#5 咎の音
【#5】
「────アアアアアアアアーーーーーーーッ!!!」
世界の終わりを告げるかのような絶叫。その圧で繭が弾け、『怪物』が誕生日を迎えた。
「オオオオォォォォォォ……ッ! ああ、あゝ、嗚呼! なんと……なんと清々しい! これが戦火の魔女の力!」
新生に咽ぶバースデイ。その身は──形容を憚られるほどの、姿。
有機的な竜の鎧は既に全身に纏わりつく。大量の竜を糧としたそれに覆われ、バースデイの肉体は一片たりとも露出せず。その鎧はもはや『装備』ではなく『融合』していた。
夥しい命で生み出されたこの悍ましい異形は、アクセルリスを見下すほどの体格をも誇る。かつてバースデイが得物としていた太刀も、軽々と片腕で掴む。
その声も恐ろしく曇り、到底生あるものの発するものには思えない。
そして、その胸には赤黒の結晶が、その額には蜘蛛の巣の魔石が、それぞれ埋め込まれていた。
「──」
絶句するアクセルリスの足元から影が編み上がり、トガネが彼女の傍に立つ。
「主……アレは、とんでもなくヤバい」
「……うん、わかるよ。見ればわかる……」
二人は無意識のうちに槍を構えていた。それぞれの本能が、そうさせたのだ。
以前、三体の竜を取り込んだバースデイは、たった二撃でアクセルリスを戦闘不能に追い込んだ。
では今は? 数えきれないほどの竜を取り込んだ、今のバースデイでは? 想像もしたくない。
「ハハハハハ……では、そろそろエンディングへと導こうか?」
深淵より響くような声、異形が二人を凝視する。
「お前たちのゲームオーバーを以て、ワタシの生はフィナーレを迎えることが出来る……! さあ、征くぞ」
直後、バースデイの姿が消える。
「セイ──」
「ッ!」
アクセルリスは風圧で、トガネは己の動体視力で、辛うじてその先制攻撃を見破る。
だが、しかし。
「──ハッッッ!」
猛々しい太刀の一閃。それは直接触れずして、獲物に牙を立てる。
「ぐうっ……!?」
直撃を躱したはずの二人の手には、浅いが、確かな切り傷が。
「風圧で斬撃を飛ばしてきやがった……!」
「無茶苦茶だ……!」
だが二人に狼狽えている暇など、無い。
既に眼前には、脅威が迫る。
「オオオオオオオオッ!」
惨憺たる叫び声と共に、バースデイはアクセルリスを狙い駆ける。
「く……!」
鋼を纏い、防御姿勢を取る。
「無駄、だッ!」
潰滅的な太刀の一撃。斬撃こそ鋼で阻む、が。
「ぐああああああーっ!」
その衝撃は、アクセルリスを軽々と吹き飛ばすほどのものだった。
「主ッ!」
「次はお前だ」
異形の牙が、トガネに向く。
「滅びるがいい、使い魔!」
断頭台のように振り下ろされる太刀を、トガネは一重で躱す。元来の動体視力と、鍛え上げられた敏捷性で、喰らい付く。
「くたばってたまるか……!」
「ならば足掻いて見せろ!」
一撃一撃が暴風のごとき、バースデイの太刀。トガネは自身を極限に据え、それを切り抜け続ける。
「……ッ!」
彼はその最中、幾度も幾度も『死』を感じた。
そのたびに、彼の中で一つの感情が構成されてゆき、そして決断の刻を予感させる。
「だがそれは……今じゃねえ!」
決意の籠った一槍。バースデイの心臓を狙って走る──
だが。
それは刺さることすらなく、竜の鎧に一筋の小さな傷を残すだけに終わった。
「駄目か……ッ!?」
「まだ分からないか? お前のような使い魔では、ワタシのような魔女には、届かない」
バースデイはトガネの首を掴み、締め上げる。
「ぐ……ッ! はな、せ……っ!」
苦しみもがくが、何にもならない。何も。
竜の呪縛が、影に戻ることすらも許さず、トガネを苦しめ続けてゆく。
「諦めろ。ゲームオーバー、だ」
冷酷な宣告。それを下したバースデイの瞳の端に、アクセルリスが映る。
「なお立ち向かってくるか。善い……それでこそ残酷のアクセルリス!」
