#4 戦慄のヘルシャフト
【#4】
アクセルリス達は庭に出た。
広い宮殿に見合う広い庭。かつては絢爛に飾られていただろうが、今は何も残らぬ殺風景。
未だ地鳴りは止まないその中、三人はただ走る。
そのときだった。
「ッ!」
不意にシェリルスが足を止め、振り返る。
「シェリルスさん?」
「なんだ……何か……!」
「何か来る? なら、急ぎま──」
彼女たちの言葉は、大きな破砕音によって妨げられた。
「宮殿が……!?」
青い瞳が崩れ落ちていく宮殿を見る。栄光の影も、完全に滅び去った。
「…………クソが」
小さく舌打ちをし、しかし心を強く保って、さらに目を凝らす。
宮殿を壊したもの。それは内側からあふれ出る「何か」だった。
そして、その「何か」とは。
「────え」
それに気づいてしまったアクセルリスは口を閉じた。シェリルスもまた、言葉を失った。
その、正体は。
「……骸骨、ね。それも、あり得ないくらいたくさんの」
眼鏡の奥、知識の瞳は冷静に状況を読む。
「あんな数の死体が宮殿の中に……!?」
「……ああ、悪趣味、悪趣味、悪趣味だ……ッ!」
シェリルスの言葉には、歴史の闇が。
そしてその闇の中、骸の奔流は渦を巻く。
「まずい……絶対に……!」
この時、アクセルリスは最早逃走は不可能だと察した。故に、その身は無意識のうちに臨戦態勢へと移っていた。
渦巻く骸はやがてその身を寄せ合う。段々と、一本の柱になる。
そして。
「────kkkkkkKKKKKKKKRRRRRRRRRRrrrrrrrrrrYYYYYYyyyyyyyyyyyyy!!!!!」
成ったのは──巨大な蛇竜。
咆哮。それは実際、無尽蔵の骨同士が身を打ち付け合う音だった。
「kkkk、kkkkkKKKKKKkkkk、rrrrrrryyyyyYYY」
その蛇竜が身を捩じらす度に、おどろおどろしい骨の音が響く。それはまるで、死を歓迎するかのような陰惨なメロディ。
「な──なにあれ!?」
驚愕に呑まれながらも数本の槍を生成するアクセルリス。彼女に、遠くから声が届く。
「ははは! 驚いたかな? 死の向こうで全てを理解した私は、こんなこともできるようになったらしくてね!」
コフュンの高笑いが骨蛇竜の音と重なり、死の讃美歌を奏でる。
「では存分に味わってくれたまえ!」
「KKKKRRRRRRRRRRRRRrrrrrrrrrrrrrrrrrr──────!!!」
コフュンの合図と共に、蛇竜が一行へと突撃する。
「う、おおおおおおおお!」
アクセルリスは全ての槍を同時に放った。
蛇竜は躱さない。槍の群れが襲い掛かる──だが。
「kkk、kkkkkkkk──」
その竜に、刃は通らず。身体を構成する骨のいくつかが剥離しただけに留まってしまう。
「そんなのあり……!?」
「kkkKKKRRrrrYYYyyyyyyyy────!」
巨大な口が開き、一行を呑み込もうと迫り来る。
「……」
アイヤツバスは無言のまま手を翳す。出現した巨大な魔法陣が、蛇竜の行く手を阻んだ。
「kkkRRyyy────」
大質量の突進を受けてなお、魔法陣には傷一つなく。衝撃で蛇竜の身がまた少し削げる。
「……これは、少し面倒ね」
「もしかしてこのデカブツの骨全部バラバラにしないといけないんですか……!?」
「ハッ、だったらアタシに任せな。纏めて灰にしてやる」
「推奨はできないわ。余りにも、量が多いから」
「黙ってろアイヤツバス。アタシに不可能はないッ!」
シェリルスはそう言い捨てると、すぐに天空へと飛び立った。
「くたばれクソ蛇がーーーーッ!」
空を激しく飛び回りながら、滾る爆炎を放つ。
「k、kkkk、kkkkkkkkk────」
蛇竜は躱さず、真っ向から受け、爆発──
