#4 遠いあの日の夢
【#4】
「はっ」
闇黒から解放され、アクセルリスは目覚める。即座に起き上がり、己の存在を確かめる。
「異常なし……で、ここはどこだ」
見渡す限り、闇──ぽつりと置かれている、質素な扉を除けば。
「扉? めちゃめちゃ怪しいけど……」
その扉は、どこかアクセルリスの心をくすぐる。誘っているかのように、思い出の奥底に触れるように。
「でも、他に道はない」
アクセルリスは迷わず扉を開いた。
「う────」
光が雪崩れ込む。一瞬、視界が奪われ──
「え」
気付けばそこは、民家だった。
リビングルーム。大きめのテーブルが置かれ、その周りには『六つ』の椅子。
それは残酷の記憶、その最も深いところに、残っていたもの。
「わたしの、いえ──?」
戦火によって滅び去る前の──アクセルリス・アルジェントの生家に他ならなかった。
「──」
目の前に広がる光景に、言葉を失うしかない。そんなアクセルリスの耳に、声が。
「おかえり、アクセルリス」
「え」
聞こえるはずのない、聞けるはずのない、その声。ゆっくりと、灼銀の眼を向ける。
「…………父さん」
「大きくなったな」
オーア・アルジェント。アクセルリスの父。優しく、金色の目をアクセルリスに向けていた。
「みんな、おまえのことを待ってたんだ」
「────ええ、ずっと」
声が、増える。それは。
「あ……ああ…………!」
アクセルリスの声が震える。彼女が見ているのは、もう二度と会えない──家族の姿だから。
「アクセルリス……久しぶり、だね」
「母さん……!」
シルヴィア・アルジェント。アクセルリスの母。澄んだ銀色の目で、アクセルリスを迎え入れる。
「う、う……ああぁ…………!」
アクセルリスは涙を流し、二人の胸に飛び込んだ。
オーアとシルヴィアは、静かに微笑んで、その背を撫でた。
そして、また、声がする。
「────姉さん」
「…………!」
両親の胸から顔を上げ、振り返る。碧色の目の、少女だった。
「アズール……アズール!」
「姉さん……っ!」
次女、アズール・アルジェント。アクセルリスと強く抱き合う。
「姉さん……わたし……わたし……!」
「うん……ごめんね……ごめんね……!」
言葉にならない声を漏らしながら、姉妹は再開を噛みしめる。
「……ふたりは…………?」
「うん……みんな、いますよ……!」
「っ……!」
顔を上げた。双子がいた。
赤色の目をした少年と、紫色の目をした少女だった。
「ねーちゃん……だよな……」
「おねえちゃん……!」
「ギュールズ……パーピュア……!」
長男ギュールズ・アルジェントと三女パーピュア・アルジェント。アクセルリスの姿を見るや、駆け寄り、胸に飛び込む。
「うわああああああっ!」
「おねえちゃあああん!」
「ふたりとも……!」
二人を強く抱きしめたまま、アクセルリスは静かに、泣いた。
幾星霜──アクセルリスは、遠いあの日と、再会を果たした。
「こうやってみんなが揃うのはいつぶりだろうか」
オーアは嬉しそうに言う。
見れば、アルジェント家の六人は、食卓を囲んでいた。
「……ホントに、ね」
小さくそう呟くアクセルリス。眼前には、懐かしい母の手料理が並ぶ。その温度、その匂い、そしてその味は、まぎれもなく記憶に残るそれそのものだった。
「うん。やっぱり母さんの料理はおいしいよ」
「でもアクセルリスも上手になったんでしょ? ほら、お料理対決とかしてたじゃん」
「え……そのことも知ってるの?」
「少しは、ね。大事な娘のことだもん」
「……そうなんだ」
覚える違和感。知るはずのないことを知っている家族。だが、その振る舞いも、雰囲気も、声色も、全て紛れもないもの。
「今日の料理、私も手伝ったんですよ」
