#6 伝説の黒龍
【#6】
その直後だった。
「「「──────」」」
咆哮が響いた。それは、ラ・オウマリアスのものではなかった。
「……この声は?」
コフュンが訝しみ、空を仰いだ。
その彼女の眼の前で、一瞬にして空が鈍い灰色に染まった。
「これ、は──」
コフュンやゲブラッヘ、そしてグラバースニッチの様子を見て、アクセルリスは現状が『誰も知らないことが起きている』と判断した。
そして、ゲブラッヘが更なる変化に感づいた。
「──寒い」
「寒い、だと? ゲブラッヘ、寒いのか?」
「ああ、急に寒くなった。君は分からないのか、コフュン」
「私は死体だからな──しかし、気温が下がったというのか? この一瞬で? 不可解だ。理解できない──」
そのとき、超龍が吠えた。
「「「──────」」」
それは、明らかに今までと異なる感情を孕んだ声。その感情に気づいたのは、獣──グラバースニッチだった。
「ラ・オウマリアスは、怯えている──」
「何だと? 超龍が? 駄犬、適当を言うものじゃない。この超越的存在が怯えるものが存在するとでも──」
「「「──────」」」
もう一度、吠えた。
そしてコフュンも、気づいてしまった。
間違いなく、ラ・オウマリアスは『恐怖』していると。
「──不可解、不可解、不可解だ! 何だ! 何が起こってる! 理解だ、理解させろ……!」
焦りと苛立ちに苛まれるコフュン。その彼女に、一瞬だけ影が落ちた。
「あれは」
見上げる。一体の龍がラ・オウマリアスの上空を飛んでいた。
黒い、黒い、龍だった。
「────」
アクセルリスは言葉を失い、そして思い出す。
ヴェルペルギースを護る存在。隠されし運命。御伽噺と化した龍。
「────黒龍、だ」
その龍は舞うように空を飛び回り、そして第三砦の上空からラ・オウマリアスを睥睨した。
「「「──────」」」
黒龍が吠えた。それに呼び起こされるように、大気が震え上がり、凍り付く──比喩ではなく、実際に。
「コフュン、見ろ──ラ・オウマリアスの四肢が、凍っている」
「バカな」
見れば、確かに超龍の巨大なる手足が先端から凍り、大地に縛り付けられていた。
「何なんだ、あの龍は……!」
◆
時を同じくして、総指令室にもまた、驚愕と混乱の沈黙が訪れていた。
「……驚いた」
初めに口を開くことが出来たのはアイヤツバスだった。
「伝説の黒龍、ヴェルペルギースあるいはクリファトレシカの守り神! 実在していたなんて……!」
「……私でさえも知らない存在だった。あれが黒龍──隠されし運命か」
次いでバシカルもそう言った。シェリルスは未だに絶句のまま、黒龍を見つめ続けていた。
「守護神として、魔都の危機に姿を現したのかしら」
「どこから来たのだろうか。自然現象に近いものなのか、ヴェルペルギース自身の自己防御システムなのか、あるいは総督の隠し玉か」
「分からない。今の私たちには、到底」
思わずため息を吐くアイヤツバス。しかしその顔は、微笑みに満ちていて。
「でも、魔女機関にとっては──頼もしい存在。それだけは間違いない」
◆
「「「────」」」
「「「──────!!!」」」
黒龍が堂々と唸る。超龍が怯えるように吠える。二体の龍は、まるで因縁宿すように互いを瞳に映していた。
「……結局奴が何者かは理解できないが、あの黒龍を退かせなければラ・オウマリアスは進むことができないようだな。それだけは理解できた」
そう呟き、コフュンは振り返った。ゲブラッヘと視線が重なる。
「潮時だ。ボクはそう判断する」
「逃げるのか? 私を目の前にして、そしてあれだけの啖呵を切っておいて」
「ボクとて人並みに生きたいさ。キミを殺せるのなら命は惜しくない、とかいうほどの執着は無いからね。ただ、次は殺すよ」
アクセルリスの挑発をゲブラッヘは理知的に受け流し、コフュンに目を向ける。
「悪いね」
「いいさ。君にはまだやるべきことがあるのだから」
「ありがとう。上手くいくことを祈っているよ」
「──強く生きるんだよ、ゲブラッヘ」
「ああ、言われなくてもそのつもりさ」
それが別れの会話だった。ゲブラッヘは跳び、生み出した鎖に乗り素早く戦場を後にした。
「…………」
アクセルリスはその後ろ姿を狙い槍を生み出したが──その穂先を、コフュンへと向け直した。
「今は、こっちのほうが重要だ」
「正しい判断力だ。流石は残酷のアクセルリスだね」
「誰が考えてもこうするだろ。舐めんな」
無感情に槍を放った。コフュンは躱さずそれを受け入れた。
「しかし、だ……黒龍を退かせ、同時に君たちをも退かせるのは、少し骨が折れることだと思う。うん」
槍に串刺しにされながらも、ただ己のペースで言葉を語る。
「手段といえば一つしか思い浮かばない。しかし、これは私の身にも危険が生じる──と、理解できる」
淡々と、死した棺は言葉を続ける。その様子はどこまでも不気味で、二人をさらに寒気立たせる。
「だが『やるしかない』んだよ。つまるところ人生とは、その連続なんだ」
そしてコフュンは、その両手を地に──ラ・オウマリアスに、突き刺した。
「「「──────!!!」」」
超龍が呻く。それは苦悶を零すようにも、歓喜に溺れるようにもとれる。
揺れる。アクセルリスとグラバースニッチの立っている足場が、激しく。