それは実際、骨の体を大きく消耗させる。だが、絶対的に見てみれば、ほんの一部でしかない。
「く──!」
途方もない作業。アイヤツバスの言葉は正しいものだった。
だがそれをシェリルスが受け入れるはずもなく。
「消えるまで続けるだけだッ……!」
ふたたび、みたびと炎を放ちづづけた。
「あわわ……」
地上では、アクセルリスが心配そうにシェリルスを見上げていた。
蛇竜はシェリルスを目下の敵と定め、そちらにくぎ付けだ。
「お師匠サマ、シェリルスさん大丈夫ですかあれ?」
「今のところは、ね。ただ、言うまでもなくジリ貧」
「ですよね……どうにかしないと」
依然不安そうにするアクセルリスに、アイヤツバスは鋭く言った。
「でも、こう言い換えることもできる。『シェリルスが引き付けてくれている』、と」
「今のうちに、何か作戦を立てようってことですね」
アクセルリスもその真意に素早く気付く。危機的状況下において、彼女は冴える。
「そういうこと。だけど、残念ながら私はまだいい手を思いつけていない。だから貴女の意見も聞きたい」
「わかりました、がんばります!」
アクセルリスは考えた。
持てる全てを注ぎ込み、考え続けた。
自分。味方。敵。地。環境。状況。あらゆるファクターを取り込み、己の内で巡らせる。
そして、至った。
「────全身まとめて吹き飛ばしちゃえばいいのでは」
至極単純なものだった。
「衝撃波かなんかで、ドーンって」
「それができれば苦労はしないわね、できれば」
「できますよ! 私達の力を合せれば、なんだって!」
灼銀の瞳で不敵に笑い、力強く言い切る姿。その影に宿っていた強さを継いだ、その姿。
アイヤツバスも、頭ではなく心で納得を受け入れる。
「……なるほど。それなら、一理あるわね」
「ですよね! よし、そうと決まれば……!」
アクセルリスは空を仰ぎ、叫んだ。
「シェリルスさんっ! もう少し時間を稼いでくださいっ! 準備ができたら合図しますーっ!」
青天を激しく舞う火花。返答は無い。
声が届いたことを信じて、アクセルリスはアイヤツバスの目を見た。
「やりましょう、お師匠サマ」
「ええ」
師弟は互いの手を握り合う。
ふと、アクセルリスの目にアイヤツバスの表情が写る。どこか愁いを帯びたような、珍しい表情。
「お師匠サマ? どうかしました……?」
「ああ、いえ。あまりこういう、誰かと魔力を重ねるって言うのは、慣れてなくて」
「そうだったんですか」
「恥ずかしい話よね。でも大丈夫よ、ほら」
「熱っ……」
握る手から、アイヤツバスの魔力が流れ込んでくる。
それは漲るように熱いものだった。アクセルリスは、初めて感じるアイヤツバスの魔力に、意外さを覚えていた。
(お師匠サマの魔力って、こんなに熱いんだ──)
普段の冷静な様子とは真逆なその熱。アクセルリスの心もまた、火照ってゆく。
それぞれの輪郭から、淡い魔力の光が漏れる。アクセルリスは銀色に、アイヤツバスは真紅に。
そして広場に、魔法陣が生まれた。はじめは小さかったそれは、ゆっくりと、しかし確実に、その面積を広げていく──
そのころ。
「『時間を稼げ』、だと……?」
空に佇むシェリルスにアクセルリスの言葉は届いていた。
「アイヤツバスがいるのは腹立たしいが、可愛い後輩の頼みは断れねェな!」
笑みを浮かべ、弾ける炎と共に、叫ぶ。
「こっちだぜクソ蛇! お前の相手はアタシだろッ!」
「k、k、k、KKKkRRrryyyyyyyyyyy──!!!」
呻きの咆哮を上げ突撃する蛇竜。それを躱しながらも攻め手を緩めないシェリルス。
美しさすら覚えるような、灰と骨の舞い。錆びた栄光の空を彩り続けていた。
「────」
彼女たちの様子を、宮殿の頂上から見ていた者がいる。ゲブラッヘだ。
