#7 Lucifer
【#7】
「……互いにこれが、最後となろう」
ゲデヒトニスの背後に現れたのは──黒塗りの、人影。
それは、魔女枢軸の総裁にして戦火の魔女の側近を務める、正体不明の魔女だ。
「だが、彼女の正体を明かすことはできない。だから、こうする」
そう言ってゲデヒトニスは、青白い触腕をその影に突き刺した。
「「「──」」」
影はノイズの呻きを上げながら、ゲデヒトニスへと吸収されていった。
「彼女の技能だけを、私の中に読み込んだ」
「器用なことするね、相変わらず」
「さあ、お前も呼べ。最後の一人──残酷魔女の隊長を」
「…………」
アーカシャは返答をせず、無言のまま、呼び出す。
残酷魔女隊長、殺伐の魔女シャーデンフロイデを。
「シャーデンフロイデ」
「「「言うな」」」
アーカシャの言葉を切り捨て、シャーデンフロイデは構える。
足を肩幅に開き、右の手は自然に開いた状態で前に出し、左の手は握り拳を作り腰に当てる。
まるで壁画のように、がっちりとした隙の無い厳かな構え。
「「「来い」」」
「──」
その姿に、ゲデヒトニスも一瞬息を呑む。隙も揺らぎもない、完璧な『静』がそこにはあった。
だが、彼女とて、臆している間はない。
「ふッ!」
5本のナイフが投擲される。それらは真っ直ぐに、血に飢える刃を満たそうと奔る。
シャーデンフロイデは、動かずに、じっとそれらを見る。
そして彼女のすぐ目の前に迫った、その瞬間。
「「「──」」」
シャーデンフロイデの瞳が、輪郭が、青白く光った。
「ッ!?」
次の瞬間には、5つの刃全てがゲデヒトニスの身体を掠めていた。
「な……」
狼狽える。彼女ですら。まったく見切れなかった、殺伐の魔。
その様子を静かに見下ろして、そしてシャーデンフロイデは。
「「「成程。この程度か」」」
そう言うと、ゲデヒトニスに背を向けてしまった。
「「「私が出る幕ではない」」」
「だよね」
「「「お前ひとりで対処できるだろう。やれ」」」
それは、残酷魔女隊長の鑑識眼だった。
アーカシャに向けてそう言うと、彼女は一瞬でノイズと消えてしまった。
「厳しいねぇ、うちの隊長は」
アーカシャはお道化たように呟き、そして友を見た。
「ま、そんなわけだから」
「……お前が全ての残酷魔女を使い終えたとて、私は加減しない」
ゲデヒトニスは逆手の長刀と数本のナイフを構える。確固なる意思表示だ。
「うん、いいよ別に。私も──譲らないから」
両手に鋼の槍を構え、周囲にも無数の槍を生み出し、アーカシャは言葉を返した。
「終局は近い。ならば私の──私たちの手で、この場に引き寄せる」
「いいね、それ! 面白そうじゃん。聞かせてよ、ゲデの想いを!」
そして二人は駆けた。対話のために。互いの想いを、覚悟を、決意を、刃に乗せて。
「はぁア!」
急く長刀を鋼が受け止め、火花が鈍く散る。
「ああ、感じるよ! ゲデの想いが! でも足りない! あなた自身の声で、語ってよ!」
「望みを言え。私はそれに答えるだけだ──!」
「決まってるじゃん! ゲデと、私の、そのことだ!」
アーカシャは飛び退き、槍と共に言葉を投げかけた。
返すゲデヒトニスの言葉は、刃と共に。
「言うまでもなく、お前のことは愛している」
「じゃあなんで! あの日──あんなことを」
『あの日』。それはいわば、ゲデヒトニスの『起源』。
「なんで──私以外の同僚を皆殺しにして、魔女機関に謀反したの」
「それ、は」
言葉が淀み、その刃も鈍る。槍の数本が彼女を掠める。しかしなお、揺らがずに──混迷の末、答えを。
「…………分からない」
「またそれだ。いつもいつも、結局はその答えになる」
「誰かが私の頭の中を掻き回したように。何かが私の身体を操ったかのように。私には、まだ、分からない」
「キリがないね……なら、見つけようよ。私と一緒に」
槍を構え直した。それは挑発的に、かつ歩み寄るように。
「それはいい提案だな。お前を斃し、この問いに決着をつけるとしよう──!」
そう言って、ゲデヒトニスは数本のナイフを投げた。揺れる彼女とは裏腹に、揺らぐことなく真っ直ぐ飛ぶ。
「じゃあ、私の話も聞いてもらおうかな」
エゴに近しい想い。それを乗せた鋼は、一振りで全ての刃を弾く。
「アカの想いか。それには私も興味がある」
「じゃあ話すよ。あなたと決別した、その後の私の話を──」
想いの刃を携え、アーカシャは語り始めた。
「ゲデがいなくなって、私はしばらく何もできなかった。そのときに初めて、私にとってゲデがかけがえのない存在なんだと、気付けた」
