#5 墓標の中にて目覚むる銀
【#5】
「あわ、あわわ……大変なことになっちゃった……!」
「臆さないで、アディスハハ。貴女がやるべきことはシンプルよ」
アイヤツバスは黒になった魔救石をアディスハハの手のひらに収める。
「これをバズゼッジの体に突き立てて、魔力を流し込む。そうすれば、上手くいくはずよ」
「私、が……」
アディスハハはまず魔救石を見、そしてバズゼッジを見た。
狂い裂くバズゼッジは、もはや自分が太刀打ちできるような存在ではないと、アディスハハは感じていた。
しかし。
「……分かりました。やります。それが、アクセルリスを救うためなら」
強い決意を持って、そう言い切った。
「正直、不安です。でも、やるしかない……私が、やるしか!」
「……いい返事よ、アディスハハ。レキュイエムは私が相手する。貴女はバシカルと協力して、成すべきことを成すのよ」
「はいっ!」
そしてアディスハハは、バシカルの元へ走り出した。
「……」
その背に、アイヤツバスはそっと、身体強化の魔法をかけた。
「頑張って、ね」
「別れは済んだか」
地獄から奏でられる歌のような、怒り昏きレキュイエムの声。
「ええ。少し待たせてしまったわね、ごめんなさい」
「反吐が出る。貴様は一度たりとも、心から謝罪の意を見せたことがないのだろうに」
「さぁ、どうかしら」
「忌々しい……貴様の顔を見るのも──否。貴様が存在するという事実さえも、私を怒らせる」
「そんなこと言われてもね」
「だから、無くなれ」
レキュイエムが右手を翳した。
直後、周囲から無数の奔流が噴出し、一瞬のうちにアイヤツバスを覆い尽くした。
「どれだけ多くの魔力を持とうとも、全て封じる。そのまま蝕み消え──」
その言葉を遮るように、奔流が弾けて消えた。
「残念だけど、この程度じゃ私は消えないわよ」
左の胸に──心臓に手を当てる。
「私の魔力は、特別製だから」
そして、光る。胸に刻まれている模様が、服の上からわかるほどに。
「それは……? 馬鹿な……!」
「しーっ。言わないの。無粋だから」
そしてアイヤツバスは杖を取り出した。木製のそれは、『いかにもな』魔女が持っていそうな杖だ。
「今なら誰も見てないし──少し、張りきっちゃおうかしら」
微笑む目の奥、底知れない闇が渦巻き、敵を捉えた。
「貴様……そうだ、貴様は……! 思い出したぞ!」
そしてレキュイエムの脳裏には、稲妻が走っていた。
「貴様は! あってはならない存在だ! この世と共に、私が消す!」
そう叫ぶ。彼女は、何を思い出したのだろうか。
「それ以上は、やめた方が身のためよ」
アイヤツバスの周囲に無数の魔法陣が展開される。
そこから放たれる光を浴びながら、レキュイエムは静かに呟いた。
「──いくぞ」
◆
「キィーハハハッハッハッハッハ! ハハハハァーアーッ!!!」
両手、両足、そして全身から生やす無数の剣をもって、絶えることのない斬撃を浴びせるバズゼッジ。
「…………」
バシカルはただ静寂の極限に身を置き、その災異を凌ぎ続ける。
「ずっとだな、ずっと! 一度も反撃しねぇ! そんなに大事なのか、アタシの中にいる魔女は!」
「……ああ、大事だな。私たちの未来を手にしている、輝かしい魔女だ」
「キハハハハハハ! 大層大層! ならそいつに殺されるンなら、悔いはないよなァッ!」
両腕の肘先が大振りな剣に変貌し、バシカルの頭蓋を割ろうと奔る。
「させない!」
割り込んできたのはアディスハハ。足から延ばした蔦で、バズゼッジに回し蹴りを叩き込んだ。
「うがァ……ッ!」
一歩、二歩、後退し、唸る。
「アディスハハ、なぜこっちに」
「アクセルリスを助け出す手段を、用意しました!」
「そうか。アイヤツバスには上手く通じたんだな」
「この魔石です。私が隙を見つけて、これをあいつに刺します。そうすれば、きっと」
「誰の隙だ? ア? 何を誰に刺すって? アァーッ?」
ユラリと揺れながら、バズゼッジは向き直る。
「獲物が一匹二匹増えたところで。アタシの剣は噛み千切る」
「やれるものなら、やってみろ」
「キハハァーッ!」
瞬きの内にアディスハハのゼロ距離に肉薄し、牙を立てるバズゼッジ。
だがそれよりも先に、地より生えた巨木が彼女を打ち上げた。
「何の備えもなしに、みすみす突っ込んでくるとでも!」
「ぐ……やるじゃアねェか小娘! なら遠慮は無し、でいいよな! キハハ! ハハハハハ!」
空を舞うバズゼッジは、もはや刃そのものとなって、急襲を仕掛ける。
「ハッハァー!」
流星のような一撃。受け止めるバシカルの剣が、悲鳴を上げる。
「重い……以前よりも、遥かに」
「ハーッハァ! ハァ! ハァーッ!!」
着地してなお、その剣へと執拗すぎる攻撃を与え続けるバズゼッジ。その姿は、アディスハハから見れば、『隙』だった。
(チャンス……!)