アズールは笑顔でそう言った。
「どうですか、姉さん」
「とってもおいしいよ。私よりも上手いかも」
「えへへ、嬉しいです!」
「そりゃ、私の娘だもん。料理くらい簡単に極めちゃうよ」
シルヴィアは不敵な笑みを浮かべる。その仕草は、彼女がアクセルリスの母親であることを強く知らしめるものだ。
「ギュールズとパーピュアにも教えなくっちゃね」
「え、オレもやるのか? パーピュアだけでいいんじゃねえか」
「だめだよ、ギュールズ。みんなやるんだから」
「えー。でも父ちゃんは料理しねえじゃんか?」
「おっ、父さんだって料理はできるんだぞ。今度作ってやろうじゃないか」
「いえ。あなたはキッチンに立たないで、オーア」
シルヴィアは食い気味にそう言った。
「でも」
「でもじゃない!」
「はい……」
「あはは、父さんってば」
アクセルリスは笑う。心の奥から。かつてあった、紛れもない日常だ。それを感じれば──笑顔も自然と生まれる。
「……なんか、ごめんね」
そして口から零れたのは謝罪だった。
「みんなは昔のままなのに、私だけ一人で行っちゃって」
「気にするな、アクセルリス。それはおまえが私たち家族の誇りである証拠だよ」
「父さん……」
「そうですよ、姉さん。私たち、姉さんが成長した姿を見て、すごく嬉しかったんです」
アズールは言う。ギュールズとパーピュアも頷いて。
「今のねーちゃん、すげーカッコいいぜ! マントひらひらで、なんかトガってて!」
「うん、とってもきれい! ぎんいろにかがやいて、すてき!」
「二人とも……」
そして、シルヴィアは変わらず不敵なまま。
「当然だよ。私の娘なんだから」
「ちょ、母さんまで」
「でも、まだ私の方が上手だね」
「どうかな。もうすぐに、母さんも超えるよ」
「うんうん、その自信、忘れないようにね」
母と娘は、互いの銀色の瞳を交わし、微笑んでいた。
「──さて、せっかくこうして会えたんだ」
一息つき、オーアが口を開く。
「アクセルリス。聞かせてくれないか、おまえのこと」
「私のこと?」
「そうだ。お前がどんな道を歩いて、どんな人と出会って、今に至るのか」
「私も気になります、姉さん! 詳しく聞きたいです」
「うん、いいよ……っつっても、どこから話すべきかな……?」
切り口に悩むアクセルリスに、シルヴィアが手を打つ。
「魔女になったんだよね、アクセルリス」
「ああ、うん。まず話すならそこからだよね、やっぱり」
深呼吸し、記憶をひとつひとつ辿る。はじめに至るのは──『あの日』。
「私は……偉大な魔女に救われて、その人の弟子になったんだ。そうして魔女になった」
「姉さん、すごいです……凄い魔女の人に見出されたってことですよね……!」
「ぜんぜんそんなのじゃないよ。私はただ……みんなより、優しくなかっただけだから」
「なぁ、魔女になるのってどのくらいたいへんなんだ?」
「そりゃもう、とんでもないよ。私は三年修業した。辛いこともあったけど……みんなのことを思い出して、頑張った」
今日ここに至るまで、彼女を支え続けてきたのは、『家族』との思い出に他ならないのだ。
「で、魔女になってから十年間。その師匠の元で、手伝いとかしたりお使いとかしたりして、過ごしてた」
「……それは、楽しかったか?」
「うん。師匠と過ごした日々は──私にとって、かけがえのないものだったよ」
優しく、笑う。その笑顔に、残酷は、どこにもない。
「で、転機が来たのは割と最近。その師匠の推薦で《邪悪魔女》……《魔女機関》の幹部になったんだ」
「凄いじゃないか。魔女機関というと、魔女社会を統治する組織だろ?」
「最初は私も実感なかったんだけどね……ま、なんとかやってるよ」
口では軽く、そう流した。秘められた苦労の坂道は、言わずもがなである。