「何をするか? 聞かれる前に答えておこう。今から私は『超龍と融合』する」
「なんだと……?」
「そしてそれを邪魔することはできない。なぜなら私は死んでいて、超龍もまた死んでいるからだ」
「ッ!」
アクセルリスが槍を放ったが、既に。
「理解しろ──これが私の、最後の足掻きだと!」
コフュンは埋没するように、ラ・オウマリアスの身体へと沈んでいった。
その直後。
「「「────、──────!!!」」」
ラ・オウマリアスが咆哮する。これまでよりも、大きな声で。
両翼を広げる。限界を超えて、空を突き破るほどに。
そして、甲殻の隙間や傷跡から、黒い光が仄く溢れ出す。
「「「────オオ、オオオオオオオオ!」」」
力のままに、四肢の氷を砕き、立ち上がった。
「また、か!」
「このまま外殻に残るのは危険──だと思います!」
「同感だ!」
落下しながらも身を整え、超龍から離れていく二人。その耳に、超龍の──コフュンの声が聞こえる。
「「「我は──ワタシは《コフュン=オウマリアス》──! 死を超越した──魔女にして、龍──!」」」
立ち上がったコフュン=オウマリアスの身体が音を立てて軋み、変貌していく。
龍の身体は急激に骨格を歪ませ、ヒトに近いものへと成る。
無論、強引極まる進化。関節の継ぎ目は破れ、骨が露にもなる悍ましい形相を見せる。
そしてその身体の中心には、黒く光る球体が現れていた。おそらくはこれが核であり、全身へ魔力を供給する存在。
超越の権化たる龍。それを喰らったコフュンの魔力は、世界を脅かすほどのものへと昇華される。
その余波は総指令室にも届く。
「この魔力……性質も、質量も、最早魔女の領域を超えてるわね」
「《魔神》へと、成ろうとしているのか」
「いえ、そこまでは至らないでしょう。ただ……限りなく近い、圧倒的な脅威であることに変わりは無い」
「…………頃合いか」
バシカルはロストレンジに手をかける──が、アイヤツバスがそれを制した。
「ダメよ、総司令官が前線に出向いちゃ。貴女の仕事は、信じて待つこと。でしょ?」
「……それもそうだ。やはり私には向いてないな、これ」
自嘲気味にそう呟き、そして伝気石を手にした。
「聞こえるか、シャーデンフロイデ──」
◆
アクセルリスとグラバースニッチは、黒龍の真下に移動していた。
「「「────」」」
唸り、翼を羽ばたかせる黒龍。たったそれだけでコフュン=オウマリアスの四肢を凍り付かせる──が。
「「「些事……些事些事些事些事ィ…………!」」」
その全身に黒い光の魔力が走るたび、氷は砕け剥がれる。
「効いてねぇ!」
「あの核──きっと、なにかある」
灼銀の右目はコフュン=オウマリアスの核を捉える。そこには夥しい量の魔力が見える。
「なにかある、けど……」
「分からねぇな、それ以上は」
「と、なれば──」
アクセルリスは天を仰ぐ。宙に座す黒龍を見る。
「私、黒龍に接触します。その間の時間を稼いで貰えますか」
「承った! 黒龍の方は任せたぞ」
「はい、必ず!」
そして鋼は飛び上がった。グラバースニッチはコフュン=オウマリアスを強く睨み、その動向を感じ取る。
「「「理解……した……! 黒龍……滅ぼすべしと……!」」」
天地に響く奈落の声。コフュンの意識が、オウマリアスと溶け合い始めているようだ。
「「「オオ……オオオオ……!」」」
「────GGGGGGYYYYYYYHHHHHH……!!」
「────AAAGGGGGGGGGGGH……!」
唸りながら翼を震わせる。朽ちた翼膜が姿を変え、無数の骸飛竜が産み出される。
理解をあまりに超えたその光景に、グラバースニッチの獣としての本能は臆する。
「どうなってんだありゃ……!」
しかし、彼女は獣ではなく魔女。闘志と使命で恐怖する本能を振り払い、挑む。
「きやがれ!」
◆
「──着いた!」
そしてアクセルリスは、黒龍のすぐ側まで至った。近くで見れば、その黒色と存在感が今にもアクセルリスを呑み込んでしまいそうなほど。
「グラバースニッチさんのためにも、早くなんとかしなきゃ」
見下ろす灼銀の右目には、飛竜を足場に空を飛び跳ねながら戦う獣の魔女が映る。
「──あなたの力なら、ラ・オウマリアスを止めれるんだよね」
その問いに黒龍は行動で答えた。
翼を大きく開き、激しい冷気を満たす。コフュン=オウマリアスの体が急激に凍り付く。が、しかし。
「「「言った筈だ……些事に過ぎないと…………!」」」
胸の核から黒い魔力が全身に滾る。そして氷が砕ける。先と同じ一場面だ。
「「「────」」」
黒龍は唸った。それに秘められていた意味を、アクセルリスは直感的に理解した。
「あの黒い魔力はあなたの力に抗うための魔力、なんだ」
「「「────」」」
「ラ・オウマリアスを滅ぼすためには、まずあの核を停止させなきゃいけない──」
黒龍は頷いた。明確な打開策は得たが、しかしアクセルリスの表情は好転しない。
「私とグラバースニッチさんの二人じゃ少ししんどいぞ……」
見れば、グラバースニッチは未だ飛竜と戦い続けている。斃せども斃せども、コフュン=オウマリアスは次々と無尽蔵に骸の飛竜を産み落とし続ける。
「なんとかする──そのためには!」
アクセルリスは、伝気石を取り出した。
【続く】