嬉しそうにそう吠え、そしてバースデイは、わざとらしく隙を作りながら──トガネを強く、投げ飛ばした。
「ぐああっ!」
「トガネ──ッ!」
アクセルリスは選択を迫られる。トガネを救うか、バースデイへ一太刀を浴びせるか。
「──くッ!」
瞬間的な状況判断ののち、アクセルリスが選んだのは──迷うまでもなく、トガネだった。
駆ける方向を曲げ、吹き飛ぶトガネを空で受け止める。
「大丈夫っ!?」
「あるじ……!」
勢いを殺しながら、無事に二人は着地する。しかし、それぞれの眼は捉えてしまった。
──迫りくる異形の姿を。
「オオオオオオオオオオォォォッ!!」
悍ましい咆哮が世界を揺らす。二人の身も、本能的恐怖に竦み、震えてしまう。
「く……!」
「ひ……」
そしてバースデイは跳び上がり──太刀を大地に、叩き付けた。
「────」
震撼。一瞬、世界が静寂の内に閉じ込められ──そして、解放される。
「ぐ──ああああああああぁぁぁーーーーっ!」
砂嵐のごとく立つ土煙の内から、二つの絶叫が重なる。それは次第に小さくなり、消えた。
「ふ、ははは。ははははは! 流石に今のでは死なない、とは思うが」
煙が収まる。太刀の痕が、地割れと見紛うほどの亀裂を、刻んでいた。
「はは……さて、どう出るか」
笑うバースデイは太刀を地に突き立て、そしてその場に立ち続けていた。
アクセルリスのエゴを、手に入れるために。
森の奥。
「う、う…………っぐ」
「は、あ、あ、あぁぁ……」
吹き飛んだ二人は、茂る木々の中にて、倒れ伏す。
トガネの身が砕け、赤い光が影に戻る。
アクセルリスは立ち上がろうと、木に縋るが、それですらも叶わず。
もはや、満身創痍。
〈く……そ、からだ、が……〉
「痛い……痛い……! 動か、ない……!」
全身に満ちる苦痛に呻く。だがいくら呻こうとも嘆こうとも、空転するのみ。
「はやく……はやく、しないと…………!」
死の予感に極まった焦燥を見せるアクセルリス。
「ここで、終わる……? 私が……トガネが…………!?」
血に濡れたその身を引き摺りながら、どこかへ行こうと藻掻く。だがその身は、一歩を進むことすらできない。
「…………く」
苦虫を嚙み潰したような顔をして、アクセルリスは木に寄り掛かった。
その表情には、ある達観が見えた。
そして言った。
「……ト、ガネ」
〈なんだ……!〉
「あんたは、逃げて…………!」
消え入りそうな、小さな声で、そう言った。
「まだ、動けるでしょ……? だから……逃げて」
〈え……?〉
「逃げて、助けを呼んで……! そうすれば、助かるから……!」
〈何言ってんだよ主……そしたら、主はどうなるんだ!?〉
「わからない……でも、あんたが生き延びるなら、それでいいよ……」
〈よくねえよ……! 生きたいんだろ、主は!〉
「もちろん、生きたいよ……! でも、それと同じくらい……ううん、それ以上に、トガネに生きてほしいんだ……!」
〈なんでそんなことを!〉
声を荒げるトガネに対し、アクセルリスは予想外な質問を投げかける。
「…………あんたの名前の由来、覚えてる?」
〈急になんだよ……! 覚えてるさ、30秒で考えた意味もない名前だろ!? それがどうしたって〉
「あれ……嘘だったんだ。ごめん」
〈え……?〉
「本当は……ちゃんとした意味がある。それだけは……知って、ほしい」
トガネは沈黙し、アクセルリスの言葉に耳を傾ける。
「《トガ》っていうのはね……極東の言葉で《生きること》って、意味なんだ」
〈生きること──〉
「私はあんたに、生きる意味を──そして、生まれた意味を知って欲しいんだ……だからトガネ、ここから逃げて……!」
〈──〉
トガネは影の中で震えた。そして、迷いのない声で、言った。
〈──アクセルリス。お前は、バカだ〉
「え……?」
〈俺の生まれた意味は、もう──初めから、分かってた〉
影を編み、同じ目線で、アクセルリスを見つめる。
