#2 ひとひら、深々
【記憶:記録 #2】
魔女機関本部クリファトレシカ、その食堂にて、アクセルリスとアディスハハは午後の微睡を過ごしていた。
「……ふぅ。いろいろあったけど、だいぶ落ち着いてきたねー」
「だね。でも、油断はできない」
「あはは、流石アクセルリス用心深い」
久方ぶりの平穏な暮らし、存分なる羽休め。
「はふぅ」
「ふへぇ」
そんな二人に、声をかける魔女が。
「おーい、アディスハハ」
「ん……アーカシャさん?」
それは残酷魔女アーカシャ。記録の魔女にして、残酷魔女の敏腕エンジニアだ。
「やっぱりアクセルリスも一緒だったね。うんうん、都合がいい」
「あ、アーカシャさんって薬学部門なんですか」
「そうだよ! かなりいろいろ手伝ってもらってるし、アクセルリスの活躍ぶりも聞いてるよ!」
「あはは、お世話になっております……っと、さっそく本題、頼みたいことがあるんだ、アディスハハ『部門長』」
かしこまった口調に、二人はどことなく空気を察す。
「……なんでしょう」
「長の家宅を捜査させて頂きたい」
「私の工房を?」
「はい。厳密に言うのなら、『ブルーメンブラットの工房』をですが」
「……っ」
ブルーメンブラット。その名を聞き、アディスハハの表情が変わる。はじめは固く、しかし直ぐに目が輝きだす。
「師匠のことで、なにか……!?」
「うん。そのあたりの話も、今しちゃおっか」
アーカシャは座した。どうにも、シンプルな話では収まらなさそうだ。アクセルリスは姿勢を正した。
「まず、アクセルリスに《花弁の魔女ブルーメンブラット》の説明からしとこう」
「少しだけ聞いたことあります。里を出奔して行き倒れてたアディスハハを救って、弟子にしたと」
「うん、合ってるよ。私の命を救ってくれて、立派な魔女に育ててくれた、恩人──アクセルリスにとってのアイヤツバスさんみたいな、そんな感じ」
そう話すアディスハハの表情は、とても柔らかく。
「私と同じで……ううん、私よりもずっと、『命を与える魔法』に秀でてた。使い魔を生むのも得意だったよ」
「使い魔……」
「そして、彼女は先代の邪悪魔女4iでもあった」
「先代……ってことは、アディスハハに後を託して引退したってこと?」
「……それが、そうじゃないんだ」
アディスハハの声は暗い。どうやら事情は深そうだ。
「というのも、ブルーメンブラットはあるとき消息を絶ったんだ。不意に、ね」
「え」
「……うん、そうなんだ。全く痕跡も掴めない、失踪。理由もないし、そういう事をする人じゃない……だけど、手掛かりは何もなかった」
「よって、4iは空席になった。そして後任者を決めることになったんだけど」
「確か、後任の指名がないまま邪悪魔女が引退した場合、他の邪悪魔女による魔女の推薦が行われ、多数決で賛否を決定する……んですよね」
それが邪悪魔女のシステム。アクセルリスにも覚えがある──というより、彼女自身そうして邪悪魔女になったのだから。
「結論から言うなら、ブルーメンブラットは後任の指名を遺してたんだね」
「師匠、かなり用心深い人だったから。いつ自分の身に何が起きてもいいように、バシカルさんに遺言を残してたんだ」
「……そんな人が、いきなり失踪。怪しいも怪しいね……」
「だが証拠がない以上、迷宮入り……だったんだ、けど」
アーカシャの言葉は、好転を導く。
「事態が動いた。アイヤツバスの元に、ブルーメンブラットからの伝書が届いたと」
「ッ!」
がたり。興奮のあまり、アディスハハの椅子が揺れた。
「それには何て書いてあったんですか!? 師匠が今いる場所? それとも他の何かなんですか!?」
「お、落ち着いてアディスハハ」
迫るアディスハハを宥めながら、アーカシャは一枚の紙を取り出した。
「これ。これがその写し、なんだけど……」
「どれどれ……?」
覗き込む灼銀。映ったのは──5本の押し花。
「────押し花?」
抱いた疑念はそのままに口に出る。
紛れもない花。それ以上の情報はなく、それ以下の存在もない。ただ、5本の花が、そこにはあった。
「なんじゃこりゃ……」
