#8 忘却のオストラコン
【#8】
「!」
現実の世界。華の空洞中心部の花畑で、二人は同時に目を覚ます。
「起きた……!」
二人から離れた場所で立っていたアクセルリスは、そう呟く。
しかし、未だ何が起こるかわからぬ状況。ただ槍を構え、ゲデヒトニスの動向を警戒するのみ。
「…………終わったね、ゲデ」
「ああ、完敗だった」
横たわったまま、ふたりは言葉を交わす。
「……楽しかったな」
「うん!」
その表情は、子供のように。
そしてゲデヒトニスは、切り出す。敗者の定めを。
「さあ、アカ。私を殺せ」
「…………その前に話がしたいんだ」
「なんだ? 私たちの言葉は既に交わしただろう」
「聞いてないんだよ、答えを」
アーカシャの問う答え。それは言うまでもなく、ひとつ。
「……『あの日』の、ことを」
「────それ、か」
ゲデヒトニスは、静かに凪いだ目でアーカシャを見つめた。
「ああ。それについても、全て理解できたさ」
「じゃあ、なんで」
「『分からない』」
「え」
「『私には分からない』。そのことが、改めて明らかになった」
それは無知を知る、真の賢者足る答えだった。
「ただ『何か』に突き動かされるように、『そうしろ』という声が私の中に響いていた。その感情は何にも抑えられない、余りにも強い奔流だった。それだけが私に理解できる全てだ」
「…………なによ、それ」
アーカシャの声は暗い。追い求めてきた親友の謎が謎のままならば、無理もない。
「だが聞いてくれ、アカ。私があの時『殺せ』と命じられた存在には、お前も含まれていたんだ」
「え? でも私は生きて……」
「私は抗ったんだ。真に愛する友であるお前だけは、手にかけてはならないと。強大な力の中で、私はそれだけを強く祈った──その果てが、今だ」
「そう、なんだ……」
それは絆の証明。愛と友情の想いは、ふたりを最悪の結末だけからは逃れさせた。
「この事実、必ず何かの光になる。お前がその存在なんだ、アカ。頼んだぞ」
「…………うん!」
ゲデヒトニスは笑い、アーカシャの手を握った。それはこの場で立ち止まる者と、そうでない者を分水するように。
「じゃあさ、最後にもう一つだけ……答えられないのなら、構わないけど」
「答えるさ。お前のためなら」
「ありがと。じゃあ────」
アーカシャは、一息置き、その大いなる問いをゲデヒトニスへと。
「《戦火の魔女》について、可能な限り教えてほしい」
「ああ、やはりそれだろうなとはわかっていた」
目を閉じ、ゲデヒトニスは口を開く。いつか語ろうとしていたのだろう、濁ることなく言葉が流れる。
「以前、彼女が語ったことの中で、気になった言葉があった」
「……詳しく」
「それは──」
◇
「私には、『縁』がある。それがある限り、私の歩みは止められない」
「不可解──我/不理解→『縁』」
「そんなに難しい話じゃないわ、ゲデヒトニス──言うのなら、『使命』のようなもの」
「使命?」
「ええ。私は遥か永く続く、『祖』の意志を継いでいる。それこそが、私が夢に向かって歩み続ける理由であり、力なのよ」
「────不可解←依然」
◇
「『縁』。『使命』──それが、戦火の魔女の行動理由なのか」
そう問うアクセルリスの目は、銀色に澄み切って、灼く濁る。
「恐らくは。だが、彼女の言葉は──なべて超然としていて──私たちとは、何かが致命的に違っていたような……そんな印象もあった」
「だとすれば、尚の事────許せない」
強く、恐ろしいほど強く握りしめた手には、血が滲むほどに。
「……」
アーカシャはそのアクセルリスの様子を見て、心がざわついた。
そして、だからこそ、ゲデヒトニスへと問う。
「じゃあゲデ──もう一個、聞きたい」
その言葉には、少しの迷いとそれを覆う決断。
「答えられないかもしれないけど……だとしても、いい」
「焦らすな、アカ。お前らしくもない」
「《戦火の魔女》、その真名は、なに?」
一瞬、世界が沈黙した。
ゲデヒトニスは、言った。
「私は、それに答える」
「ッ!」
アクセルリスも、思わず声を上げた。追い求めてきた謎に、仇に、手が届く。
「答えられるのか、ゲデヒトニス!?」
「お前たちが、そう望むのなら。私の持ち得る全ては、冥途の置き土産とするさ」
「なら……なら! 教えて! 誰なんだ、戦火の魔女は!」
「お願い、ゲデヒトニス。私たちのために……アクセルリスのために」
二つの願いの元、ゲデヒトニスは、ゆっくりと。
「戦火の魔女、それは──」
その、瞬間だった。
ゲデヒトニスが、弾けた。
「────」
「え……」
「──な」
忌まわしき名。それを明かそうとした罰か。
その名を口にするよりも先に、ゲデヒトニスの下顎が、弾けて消えた。
「ゲデッ!?」
「ァ……」
もはや、彼女に意味のある言葉を紡ぐことは、できない。
変わり果て倒れる彼女を、アーカシャは抱き留める。
「…………ッ、ァ」
「ゲデ……! ごめん、ごめんね……!」
流す涙は後悔か、それとも。
「ィ…………ァ」
「…………!」
そして虚ろになりゆくゲデヒトニスの眼を見て、アーカシャはすべてに気づいた。
「ゲデ…………わかるよ、あなたの言いたいこと……」
「ゥァ……」
「……うん、そういう約束だったもんね、はじめから」
その言葉と共に、涙を振り切り、決断を宿す。
「私が、殺す──」
「ゥ」
「……大丈夫。言ったでしょ。私だって、残酷魔女なんだ」
「…………ァ」
「ゲデ」
アーカシャは、ゲデヒトニスのこめかみに、指を当てた。その指先に、魔力が集まっていく。
それは魔弾。アーカシャの放つ涙のような一滴でも、これならば、殺せる。
「ァ──ヵ、ッァ」
「……バイバイ、ゲデヒトニス」
そして、永訣の刻。
「好きだよ」
雫が記憶を貫いた。
「…………」
アクセルリスは、全てを静かに見届けた。
アーカシャの後ろ姿は、あらゆる感情を宿していた。
その心を慮り、彼女はそっと。
「先に、戻ってます」
微笑を浮かべながらそう言って、足早に立ち去った。
「…………」
ひとりになったアーカシャは、黙ったまま、ゲデヒトニスの亡骸を抱えて、その閉じた眼をじっと見ていた。
その表情は乾き切っていた──だが、ひとつ、ふたつと涙の粒がゲデヒトニスに落ちた。
「……ゲデ……」
小さく、声を漏らした。それは我慢し、押し殺されたものだった。
しかしアーカシャは、堪える必要など、ないことに気づいた。
そして、彼女は。
「…………う……うあぁ…………! うわああああぁぁぁ…………っ! ゲデヒトニス…………っ! うわああああああっ!」
友を想い、大声で、泣いた。
◆
記録と記憶の絡み合う因縁は、ここで終わりを迎えた。
それが清算されたものであるか、計り知れない怨恨を抱えたままなのかは分からない。
だが、それでも──ふたりにとっては、『終わり』なのだ。
【記憶:記録 おわり】