「主を──アクセルリスを護ること。それが、俺の生まれた意味なんだ」
「────」
命の籠ったまっすぐな赤い眼に、アクセルリスの驚いた顔が映る。そこに宿るは決意、理解、そして愛。
「だから主、行こう」
「…………」
トガネは微笑む。その顔を、アクセルリスは信じた。
「何か、手はあるんだよね」
「ある」
トガネの助けを借りて、アクセルリスは歩む。竜纏う異形の待つ、決戦場へ。
「心配はいらない。アクセルリスは、俺が必ず護り抜くから」
「……信じてるよ、相棒」
互いに微笑みを交わす。二人の心は、重なり合い一つとなる。
そして、至る。
「……フム」
フラフラとした歩みで姿を見せたアクセルリスを、バースデイは見下ろした。
「その身で尚戻ってきたか。善い、善い。ワタシはまだ、生まれた意味を掴めてはいないからな」
「当たり前……だろ」
「何を?」
「今のお前に……そんなことが分かるわけ、ない」
「────はははははは! 何を言うかと思えば。やはりお前は面白い」
バースデイはそうとだけ言うと、太刀を構えた。
「さあ来い。今こそ全てを決しよう」
「そうだな。誰が生き残るのか、定めるときだ」
トガネがアクセルリスの手を握る。
「ほう? 何をするつもりか? 良いだろう、見届けてくれようとも!」
バースデイは笑い、竜の鎧の奥で笑った。
「アクセルリス、準備はいいか」
「うん。私とトガネが揃えば敵なしだよ」
「……違いない!」
二人は笑顔を浮かべ、繋げた手を水平にかざす。
「いくぜ、アクセルリス!」
「いくよ、トガネ!」
二人の体から魔力が迸る。
アクセルリスはトガネに、トガネはアクセルリスに、それぞれ己の持つ魔力を送り込んでゆく。
「はあああぁぁぁぁ……っ!」
躊躇うことなく魔力を注いでゆき、二人の身体に二人分の魔力が循環し続け──ついに、溶け合う。
「来た……っ!」
二人の目が輝きだす。特にトガネの赤い右目はより強く光を放ち──その影の肉体に、右目を中心としてヒビが入る。
「トガネ──!」
「──アクセルリス」
小さく、互いの名を呼び合った。
トガネの身体が音を立てて砕けた。
〈「今。やっと〉」
赤い光が、トガネの目だけが宙に漂う。それはアクセルリスの周りを激しく飛び回り始める。
その光に呼ばれるように、周囲の影が沸き立ち、また編み上がる。そしてそれらはみな、アクセルリスの身体に纏わり付く。
「私達は、今」
凛と前を見るアクセルリス。影が段々と彼女の体を飲み込んでゆく。
〈俺達は、今〉
影を喚ぶトガネ。それが十分に集ったのを見て、残酷に光るアクセルリスの右目に──飛び込んだ。
「〈今、ひとつに────!」〉
影に覆われたアクセルリスから、赤と銀の光が眩く放たれる。それは残酷な世界をどこまでも照らす、しるべのように。
「────はあッ!」
一際強い光と共に、影が弾けた。
現れたアクセルリスは。
「これが……私と」
〈俺の! 想いの果て!〉
銀色の左目と、残光を引く、赤い右目。
影のように黒く染まった髪は、光を浴びると銀色に艶めく。
魔装束は影と融合し、大きく異なった様相を見せる。
そして、その腕や背、脚からは影が収束した不定形な巨大な刃が生え、敵を殺すべしと揺らめいている。
これが、アクセルリスとトガネの、はたて。
共に過ごし、共に戦い、共に生きた二人が、いま、一つになった。
「────」
残酷で神秘的な光景を目の当たりにしたバースデイは、異形の中で、言葉を失っていた。
「……ハハハ。面白い、それでこそアクセルリスだ」
「私じゃない。これはトガネの願いの結晶だ」
〈アクセルリス──ありがとう〉
「……時間はない。悟得を与える気もない。バースデイ。お前を、殺す」
両手に持つ槍に影が纏わり、巨大な刃へと鍛え上げる。
「これが──終わりだ」
〈行くぞ……バースデイ!〉
全身に魔力を漲らせ、アクセルリスは駆け出した。
【続く】