訝しむアクセルリス──しかし、アディスハハには、心当たりがある。
「《花暗号》だ……!」
「花──何?」
「《花暗号》。花言葉を使った暗号のことだよ。こうやって複数の花を並べて、それぞれの花言葉を合せて、読み解くもの」
華麗な花には、秘められし言葉が宿る。それを用いた、世界で最も小さく麗しい暗号だ。
「ブルーメンブラットが考案し、研究部門のアイヤツバスと協力して開発をしていたらしい」
「お師匠サマも絡んでくるのか……」
己が師の顔の広さはすごいなぁ。アクセルリスはそう思った。
「じゃあ、これも」
「うん! 師匠は間違いなく、何かを伝えようとしてるんだ……!」
高調する蕾。最高のボルテージへと達しようとしている。
「それで、これはどういう内容だったんですか!?」
「…………それが、『わからない』」
「え」
アーカシャは重苦しそうに答えた。アディスハハの動きが、完全に静止した。
その彼女に変わり、アクセルリスは疑問を呈する。
「どうしてですか? 共同で開発していたお師匠サマなら、解読も容易なはず」
「その『共同開発』のやり方が少し関わってくるんだけど──」
アーカシャによると、こう。
そもそも花暗号の開発とは、花言葉の研究に他ならない。しかし、この世には余りにも多くの花があり、そして先人たちはあまりにも多くの意味を花に持たせてきた。節操もなく。
そしてブルーメンブラットとアイヤツバスが行っていたのは、『花言葉の編纂』であった。
一度魔女機関が動き、花言葉をまとめなければ、この暗号は成り立たないのだ。
そうして二人は過去のあらゆる文献を漁り、そして花言葉に関しての記述を搔き集めていた。
その作業を、分担して行っていた。
膨大な作業を効率よくこなすには、それが最適だからだ。
なので、ブルーメンブラットとアイヤツバスは、互いに研究する花が重複しないようにしていた。
──それが、答えだ。
「──要するに、これらはお師匠サマも花言葉を知らないやつ、ってことですか」
「そうなるね……」
「そん、な…………」
落胆に染まる。消息を絶った師の貴重な手掛かりがこれでは、無理もない。
「──でも落ち込むのはまだ早いよ」
しかしアーカシャはそう言った。
「手掛かりはまだあるんだ」
「本当ですか!? それって一体」
「思い出してみて。私がここに来た理由を──」
黙し、想起する。
アーカシャが現れ、そしてアディスハハへと言った言葉を。
「────工房」
「そう! 君の──ブルーメンブラットの工房なら、これらの花言葉に関する資料が残っているかもしれないんだ」
「確かに……ブルーメンブラットさんがいなくなったのは突然のことだったって言ってたし、残ってる可能性はある」
「それなら、ありえます!」
アディスハハは声高に宣言した。
「師匠がいなくなってからも、いつか不意に戻ってくるんじゃないかって……そう思って、師匠の部屋には手を付けてなかったんです!」
「いいね、いいね! 希望が見えてきたよ」
眼鏡を光らせ笑うアーカシャ。そのまま、立ち上がる。
「じゃ行こうか、君の工房に!」
しかし、アディスハハは立ち上がらない。
「あ…………でも、私このあと大事な会議が」
「おっと、そうだったんだ。ならそれが終わるまで、ここで待ってるね」
そう言って、アーカシャは再び座ろうとする──だが、アディスハハがそれを止めた。
「なら、アクセルリスに任せるよ!」
「えっ私!?」
まったく予想していなかった指名にアクセルリスは喉を詰まらせる。
「私は待ちきれないんだ、師匠のこと! それにアクセルリスになら、私の工房を任せられる」
微笑む。二人の信頼の証、鋼と蕾の花は、凛凛と咲き誇る。
「……ま、アディスハハに頼まれちゃ、断る理由もない」
そうしてキザに立ち上がる。銀色の髪を、これでもかとなびかせながら。
アディスハハはその姿を嬉しそうに見守る。そして、手のひらから細い根を伸ばし、絡ませ──『鍵』を生み出した。
「はい、これ! 私の魔力が入った『鍵』だよ」
「これをどう使えば?」
「私の家の地下室、あるでしょ。そこの隅にある、蔦に覆われた扉。その前で使ってね」
