#8 全て遠き6フィート
【#8】
「うぅ寒い。すごいなぁ、黒龍の力」
そして、アクセルリスはその内側──もはや凍てついた洞窟と化したラ・オウマリアスの中にいた。
まだやり残したことがある。そう感じて、彼女は歩き──
「──いた」
見つけたのはコフュン。力なく腰掛け、アクセルリスへ目を向けた。
「やぁ。わざわざこんなところまで。何の用だい?」
「分かっているくせに。殺す」
「待ってくれ」
槍を向けたアクセルリスを、コフュンは手で制した。
その手は白く染まっていた。よく見れば、彼女の体は末端から凍り付き、変色している。
首の装置も火花を上げ、コフュンの頭は激しいノイズに襲われている。
「見ての通り、私にはもう抗う力なんて残されていない──そこまで急いで止めを刺す必要はないんじゃないか」
「生かしておく必要もない。だから殺す」
有無を言わさず一歩前に出る。コフュンの掲げた腕が、耐え切れず砕け散った。
「あるさ、理由なら」
「聞くだけ聞いてやる」
「私に話せることなら、全てを話す」
「……なら、私の質問に答えろ」
槍を消した。残酷の選択は、戦火の正体を暴くこと。
「戦火の魔女、その正体は」
「悪いが、それは私に話せないことだ」
「知らないんじゃないんだな?」
「……ああ、その通りだ。戦火の魔女、その真名を私は知っている。しかし──それを今ここで明かすわけには、いかない」
「理由は」
「君がそれを知るべき時は、今じゃない。私はそう理解している」
アクセルリスは小さく舌打ちし、そして言う。
「理解、理解……お前のその言葉、いちいちムカつくんだよ」
「仕方のないことだ。私は死の向こう側をこの目で見、そして理解を得た。それこそが私の『理解』なのだから」
「──だから、戦火の魔女の名も隠す、と」
「そういうこと」
「興醒めた。殺す」
アクセルリスが槍を握った。コフュンは言った。
「やがて、戦火の魔女の正体は暴かれる」
「……続けて」
握った槍を構えないまま、予言めいた言葉の続きを促す。
「そのままの意味だ。君は戦火の魔女の真名を知ることになる。それも直ぐ──とはいかないが、そう遠くない未来だ」
「──そっか。それはいいことを聞いた」
「だがそれは、吉兆ではない」
少し和らいだ鋼の心を、コフュンは再び握り潰す。
「そこに至ったとき、君は大いなる試練、大いなる苦悩、そして大いなる選択の前に立たされる。それはこれまでに、かつてないほど」
これまでに。かつてないほど。その言葉がアクセルリスの中で反響する。
「覚悟が必要だ。自分自身と向き合い、そして戦い続ける覚悟が」
「冗談でしょ。そんな覚悟、とうの昔にできてる。私は──家族の仇を取って、怨嗟にケリをつける。そう決めて、今ここにいるんだから」
「流石は、強い。だが──それでも尚、私は言う。覚悟を決めろ、と」
コフュンの目を見た。ハッタリや脅しではない、本心からの警告だと、アクセルリスは心で感じ取った。
「……忠告は覚えておく」
「なら、良かった。私が伝えられることは、これで全てだろう」
コフュンは安堵したように、息をついた。それに呼応してか、彼女の四肢も限界を迎え、ひとつずつ砕けていく。
「もういいの?」
「ああ。君の表情を見て、私の役割は終わったんだと理解できたよ」
「……なぜ、敵対する私にそこまでするんだ」
「君の生存本能──『生』のための輝きが、私には眩しかった。私とは真反対の光。はじめはそれこそ憎かった」
想起する。フルデルス大墓地で、邂逅したあの瞬間を。
「私は君のことを否定したかった。『死』を貴ぶ者として、本能的に。しかし──」
目を閉じ、微笑む。それは自嘲か、憧憬か。
「完敗だね。ここまで何度も徹底的に打倒されてしまえば、それはもう失敗なのさ」
「…………」
「だから私は、最後に君の背中を押したかった。勝手だろうが、償いでもある。受け入れてくれて、ありがとう」
裏表のない感情。それを向けられて──しかしアクセルリスは、表情を変えずに言う。
「お前は敵だ。ジェムジュエルさんを殺し、私たちに襲い掛かり、ヴェルペルギースの平穏さえも脅かした、憎むべき大敵。和解の余地は無いし、認める気もない」
槍を構える。
「……でも、ひとりの魔女として、与えられた恩義には──感謝はする。それ以上も以下もない」
「私にとっては、充分過ぎる──」
優しく、静かに、コフュンはそう言った。
そして──
「──さぁ! トドメを刺したまえアクセルリス! 知っているだろう、私が蘇らせた亡者は原形を留めないほどに破壊しなければならないのだ、と!」
高く、そう吠えた。それは今までのコフュンのように。
「私の身体も首の装置も氷漬けだ、一撃加えれば粉々になるだろう! さぁ、勝利に酔いながら! 最後の一槍を決めるがいい! ははははははは!」
「────死ね」
鋼の槍が走った。
コフュンは死んだ。
◆
「…………」
グラバースニッチは、残酷魔女は、全ての魔女は。氷漬けとなったラ・オウマリアスを息を呑んで見守っていた。
「…………!」
刹那。彼女たちの目の前で、ラ・オウマリアスの全身に、亀裂が走った。
直後──その骸は、音を立て、激しく砕け散った。
「────」
そして生まれた、凍った屍肉片の山。
その頂上で、アクセルリスは槍を手にしたまま、立っていた。
「…………」
彼女は空を仰いだ。日は落ち、淀んだ雲も消え、澄み渡った星空が、魔女機関の勝利を謳っていた。
アクセルリスは夜空に笑い返した。
「──任務、完了!」
【空っぽだった棺 おわり】