#9 さようなら、私の影
【#9】
翌朝。
工房リビングにて、アイヤツバスは神妙に紅茶を飲んでいた。
彼女の意識は、階上の部屋に向けられている。
「……」
ドクヤダミ紅茶の味がわからなくなるほどに、アイヤツバスは気を張っていた。
そんな時だった。
「……!」
ドアが開く。部屋の内より出でし存在は、ゆっくりと階段を下りてくる。
「……おはよう、アクセルリス」
「おはようございます、お師匠サマ」
「もう、大丈夫なの?」
アイヤツバスは心配そうに、アクセルリスを見る。だがその鋼には、一抹の曇りもなく。
「はい、大丈夫です。今でもちょっと、心に穴は開いているような気もしますけど……大丈夫」
笑顔を見せるアクセルリス。その様子を見て、アイヤツバスも安心する。
「私がいつまでもくよくよして悲しがってるのを、きっとトガネは望んでいない」
そう言って自分の影を見る。その中に、頼れる相棒は、もういない。
「だから、私は笑って前を見続ける。それが私にできる、精一杯の手向けだから」
「──そうね、きっとそう」
アクセルリスの笑顔に、過去に縋りつく頽廃の影はない。
そのどこまでもまっすぐな眼を見て──ふとアイヤツバスが、気付いた。
「あれ、アクセルリス……目が赤いけど?」
「えっ、赤いですか? そりゃ一晩中泣いたとはいえ、そこまで酷くはないと思うんですけど……」
「違うのよ、見てみて」
手渡される鏡。アクセルリスは己の目を見て、思わず息を呑んだ。
「これって……」
その右目。かつてトガネが宿っていた瞳が、赤く染まっていた。
それはまるで銀が熱されたような赤。二色が手を繋ぐように美しく混ざり合うその色は、言わば《灼銀》だろうか。
「あの子が残していったのかも、ね」
「トガネ……」
アクセルリスの目から、一筋の涙が零れる。
「あ、あれ。もう、泣かないって、言ったのに」
不器用に笑顔を作りながら、涙を拭く。
「これじゃ、またトガネに、笑われちゃうよ、あは、ははは」
強がるように笑う。そんなアクセルリスを、アイヤツバスは優しく抱いた。
「あ……」
「……いいのよ。泣いても」
「……お師匠、サマ…………!」
アクセルリスの背を、そっと撫でる。
「ぅ……ううう……! うああああ…………!」
温かい胸の中、アクセルリスは泣いた。
◆
相棒にして家族、共に過ごした影の住人、トガネ。
アクセルリスは、この出会いと別れを、永久に心に刻み続け、生きるだろう。
彼の物語は、彼女のこの言葉にて締めくくられる。
「──さようなら、私の影」
【ひとり去るとき/When you leave おわり】