#2 魔女と龍と、伝説と
【#2】
それから。
その日のうちに準備は開始された。
世界のヘソを中心とし、砦をはじめとした大規模な迎撃拠点の建設が始まっていた。
魔女機関に所属するほぼすべての魔女が急ピッチで準備を進める。それは邪悪魔女でも例外ではなく。
加えてアクセルリスは元々雑用係としての色が強い環境部門。人一倍の作業量に忙殺され、あっという間に一度目の日が落ちていた。
夜。
アクセルリスは休憩所で空を見上げている。
「……つかれたぁ…………」
心からの一言、絞り出す。
横に侍るアイヤツバスも、表情こそ変えないが、その実多忙に追い立てられ、沈んでいた。
「……そうだ、せっかくだし今のうちに確認でもしとくか」
ふと、アクセルリスが取り出したのは、小さな冊子。
それはラ・オウマリアスに関して記された古文書──の写しだ。情報管理室に存在していた、数少ない文献。アクセルリスはそれに目を通す。
「『山そのものの如き、赤黒き巨躯。大空を天蓋せし、広大なる両翼。星の核を穿つ、鋭き双角』」
外見に関する記述。おおむね、先日アクセルリスが見たラ・オウマリアスの姿と一致する。
「『超龍。全てを超え、従える存在としての墓碑銘。かの存在が日の元に顕れしとき、全ての力は超越され、全ての世界は過去となる』……抽象的すぎるなぁ」
数少ない、縋れる藁。しかし、その内容はあまりにも漠然としている。加えて、そもそもどこまでが真実なのかも、わからない。
「お師匠サマはどう思います? これ」
「そうね……ラ・オウマリアスが死んだ、つまり竜たちの大戦が起こったのは魔女暦紀元前──それこそ、私が生まれるよりも前の話になる。何が正しいのかは、私にも」
知識の魔女にも限界はある。しかし、そこで全てを諦めるほど、魔女は愚かではない。
「ただ、この文献に記されているラ・オウマリアスの外見は私たちが見たものと同じだった。なら多少なりとも信頼はできるんじゃないかしら」
「なるほど。ないよりはマシ、って感じですね」
「一通り目を通して損は無いと思うわよ」
「お師匠サマがそう言うのなら! あとでもう一度読み返すことにします」
そうして冊子をしまい、力を抜いて夜空を見上げた。
「明日、明後日とどんどん大変になるわ。休めるときは、ゆっくり休みなさい」
「そうします!」
目を閉じ、静かな世界に身を置くアクセルリス。アイヤツバスもその横で、黙する。
それから少し経って──ふと、思い出したように、アイヤツバスが口を開いた。
「アクセルリス、起きてる?」
「ん、起きてますよ? どうしました?」
「少し興味深い話があるのだけれど、聞く?」
「それはぜひ! どんな話ですか?」
「魔都ヴェルペルギースの守り神、のことよ」
「守り神……?」
訝し気にその言葉を反芻する。聞き覚えのないものだ。
「東西南北にいる守護聖獣、とはまた別の?」
「ええ。『ヴェルペルギースそのもの』、あるいは『中央・クリファトレシカ』を護る存在のこと」
「知らない情報です」
「竜種に関する文献を探しているときに見つけたのよ」
アイヤツバスは一呼吸置き、言った。
「それは『黒龍』」
「『黒龍』──」
名前だけで、どこか畏怖を感じさせるような。そんな雰囲気をアクセルリスは覚えた。
「それは、どんな存在なんでしょうか……?」
「正確な名前は伝わっていない。ただ『隠されし運命』を意味する、とだけ」
隠されし運命。その名の奥には、黒き真実が眠っているのか。
「かつては御伽話に残っていたとされてるけど、今では廃れてしまっているわね」
「他には記述が?」
「まばらに。けれど、私が一番気になったのは『巨大龍の絶命により、伝説はよみがえる』という一節」
「巨大……龍……」
「あくまでも古い文献。信憑性の根拠もない以上、鵜呑みにすることはできない。でも、私は何か、関係を感じてしまう。研究者としてのサガ、かもね」
笑った。どこか、嬉しそうに、楽しそうに。
アクセルリスは、訊ねた。
「黒龍は……実在するんでしょうか?」
「それはわからない」
アイヤツバスはそう言う。そして同時に、こうも付け加える。
「でも──ロマンがあるじゃない?」
アクセルリスは言葉に詰まる。そう言ったアイヤツバスの姿が、とても幼く──自分の妹のように、思えてしまったから。
「……そうですね!」
「さて、お話は終わり。邪魔して悪かったわ」
「いえ、興味深い話でした!」
「ふふ、ありがと。さ、明日からまた大変よ。休みましょう」
今度こそ、夜は更けていく。
翌日も、その翌日も。
魔女機関は持てる全てを迎撃拠点の建設に注力した。
そして、何もなかった平野に3つの大砦が完成し、無数の兵器も備えられた。魔女機関の総力、プライド、そして意地である。
「やれることは全部やった」
アクセルリスは呟く。
「あとは殺すだけ。コフュンを、ラ・オウマリアスを、もう一度死に至らしめる──!」
心の中、鋼の如き決意を固め。
────そして、時は満ちる。
【続く】