#1 ハッピーバースデイ
【ひとり去るとき/When you leave】
ある朝。
「──せーのっ」
ここは死んだ妖精の森、アイヤツバス工房。
今は何やらにぎやかなムードだが……?
「トガネ、誕生日おめでとーっ!」
祝福を告げる鋼の声。優しく微笑む知識の眼。
幸せに包まれた、ひと時の華。
そう。それはトガネの誕生日パーティーだった。
「ありがとな! 主、創造主!」
人間態のトガネは満面の笑顔で、料理に囲まれる。
「今日はたくさんごちそうを作ったからね、好きなだけ食べてね」
「私も作ったんだよ! トガネの好きなものはよーく知ってるからね!」
「やったー! いただきまーす!」
トガネは言うも早く、手当たり次第に食べ始めた。
「あはは、トガネったら私に似てきたなぁ」
「喉、詰まらせないようにね」
二人の魔女はそれを微笑みながら見守る。
家族の一員の生誕を祝う宴。それは、二人にとって幸福に他ならない。
「……それにしても、もう一年経ったのね」
「そうですねー。トガネが生まれてから一年ってことは……私が環境部門長として働き始めてからも一年ってことですから」
「時が経つのは、本当に早いわ」
「思えばこの一年、長かった気もしますし、あっという間だったような気もします」
「色んなことがあったわね」
アクセルリスは腕を組み、記憶を掘り出してゆく。
「殺して……殺されかけて……殺して……殺して……殺して……殺した」
「思い出が殺伐過ぎない? 他にもあるでしょう、平和なやつ」
「えー? そうだなぁ……お料理対決とか」
「あれは……大変だったわね……」
瞳の奥、アイヤツバスは想起する。バシカルという暴走列車の存在を。
「他には……美味しいものいっぱい食べて……アディスハハとかイェーレリーと遊んで……仕事もして……」
「満喫してるじゃない」
「楽しめるうちに楽しまなきゃ。死んだら終わりですからね。私はそう簡単に死にませんけど」
不敵に微笑み、そう言った。
「あとは、トガネに助けられてばっかりでした」
「ふふ。ばっちりお仕事してるみたいね、トガネも」
「ほんとに、トガネがいなかったらどうなっていたことか」
己の使い魔を介在させ、さらに記憶を掘り進む。
「トガネにも色んなもの食べさせたなぁ」
「最初は……少し、失敗しちゃってたけどね……」
「まあその分、いっぱい食べてもらって、ぐんぐん育ってもらいましょう!」
過去を悔やむことはしない。それがアクセルリスだ。
「あとは……あ、いっしょに海を見たり?」
「総督勅令のときね」
「そうですそうです。トガネったら海を見ておおはしゃぎして、船に乗ったらもううるさくてうるさくて」
「ふふっ、様子が目に浮かぶわね」
「まったくですよ。わかりやすいやつなんだから……」
どの口が言うのだろうか。
「そういえば、雪も見たいって言ってました」
「雪ねぇ。この森には降らないからね」
「そうだ、そうだ。それで私そのとき思ったんですよ」
「何を?」
「もっとトガネに、色んなものを見せてあげたいな、って」
「へぇ、いいじゃない」
「ですよね!」
明るい表情のアクセルリス。きっと、戦火に巻き込まれる前も、こうだったのだろう。
「生まれて一年がたったけど、トガネはまだまだ知らないものがたくさんある。だから、色んなことをさせて、色んなものを見せて、もっともっと成長してほしいんです」
「そうね。何事も、いい経験になるわ。トガネは学習が早いし、感受性も豊かだから」
「この世界には、面白いことがたくさんある。それを教えてあげたいと思って」
アクセルリスは微笑む。それは優しい、姉の顔。
「それで、いつかトガネが、いろんなことを思い出して、笑えたらいいなって!」
「ふふ。きっと、そうね」
「私、楽しみです」
そう言って、アクセルリスとアイヤツバスは笑った。
そして、全ての皿が空になった。
〈ふうー……食った食ったぁー……〉
トガネは既に影へと戻り、余韻を味わう。
「どうだった?」
〈最高だったぜ! ありがとな!〉
「うふふ、よかった」
団欒とする三人。その様は誰から見ても『家族』そのものだろう。
そして平和な一日が過ごされる──と思われていた、その矢先。
こんこん、と工房の扉がノックされる。
「あら、客人かしら?」
アイヤツバスが扉を開くと、そこには一羽のカラス。額に第三の目を持つ、三つ目のカラスだ。
「クリフエ?」
それは魔女機関総督キュイラヌートの使い魔、クリフエである。彼がこの場にいるということは。
「手紙……伝令ね」
アイヤツバスはクリフエから伝令を受け取り、その場で読む。
すぐにその眼差しが鋭くなった。
「……アクセルリス、トガネ。すぐ出発するわよ」
アイヤツバスの様子と声色で、二人もすぐに事を把握した。
何らかの緊急事態だ、と。
「行こう、トガネ」
〈ああ〉
己の影に赤い光を潜ませ、アクセルリスは工房を出た。
