#2 生かすものと殺すもの
【#2】
だが、それを妨げるようにして。
「くだらない芝居もそこまでにしなさい……!」
メラキーが腹立たしそうにそう言った。
〈うるせー! 邪魔すんじゃねーよ外道め! いいところだったんじゃねーかよ!〉
トガネが叫ぶ。彼自身も、この光景を見て感慨に耽っていたのだ。
「どうどう、トガネ。見守っててくれてありがとね」
〈主……〉
「アディスハハ、トガネ、ここで待ってて」
「うん……!」
〈分かったぜ〉
友を救ったアクセルリスはメラキーを睨む。
アディスハハの命の魔法により、その身は最高のコンディションを得ていた。
「さあ、メラキー。覚悟はいいか? お前の罪を精算する時だ」
「ふざけたことを……私に精算する罪など、今更ありません。何故なら私は神に仕える身、聖なる存在なのだから」
「腹を括れ。お前がどれだけの虚言で身を繕っても、もう何処へも行けはしない」
「く……!」
一歩ずつ、着実に、アクセルリスは迫る。その姿にはさしものメラキーもやや焦りを感じ始める。
(畜生……何処の誰だ、アクセルリスの心を鍛え直したのは……! まさかとは思うが、アイヤツバス……!?)
後ずさりながら、メラキーは思考を回転させる。鋼に罅を入れる策を編むために。
(いや、まだだ……まだ奴の心には、弱点があるに違いない……)
手段は幾らでもある、自分にそう言い聞かせながらメラキーは考え、考え、考えた。
(アイヤツバス……奴の出自……戦火……そうか、そうか……!)
そして、一つの解に至った。至ってしまったのだ。
「……アクセルリス」
「何だ」
「貴女は、何故復讐をするのですか?」
「……」
アクセルリスの動きがぴたりと止まる。
(ビンゴだ……!)
心の底で邪悪な笑みを浮かべたメラキー。畳みかけるように、こう続けた。
「貴女の家族は、復讐を望んでいるのですか? いいえ、いいえ。復讐は何も生みません。復讐を遂げたところで、何も変わることがないのです」
それは『復讐』という行為に必ず付属される疑念。まるで衛星のように、離れることなく。
〈あ、あの女……!〉
「……アクセルリス」
トガネとアディスハハはその様子を、不安に襲われながらも見守る。
そして、僅かな静寂の後。
「──あー、それかー」
アクセルリスは目を細めながら言った。
「うん。この道を進んでいる以上、いつかはぶつけられる質問だと思ってたから、答えはもう考えてあるよ」
息を止める。にっこりとほほ笑む。
「……」
一同が声を殺して見守る中、しばしの沈黙を超え──残酷は口を開いた。
「────だったらどうしたあああああアアアアアアアアアアッ!?」
咆哮。残酷な鬼気が世界を揺らす。
その声色と表情は、極めて強い憤怒と憎悪に塗れていた。
〈────〉
「死んだ家族は? 復讐を望んでないって? 確かにそうかもしれないさ! 私の家族は! 父さんも! 母さんも! アズールもギュールズもパーピュアも! みんな優しい心の持ち主だったから! 私と違って、だ!」
己を嘲る様に叫ぶ。喉の奥から、振り絞る様に。
「そうさ。私だけだ。だから私が生き残ったんだ! 私に、慈悲の心なんて無いから!」
共に戦ってきたトガネですら、見たことのない、恐ろしい姿。
「だから、私が復讐を誓ってるのは、『私自身のため』なんだよ」
激しい怒りで震えながら、言葉を紡ぐ。
「私の命を狙う者。私の道を遮る者。そいつらをブッ殺しても、ブッ殺しても、ブッ殺しても! 私の怒りは収まらないし、私の家族は帰って来ない……!」
拳は強く強く握りしめられ、血が滲む。
「分かるか? どれだけの覇道を行っても、私の魂は、救われないんだよ」
血走った目で前を見る。そこに宿るは憤怒、憎悪、そして後悔。
「──だから。だからせめて。家族の仇を討って。それで私の中の怨嗟にケリをつける。そのために私は戦ってるんだ」