「そんでまぁ、あっちこっち行ったりして、仕事してる……って感じかな」
「なるほどなぁ。漠然とは知っていたが、我が子が実際に働いていると聞くと……どこかこみ上げるものがあるなぁ」
「だね……」
オーアとシルヴィアは、そう静かに感慨に耽る。
その隙に、ギュールズが訊いた。
「なぁねーちゃん、その右目どうしたんだ?」
「わたしも気になる! おねえちゃんの右目、ぎんいろなのに赤くてきれい!」
「これはね、私の使い魔だったんだ」
右目に手を当てる。痛いほどに、熱い。
「熱っ……?」
「使い魔!? すげー!魔女っぽい!」
「あ、うん。使い魔だけど、頼れる相棒で、弟みたいな存在で、家族で────あ」
ぎょっとして、アクセルリスは口を紡ぐ。
彼女にとって、その右目はなによりも大切な、永遠の絆の証。
故に、語り過ぎる。そしてそれは、己で抑えていた境界線を破ってしまうに至る。
「──ごめん、ね」
「いいや、嬉しいさ。おまえが新しい家族とともに幸せでいられるなら、それが一番だ」
「うん。あなたは『今』を生きなければならないんだ、アクセルリス」
「でも」
「…………おまえも、気付いているんだろう」
「ここにいる私たちは──」
「──本物じゃない」
自分の言葉で、自分に突き刺す。
「当たり前でしょ……! だってみんなはあの時……死んだんだから……!」
その言葉は辛く、重く。
「今ここにいるみんなは、私の記憶を基に作られたマボロシ……だから、完璧に再現されてる。でも……『ニセモノ』なんだ」
それが、答えだ。
かの大戦火に巻き込まれ、アクセルリスを除くアルジェント家のものはみな死んだ。なれば、今ここにいる五人は虚像の存在。それはすぐにわかる。
しかし、その虚像を構築しているのは、他ならない『アクセルリスの記憶』である。
だからこそ、アクセルリスにとって、『間違った』言葉や振る舞いを見せることはない。
「ニセモノ……だけど、みんなの存在は、ホンモノ……そう言っても、おかしくはない……」
「……アクセルリス。本当は分かっているんでしょう。あなたがやるべきことは」
「分かってる……そんなの、初めから」
瞳に、残酷が宿った。
「でも私は……ほんのちょっぴりでいいから、みんなとの時間を味わっていたかった。それだけなんだ」
「──姉さん……っ!」
「ねーちゃん!」
「おねえちゃん!」
「アズール……ギュールズ……パーピュア……! ありがとう……ごめんね……! ありがとう……!」
涙と共に押し寄せるきょうだいたちを、アクセルリスは愛をもって抱きしめた。その眼に涙は浮かばない。彼女は、姉だから。
そしてひとしきり三人を愛したのち、彼女は凛として立ち上がった。
「…………そろそろ、だ」
アクセルリスは、オーアを見た。
「父さん。これまでありがとう。照れくさいけど、今になって言うのも遅いよね……」
「いや、いいさ。おまえの言いたいことは、昔からずっと分かってたからな」
「私がみんなのところに行くのは──もうちょっと、ほんのちょっと後だと思うから、それまで待っててね」
「ああ。もしそのときが来たら、またおまえを迎えに行く。でも急ぐなよ。ゆっくりでいい、いつまでも待つから」
「うん、ありがとう」
アクセルリスは、シルヴィアを見た。
「母さんも、ありがとね。母さんのおかげで、今も私は生きてるんだと思う」
「……まさか。私の娘が、そんなわけないよ」
「どういうこと?」
「あなたが生きてるのは、他でもないあなた自身のおかげだ。自分の強さを胸に、これからも進んでいけ」
「……そう、なんだ」
「うん。私が言うんだから間違いないよ」
「最後まで、背中押されちゃった……やっぱり母さんには敵わないや」
「……あなたはもう、私よりも強いでしょ」
