#7 アリとキリギリス
【#7】
「──終わったみたいね」
そんなアクセルリスに声をかけるアイヤツバス。彼女の側には、依然として縛られているアントホッパー。
「魔石の首輪は外しておいたわ」
〈流石創造主、手が早いぜ!〉
「感謝を。あのような外道魔女の味方にさせられていたなど、想像するだけで身の毛がよだちます」
『善』側、黒髪のアントホッパーは生真面目に礼を述べ。
「クソが……クソがァ……!」
対する『悪』側、緑髪のアントホッパーはただただ悪態を呟くのみ。諦めか。
「して、《異形》の魔女殿は……?」
「……今、丁度来ました」
アクセルリスの視線はアントホッパーを超えた先、後方を見ていた。
「……!」
そこにいたのは二人の魔女。
片方は黒き衣を身に纏った冷静の魔女、カーネイル。
そして、もう片方は。
「大変お待たせ致しました。こちらが《異形》の魔女様であります」
「悪いな、少し仕事が立て込んでいてな」
「我々の方こそ、お忙しい中無理を言ってしまい、大変申し訳ございません」
ボロボロな魔装束に包まれた体は病的なほど細身で、長身。ボサボサの髪は深緑色で、顔の右側は乱れた前髪に埋められている。
「……あの方が?」
「……オイ、どこが異形だ……!? ワタシたちのことを侮辱しているのか……!?」
アントホッパーの感情も無理もない。何せその魔女は身なりこそ乱れているが、その身体は四肢持つ健常なものだからだ。
「ああ、この体ではそう言われても仕方あるまいか」
細身の魔女は、どこか無気力に。
「では、少し失礼する。人前でやるのは余り慣れていないが」
そう言って、おもむろに一行に背を向けた。魔装束の背部はもはや一糸纏わぬさまで。
「ぐ……う……ア…………!」
「なんだァ……!?」
「一体、何を」
アントホッパーが訝しむ中、魔女は呻き。
「あああああアアアアAAAAAARRRRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!」
夥しい数の触手が背中から生え、一瞬にして魔女の体を覆いつくす。
「──」
「──」
揃って絶句するアントホッパー。
その触手モンスターは。名称しがたきその存在の名は。
「……Shrrrrrrrr。では改めて自己紹介を。《異形の魔女カイトラ》だ」
邪悪魔女6i、財政部門担当、カイトラ・アルコバレノである。
「オイ……嘘……だろ……!?」
「まさか……邪悪魔女のカイトラさまだなんて……!」
「驚かせてしまってすまない」
〈……なあ主〉
「なんだね」
〈最初っから触手モードで来ればよかったんじゃね?〉
「んー。じゃあ逆に、カイトラさんはなんでわざわざ人間モードで来たと思う?」
〈それは……驚かしたかったから?〉
「正解! よくわかってんじゃん、成長したね」
〈だろ! オレももう一人前だからな!〉
「……本当に、偉いよ」
〈な、なんだよ急に〉
「うう、なんでもない」
アクセルリスの笑顔は、とても幸せそうだった。
トガネの成長も、完成が近い。
触腕の隙間から黄色い瞳を覗かせながら、カイトラは語りかける。
「では、話を聞こう。背反の魔女アントホッパー、といったか」
「…………ああ、そうだ。ワタシが、私達がアントホッパーだ」
「ワタシは口下手なもので、私が話させていただきます」
「口下手じゃねえ! コミュニケーション力を担当してるのが私なだけだろ!」
『悪』のアントホッパーは、驚くほどに大人しくなっていた。それだけ、彼女にとってカイトラは特別視している存在なのだ。
「……では、失礼します」
「ああ。一先ずは、一通り、聞こう」
カイトラは触手を静かに波打たせ、アントホッパーをじっと見つめた。
「私アントホッパーは、魔女になってからまだ日が浅く──」
「ああ、その話はアクセルリスから聞いている。もういい」
触手で制止し、こう続ける。
「大事なのは過程じゃない。感情だ」
「感情……だと?」
「きみは、その体になって、どんなことを思った?」
カイトラの問いに、アントホッパーは互いに顔を見合わせて、言う。
「……不条理だ。ワタシは憧れて魔女になったはずなのに、こんなザマになるなんて。どうしてワタシだけがこんな目に遭わなきゃいけないんだと、怒り、憎み、悲しんだ。だから、この世界を呪い、傷つけていた」
「概ね、私も同じ感情です。ただ、もし私が体の主導権を握っていたのなら、世界ではなく私自身を傷つけたでしょう」
性格が二つに分離したとはいえ、アントホッパーは一人の魔女。抱く感情も、当然といえば当然だが一致する。
「なるほど。その気持ちはよくわかる。大いにわかる」
触手の中で頷きながら、カイトラは対話を続けていく。
「わたしにも覚えがあるからな。懐かしい感情だ」
「あんたにも……そういう時期が、あったのか」
「では、私達はどうすれば良いのでしょうか? 私達はカイトラ様のように……異形を受け入れ、世界に馴染むようになることは……できるのでしょうか?」
不安げな表情を見せるアントホッパー。だがカイトラは顔色一つ変えずに。
「なれない。いや、なる必要がない」
「え」
アントホッパーは同時に面食らう。
「勘違いしているかもしれないが。魔女となることで異形と化すケースは、ゼロではない」