その心に、言い難い不安を抱えたまま。
◆
〈──よく来てくれた〉
魔女機関本部クリファトレシカ最上階、氷に閉ざされた総督室にてキュイラヌートは一行を迎えた。
〈まずは突然の呼び出し、謝罪しよう〉
「いいえ、気にしないで。私たちは魔女機関に仕える身。非常事態にはすぐ駆けつけるわ」
〈感謝する〉
二人のやり取りの中、アクセルリスはキュイラヌートの傍に立つ一人の魔女に気を取られていた。
「あの、シャーデンフロイデさん?」
それは残酷魔女隊長シャーデンフロイデ。極寒の総督室にあってなお、彼女は普段と変わらぬ服装のまま。透明なペンダントは冷たい風に吹かれ、揺れる。
「私も少し関わらなければいけない事態なのでな」
〈では、今回の件に関して、説明を始める〉
冷気を裂く、より冷たい声。アクセルリスは気を引き締める。
〈我が魔女機関において、呪術を担当する魔女がいることは知っているな〉
「アラクニーさん、ですね」
アクセルリスのエゴを鍛えなおし、アディスハハ奪還の道を示した偉大な魔女だ。忘れるはずもない。
〈アラクニーは呪術のほかに、魔女機関での催事や占術においても重要な役割を担う魔女だ〉
「そんな彼女だが……昨日、消息を絶った」
「!」
息を呑む。
〈ただ厳密にいえば、所在の目途は立っている。東部に《カーサースの森》という森林があるのだが、そこはアラクニーの出身地であり、私有地でもある〉
「アラクニーは度々その森に戻り、呪力を高める修行を行っているという」
〈そして今回も、消息を絶つ前日に、その森に戻る旨を我に伝えていた〉
「恐らくアラクニーはカーサースの森にいる可能性が高い。そして、そこで何らかのアクシデントに遭ったのだろう」
アクセルリスは腕を組む。『何らかのアクシデント』。彼女はすぐに一つの可能性に思い当たる。
「魔女枢軸……?」
「そうだ。我々は魔女枢軸の介入を強く疑っている」
「このご時世、十分あり得る話ね。魔女機関の呪術師を狙うなんて、いよいよ手段を選ばなくなっている気もするけど」
アイヤツバスは眼鏡を整え、さらにこう付け足した。
「……まあ、まだ確定したわけじゃない。余計な明言は避けるわ」
暫し冷たい静寂に身を置いたのち、キュイラヌートが続けた。
〈そして本題に入る。アクセルリス〉
「はい」
〈アラクニーの捜索を任せたい〉
「私が……私一人が、ですか?」
「本来ならば多くの人員を割きたい。だが、そうもいかない事情がある」
「アラクニーは魔女機関において重要な役目を担っている魔女。そんな彼女が突如行方不明になったと知られれば、魔女機関はどうなると思う?」
アイヤツバスの問い。アクセルリスはすぐに答えを出す。
「……ただ事では済まなそうですね」
〈その通りだ。この情報が流れれば、魔女機関の外部よりも内部が大きな混乱に陥るだろう〉
「だからこそ、このことは魔女機関でも一部の魔女しか知らされていない。そして、捜索もごく少人数での行動が避けられない」
〈故に、邪悪魔女でもあり残酷魔女でもあるアクセルリス、汝にこそ任せたいのだ〉
絶対冷帝直々の任務。当然、アクセルリスが断る理由もなく。
「分かりました。このアクセルリス、任務を遂行します」
〈頼んだ。加えて、もう二人。共に捜索に協力する魔女を呼んである〉
「もう二人?」
アクセルリスがそう言った時、背後の扉が開き、二人の魔女が姿を見せた。
「只今参りました。遅参、大変申し訳ありません」
〈来たか。丁度話をしていたところだ〉
それは黒く冷たき姉妹。バシカルとカーネイルだ。
「バシカルさん、カーネイルさん!」
「話は伝わっております。私達はいつでも出立可能であります故」
二人の眼差しは鋭い。既に、任務は始まっているかのようだ。
〈感謝を。では、事態は急を要する。アクセルリス、バシカル、カーネイルよ。カーサースの森へ行き、アラクニーを捜索せよ〉
「はいっ!」
「了解」
「了解しました」
冷たき帝の号令とともに、黒き鋼は打って出る。
◆
「……アクセルリス、トガネ」
アイヤツバスは二人を呼び止めた。
「……気を付けてね」
「お師匠サマの自慢の弟子と使い魔です、心配はご無用ですよ!」
〈おう、オレと主が揃えば敵なしだ!〉
「では、行ってきます!」
「……行ってらっしゃい」
微笑みながらも、心の靄を拭えぬまま、アイヤツバスは二人を見送った。
◆
同中、魔行列車にて。
「……ごめんね、トガネ」
〈ん、何がだ?〉
「せっかくお祝いの日だったのに、任務になっちゃって」
〈いいっていいって、気にすんな! オレとしてはこっちのほうが日常感あって落ち着くからさ〉
「……ごめんね。終わったら、またごちそうつくるから!」
〈おっ、それは楽しみだ! よし、今回もさっくり終わらしちまおう!〉
「……そうだね!」
二人はそんなやり取りを交わした。
【続く】