#1 峻厳、神を見る者
【#1】
常夜の都、魔都ヴェルペルギース。
その一角。とある広場で、アクセルリスは立っていた。
「…………」
無論、何の理由もなく、彼女が立ち尽くす筈もない。復讐のため、残酷に進み続ける彼女を留まらせるだけの理由が、ここにはある。
それは、鉄の魔女ゲブラッヘ。
「アクセルリス。キミのことを──待っていた」
「私はお前に会いたくないんだけど」
ゲブラッヘを視界に入れることすらなく、アクセルリスは言葉を返す。
「ボクもだ。ホントなら、キミの顔も見たくないくらい憎い」
「なら消えろ。世界の果てまで逃げて、二度と私の前に現れるな」
「だがそれでも、ボクはここにいる。その理由、わかるかい」
「分かりたくもない。お前のような狂人の考えなんて。だから消えろ」
「キミを殺しに来たんだよ」
対話を拒むアクセルリスと、己の言葉だけを連ねるゲブラッヘ。
「……何としてでも、何をしてでも、キミを殺さなければいけない。その理由が、ボクにはできてしまった」
「達成できない目標を掲げるの、いい加減やめたら? お前は私に勝てないんだから」
「ボクはキミを恨み、妬み、憎み、嫌う。ボクの心の奥で……殺意がドス黒く、煮えているんだ」
その声が震えているのに、アクセルリスは気付いた。
「……?」
目を細めながら、灼銀の瞳だけを向けた。
「だから……だから、もう手段は選ばない──いや、選べないんだ……!」
ゲブラッヘは、押し殺したように叫び、目を見張る。
その左目は──黒く、どこまでも黒く染まっていた。その真闇の中に、赤い幾何学の図形が、瞳の代わりに刻まれていた。
「──なんだ、それ」
アクセルリスでさえも恐怖を覚える、その姿。
「呪い──あるいは、祝福さ。我が師の純粋な力を、この眼一つに集束させた」
「……おぞましい。そんなことをすれば、お前の身も」
「キミに心配されるなんてね。だが、気にしないでくれ。この力は確かにボクの身を著しく貪る。だけどそれは、師匠がボクのことを見てくれている証明なのだから!」
そう叫ぶゲブラッヘに、もはや正気は影すらもなく。
「哀れだな。そこまで行くと」
本心のままに、アクセルリスは言った。もはや与える言葉もなく。
「それはボクが決めることだ! キミを殺し、そして、師匠に……!」
強い想いと共に、長刀を逆手に構えた。
「──なら、やってみろ」
アクセルリスが仕掛ける。残酷な指令の元、敵を圧殺せんと槍の群れが走る。
「ハハ、ハ! いや──なぜだろう、懐かしいじゃないか!」
ゲブラッヘが手をかざす。虚空から鎖が現れ、槍を阻む。
「相変わらず芸のない魔法だ」
「もうよそ見はさせない──キミはボクを見るんだ。そしてボクは、キミの後ろの──師匠を見る」
「わけのわからないことを、つらつらと」
無感情は苛立ちに変わる。アクセルリスは、対話の出来ない相手を嫌う。それが拒んでいる相手ならば尚の事だ。
「さっさと死ぬか消えるかしろ!」
飛び退きながら五本の槍を放つ。その全てが敵の頭を狙う、殺意の顕現。
「嫌だね! ボクは再び師匠に認めてもらうんだ! 憎きキミを殺して!」
想い籠めた一閃。一太刀で五つの残酷を斬り捨てる。
「どうして……どうしてキミなんだ、キミばかりなんだ!」
感情の蠢きと共に、ゲブラッヘは肉薄する。それは退くアクセルリスよりも速く──直ぐに二人は衝突した。
「どうして! どうしてだ!」
「…………」
なぜ? という問い。返す言葉は、無く。
「ボクは、あの日師匠に救われて……生まれ変わったんだ!」
ゲブラッヘの叫び。それは謎に包まれる彼女の過去を、垣間見せる。
「だからボクは師匠のために、その理想を神格に崇めるために、動いてきた……なのに!」
刻々と、長刀が重さを増す。優勢がゲブラッヘに傾きゆく。
「どうして師匠は! キミだけを見ているんだ!」
「──知るか、そんなもん」
舌打ち。灼銀の瞳が、ギロリと睨んだ。
「そんな理由、私が知ったことじゃない。だから私に聞くな、鬱陶しい」
鋼の肉体に、決意の力が満ちる。
「でも、戦火の魔女が私のことを見ているなら、好都合だ」
「アクセルリス、キミは……っ!」
「殺しやすい」
残酷が光った。ゲブラッヘは恐怖した──ほんの一瞬だけ。
しかしそれは、アクセルリスにとって充分な間だった。
「──ッ!」
激しい土埃が、二度立った。
一度は、後退し敵から離れる際のもの。
二度は、前進し敵の背後を取る際のものだった。
「アク──」
「黙れッ!」
振り返るゲブラッヘの横腹へ、鋼の強烈極まるサイドキックが喰らい付く。
「うがぁッ────!」
激しく吹き飛び、地を転がる。骨が哭き、鈍い痛みが全身を蝕む。
「う……痛い、じゃないか……! く……」
よろよろと、その身を起き上がらせる。立ち上がるが、辛うじてだ。
「面倒だ。本当にお前は面倒な奴だ。だけどもう限界。今、ここで、お前も殺す。そうすれば私は少しラクになるし」
一本、鋭い槍を生み出し、それを敵に向ける。
灼銀の右目が、しっかりと対象を捉える。
アクセルリスが、ゲブラッヘを「見た」。
その表情────笑っている?
