#3 闇黒のテルプシコラ
【#3】
その直後だった。
「────」
耳をつんざく程の風切り音を、アクセルリスは捉えた。
「何!?」
思わず工房を飛び出す──灼銀の眼は、花畑の中央に立つ、二つの人影を見る。
「あれは────」
片や、背が高く、小奇麗な洗礼服を纏った女。片や、小柄で、淡い光のような少女。
「──ッ!?」
本能が叫び、アクセルリスは考えるよりも先に槍を握っていた。穂先が震えるほど、強く。
その姿が彼女の記憶を、深く深く呼び起こしていたからだ。
負わされた傷。奪われた魔女。刻み込まれた、苦痛の記憶を。
「プルガトリオに、シュガーレス……!」
劫火の魔女プルガトリオ、光の魔女シュガーレス。魔女機関に仇成した、恐るべき二人組の魔女だ。
だが、二人共に、アクセルリスによって殺されているはずの存在でもある。
死者は蘇らない。これは天地に刻まれた理である。
ひとり、その理から外れた魔女も存在したが、彼女は既に理解を終えた。
となれば──答えは一つ。それは二人を覆い尽くす青白いノイズも、また然り。
「でも、そんなことを考えるのは二の次だッ!」
槍を構える。今やるべきは、この眼前の脅威を排除すること。それに他ならない。
「「「──」」」
シュガーレス再現態がアクセルリスを指さす。
「ッ!」
直後、収束した光が、頬を掠めた。
光線だ。かつて経験していたアクセルリスでさえも、完全な回避は成せない。驚異の速度だ。
(これを先に打ってきたという事は、ヤバいほうの光はないっぽい──辛うじて、助かった)
アクセルリスの考えは正しい。かの魔女であろうと、特異の極限ともいえる悪しき光は再現しきれなかった。
しかし、最大の脅威がないとはいえど、シュガーレスが危険な魔女であることに変わりはない。
「だから先にこっちを叩きたい──んだけどッ!」
動かないシュガーレス目指し駆ける。しかし銀の疾駆を、遮るものあり。
「「「──」」」
「やっぱ邪魔しに来るよな……ッ!」
ノイズの炎を両手に纏わせ、プルガトリオ再現態はアクセルリスの真っ向に立つ。
「上等! あのころの私とは違う──それを味わわせてやる!」
「「「──!」」」
互いに揺らぐことなく、鋼と劫火は衝突する。
槍に信念を籠め、圧し迫るアクセルリス。シュガーレスを護るべく、焼き阻むプルガトリオ。
「ぐぅ……熱っ……!」
純粋な力ではアクセルリスが勝る。しかし、かの劫火はノイズであっても残酷の鋼を溶かす力を誇っていた。
ゆえに、押し退けるよりも先に、アクセルリスが身を退かざるを得ない。
「っと……!」
再現の炎といえど、熱は本物。劫火に苛まれた身を冷やす──その隙を、シュガーレスは穿つ。
「「「──」」」
「あっぶね!」
狙撃の光線。掠めた銀髪が細やかに散る。
「よくも私の髪を! お返しだッ!」
「「「──」」」
追撃の光線と交錯するように、銀槍が走る。
三度目の光線は遂にアクセルリスに触れることは叶わず。しかし槍も、劫火壁によって消滅する。
「キリがないなぁ、もう!」
快活に苛立ちを吐き捨てながら、アクセルリスは忙しなく動き回る。
「でもチームワークなら、こっちも負けてない! そうだよね!」
我を、そして彼を鼓舞する言葉。呼応して灼銀の眼が燃え上がり、灼い残光を残す。
「「「──」」」
シュガーレスはそれを穿つことが出来ない。そのスピードに、幼き光は追いつけない。
だが、それを補うのが煉獄。プルガトリオは己を取り囲む円状の劫火を広げ、攻め手を阻む。
しかし──それすらも、計算内だとしたら。
「そう! そうするしかない! お前はそうする──私はそれを記憶している!」
「「「────」」」
ノイズの劫火が視界を隠す。唯一クリアなのは、頭上。見上げたプルガトリオとシュガーレスが見たのは、アクセルリスの影。
その背後からは槍が生まれ、驟雨のように降り注ぐ。
「「「──!」」」
「「「────」」」
銀の夕立を辛うじて凌ぎ続ける二人の再現態──その二人に、更なる脅威が極み襲う。
「こっちだッ!」
「「「──ッ!!!」」」
鋼の雨に紛れ、アクセルリスはプルガトリオの背後を取る。反応も追いつかず、槍のようなサイドキックが突き刺さる。
「もう一発ッ!」
「「「──!」」」
続けて放たれた回し蹴りはシュガーレスに。先に攻撃を受けたプルガトリオよりも強く吹き飛び──追いつき、諸共に劫火の壁を抜ける。
槍の雨と劫火壁が同時に消える。
「さて、と」
