#5 追録される追憶の世界
【#5】
全てが凪いだ世界。
雲一つなく透き通る青い空、それを鏡のように映す水面。
二人の魔女は、静かに見つめ合っていた。
「────懐かしいね、この場所も」
先に口を開いたのはアーカシャだ。
「あの頃は、よくここに来たよね」
「ああ。二人で話したいとき──他愛のない会話でも、些細なことによる喧嘩でも、愛を交わし合うときでさえも」
これは、ふたりの魔法が織り成すふたりだけの世界。《追録される追憶の世界》。
「懐かしいが──もう二度と、この地を見ることはなくなる」
「うん。私もその覚悟はできてる」
アーカシャは、手をかざした。
その手の中に、鋼の槍が生まれた。
「ここなら、全力で、あなたを殺せる」
「私たちのはたてに相応しい、な」
ゲデヒトニスは、長刀を逆手に構えた。
「────いくよ」
「こい────」
そして、二人は、最後の想いを交わし合う。
《追録される追憶の世界》。
この世界の中では、ふたりは何物にもとらわれず、全ての記憶と記録を、再現できる。
それは、互いの宿す記憶をそのままに相手に伝え、互いの辿ってきた記録をそのまま閲覧することである。
そして、ふたりの存在もまた、記憶と記録に覆われ、曖昧となる──だが、故に現実の世界ではできないような大立ち回りも、この世界でならば演じられるのだ。
ふたりは以前から、意見が割れたときや揉め事の際に、この世界での『決闘』を解決案としてきた。
記憶を剣に。記録を盾に。それがこの世界の法。
この戦いもまた、『決闘』なのだ。
言うまでもなくそれは、最後の『決戦』でもある。
「はぁッ!」
「せいッ!」
競り合う槍と長刀。互いの得物に籠められた鋼と鉄のエゴが、切れ味となる。
今衝突しているのは、刃たちではなく、『二人の魔女』なのだと言えよう。
「やはり強いな、残酷の想いは!」
「でしょ! 期待の新人──だったのも、昔の話!」
優勢に傾かせながら、アーカシャは語る。
「今はもう、残酷魔女のエースだ!」
「良い後輩に恵まれたんだな、アカ。だが、我々とて!」
目を見開き、長刀を圧し込む。
「彼女が宿す複雑な想いを受け止められるか!」
「ぐ……! 何て強くて重い感情だ……!」
何よりも強い一つの感情を持つ残酷。たくさんの感情を混沌に混ざり合わせる峻厳。対照的な二人だが、その強さは拮抗する。
「キリがないね、これじゃあ!」
状況の打破を優先し、アーカシャは背後から数本の槍を生成する。
「行けっ!」
「っ!」
無数の穂先がゲデヒトニスを狙う。
彼女は状況判断し──アーカシャを弾き、後方に飛び退く。直後、全ての槍が同時にゲデヒトニスの足元を穿った。
「危なかった。アカ、その魔女のことをよく理解してるじゃないか」
「当たり前でしょ。一緒に戦ってきた大事な仲間なんだから」
「仲間、か。どうにも私たちにはその感覚が薄いものだ。所詮、魔女枢軸は利害の一致で形を成していたに過ぎない」
俯く。その声色は自嘲か、ため息交じりにそう言った。しかし。
「だから私も、私の利益のためだけに、彼女らを利用する──」
ゲデヒトニスは笑みを浮かべながら顔を上げた。その背後に急速にノイズが集い──ひとりの魔女を生み出す。
それは、死体の魔女コフュン。
「「「──おや。おやおやおや! 再びの出番か。まったく私遣いが荒いことだ!」」」
記録の魔法の介在により、再現態でありながらも、生前のごとく言葉を発し、そしてアーカシャを見た。
「「「彼女が標的のようだな。よし、ここは一つラ・オウマリアスでも喚び出して──」」」
「そんな時間は無い。戦え」
「「「全くロマンがないなゲデヒトニス!」」」
そう言い捨て、コフュンは駆けた。次いでゲデヒトニスも、アーカシャを狙い走る。
「その手で来るか! なら私も、頼っちゃおうかな!」
「「「沈みたまえ! 君に恨みはないが!」」」
アーカシャ目掛け手刀を振り下ろすコフュン──その腹部に、強烈な打撃が撃ち込まれた。
「「「ぐおぁ!」」」
ノイズを吐き出しながら吹き飛ぶ。ゲデヒトニスはそれを躱し、アーカシャとの剣戟にもつれ込んだ。
「「「ぐ……痛いじゃないか!」」」
「「「──まったく、何度舞台に這い上がってきたら気が済むんだ、お前は」」」
呆れの言葉と共にコフュンを見下すのは、獣の魔女グラバースニッチだ。
「「「お前の相手をするのももう飽きた、さっさと失せろ!」」」
「「「そうは行くまいよ! 今度こそ、私が君に勝利するさ!」」」
因縁宿す二者は刹那の間合い、激しい肉弾戦を繰り広げる。
「コフュンの相手をさせるなら、やっぱりグラバースニッチだ」
