば、歴史に残る大戦争になることもある。それは全部、私次第──」


 アイヤツバスは軽々とそう語る──だが、与える影響は計り知れるものではない。まさに戦火の魔女が規格外の存在であることを示す証明そのものだ。


「──この《歪みの反響》は、はじめに与えた力によって、威力と指向性をある程度コントロールすることができるの。私の望みを果たすように、ね」

「……そんなこと、簡単に言うようなことじゃ──」


 異議の最中、アクセルリスはふと、心に留まるものがあった。


「──頽廃の岡の大戦火では……どんな風に」

「あぁ…………あのときは、少し欲張っちゃった」


 欲張った。その真意をアクセルリスが問うよりも早く、アイヤツバスは己の過去を清算する。


「私はひとつお願い事をして、魔法をかけた。そして戦争は始まった。その勢いはすぐに広がって、あっという間に類を見ない大戦火になった──でも、私にも終わる予兆は感じ取れなかった」

「それは、お師匠サマの望みが叶っていなかったから……?」

「そういうことね。それで、このままじゃ先に世界の方が滅んじゃうかも、って思った矢先──不意に、戦争は終わった」

「……忘れもしない、あの日のこと──」



 銀色の心の内で、アクセルリスは世界を恨んだ。

 もう少し、あと少しでも早く戦火の魔女(アイヤツバス)の望みが叶っていれば、家族は戦火に果てることはなかったのに、と。



「──結局、お師匠サマの望みは叶ったんですね」

「ええ。だから私は──あなたに逢いに行ったのよ、アクセルリス」

「────は?」


 銀が止まる。齟齬の歯車を整えて、アクセルリスは聞き返す。


「待ってください──その言い方じゃまるで、お師匠サマは私に出逢うことが目的だったかのような」

「そうよ」

「え」



 小さな言葉、全てが凍り付く。



「頽廃の岡の大戦火で私が託したお願い事……それは『弟子が欲しい』というもの」



 明かされる、起源に至るまでの答え。



「それも『艶やかで美しい銀色、極めて強い命への熱、砕けることのない鋼の精神を持つ少女』が弟子として欲しいと、私は願った」



 銀。命。鋼。その全ては、ここまでの旅路の中で、等しく『彼女』が宿していたもの。



「だから歪められた運命は、私が望む少女を見つけるまで戦火を広げ、そしてその少女以外の全てを戦火の中に飲み込んだ」



 アイヤツバスは、手を伸ばした。



「そうして私は出逢えたのよ。アクセルリス・アルジェント──あなたに、ね」




 それが、答えだった。




 アクセルリスは息を止めた。一瞬の後、溢れるのは激情。

 ドン、とテーブルが強く叩かれた音が鳴る。銀色の瞳が揺れる。


「────ふざけるなッ!!!」


 その叫びには、曇りなき怒りが満ちている。


「そんな……そんな理由で! 私は……私の家族は! それだけじゃない、余りに多くの命を……ッ!」

「何とでも言って。私には、その全てを受ける責がある」

「許さない……許せない……!」

「許してもらおうとは思わない──そうしなければ、いけなかったから」

「────ッ!」


 声にならない激憤。灼銀の眼でさえも、炎のように揺らめく。

 そして怒りの奥から見えるのは、問いだった。


「──あなたはなぜそこまでする必要があったんですか……!」


 絞り出したその言葉。アイヤツバスは、それすらも予測していたという風に、迷わず答える。


「私には、果たさなければいけない使命がある。そのためよ」

「それは……以前に語っていた──」


 再び想起する、再びのオリジンを。




「私にはね、夢があるの。とっても大切な夢が」



「もしも、私が夢半ばにして斃れたとき、私に代わってその夢を成し遂げてくれる、そんな後継ぎが欲しかった」




「──その夢が、使命だと?」

「ええ、そう。それは私が生きている理由で、私が魔女である理由で、私が私である理由」

「それは、なんなんですか。戦火を引き起こし、私にすら全てを隠してでも果たすべきという、それは!」

「……時は満ちた。私の宿願、此処に語りましょう────」



 厳かに。アイヤツバスは目を閉じ、息を吐き、そして言う。





「『世界滅亡』よ」





「………………は?」


 余りにも単純で途方もないアイヤツバスの『夢』に、アクセルリスは呆気にとられるほかなかった。


「世界の……滅亡……?」

「ええ。子供っぽいかもしれないかしら? でも私は本気よ。今までも、ずっと、そしてこれからも」