灼銀の右目は、身を寄せ合いながら這いつくばる二人の再現態を、残酷に捉えた。
「ちょっとビビったけど、なんてことはない。お前たちはもう、私の生きる『糧』になった」
プルガトリオとシュガーレスは、アクセルリスにとっては既に遥か過去の存在。
かつて彼女を苦しめたといえど──それもまた、『過去』なのだ。
「「「──、────」」」
「何言ってるかわかんないし、遺言は聞かないよ」
無感動にそう言い捨て、手を翳す。
強い魔力が渦巻き、アクセルリスは鋼の元素を貪る。
「じゃあ、消えろ」
あれから幾度とない死線を潜り抜け続けたアクセルリスにすれば、この二人など──余りにも古い。
「「「────」」」
「「「──!」」」
故に。残酷極まるアクセルリスの前では、障壁にも、ならない。
無尽蔵の槍が走り──二人の再現態を、纏めて串刺しにした。
「「「────」」」
呻きのようなノイズだけを僅かに吐き、二人は消滅した。
◆
「──よし、と」
眼前の脅威を排除し、アクセルリスは一息つく。
「槍の跡残っちゃったな……アディスハハに謝らないと」
言葉にするは想い人。既に消え去った敵には、意識を向けることもなく。
そして工房に戻ろうとしたとき──ひときわ強いノイズと共に、青白い光が瞬いた。
「うっ……今度は何……!?」
眩みながらも、身構える。
また新たな再現態か、次はどいつが来るか。そんな思考を巡らせていたアクセルリスの前に現れたのは──
「…………」
「──ゲデヒトニス」
再現態の創出者、記憶の魔女ゲデヒトニスであった。
「意外と早かったな。てっきりあと5回は再現態を相手する気持ちでいたよ」
「……」
そう言いながらも、警戒は怠らない。魔女枢軸においての数少ない生き残りであり、最も腹の底が読めない魔女。
「で、何の用?」
残酷な殺意をわずかに、しかし確実に漏らしながら、アクセルリスは問いかけた。
ゲデヒトニスは、返す言葉を開いた。
「────御機嫌よう。鋼の魔女アクセルリス」
澄んだ声だった。
「…………え」
「君と顔を合わせるのは、これで何度目だろうか」
呆けた表情をするアクセルリスを置き去りに、ゲデヒトニスは己の言葉だけを続ける。
「だが、これが最後だ。それが初めて出会ったこの地なのは、不思議な巡り合わせだろう」
「ゲデヒトニス、お前は」
「心配するな。君には用は無い。あるのは──」
「──私でしょ、ゲデ」
気付けば、アーカシャが立っていた。
彼女は決然とした眼差しで、ゲデヒトニスを真っ直ぐに見つめる。
ゲデヒトニスもまた、応えるように、その眼を見下ろす。
互いの表情には、覚悟が宿っていた。それは即ち、『生きるか死ぬか』の覚悟。
「……ああ。よく分かってるじゃないか」
「当然よ。私とゲデは、パートナーだったんだから」
悠然と歩み、二人の距離が縮まる。アクセルリスは一歩、身を退いた。
「『パートナーだった』、か……嗚呼。懐かしいな、あの日々も、すべてが」
「私はこの関係を、過去のものにしたくはないんだけど」
「きっと私もそうだ。そうだったのだろう」
「……ゲデ、あなたは」
「言うな! 何も言うな……分かっているんだ。分からない。それが分かる」
そうして、二人は遂に、互いの手が届くほどに。
「アカ……私は、私は……なぜ? なぜなのだ?」
「それを今から決めるんだよ、ゲデ。私たちは、私たちのやり方で」
どこか混乱するゲデヒトニスとは対照的に、アーカシャはどこまでも、落ち着いて。
「受け入れよう。その提案を」
そう言って、ゲデヒトニスは青白い触腕を生み出した。
「これが、最後だ」
言葉を返し、アーカシャは赤黒い触腕を生み出した。
二人は薄く笑い、互いに触腕を伸ばし合う──
「待って!」
それを、アクセルリスの声が妨げた。
「アーカシャさん、危険です……!」
強く、そう主張する。長い因縁を持つ二人を妨げるのは、野暮だと分かっていながらも──残酷魔女として、使命が彼女を動かす。
その姿を見て、アーカシャは笑った。
「うん。残酷魔女としては満点だよ。でも──」
「う……っ!?」
素早く、触腕をアクセルリスの首元に伸ばし、刺した。
「ごめん。これから公私混同する。だから少し──眠ってて」
「アーカ、シャ、さん────」
アーカシャの、懺悔ともとれる言葉。それだけを耳に抑え、アクセルリスは倒れ込んだ。
「さて。じゃ、心置きなく」
「ああ、行こう。私たちの終わりへと」
そして、二人は互いの触腕を、互いのこめかみに刺した────
【続く】