#8 永訣のクラウィス
【#8】
「──」
誕生との宿業に終止符を打ち、立ち尽くすアクセルリスは、ただ銀色にだけ輝いていた。
「……!」
とぷん、と赤い光がアクセルリスの手のひらに堕ちた。
それはもはや自らの形を維持できずに、溶け出していた。
その体は、少しずつ赤い粒となって空に昇っていく。
「トガネ……!」
ひとつになったとき、アクセルリスはすべてを知った。トガネは彼女の身体でもあるがゆえに、知ってしまったのだ。
本来、影に住まう使い魔であるシェイダー。それが影から飛び出し、活動を続けるということは──死に直結するということを。
しかしトガネは、その代償を知ったうえで、アクセルリスを護るために、彼女と一つになった。
彼女は自問する。その忠義に、その愛に──報えたのだろうか、と。
「早く魔力を……!」
アクセルリスは焦り、彼を助けようと急ぐ。
しかし。
〈主、いいんだ〉
トガネはそれを、静かに制止した。
「…………でも」
〈わかってるんだ……自分のことは、自分がいちばん〉
「……ッ!」
安らかなその声に、アクセルリスはトガネの覚悟を知る。
〈だから主……最期まで、一緒にいてくれ〉
「当たり前でしょ……あんたは私の相棒で、家族なんだから……!」
〈相棒、か……〉
ふと、何かを思い出したようにつぶやく。
〈なぁ、主〉
「なにさ……」
〈俺は、主にとって、いい相棒でいられたか?〉
「……うん。あんたは、私の最高の相棒。胸を張って、誇りにできる」
〈へへ……うれしいなあ〉
その声はどこか遠くを見つめているようで。
「トガネ、あんた……後悔とかは、ないの」
〈あるもんか、そんなもの! 実に……実に満ち足りた旅路だったさ〉
穏やかな凪のような口ぶりで、これまでの道に清算をしていく。
〈アイヤツバスの手によって生み出されて、アクセルリスのもとに生れ落ちて……悔やむことなんて、これっぽっちも〉
そこで、トガネの言葉は止まる。
「……トガネ?」
〈ああいや、気にしないでくれ……ひとつ、たったひとつだけ、やり残したことがあった気がしたが……俺には、少し高望みだ〉
「いいんだよ、何でも」
〈いいさ、いいさ。消える前に、こんな話は合いやしない〉
「トガネがそう言うなら……いいけど」
アクセルリスはトガネの心を推し量った。彼の望みは、それはきっと、アクセルリス自身に関することだと、感じた。
そのとき。
〈っ……〉
トガネの様子が変わったことに、アクセルリスもすぐに気付いた。
その体から昇る赤い粒が、増えている。
「トガネ」
〈ああ、限界が近いらしい……〉
「……これから死ぬっていうのに、なんでそんな冷静でいられるの」
〈なんでだろうなぁ。アクセルリスが傍にいるからかもな〉
「だったら、私も嬉しいよ」
だが、そう言うアクセルリスは俯き、目をトガネへ見せない。
〈……主? どうした〉
「なんでも、ないよ」
〈…………泣いてるのか?〉
「っ」
〈図星、みたいだな〉
「泣いてない……!」
静かに声は震える。
〈──主。顔を……見せてくれないか〉
「……分かった」
顔を上げ、トガネを見るアクセルリス。
銀の瞳は露に濡れたかのように潤み、口元も何かに耐えるようにしてぴっと噤まれていた。
〈……やっぱ、泣いてるじゃんか〉
「だって……だってしょうがないじゃん……! 私は……私はまた! 家族を、目の前で……!」
肩を震わせてアクセルリスは言う。言うまでもなく、トガネは大切な家族の一員なのだ。それを失うことは、アクセルリスにとって、二度と繰り返したくないもの。
〈……ごめんな〉
「う……うぅっ…………!」
そんなアクセルリスに、トガネはある願いを送る。
〈なぁ、アクセルリス。一つ、俺から最後の頼みがある〉
「何……?」
〈笑ってくれ〉
「──」
その願いは、簡単なものだった。
〈主は……アクセルリスは、笑ってるときが一番輝いてた。俺は、その輝きが、大好きだった〉
「トガネ……」
〈だから、笑ってくれ。俺が消えるときも、俺が消えてからも〉
「……わかった、よ」
そう言ってアクセルリスは、笑う。今にも零れそうな涙を押し殺し、必死に笑顔をトガネに見せる。
「あ、はは……こう、かな」
〈はは……なんて顔だよ〉
トガネもまた、笑った。
その身体は、もう半分も残っていない。
〈────そろそろ、さよならだな〉
「…………うん」
しかしそれでも、二人は安らかなまま、言葉を交わす。
〈アクセルリス。最後にひとつ、聞いていいか?〉
「……なに」
〈…………俺のこと、好きか?〉
最後の問い──予想だにしなかったその内容に、アクセルリスは一瞬空白になる。
「どういう意味よ、それ」
〈そのままだよ、そのまま〉
「そんなの……好きに決まってるじゃん。あんたは私の頼れる相棒で、仲の良い弟だった。好きじゃない理由が、どこにあるのさ」
笑顔で。自然な笑顔を浮かべ、アクセルリスはまっすぐにそう答えた。
トガネにとって、それは何物にも代えがたい、大切な笑顔だった。
〈相棒で、弟……そっか。そうだよな。変な質問だったよな〉
トガネの言葉は、ゆっくりと、穏やかに。
〈ああ、それが聞けたなら……充分だ〉
「トガネ……?」
〈────アクセルリス──俺は──〉
「…………トガネ」
〈アクセルリス〉
互いの名を、呼び合った。
そして。
〈──ありがとう、アクセルリス────大好きだ──────!〉
トガネは、そう言って、笑った。
目を閉じた。
それがすべてだった。
「あ────」
霧散する、赤い粒子。
トガネが、アクセルリスの手のひらから、旅立ってゆく。
「──」
アクセルリスはそれを、ずっとずっと忘れないように、強く、強く、強く、握りしめた。
そして。
「────うわああああああああああああああああーーーーーーーーーーーっ!!!」
泣いた。
喉が潰れるほど、声が枯れ果てるほど、泣いた。
静まり返った森に、アクセルリスの泣き声が、響き渡っていた。
【続く】