「……ありがと」
アクセルリスは、アズールを見た。
「アズール、ごめんね。私がいないせいで大変だと思うけど」
「気にしないでください、姉さん! 私も、シルヴィア・アルジェントの娘ですから!」
「……頼もしくなったね、アズール。じゃ、みんなのことはアズールに任せよう!」
「はいっ! アズールがんばります!」
「私の代わりに、お姉ちゃんとして、ふたりの面倒を見てあげるんだ。頼んだよ」
「任せてください! 私も、姉さんみたいな立派な姉になってみせますから!」
「お願いね、アズール!」
アクセルリスは、ギュールズを見た。
「ギュールズ、強くなるんだよ。強くなって、みんなを──パーピュアを、護ってあげて」
「任せとけ! オレもねーちゃんくらい強くなってやるぜ!」
「これからは、ギュールズがこの家を護っていくことになるんだ。そのことを、忘れないようにしてね」
「……分かってるよ。オレだって、もう子どもじゃないんだからな」
「わかった。信じてるよ、ギュールズ」
アクセルリスは、パーピュアを見た。
「パーピュア、みんなのことを──ギュールズのことを、愛してあげて」
「あいする……? わたしが?」
「うん。これからきっと、大変なことがある。みんなも、ギュールズも。そんなとき、パーピュアが必要なんだ」
「わたしに、なにができるの?」
「支えてあげて。みんなを護るのが、ギュールズの役目。ギュールズを護るのが、パーピュアの役目だよ」
「うーん……まだよくわかんないや」
「いつかきっと……ううん、すぐに分かるようになるよ」
「ほんと? なら、わたしもがんばるね!」
「うん! 頼んだよ、パーピュア」
全員に、伝えたい思いを、言葉にして、届けた。
アクセルリスの表情は、吹っ切れたように澄んでいた。
「…………よしっ!」
笑顔で気合を入れた。
「もう、行くね」
誰も、言葉を返さなかった。交わすべき言葉は、もうないからだ。
ただ皆、微笑んで、アクセルリスを見守るだけ。
「またしばらくお別れになるけど……もう、大丈夫。私がそっちに行くには、まだ早いから」
右手に槍を握った。
強い熱を感じて、右目を抑えた。
「…………熱いってば」
聞こえないように呟いた。その熱は現世への道を照らす灯火か、あるいは小さな嫉妬の炎か。
「よし、それじゃ」
熱を抑え込み、家族へと向き直り──槍を構えた。
「────いってきます!」
そして、槍を己の心臓に、突き刺した。
痛みはない。溢れ出るのは、血ではなく、想い。
(────)
アクセルリスの意識が薄れゆく。温かく眩い光に、視界が覆われていく。
その意識が溶けて消える直前──声が、重なって、聞こえた。
「────いってらっしゃい!」
と。
◆
「はっ」
白光から解放され、アクセルリスは目覚める。即座に起き上がり、己の存在を確かめる。
「異常なし。戻ってきたね、現実に」
見渡せばそこは華の空洞。超現実的な風景は見られない、正真正銘の現である。
「……あれが、アーカシャさんの魔法」
思い出す。感覚全てが現実と錯覚するほどの、夢の世界。
記憶の魔女ゲデヒトニスは、『記憶を再現し、この世界に解き放つ』。
対する記録の魔女アーカシャは、『記録を再現し、その世界に閉じ込める』。
「記録……思い出のことだったんだ」
その称号に秘められた意味を遂に知り、アクセルリスは呟いた。
「なんて──恐ろしい魔法だ」
その魔法の主──アーカシャへと、目を向ける。
彼女は、ゲデヒトニスと互いの触腕を接続したまま、倒れていた。
おそらくは、二人の魔法を掛け合わせ、記録と記憶の交錯する世界にて、戦っているのだろう。
「アーカシャさん……どうか、勝って」
アクセルリスはただそう祈るしかなかった。
【続く】