「……皮肉なものだな」
二人の刃が拮抗する。それは対話の象徴でもあった。
「でも、たった一つの感情だけは、初めから私の内に存在してたんだ」
「それは」
銀色、アーカシャの刃が圧し込まれた。言葉と同時に、彼女の想いも伝わる。
「私の手で、ゲデヒトニスを殺す。それが、私たちを救うたった一つの手段──」
一見は冷たい言葉だが、そこに宿っていたのは『愛』だった。
「そうして、私は残酷魔女になった」
「虫も殺せないほどいたいけだったお前が、そこまで……」
「覚悟は必要だったよ。でも」
感情が、迸る。
「ゲデが、好きだから!」
「アカ……っ!」
アーカシャの昂りに呼応し、エゴの象徴たる鋼の槍が重くなってゆく。
このままでは圧し潰される。そう状況判断したゲデヒトニスは、あえてその槍を受け流し、転がりながら距離を取る。その合間にもナイフを放つが、やはりすべてが弾き落された。
「……お前の想いは、痛いくらいに伝わってきた」
「ゲデのも、ね」
互いを深く愛し合っている。だからこそ、心の剣は研ぎ澄まされ、純粋なる愛から生まれる殺意が鎧のように体を満たすのだ。
「結局──私たちは、根本的に変わってないんだね」
「ああ、そうみたいだな」
「……どこで、おかしくなっちゃったんだろうね」
悲しそうに呟くアーカシャに対し、ゲデヒトニスは平静のまま。
「あるいは、何も変わっていないのかもしれない」
「……どういうこと?」
「『私たち自身』は、何も変わらず──あの頃の、無垢なままで。ただ何かが、悍ましいほど大きな何かが、私たちを包み込んでいる──」
「──それが、『あの日』の答えなの?」
「分からない。まだ。だがあと少しだ」
「なら、見つけようよ」
「ああ。そうしよう」
二人は同時に構えた。
「……アカ、お前も感じているだろう」
「うん。これが……正真正銘の、最後になる」
「私が死ぬか、それともお前が死ぬか」
「それは、分からない。でも、どっちになっても──悔やまないように」
「ああ。悔やまぬように──」
「私たちの──」
盲目的な言葉が、終に、重なる。
「「すべてを!!!」」
幕は下り始めた。
アーカシャとゲデヒトニスは、今ここで、すべてを終らせ、そして始めるのだ。
「ゲデヒトニス──!」
「アーカシャ……アーカシャ!」
互いの名を呼び合い、互いの心臓を狙い合う。
最早守りは捨て、傷つくことも厭わずに、二人は斬り合う。
アーカシャの槍がゲデヒトニスを穿てば、アーカシャの言葉が響く。
ゲデヒトニスの刀がアーカシャを斬れば、ゲデヒトニスの感情が伝わる。
それが追録される追憶の世界。
この世において、傷は身を苛めるものでなく、想いを伝える最も単純な手段なのだ。
「伝わってくる、伝わってくる! ゲデヒトニスの、全部が!」
「ああ、私もだ……! なんと心地よい! もっとだ! もっと……!」
二人の心は裸のまま、求め合い、そして愛し合う。
なれば、相手を想う力の強さが、力へと直結するのだ。
「ゲデヒトニス!!!」
「アーカシャ!!!」
ほぼ、互角──しかし、一瞬だけ、傾いた。
「──ッ!!」
ゲデヒトニスの一撃を受けたアーカシャの身が、揺らいだ。
「これが──これが私の! 想いだッ! アーカシャ!」
「ゲデヒトニス…………」
「嗚呼、嗚呼! 私の勝ちだ────!」
高く高く吠え、ナイフを振り被る──
──その額に、風穴が開く。
「え」
「……残念だったね、ゲデヒトニス」
その穴は、銃創。放たれた弾丸が、穿ったものに違いなく。
「な、ぜ……なぜ」
倒れ込みながら、疑問に呻く。
「ごめんね。残酷魔女には、もう一人いるんだ」
「もうひとり……だと……」
優しい声で語ったアーカシャ、その背後には人影。
駅員服を纏ったその魔女。手には銃が握られている。
「彼女の存在は、本当は秘密なんだ。ゲデが知らないのも、無理はないよ」
「「「……任務は達成した」」」
兵器の魔女ディサイシヴ。彼女はその一言だけを呟き、姿を消した。
◆
仰向けに倒れているゲデヒトニス。その傍に、静かに座るアーカシャ。
ふたりはしばし、静寂の中に会話をしていたが、ゲデヒトニスが口を開いた。
「…………私の負けだな」
「ん、認めるんだ。いつもは結構ゴネてたじゃん」
「私とて、そこまでは執念くはない」
「……じゃ、お言葉に甘えて」
アーカシャは立ち上がり、手を掲げた。
「私の、勝ち────」
そして、追録される追憶の世界が、崩れる。
【続く】