「……ああ、やっとだ。やっとキミは、ボクを見た」
「ッ──!」
一瞬にして、全身を悪寒が駆け巡った。即座に殺すべし、と槍を放つ。
「遅い──!」
吠えるゲブラッヘ。直後、彼女の全身から悪逆なる魔力が迸った。
赤黒く可視化されるほどの、その魔力──戦火の魔女のものに、違いはなく。
そしてそれはアクセルリスの槍に喰らい付き、一息の間に鋼の元素へと分解してしまった。
「…………」
アクセルリスは無言のまま。しかしその心の奥底では、本能的な恐怖を抱く。
だが、そんなものは嚙み潰すまで。
「ハ、ハハハ……どうだい? すごいだろう。これが師匠の魔力──その一端さ」
躰に赤黒い瞬きを宿しながら、ゲブラッヘは立ち上がる。左目からは、血の涙が。
「存分に目に焼き付けろ。キミではなく、ボクを見る師匠のことを」
「ああ、慣れさせてもらう。戦火の魔女を殺すときに役立ちそうだ」
「ほざけ! キミにそんな機は来ない! ボクが殺すからだ!」
ゲブラッヘは叫び、二本の鎖を伸ばす。それらは赤黒き雷を纏ってアクセルリスへと襲い掛かる。
「やっぱりお前は鬱陶しい」
華麗な槍捌きで迫るそれらを弾く──だが、宿る戦火の力が、やはり鋼を元素へと返した。
その銀色の残滓を見て、アクセルリスは状況判断する。
(このまま続ければ元素切れの可能性もある──だったらブン殴るほうがいいかも、だけど……)
強固なはずのアクセルリスの魔法を無に帰す力。それに直接触れた際のリスクは、計り知れない。
迷い、惑う。やがて仇を討つに至るまで、冷静に見極めるべしと。
だが、ゲブラッヘは迷わない。
「どうした! この期に及んで尻込みか!」
彼女は、アクセルリスを殺すその一心に、走る。
強い雷を纏わせた右腕をアクセルリスへと伸ばす。
「ッ!」
その腕を、アクセルリスもまた掴み返す。
直後。
「ッ!? ……うぐ……あァ……ッ!」
苦悶を零したのはアクセルリスだ。
彼女に流れ込む戦火の魔力。それは無差別に世界を貪る力だ。
「ぐ、うう、うううう……!」
「キミもボクと同じ苦しみを味わうといい」
「ぐあああああッ!」
抵抗するが、その身は意志に応えない。
ゲブラッヘが圧し込み、アクセルリスの姿勢が歪んでいく。
「苦しいかい? それとも喜んでいるのかな?」
「ほ……ざけ……!」
「そうだね、折角だからもっと味わわないと! これこそがキミの家族を滅ぼし、キミもを滅ぼす力なのだから!」
「…………!」
アクセルリスの目付きが変わった。
その切欠は、『家族』という言葉だった。
「…………お前が」
「……ん?」
ゲブラッヘは眉を細めた。確実に、アクセルリスの力が増している。いつしか両者の競り合いは、拮抗勝負に至っていた。
「お前が、語るな。私の家族のことを──お前がッ!」
咆哮。逆鱗に触れられた龍のごとく、アクセルリスは怒り狂う。
「しゃアァッ!」
抑え切れない感情に任せた頭突きがゲブラッヘを打った。
「ぐ──!」
強い衝撃にその意識が眩む。当然、この局面においては致命的な隙であることは言うに及ばず。
「お前如きがッ!」
「ぐはぁッ!」
ハイキックが顎を穿つ。そして膝から崩れるゲブラッヘに、更なる追撃が襲い掛かる。
「私の家族を語るなッ!」
「ぐ、ああああッ!」
鋼の如き掌底──憤怒の連撃を受けたゲブラッヘは、倒れ臥すほかない。
「かッ──は、あァ…………」
呻き、顔を上げる。尚も起き上がらんと闘うが、その四肢は地から離れようとせず。
「殺す……殺す殺す殺す!」
そしてアクセルリスの殺意は今だ止め処なく溢れ出す。その本流のまま、無尽蔵に槍を生み出し、その全てでゲブラッヘを狙う──
【続く】