#2 荊冠のデストフィア
【#2】
──しかし、その直後。
「う……!?」
アクセルリスは膝を付いた。その身には赤黒い電流が光っていた。
「心では抗っていても、身体は負けているようだね。無様だ」
そう嗤うゲブラッヘの身にも、赤黒の雷は走る。
それに引き摺られるようにして彼女は立った。長刀をアクセルリスへと向ける。
「ボクはもうこの力をモノにした。師匠の力は、ボクを助けてくれる……」
虚ろな目で呟く。全身の傷が、赤黒い光と共に塞がっていった。
「分かったかな? キミじゃない。ボクなんだ……!」
「私は……私は……ッ!」
「悔いろ! 師匠の戦災を生き残ってしまった、その運命を!」
「知るか……ッ! そんなこと! 運命だって私のものだ……ッ!」
極めて強い感情と言葉を胸に、アクセルリスも立ち上がった。
「そうだ、全部だ……! 戦火の魔女を殺すため、全てを、世界の全てを、私の糧にしてやる……!」
苦し気に右目を手で覆う。戦火の魔力が、アクセルリスの残酷な鋼の魔力と激しく呼応している。
「たとえそれが……戦火の魔女の力でも、だ!」
その表情は、覚悟を決めたもの。『仇の力をも喰らい、我が物へする』という、健啖の悪魔。
その姿を見てゲブラッヘは、純粋なる恐怖を覚えた。
「何を……しようとしているんだ」
「く、ぐ…………! あ、ぅあ……」
アクセルリスが──彼女に宿る影が呻く。
「ああ、ああ。分かるよ。この声は──あの日の、あのときの」
強く目を見開く。その右目。赤い輝きが銀色を喰らい、一色にのみ光る。
「私の中で、止まったままの──トガネの声だ……!」
影が、赤く芽生える。
「──ハ、ハハ。面白い……面白い! 見せてみろよ、キミの力を!」
己の知を超えたその光景。ゲブラッヘの恐怖は、虚無的なる微笑へと昇華されていた。
「思い出せ……思い出す……! 私は……私は……!」
呪文のように呟くその身体を、周囲から沸き上がった影が覆ってゆく。
そして完全なる黒に染まったアクセルリス──その右目が、強く、赤く、瞬いた。
「────はあァ……ッ!」
赤と銀の光と共に、影が弾けた。
現れたアクセルリスの姿は、かつてバースデイを葬ったときのもの。
銀の左目、赤の右目。髪は影の色に染まり、銀色に艶めく。魔装束も影と融合し、刃を揺らめかせる。
「これが、私と私のはたて。もう一度、この姿になるなんて──想像もしてなかった」
手を強く握り、開く。万全に動くことを確認し、ゲブラッヘをその眼に映す。
トガネはもういない──だが、膨大な二つの魔力の調律によって成された奇跡の姿。そのタイムリミットは、かつてよりも短い。
アクセルリスも、心で気付いていた。
だからこそ、彼女は駆けた。言葉よりも早く──ゲブラッヘ、殺すべしと。
「しゃあッ!」
斬首の如き回し蹴り。影が追従して伸び、不規則な刃となる。
「ハハ、面白いねそれは。使い魔との融合か──感動的だ」
戦火の黒雷を纏うゲブラッヘ。不安定な揺らめきでそれを躱す。
「だがボクの前には無意味さ……!」
嘲りながら、長刀を走らせる。アクセルリスには容易に見切れるもの──だが、赤黒い残滓が太刀風となり、アクセルリスの身を苦しめる。
「ぐ」
「ハハ、隙だらけじゃないかアクセルリスッ!」
動きが鈍った首元をゲブラッヘは狙う──だが、大地を割き生える影の刃に阻まれた。
「私の……どこに隙がある? 言ってみろ」
右目の赤が怒張する。ゲブラッヘがその姿に目を見開く──そのわずかな間に、影の刃は彼女を包囲していた。
「嗚呼、キミは本当に──!」
「私じゃない。私たちだ」
その言葉と共に、全ての刃が敵を貫く。
しかしそれは致命とはならない。ゲブラッヘが全身に鎖を巻きつけ、即興の鎧としたからだ。戦火の力を得た鉄は、鋼よりも硬く。
「ボクの機転も捨てたものじゃないだろう?」
「興味ない。死ね」
アクセルリスは鎖のない部分──ゲブラッヘの首元を狙いと定め、腕を伸ばす。
だがそのとき。その鎖の全てが、赤黒く胎動したのを、トガネは見逃さなかった。
「ッ……!」
二人分の本能が囁いた。アクセルリスは即座に進行方向を変え、後方へと大きく飛び退いた。
直後。ゲブラッヘの纏っていた鎖が全て弾け飛び、全方位へとその破片を飛ばした。その衝撃は爆弾そのもの。
アクセルリスは影の壁で身を守りながら、呟く。
