#3 煉獄
【#3】
〈主ー!〉
遠くで避難させておいたトガネの声が聞こえる。
アクセルリスは立ち上がる。
「ああ、ごめんねトガネ。今行くから──」
〈そうじゃない! 逃げろ!〉
「え──」
言葉の意味が分からず、立ち止まる。
その時、強烈な殺気を背中に感じ、身震いをする。
「な」
弾かれたように振り向くと、プルガトリオがアクセルリスを見つめていた。
「…………殺したのか?」
その目に憎悪の劫火が灯る。
「お前が殺したのか?」
「……ッ」
声が出せない。完全に気圧されている。
「……そうか」
プルガトリオがシュガーレスの亡骸を抱え上げ、その頭を撫でる。
「シュガーレス」
ぽつりとその名を呟く。
と、突然その遺骸が発火する。プルガトリオの魔法だ。
「──」
あっという間にシュガーレスは燃え尽きる。発生した煙を取り込んだプルガトリオの輪郭が一瞬だけ光った。
「これで私たちはずっと一緒だ」
灰が風に乗って吹き消える。うつむくプルガトリオの目には涙が浮かんでいたが、すぐに蒸発して消えた。
「名乗れ」
顔を上げてそう問うプルガトリオ。アクセルリスはやっとの思いで喉を震わせて言う。
「──鋼の魔女アクセルリス」
「死ね」
直後、アクセルリスの足元から火柱が立つ。
「うわッ!」
咄嗟の回避で直撃こそ逃れたものの、プルガトリオの追撃が襲い掛かる。
槍のようなサイドキックが、隙を晒したアクセルリスに突き刺さる。
「ぐあッ!」
地面を転がり、嘔吐する。
だがプルガトリオはなお手を休めない。
「死ね」
倒れているアクセルリスの腹を何度も何度も踏みつける。
「う゛っ、あ゛っ、あ゛っ」
踏みつける度に腹肉から生々しい音が鳴り、アクセルリスの口から吐瀉物が湧き出る。段々と赤紫色に変色していく。
プルガトリオはその首を掴み、持ち上げる。
「や゛……めろ゛ッ……」
呼吸がままならなくなっても抵抗するアクセルリス。
「苦しんで、死ね」
そう宣告し、アクセルリスを投げ飛ばす。
ごろごろと転がるアクセルリス。魔装束は破れ焦げ、素肌も焼け汚れている。
「う……うう……!」
なおも立ち上がり、殺意を燃やす。
そんなアクセルリスの周囲に火焔が発生し、彼女を取り囲む。
「な……」
横の退路を断たれた。
そして、上を向いたアクセルリスが見たのは、プルガトリオの影。
その脚には炎が集まっている。その背からは劫火が噴き出ている。
「死ねッ!!」
「い……やだッ!」
鋼による防壁を貼るが、周囲の炎によってたちまち溶ける。
「そ……んな……!」
猛スピードで放たれたキックがアクセルリスを貫く。回避不能。
「ぐあああああッ!」
吹き飛び、岩に激突する。
既に満身創痍のアクセルリス。そんな彼女を更なる責め苦が蝕む。
キックに付随していた炎。それがアクセルリスの身体で蠢いていた。
「あ……あ、ああああああああああああああッ!!」
爆発による火傷。光線による肩の傷。マカロンが剥がれ落ちた痕。それらの傷痕を執拗に炙り、アクセルリスを苦しめる。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! あああああああッ!!」
必死に消火を試みるアクセルリス。焦りは体の動きを乱し、なかなか火が消せない。それどころか、のたうち回る間に新たに傷が生まれる。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!」
そんなアクセルリスにゆっくりと近づくプルガトリオ。
ふと、何かを踏む。
「……?」
それは、一つぶのアメだった。
アクセルリスのポーチからこぼれ落ちたものだった。
「あ……ああ」
プルガトリオの目から涙が零れる。
「シュガーレス……ああ……ああああッ!」
哀しい怒りに任せ劫火の球を作りだす。
だがそれはアクセルリスではなく、背後より迫りくる物体に向かって放たれた。
「誰だ……!」
〈主を守るのが使い魔の使命なんでな!〉
宙に浮く数本の剣。残酷隊の遺品。そしてそれを操っているのはトガネだ。