「如何したか、ゲブラッヘ」
「……いや、特別なことはない。ただ……」
紅玉のような瞳が映しているのは、アイヤツバス。
「あの人がどれだけアクセルリスのことを想っているのか、ほんの少し気になってね」
「嫉妬かい?」
「……そういうのじゃない」
コフュンの軽口にゲブラッヘは眉を顰める。彼女が「不快」の感情を露にするのは、実際珍しい。
「──アイヤツバス、貴女は果たして────」
「──よしっ!」
嬉々とした声を上げるアクセルリス。ついに魔法陣が完成した。
それは巨大な蛇竜の全身を包んでなお余りある。十分すぎるほどの面積を備えていた。
「私達の魔力を注ぎ込んだ魔法陣、これだけのパワーがあればいけますよね!」
「ええ、きっと。ひとたまりもないでしょう」
「よーっし! シェリルスさーんっ!」
高く高く、空に届くよう、叫ぶ。
「準備できました! 魔法陣のところへ誘導してくださーいっ!」
「承ったッ!」
シェリルスの明朗な返答に、アクセルリスも笑う。
「こっちだぜクソ蛇! 付いてこいッ!」
「kkKKRryyyYYYyyYYyyYY──!」
矢継ぎ早に放たれる火炎。蛇竜にとっては小癪なものだが、その塩梅こそが最善だった。
軽微に留まる損傷を気にすることもなく、蛇竜はシェリルスを追う。
仕組まれていることにも、気付かずに。
「────来た!」
そして、蛇竜の全身が、魔法陣の内側に収まった。
アクセルリスとアイヤツバスは、声を交わさず、目を合わせることもなく、ただお互いを信じ──解き放った。
「──破ッ!」
魔法陣が砕け、衝撃波が炸裂する──その直前だった。
「──」
二人は見た。自分たちの魔法陣の上に重なる、鉄色の魔法陣を。
「あれは」
気付いた時には、遅かった。
巨大な衝撃波。大気の壁を砕き、周囲に暴風を巻き起こす──
だが、蛇竜の身には、何も起きていない。
「────」
沈黙の憤慨。灼銀は、宮殿を睨む。
「ゲブラッヘ────!!!」
それは峻厳の妨害。ゲブラッヘもまた、二人と同じように魔法陣を生み、衝撃波を相殺したのだ。
声が響く。
「ボクたちにもボクたちの仕事があるんだ。悪く思わないでくれよ」
「ッ!」
滾る怒りに任せて駆け出そうとするアクセルリス。しかし、アイヤツバスがそれを制止し。
「落ち着いて、アクセルリス。今ゲブラッヘを追っても何にもならないわ」
「──それも、そうです」
「今は、次の対策を講じないと」
「だけど、どうすれば……もう一度魔法陣を……?」
「──悪ィが、無理だ」
二人の側にシェリルスが降り立つ。その顔色は芳しくなく。
「少し……ムチャし過ぎた。アタシはもう、飛べない──」
赤熱化していたその髪も、急速に色を失い元の灰色に戻る。オーバーヒートか。
「シェリルスさん……!」
「これで、さっきの手は使えなくなったわね」
「なら、また何か別の……!」
アクセルリスは再びの思考に入ろうとした。だが、すぐに無理だと分かった。
「──kkkkKKKKKKKKKRRRRRRrrrRYYYYYYYYyyyyyyyyyyyyyyy────!!!」
蛇竜が、迫る。巨大な口を限りまで開き、一行を丸呑みにしようと。
「くっ……!」
アクセルリスは槍を構えて、迎え撃とうとした。
次の瞬間、蛇竜は横へ激しく吹き飛んだ。多量の骨を撒き散らしながら、倒れ伏す。
「え」
驚くアクセルリスたちの前に降り立った、その介入者は。
「申し訳ない、遅くなった」
漆黒の鎧と白銀の剣を備えた、冷徹なる邪悪魔女。
バシカル・キリンギだった。
「師匠ォ!」
「ケガは無いか、シェリルス」
駆け寄る弟子に対し、バシカルは優しい眼差しを向ける。
「は、はい! 無事ッス!」
「……すまなかった。愛弟子であるお前の危機だというのに、私は自らの任務を優先した。心のない魔女だと、どうか罵ってくれ」