「──危なかった。あの魔力を帯びた爆発……喰らいたくはない」
「やはり聡いね。ボクとしてはこの一撃で終わらせるつもりだったんだけど」
「もうすぐ終わるのは変わりない。心配するな」
そしてアクセルリスが残酷を剥き出しにして、敵を仕留めようと駆け出す──
──だが、その身は中途で墜落してしまう。
「これは……!」
その目に映るのは、己の足に絡み付く鎖だ。影の刃がひとりでに切り裂くも、鎖は壊れない。
「ボクのイタズラさ。懐かしいだろう? もっとも、あのときよりは遥かに凶暴だけどね」
余裕と共にゲブラッヘが駆け出す。
「逃げられると思わないほうがいい! その鎖は、ボクからの呪いだ!」
「……呪い、ね。それならそれでいい。それもまた、私の糧にしてやる」
「やってみろ! やれるものなら!」
加速するゲブラッヘ。戦火の魔力を全身と長刀に漲らせ、渦巻く負の感情と共に、アクセルリスを目に映す。
アクセルリスは全身の力を抜き、しかし残酷なる殺意は槍と共に強く握ったままに、目を閉じた。
互いの距離が一瞬で詰まってゆく。赤黒い雷が周囲に落ち、影の刃が所狭しと生い茂る、まさにそれは地獄郷。
そして二人が、触れる────
「殺す──!」
「──死ね」
赤く、黒く、銀色な閃光が、一瞬だけ強く瞬いた。
「────」
ゲブラッヘはアクセルリスの後方で動きを止める。ゆっくりと、姿勢を直す。
そしてアクセルリスは、変わらぬ姿勢のまま、静かに槍を消した。
「ぐあ」
血を流したのはゲブラッヘだった。その腹には、深い横一文字の切傷が生まれていた。
「……」
アクセルリスは己の腕を見る。僅かな痺れと、仇の力たる赤黒い魔力が残っているが──彼女にとってそれは障害にもならない。
「喰った。戦火の魔女の力も、お前の呪いも、全部」
「ハ、ハハ……! 流石は、アクセルリスだ……そういうところが、本当に嫌いだ!」
覚束ない足取りで振り向き、虚無的な微笑みを向ける。傷口からは血と共に戦火の魔力が迸っている。
「だがボクを殺すには至らなかったようだね! 残念だった!」
そう嗤うゲブラッヘの身体には、傷口から広がるように、ヒビの形の文様が浮かび上がっていた。
「何度でも、何度でもボクはキミを襲う! 師匠がボクを見てくれている限り、何度でも!」
左目だけが大きく開かれた。最早おぞましいその姿だが、アクセルリスは感情を持たない。
「気持ち悪い」
「さぁ往くぞ! 何度でも、何度でも、何度でも──!」
再び長刀を振り被り、駆け出そうと構えた。
そのときだった。
「────え?」
ゲブラッヘの身体は、動かなかった。
それは、何かが彼女の身体を縛っていたからだ。
そして、気付いたころには、遅い。
「ぐぅあーっ!?」
あっという間にその拘束は強まり、ゲブラッヘを虚空に磔にしていた。
「ぐ……!? これは──ッ!?」
彼女を捕らえたそれは、黒色の魔法陣だった。
「う、ぐぁ…………! 魔力が……!」
魔法陣は黒く輝き、ゲブラッヘから魔力を──戦火の魔女の力を、吸い上げていた。
その影響が消えるにつれ、アクセルリスの輝きも元の銀色に戻り、右目も灼銀となった。
「これは……」
訝しむ。その背後に、足音が迫っていた。
「見つけたわ、アクセルリス」
その正体はアイヤツバス。アクセルリスとゲブラッヘは驚愕に目を見開く。
「ッ……!?」
「お師匠サマ! まさかとは思いましたけど……」
「話は後。バシカルたちがあなたのことを呼んでいるわ。大事な話があるそうよ」
目で促す。その先は、クリファトレシカの上へ。
「邪悪魔女会議室ですね、了解しました。それで、お師匠サマはどうするんですか?」
「私は……先に、この子を処理するわ」
「っ……う、ぐ……」
微笑みの奥で捉えたのはゲブラッヘに他ならず。視線に晒されたゲブラッヘは、もはや恐怖に呻くのみ。
そしてその選択にアクセルリスは感情を抱かなかった。
「分かりました。お願いします」
「直ぐに終わらせて合流するから、安心してね」
「はい、待ってます! では!」
すぐにアクセルリスは走り去った。銀色の残像を残して、未来へと。
「…………さて、ゲブラッヘ」
そしてアイヤツバスは、ゲブラッヘを、見た。
「ひ……う、あぁ……っ!」
「分かってるわよね」
どこまでも冷たい眼差しと、どこまでも熱い感情。
アイヤツバスは、定める。
「────さよなら、ね」
【続く】