激しく迫るゲデヒトニスの刃を捌きながら、言う。
「どうにも拮抗するな、彼方も此方も。ならば、手を打つほかない」
「どうやら、総力戦になりそうだね。残酷魔女と、魔女枢軸と」
「ああ。雌雄を決するときだ。どちらが強いのかを!」
「──上等!」
ふたりは同時に飛び退いた。
そして、グラバースニッチとコフュンも、距離を取る。
「「「ふ、う、う──やっぱりしぶとい野郎だ」」」
「「「それが死体の取り得だからね」」」
言葉を交わし合う両者。その背後に、互いの創造主が戻る。
「退け、コフュン。お前の出番は終わりだ」
「「「おや、お終いか」」」
「ゆっくり休め」
「「「そうさせてもらおう! 嗚呼、いつぶりの休息だろうか──私は、やっと」」」
晴れ晴れと笑い、コフュンはノイズに消えた。
そして霧散したノイズが再び収束し、新たな魔女となる。
「「「──キィ、ハ。ハ……キィーハハハハハッハッハァ! アタシの出番かァ!?」」」
狂鐘を打ち鳴らしながら到来したのは、剣の魔女バズゼッジだ。出現早々、剣を生み出す。
「「「俺も交代か、アーカシャ?」」」
「うん、そうだね。で、グラバースニッチ的に次は誰がいいと思う?」
「「「そうだな──アレが相手なら、あいつだろう」」」
そう言ってグラバースニッチの身体がノイズに呑み込まれる。
胎動と共に現れた、残酷魔女の二番手は。
「「「おっとと、と……?」」」
宝玉の魔女ジェムジュエル。桃色の髪を靡かせ、舞い降りた。
「おはよ、ジェムジュエル!」
「「「アーカシャさん! おはようございます!」」」
「早速で悪いんだけど、戦闘だよ」
「「「そんないきなり過ぎません!?」」」
当然の狼狽を見せるジェムジュエル──そんな彼女を、バズゼッジは容赦なく急襲する。
「「「キィーハハァ! 余所見かァ? 油断かァー!?」」」
「「「違います! はっ!」」」
唸る剣。桃色の宝玉が壁となり遮る。
「「「おっ!? なんだこれ硬ェなぁ!?」」」
「「「そちらの油断、頂きました!」」」
宝玉が砕けジェムジュエルが肉薄する。バズゼッジの鳩尾を肘で穿ち、確実な痛苦を与える。
「「「がァ……っ!」」」
後退したたらを踏む。その身には確かな痛みが響いている。
「「「今のは痛かったでしょう!」」」
「「「……あァ、痛ェ。めちゃ痛ェ…………」」」
だが、生憎バズゼッジは、それを悦びに変えるタイプだった。
「「「……それが『イイ』んだよ! キィーハハ! ハハハハハッハ!」」」
「「「へ、変態だぁー!!」」」
苦痛を糧に襲い来るバズゼッジ──その胸を、槍が貫いた。
「「「ぐぁッ!」」」
「「「アーカシャさん!」」」
「ごめんねジェムジュエル、変態の相手させちゃって!」
追撃の槍が走る。ゲデヒトニスの長刀がそれを妨げる。
「「「中将……アタシは変態なのか?」」」
「多分そう」
「「「そう……なのか」」」
「不満か?」
「「「──全然! レキュイエムは『多少ヘンなほうが好み』って言ってたからなァ! キハハハハハハ! ハ!」」」
狂笑、ここに極まれり。呼応し、全身から剣が生え揃う。
「「「くたばれ宝石女ァーーーーッ!」」」
「「「──ッ!」」」
一本の狂おしい刃となり、一瞬にしてジェムジュエルへ襲い掛かる──彼女はそれを、避けずに受け入れた。
「「「ァ……? テメェ、何を」」」
訝しむバズゼッジの身体を、桃色の宝石が包み込む。
「「「弾けて消えろ、不埒な変態女!」」」
「「「待──!」」」
言い残す言葉も遅く、宝石と共にバズゼッジの身体は砕け散った。破片は即座にノイズへと還元される。
「「「粛清、できました……」」」
当然、刃を真っ向から受け止めた身体もまた、ノイズへと戻り逝く。
「ジェムジュエル……何もそこまで」
「「「いえ、お気になさらず。私の性格の問題ですから」」」
後悔もなく、ジェムジュエルは笑う。
「「「これにて、次の方に託します」」」
「……うん。バイバイ、ジェムジュエル」
「「「それでは、また!」」」
そうして、ジェムジュエルもまたノイズへ還った。
アーカシャとゲデヒトニスは見つめ合ったまま、ノイズを蠢かせる。
「さぁ、次の手を見せてみろ、アカ」
「言われなくても」
両者、同時に。
産み落とされたのは、互いに絢爛な魔女だった。
「「「あら。これはこれは、美しい魔女ですわね──私ほどではありませんが」」」
「「「なんて高貴な魔女なのでしょう! さぞかし、その血の味も──美味なのでしょう」」」
薫風の魔女ロゼストルム、そして吸血の魔女クラウンハンズだ。