「あー……だいたい分かったよ」
「うんっ! お願いね、アクセルリス!」
その輝く笑顔。アクセルリスは、それこそが自分を支えるものだと、心の底から感じた。
鐘の音。時計は《後のトカゲの0》を示す。
「──っと、もうこんな時間だ。私はもう行くね!」
「うん、行ってらっしゃい!」
「手掛かりは必ず見つけてくるよ!」
「がんばってー!」
そうしてアディスハハは立ち去った。花咲くような魔力の残滓が残っていた。
◆
「────さて」
アディスハハ工房が位置するブワーフワ地方への魔行列車。その中で、アーカシャはアクセルリスに語る。
「うすうす感づいてるとは思うけど。どうして薬学部門の中でも、私がこのことに関わってるのか」
「外道魔女の介入の可能性、ですよね」
「ビンゴだ。えらいぞ、アクセルリス」
残酷魔女が動く事態というのは、『そういうこと』なのだ。
「特に今回は──時勢も関係してるけど──魔女枢軸に与する者の可能性もある」
「いずれにせよ、油断はできない……ですね」
「そういうこと。気を引き締めていこう」
魔行列車は、センチメントと共に、駆ける。
◆
そして、二人は華の空洞、アディスハハ工房へと辿り着く。
家主の許可は得ている。躊躇もなく入り、指定された地下室へと足を踏み入れる。
「地下室……私もあまり入ったことないけど」
見回す。ケースの中で飼育されている植物、薬の精製に用いられているであろう器具、そして作業机と本棚。『薬学部門長』としての色が強い部屋だ。
そしてその一角に、アディスハハが言ったような、蔦に覆われた扉があった。何らかの文字が刻まれているが、それもまた蔦が隠してしまっている。
「これに鍵を……」
アクセルリスは鍵を取り出す。しかし、蔦の扉には鍵穴はなく。
「……どうするんだ?」
「アディスハハは『使って』として言ってなかったよね」
「うーん……とりあえず」
物は試し、と鍵を扉に近づける──それが正答だった。
「うわぁ!?」
絡み合った根の隙間から、緑の光が漏れる。アクセルリスにはそれがアディスハハの魔力だとすぐわかった。
そして、それに反応し──蔦が解けていく。
「すごい──」
神秘的な、生命の魔法。アクセルリスはただ感嘆を零す。
やがて、扉は解き放たれ、元の姿を露わにする。同時に、蔦が覆い隠していた文字も。
「……『ブルーメンブラット』」
「間違いないね、ここが彼女の部屋だ」
「行きましょう」
ドアノブに手をかける。何ともしがたい重圧がアクセルリスを呑み込む。
だが、その程度、残酷の道を妨げる小石にも満たぬ。
ぎ、ぎ、ぎ。旧く軋みながら、ゆっくりと扉が開く。
内装は、こざっぱりとしていた。
広くはないが、狭くもない部屋。周囲は全て本棚で埋まっていた。
そして、中央には机が鎮座する。添えられた一輪の花は、この部屋を彩るアクセントだったのだろうが──枯れてしまっている。
「思った通りきれいだ。整理整頓もされてる。ブルーメンブラットらしい部屋だね」
アーカシャはそう評した。アクセルリスにも、彼女の人となりがだんだん見えてきた。気がする。
「ともあれ、探しやすそうで結構! どれどれ」
本棚を物色し始めるアーカシャ。アクセルリスも目を向けるが、どうにも専門外っぽい。
「うーん、よくわかんないな……」
「あ、私が探すからアクセルリスは外で待っててもいいよ?」
「じゃあそうします。アーカシャさんも無理はしないでくださいね」
「りょーかいっ!」
先輩の厚意に甘んじ、アクセルリスは一階のリビングでドクヤダミ茶を飲んでいた。
もう何度も遊びに来ている。自分の部屋のようにくつろげるし、お茶菓子の在りかもわかる。
「うん。やっぱりドクヤダミ茶には甘すぎるくらいがちょうどいい」
一見、他愛もない独り言のように見える。
だがそれは『癖』だ。影の中にいた同居人に話しかける──その癖が、アクセルリスに強く染み付いていた。
彼女はそのことに気付いていない。しかし、気付いても直そうとはしないだろう。それは『彼』がいた、一つの証明なのだから。
「……アディスハハの師匠、見つかるといいな」
友を想い、一雫呟いた。
【続く】