「そんなこと、言わないで下さい」
師の謝罪をシェリルスは即座に断った。
「師匠が魔女機関の執行官として、重要な役目を多く担っている証拠です。そしてそれは……アタシにとって、誇れるものです」
「…………そう、か。……ありがとう」
弟子からの許し。それは、バシカルを重い懺悔の鎖から解き放った。
「それに、師匠の地獄のような修行を乗り越えたアタシが、そう簡単に死ぬわけないじゃないッスか!」
「……ふ、それも、そうだな。あの経験が活きたようで何よりだ。もし良ければ、また体験するか?」
「げっ、それはマジ勘弁ッス!」
「冗談だ」
冷徹と灰の師弟は、静かに思いを交わし、笑った。
そのとき、もう一つの師弟も声を上げた。
「蛇竜、再起します!」
「センチメントはそこまでにして。今は、アレの対処をしましょう」
「k、kkk、kkkkkkkKKKKKKKKKRRRYyyyyyyyyyyy────」
起き上がった蛇竜。骸たちの眼孔、光無き眼差しが、灼銀と睨み合う。
「そうだな。早急に対応しよう」
バシカルは愛剣ロストレンジを構え、一歩前に出た。
「師匠、何か策があるんスか? あのデカブツに有効ななんかが」
「無いが」
「え?」
「無い」
その言葉に迷いはなかった。アクセルリスは言葉を失い、アイヤツバスは無言で微笑んでいた。
「どうするつもりッスか……?」
「どうも、こうも。正面突破で蹴散らす、それだけだ」
「あの量を、ですか」
「そうだ」
「…………まぁ、それでこそ、師匠ッスね」
シェリルスは諦めたようにそう言った。バシカルのそのスタイルに慣れてしまっているのだろう。
「では往くぞ。各自備えろ」
号令に合わせ、剣、炎、槍、魔法陣が構えられる。
「こんな下らねェ茶番は……とっとと終わらせる! 行くぞ、クソ蛇ッ!」
「────kkkkkKKKKKKKKKRRRRRrrrrYYYYYYYyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy!!!」
灰の啖呵、そして蛇竜の大咆哮。
それを合図として──四人の魔女が、立ち向かっていった。
それからは、何もなかった。
ただ彼女たちは己の持てる力を蛇竜にぶつけ続け、その身体を構成する骨を削ぎ落し続けるだけだった。
本来ならば、愚策中の愚策。
しかし、バシカルという存在──「力」をそのまま形にしたような、余りにも暴力的なその存在が、その愚策を最善手へのパラダイムシフトを敢行させたのだった。
そして戦いは終わった。
◆
「……ほんとに何の小細工もなく終わっちゃった」
散乱する夥しい数の骨に囲まれながら、アクセルリスはあっけらかんと呟いた。
「…………」
灼銀の眼に魔力を籠め、辺りを見た。
しかし、もうどこにも死体と鉄の魔力は残っていなかった。
彼女は静かに、溜息を吐いた。
「終ったな。皆、よく頑張ってくれた」
バシカルは剣を収め、一行へと声をかける。
「これで一先ずは治まったと言えよう」
「……だけど、宮殿が」
アクセルリスの言葉通り。荘厳だった古跡には、真新しい戦いの跡が無残に刻まれてしまっていた。
「シェリルスさん」
「気にすンな。もうこんな所、アタシには関係のない場所だ」
シェリルスは振り切れた様子で。皮肉にも、コフュンの介入が彼女の決別を確かなものにした形だ。
「それより、今は戻って状況報告が大事だろ」
「そうね。彼女たちが言っていたことも、気がかりだし」
「では、早急に帰還することとしよう。今回の任務はこれにて完了だ。感謝する、アクセルリス、アイヤツバス」
執行官の号令を以て、この任務は幕を下ろした。
だが、不穏の帳は、開いたばかりなのだ。
【続く】