「「「美しいのは事実──しかし、悪趣味ですわね。血を食むなど、悍ましさの極みですわ」」」
「「「その偏見……美しくないですわ。貴女にも分かるはず、美を求める貪欲さ、それこそが最も美しいことを」」」
「「「それには同感します。ですが、吸血と美とに因果は無いと思うのですわ」」」
「「「では、試してみましょうか──」」」
そう言うと、クラウンハンズの身体は血となり消えた。
「「「面妖な、何処へ──」」」
「ロゼストルム、周り!」
アーカシャが叫ぶ。見れば、二人の周囲を、夥しい数の血針が取り囲んでいた。
「私も手を貸そう」
その包囲網に、鉄の楔までもが加わり、無欠なる針の筵が完成する。
「「「さぁ! 串刺しとなり、我が美の糧となるがいい!」」」
クラウンハンズは叫ぶ。そして、全ての切っ先が、二人に襲い掛かる。
「「「アーカシャ、力を合せますわよ!」」」
「よしきた!」
アーカシャは鋼の槍を無数に生み出す。そしてロゼストルムはそれらを巻き込み、業風を放つ。
「「「鋼と薔薇の共演、麗しき風に乗せ──ここに今、解き放つ!」」」
風に煽られ高速で周回する槍の群れ。それは血と鉄の処刑を吹き飛ばす、残酷なる大嵐と成った──
やがて、風が止んだ。
暴風の心臓にいたアーカシャとロゼストルムは──見事、無傷で乗り越えた。
「「「……やりますわね」」」
飛び散った血が集い、クラウンハンズになる。その口から零れるのは、称賛。
「「「さぁ、来なさい。何度でも、どんな手段でも、打ち破ってみせますわ」」」
「「「いえ、遠慮します。これ以上は美しくない」」」
背を向け、しかし真紅の目線だけをロゼストルムへ与えた。
「「「……貴女とは別の出会い方をしたかった。そうすれば、互いにより美しくなれたでしょう」」」
「「「ふふっ。その可能性も、面白いですわね」」」
「「「ではごきげんよう、真に美しき魔女よ」」」
そうしてクラウンハンズは、己の意思でノイズへと戻った。
「……相変わらず勝手なやつだ」
呆れ果てながらも、次なる刺客を呼び起こす。
旗を棚引かせながら歩み出たのは、御旗の魔女ソルトマーチ。
「「「──ふむ」」」
顔を上げ、そう一言。その様を見たロゼストルムは、アーカシャに囁く。
「「「げっ……ごめんなさいアーカシャ、私あいつ苦手ですわ……イヴに代わってもらってもいいかしら?」」」
「りょーかい! イヴィユの方が相性よさそうだしね」
「「「迷惑をおかけしますわ……それでは……」」」
申し訳なさそうに、ノイズへと消えた。間を開けず、入れ替わるように進化の魔女イヴィユが現れる。
「「「進化の魔女イヴィユ、馳せ判じた。我が相手は──」」」
「「「御旗の魔女ソルトマーチ。汝の言葉を、裁定する」」」
「……おい、私は戦ってほしいのだが」
ゲデヒトニスの言葉を聞き流し、ソルトマーチは声高に。
「「「問おう、進化の魔女よ! 汝の進化とは、如何なるものか!」」」
「「「答えよう、御旗の魔女よ。私の進化とは──私の全てだ」」」
迷わずイヴィユはそう言った。
「「「私に起こる全ての事象。私が行った全ての経験。私が語った全ての言葉。なべて、それこそが進化だ」」」
「「「それは、《進化の魔女》としての矜持か? それとも汝の生きざま、そのあらゆる旅路か?」」」
「「「両方だな。この称号を賜るまで──いや、私が『進化』を知るようになるまでは、それまでの歩みには無駄が多いものだと軽く見ていた」」」
「「「しかし、違うと」」」
「「「ああ。思い返してみれば、私の人生は全て進化だった。いや、私だけじゃないな。全ての人、全ての生けとし生けるもの。それらにも同じことだ」」」
真っ直ぐな言葉はソルトマーチに突き刺さり、彼女を鎮めさせる。
「「「お前もそうだ、ソルトマーチ」」」
「「「私が……だと?」」」
「「「お前が『英雄』になろうとして行ってきたこと、歩んできた道。そこに善悪や貴賤があろうとも、『進化』であることはまごうことなき事実だ」」」
それがイヴィユの持論だ。たとえ外道に堕ちようと、自分の望むほうへ進むのなら、それは進化なのだ。
「「「その果てがどのようなものであれ、その事実はこの世に残る。それこそが、『進化』なのだ」」」
「「「…………フ、完敗だ」」」
吹っ切れ、毒の抜けたようにソルトマーチは笑った。
「「「善い魔女だ、汝は」」」
「「「冗談を言うな。私とて、進化のためなら何でもするさ」」」
「「「その旅路が眩きものであることを祈る」」」
そうしてソルトマーチは御旗を掲げ、祈った。イヴィユへ、そして世界へ。
そのまま、彼女の体はノイズに消えた。
【続く】