 アイヤツバスの声色に、冗談めいた影はない。彼女は本気で、世界を滅ぼすつもりなのだと、残酷なる勘は捉えた。


「わ……わかりません」


 大きな絶望と大きな憤怒を超え、アクセルリスが至ったのは大いなる混乱だった。


「どうして、そんな、ことを」

「…………私の血筋は、代々魔女の家系だった」



 アイヤツバスは思い出す。戦火の、始まりからの旅路を。



「それで、私にも人並みに魔女に憧れ魔女を目指す……そんな時代があった」


 魔女になるより以前のアイヤツバス。不思議と、アクセルリスは想像もしたことがなかった。


「だから私も魔女になった。それは丁度、あなたと同じくらいの頃」


 どれだけ前の出来事なのだろう。到底及ぶことが出来る範疇ではないと、灼銀の本能は囁く。


「そして私は、《戦火》の称号を与えられた」


 その日、戦火の魔女が、生まれたのだ。


「……その瞬間の事よ。あれは忘れもしない──」


 赤黒い瞳が、遠くを見た。全てを超えた先を見た。


「ふと、私の頭の中で声が響いた」

「……それは、どんな」

「『世界を滅ぼせ』と」



 それはアイヤツバスが語った『夢』と、寸分違わぬものだった。


「だから私は、その直後に周囲一帯を滅ぼした。あれが初めての人を殺すという体験だった──でも、何も感じなかったわね」


 最後まで淡々と語り終える。これが、戦火の魔女の起源(オリジン)だ。



「そ……んな」


 聞き届けたアクセルリスは、困惑から変わらぬ声色のまま。


「そんな理由で、自分の運命を決めたっていうんですか!? 理解できません……!」

「理解してもらうつもりはないのだけれど…………アクセルリス、『最初の外道魔女』って知ってる?」

「……え?」


 不意な問い返し。それは語りの流れも汲まない、不可思議なもの。


「『最初の外道魔女』、それは初代邪悪魔女9i《戦の魔女ケター》だと」

「うんうん、もっと詳しく」

「……初代邪悪魔女として魔女機関の勃興に貢献したはずのケター。しかし彼女は唐突に魔女機関へと反旗を翻し、殺戮の限りを尽くすようになったと。最終的には──」

「いえ、そこまででいいわ」

「──なぜ、今それを聞いたんですか」

「ふふ」


 アイヤツバスはただ微笑みで返した。


「付け加えなければいけないことが一つ。初代邪悪魔女9iケター。彼女はその行いと影響力から、真名が強く秘匿されているということ」

「……言われてみれば、『戦の魔女ケター』としか知らない──私でさえも」

「そしてその真名────それこそが、《ケター・ゴグムアゴグ》」



 ゴグムアゴグ。聞き覚えのあるものだった。それは無論、灼銀が映す一人の魔女の姓だったからだ。



「そう。私アイヤツバス・ゴグムアゴグの、遠い先祖に当たる」

「────」


 もはや絶句のアクセルリスを優しく目に映しながら、アイヤツバスは言葉を続ける。


「あの声はケターのものだと直感的に理解した。そして声が聞こえたとき、すべてを知った。私がケターの血族であること、この血に刻まれたケターの遺志が『世界滅亡』であること、そして私がそれを成し遂げなければならないことを」


 受け継がれていたのは、余りにも禍々しい願い。


「もともとケターにどんな目的があって世界滅亡を望んだのかは知らないし、最早どうでもいいこと。この血の『縁』が、私を動かす力であり、世界を滅ぼす力でもある」


 赤黒の瞳には、常軌では理解の及ばない光が差す。

 既に──いや、最初から。アイヤツバスは、お師匠サマは、戦火の魔女は──理解できない魔女だったのだ。




「──ッ、──」


 数多の巨大な感情に呑まれ、アクセルリスの呼吸は激しく乱れていた。

 眼も大きく開かれ、無常のままに渇き果てる。生唾を飲み込むのすらままならない。


「ぅ……」


 わからない。わからない。わからない。

 目の前の怪物が何を考えているのか。私の人生はなんだったのか。どうして私は生きているのか。


「…………!」


 己の存在証明すら稀薄になってしまいそうな混沌の感情の中。銀色の中で、赤い灯火が宿った。

 咎を帯びるその熱は小さなものだった。しかしそれは、確かに残酷の魂を輝かせる──


 

「────アイヤツバス、あなたは──ッ!」


 アクセルリスが息を荒げ立ち上がろうとした。



【続く】

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