「鬱陶しい……!」
劫火を起こしそれらを焼き捨てようとするプルガトリオ。しかしトガネはそれをのらりくらりと躱し、隙を見て剣を放つ。放たれた刃は届く前に焼き払われる。
そうして両者の攻防が続く。が、残数が限られているトガネの方が不利だ。
しかしトガネは焦るそぶりを見せない。
〈へへっ、じゃれ合いみたいで楽しいな!?〉
「ふざけろ!」
それどころか笑いながら冗談を言う始末。自棄になっているのか? 否。彼は彼なりに考えがあるのだ。
競り合いが続く内、一本、また一本と残りの剣が減っていく。
そして残り一本になった。それでもトガネは臆することなくその切先をプルガトリオに向ける。
「これで最後だ」
〈へへへ……まあ、オレにしちゃあ、足掻いた方じゃないか?〉
「失せろッ!」
最後の剣が燃え、灰になる。プルガトリオはトガネの本体を探すが、見当たらない。主を捨て逃げたか。
主──アクセルリスへトドメを刺していなかった。振り返る。そこにはアクセルリスが倒れている。火こそ消えているが、岩にもたれかかり動かない。
「使い魔の懸命な時間稼ぎも無駄だったな」
火球を掌の上に生み出し、段々と大きくしていく。
その時、アクセルリスの表情がちらりと見えた。
────笑っている?
「無駄じゃあ……ないよ……」
「ッ!」
危険を察知したプルガトリオは咄嗟に身を反らし、火球を放とうとした。だが、出来なかった。
「な」
〈ハローハロー、さっきぶり!〉
トガネが影に潜んでいたのだ。
プルガトリオの余力であれば、この拘束を振り解くのは造作もないだろう。
だがその一瞬、確かに隙が生じた。
「う゛」
アクセルリスの手元から伸びた長い槍が胸を、心臓を貫いていた。
槍の影を伝い使い魔は主の影に戻る。
「おかえりトガネ……ありがとうね……」
〈なあに、礼はいらんさ! これがオレの仕事だからな!〉
トガネの助けを借り、アクセルリスは立ち上がる。槍を両手でしっかり押さえる。
「バカな……バカなッ!」
消えてしまった火球を再び作り出そうとするが、心臓から炎が漏れ、うまく形作れない。
「まだだッ!」
「ぐ……ああッ!?」
アクセルリスは槍に鋼の元素をさらに詰め込む。
槍はプルガトリオの体の中で枝分かれし、それぞれが別々の方向に成長した。鋼の樹だ。
「あああああぐッ!」
鋼鉄の槍の樹に全身を貫かれる激痛と、心臓から漏れる炎が体を焦がす激痛にプルガトリオは苦悶する。
だがそれでもなおプルガトリオは斃れない。槍を掴み、アクセルリスへと一歩ずつ進んでいく。
「な……なんて執念……」
「執念ではないッ!」
怒号。プルガトリオが脚を進めるたびに、槍は深く食い込み、それに応じて苦痛は増していく。
「私の劫火は……燃やした者を救済し……その力を私に加える力を持つ……」
プルガトリオは語り始めた。その目からは血の涙が流れている。
「私の中には……これまで救済してきた332人の人間と……シュガーレスの命が……心が……魂が……あるのだ……!」
プルガトリオの全身が、これまでとは異なる赤黒い炎に包まれる。その炎にアクセルリスの鋼を溶かす力はなく、彼女自身の体を蝕むだけ。
「お前に私が殺せるか……殺せるものかッ!!」
「いいや! 殺すッ!」
「なんだと……!」
「何が救済だ……お前がやっていることはただの虐殺だ……!」
アクセルリスの手に入る力が増して行く。プルガトリオの歩みが止まる。
「もし仮に……本当に救済していたとしても……私は……」
じりじりと進むアクセルリス。後退するプルガトリオ。
「──333人分殺してみせる」
己を上回るアクセルリスの殺気に、プルガトリオはほんの一瞬、恐怖を覚える。
それだけで十分だった。
「────あ」
瞬間。プルガトリオの体から力が抜け、ぐったりとする。
それからすぐに、彼女の体は彼女自身の劫火で焼かれ、灰になった。
「…………」
アクセルリスも槍から手を離し、倒れ込む。
「……終わった」
そう呟くと、彼女の意識はあっという間に遠くに行った。
【続く】