力では及ばないがゆえ、知恵を巡らせる。それがアディスハハの決めた、生きる道。
バズゼッジの背後から根が延び、打ち倒そうと迫る──
が。
「読めてンだよ! その程度はなァ!」
叫ぶ。直後、バズゼッジの全身から、無数の刃が剣現する。
その勢いはアディスハハの一撃を退けるばかりに留まらず、一部が射出され、カウンターの役目をも果たす。
「うっ……わぁ!」
直撃は免れるが、後退を余儀なくされ、アディスハハは前線を退く。
さらに、身体を覆う刃たちは、バシカルへの追い打ちともなる。
「キハハハッ! どうだ? アタシの新しい剣は! 案外悪くねェ!」
「……優秀なものだ。元来有していた剣術と合わさり、とても厄介なものとなっている」
冷徹に、そう言った。それはまぎれもない本心だった。
「キハハ! ありがとよ! お礼に──砕けろッ!」
そして、両腕の一撃が、引導を渡す。
ぱきり、甲高い音が鳴った。それは、一つの命が潰える音。
「!」
それを耳にしたバシカルは、すぐに後方へ飛び退く。アディスハハもそれに従い、バズゼッジから距離を離した。
「折れたか、これも」
剣を見る。無残に半ばで折れてしまっている。
「キハハァ! なまくらァ、なまくらァ! 過去も、今も!」
だが、当然ながらバズゼッジの攻撃は止まらない。この機に殿を攻め落とすべく、追跡の刃を幾度も走らせる。
バシカルはそれらを紙一重で躱していく。だが攻勢には移れない。
「殲滅! 塵芥!! 終焉!!! キーッハハハッハハッ!」
何か、突破口は。
「────バシカルさんっ!」
「──」
バシカルは、バズゼッジに背を向けた。
「キーハハハハハハ! 敵前逃亡か!? お前ともあろうものが!」
その無防備な姿に、バズゼッジは刃を走らせた。
直後、バズゼッジは派手に吹き飛び、竜骨洞の壁に煙を上げていた。
「が……ッ!?」
パラパラと骨の破片が降る。
「テ……メエ……!」
倒れ臥し、呻くバズゼッジ。狂乱と憤怒の眼光に、黒い執行官が凛と映る。
「うん。相も変わらず、ばっちりだ」
そう言ってバシカルは、手にしているロストレンジで数回空を斬った。
「助かったぞ、アディスハハ。よくあの局面で、ロストレンジの回収に踏み切った」
「今の私にできることを、できるだけする! ただそれだけが今の私です!」
この一息の間に、アディスハハは先程レキュイエムが手放したロストレンジを拾い上げ、持ち主の元へと届けたのだ。その行動力は、バシカルでさえも感嘆するもの。
「話が……違ぇ……! アタシの中にいる魔女が心配で攻撃できないんじゃ、なかったのかよ……!」
バズゼッジはよろよろと立ち上がり、そう悪態を吐く。
「それに違いは無い。ただ」
「ちょっとやそっとで斃れるような魔女じゃない! だから、少しは手荒くなっても……大丈夫!」
「私達はそう判断した。彼女には後々謝罪する必要はあるが」
眠る鋼への強い信頼が導いた一撃だった。それをもろに受けたバズゼッジからしては、たまったものではなく。
「イカれてンだろ……テメエら……!」
すくと立つ。中身はまだまだ問題ないようだが、その骸の外殻は、少しずつ剥離する。
「キヒヒヒヒ……キハハハハハ……!」
だがバズゼッジは、狂笑に染まり、己の身を顧みることなど永遠になく。
「あァそうだ、結局そうだ! どいつもこいつも狂ってやがる! この世界は狂ってやがる!」
両腕から無尽蔵に刃が生え揃い、巨大な翼のような姿へと成る。
「だからアタシも狂った! そうだ! レキュイエムもだ! アタシたちは……アタシたちは間違ってなかった!」
「──それがあなたの、本音なの?」
「分からねェ! アタシはもう狂っちまった。彼岸の方が正しいのか、此岸の方が正しいのか、もうアタシには分からねェし、多分どうでもいいことだ」
剣の翼を大きく広げ、どこか感じさせた寂しさを吹き飛ばし、叫ぶ。
「アタシは……アタシたちは、全てを殺す! それだけだァ! キィーハハッハッハッハッハッハハハハァーッ!」
バズゼッジが迫る。身構えるアディスハハ、それを庇うようにバシカルが前に出る。
「キィ────ハハァッ!」
両翼が同時に叩き付けられる。余りにも暴力的な──バシカルを超えるほどの──その一撃は、魔女も剣も、隔てなく苛める呪いのごとく。