「それは知ってる! でもよ……」
「私が会ってきた魔女の中に、そのような異形の姿をしている方はいませんでした。いるとするのなら、彼女たちは一体何を」
「何も特別なことはしていない。単純に、働いたり、旅をしたり、弟子を育てたりして、生きている」
アクセルリスが、ぽつり呟いた。
「そう──生きてるんだ」
「偶然会っていなかっただけか、あるいは魔女と認識できていなかったか。いずれにせよ、異形となった魔女も、みな一人の魔女としてこの世界で生きている」
「そう……」
「……なのか」
「だからきみも気負う必要はない。自然体のまま、好きに生きればいい」
カイトラの言葉には、その歩みを思い出させるような存在感が宿る。彼女も、ここまで来るのに、葛藤し、苦しみ、そして生きてきたのだろう。
「今更見た目がどうのこうので騒ぎ出す様な世界じゃないだろう。むしろその身に誇りを持て。『私は特別な存在だぞ』とな」
「誇り……」
「誇り……か」
ゆっくりと、その言葉を反芻するアントホッパー。
二つのこうべは同時に俯き、深く何かを考える。
沈黙の中、触手が揺らめく。
そして一行が見守る中、アントホッパーはゆっくりと顔を上げた。
「──ありがとう。迷いが、消えた」
「ワタシが苦しんでいたのは、私自身の心の中に、どこかで異形を蔑む心があったから、なのかもしれません」
「でも、あんたの言葉を聞いて、スッキリした!」
「はい──私は、ワタシは、この体を受け入れ。誇りとして、個性として、胸を張って生きていきます!」
強い言葉。触手に囲まれて見えないが、カイトラも笑っているだろう。
「それで、きみはこれからどうするつもりだ」
カイトラが尋ねた。アントホッパーを巡る一連の騒動は有終の美を飾ったが、そんな綺麗事で締めくくってめでたしめでたしといくほどこの世界は甘くない。
「あー……考えてなかったな……私、どうする?」
「身体の主導権はワタシが持ってるんだし、ワタシが決めていいですよ」
「といってもなぁ……」
悩んでいる様子。そこにカイトラが声をかけた。
「ならわたしの弟子になるか」
それは意外な提案だった。
「カイトラ様の……」
「弟子に……!?」
「無理にとは言わないが」
アントホッパーは顔を見合わせ、そして同時に笑顔になり。
「是非!」
「お願いします!」
迷いのない返事だった。
「そうか。言っておくが、わたしは厳しいぞ」
「それでも、だ!」
「私達に希望の道しるべを示してくれた、恩人なのですから。どこまででも、ご一緒します」
一つの師弟が、ここに生まれた。
アクセルリスはそれを見て。
「良い師匠に恵まれたなぁ。アントホッパーも、私も」
「あらあら、いつの間にかお世辞も一流になったのね」
「お世辞じゃないですよ! 私はお師匠サマに全てを救われたんですから」
「そんな……私はそんなに立派な魔女じゃないわよ」
「いえいえ! お師匠サマほど素晴らしい魔女は居ません! 少なくとも、私にとっては!」
「そう? そう言われると嬉しいわ」
「だからお師匠サマ、これからも私とずっと一緒にいてくれますか?」
「勿論よ。私の可愛い弟子と、使い魔と。三人でずっと、いつまでも、どこまでも!」
〈おお……楽しそうだな、それ!〉
「……えへへっ!」
と、この一家はアントホッパーをダシにして惚気ていたとさ。
「それでは、わたしは先に戻る。忙しいのでな」
「いえ! お忙しい中、ありがとうございました!」
「アクセルリス様、此度は大変お世話になりました。感謝しても、し切れないほどです……」
「最初はいきなり襲い掛かって悪かったな。お詫びといっちゃなんだが、ワタシは魔女機関にいるから、人手が欲しくなったら言ってくれ。なんでも手伝うぜ」
「うん、ありがとう! これからも、貴女の道のりが幸せなものでありますように!」
カイトラとアントホッパーは去っていった。これから、彼女に世話になることもあるだろう。というかどうせなら多少の雑用はやってもらおう、と画策するアクセルリスなのであった。
「お見事でした、アクセルリス様」
カーネイルはそう言い、微笑む。彼女が感情を露わにするのは実際珍しい。
「流石の手腕でございます。調査依頼を迅速にこなすばかりか、その元凶である魔女を救済し、機関の一員に加えるなど」
「そんな、大げさな……私は自分が生き残ることを最優先に考えながら、その場その場で最善を心掛けているだけなので……」
「それでここまで来れるのは、才能以外の他ならないわ」
「お師匠サマ」
「胸を張りなさい、アクセルリス。貴女は魔女機関の優秀な邪悪魔女なのだから」
「…………はいっ! では遠慮なくっ!」
この思い切りの良さも、アクセルリスが有する魅力なのだろう。トガネはそう思った。
「ではアクセルリス様」
「えっ、なんです?」
「任務も無事終わりました故、ここは一本シメの音頭をお願い致します」
「シメ」
「ええ。豪勢に、どーんと」
「はい! わかりました!」
アクセルリスは一瞬混乱したが、深く考えなかった。せっかくいい感じで終わったんだし。
息を胸いっぱいに吸い、そして大きな声で。
「──任務、かんりょーーーーっ!」
【異形の旅路 おわり】