「辛ェか!? 辛ェだろ! どうしようもねェくらいに!」
その言葉は、果たして、誰に向けられているのか。
「哭け。もっと! 哭け!」
軽やかに空を舞う鳥のごとく、凶器の翼が振るわれる。バシカルは、ただ無心に、凌ぎ続ける。
そして、彼女が暴れれば暴れるほど、その剣の羽根は抜け落ち、横槍を牽制するまきびしにもなる。
「これじゃ近付けない……!」
息を呑みたたらを踏むアディスハハ。足止め。その最中にも、バズゼッジは激しくバシカルに斬りかかる。
「キィハハハ! キィーハハハハハハハ!」
暴風を阻む者はなく。ただ理不尽な暴力が振るわれるのみ。
バズゼッジのような、生を持たぬものは、肉体に掛かる制限がない。加えて、今の彼女はほぼ魔力によって形作られている存在でもある。その二つが相乗し、異常すぎるほどの膂力を誇る。
「ほらァ。泣いてるな? お前の剣がァ!」
その言葉の通り、ロストレンジには小さなひびが生まれていた。だが。
「それは、好都合でもある」
鍔競り合いのまま、バシカルはロストレンジに魔力を流した。それは彼女の得意とする治癒魔法。ひびが埋まり、そしてそれに従い、ロストレンジの強度が増す。
「キハハァ! そういえばそんなヘンな剣だったな、これ!」
そう叫び、一度身を退く。それは攻守の逆転を意味しない。
「キ────ハァッ!」
バシカルが反撃に移るよりも早く、再度腕を振り落ろした。強さを増したロストレンジを凌駕するよう、より力を籠めて。
「…………ぐ」
バシカルが、遂に呻き声を漏らした。それはバズゼッジにとって、最良の音楽である。
「キ! ハハハハハハ! このまま死ぬか? あァ!? このまま死ねッ!」
「────バズゼッジ。お前は」
極限の中、バシカルが、名を呼んだ。
「お前はきっと、寂しかったんだな」
「────」
一瞬の沈黙。それは、永い待ち時間。
「お前に」
返す言葉。小さく一つ。そして、続きが紡がれる。
「何が分かるッッッ!!!」
慟哭、かつ憤怒。
止められない、抑えられない、その感情のまま、バズゼッジは両腕を振り上げた。
その瞬間だった。
「キハッ」
バズゼッジは、一瞬、ほんの一瞬だが、己の身に、確かな違和感を覚えた。
「ア?」
そして、彼女がその異変に気付き、思考するよりも先に──剣の羽根が、一斉に抜け落ちた。
「ア……ア…………!?」
何かが流れ出る感覚を、バズゼッジは味わう。
「な、ン……」
「…………私の、勝ち」
アディスハハの声だ。
彼女のブーツには、刃の破片が無数に刺さり、血も流れている。
「こんな無茶をするのは、私のキャラだから」
そう言って、笑った。
「バズゼッジ────!!!」
レキュイエムが叫ぶ。だが、アイヤツバスは彼女に休む間を与えない。
バズゼッジが魔力を失うと同時に、足元のまきびしも塵と消える。
しかし。
「…………なに、が、だ」
虚ろな目でゆらり振り向く。刃が伸び、刺さった透明な魔救石を砕く。
その畏れを纏った姿に、アディスハハは圧倒され、足が止まる。
「────」
「言ってみろ。誰が、勝ったと」
腕を高く振り上げる。その手には、一振りの剣。
「それはアタシだ。そして、それはレキュイエムだ。そうじゃなきゃ……いけねェんだよッ!!!」
目の前の命を断つ。剣を振り下ろそうと、体に、心に、力を籠めた。
そのときだった。
「…………があァ」
その身体に衝撃が走り、バズゼッジは動きを止める。
そして、彼女の胸から、一本の手が伸びた。
──声が聞こえる。
「…………よくもまあ、私の体を、好き放題してくれたね」
残酷な声色はそのままに、更にバズゼッジの体から生えるものがある。鋼の槍だ。
「ぐア、アッ!」
内側から身を貫かれる感覚に、痛みを失ったはずの身体が痛む。
「教えてあげようか? 私の体を使うことの、その重みを」
バズゼッジの体のひび割れから、灼銀の眼光が覗いた。
「私が体を許したのは、私だけなんだ。この体を勝手にすることは、トガネが許さない」
そして、出でる。
「だから私たちはお前を許さないッ!」
「ぐあああアアアアアアアアーーーッ!」
骸の檻を引き裂き────残酷のアクセルリスは再び光の下に立った。
【続く】