それが、残酷のアクセルリスが選んだ道だった。
「それを……なんだ……お前……? 知ったフウな口を…………!」
そして、アクセルリスは己の道を穢した障害物を許すことは無い。
「決めた。お前は殺す。絶対に。殺す」
見開いた目が捉えたのは殺害対象。
彼女はアクセルリスの様子に少したじろいでいたが、すぐに恐怖を消し。
「……ならばどうぞ。やれるものなら」
「殺る。アディスハハは奪い返した。これで思う存分、仕留める」
槍を右手に握りながら、一歩一歩近寄ってゆく。
「大言を。私の手中には、貴女を一度斃して余りある力があるのです」
「なら、見せてみろ」
「貴女が自身に罪が無いと言うのなら、私がそれを暴いて差し上げましょう。異端審問の始まりです」
飛来する槍を防ぎながら、メラキーは語る。
「貴女の罪。それは我が弟子、劫火の魔女プルガトリオを滅ぼしたこと」
「……は?」
訝しむアクセルリス。メラキーの広げた手のひらに、炎が生まれた。
「プルガトリオは魔女でありながら、敬虔なデヴァイタルの教徒でもありました」
メラキーの言葉に呼応し、その炎が激しさを増していく。
「アクセルリス。貴女はあろうことか、デヴァイタル教に仕える聖なる修験者を殺めた。その所業、重罪であると知りなさい」
炎は僅かな間に、熱風と共に逆巻く劫火へと成長を遂げた。
「ふざけた事を。それはお前たちの基準だろうが……!」
激昂し走るアクセルリス。
「ならば……その身で思い知りなさい!」
それに向かって、メラキーは炎を放った。
そして、アクセルリスは──避けることなく、正面から突っ込んだ。
「う、おおおおお……ッ!」
「アクセルリスっ!」
〈主ーっ!〉
身を包む灼炎の中、アクセルリスは両足で大地に喰らい付く。
「あ……ああああああああああ……ッ!」
魂を焦がすような灼熱。それでもアクセルリスは立ち続け、目を開き続け、メラキーを敵視し続ける。
「ふざけるな……ふざけるなよ……! 何が罪だ……何が咎だ……!」
その心の中で、炎よりも熱い感情が迸ってゆく。
それは怒り。それは憎しみ。それは呆れ。そしてそれは、純粋な殺意。
「私は……私は……!」
銀の瞳が、輝く。
「私はッ! 残酷だッ!!!」
叫び、銀色に光る魔力が弾ける。
メラキーの炎が、消え失せる。
劫火から解放されたその身には、一つの焦げ痕すらなく。アクセルリスの鋼の魂は、メラキーごときには到底焼き溶かすこともできず。
「ば……バカな!」
狼狽を見せたメラキーの顔面に、アクセルリスは容赦の無い鋼の拳を叩きこんだ。
「ォぐおぶアーっ!」
水平に吹き飛び、地面を派手に転がり抜ける。辛うじて身を起こすが、その一撃で全ては決したも同然だった。
「ぐ……ぐぉ……! こ、こんな……こんなことが……ァ!」
満身創痍の身で蠢き這いずりながら、『理解不能』に喘ぐメラキー。
その脳裏には『逃走』の文字だけが浮かぶ。しかし、助けが来る気配も無く。
「……」
「ぐ……ひ……っ!」
その眼前に、アクセルリスが立つ。メラキーが見上げるその眼に光はなかった。
「ひ……ゆ、ゆる、して……!」
今の彼女にできるのは、ただ情けない命乞いだけだった。
それを聞いたアクセルリスは、何一つ感情を込めずに。
「それを頼む相手は私じゃないだろ」
そうとだけ言い捨て、メラキーの横を通り過ぎる。
そしてアディスハハがメラキーに相対した。
「あ……あ……ゆるし……て……!」
「…………」
アディスハハは沈黙を続けていたが、程なくして口を開いた。
「──私は、貴女を殺さない」
「────」
メラキーの目が大きく開かれる。
「私は《蕾の魔女》。命を与え、命を育む魔女。だから私は、誰も、何も、殺さない」
「あ…………あ」
そう告げると、目を伏せ、背を向けた。
「──さようなら、メラキー」
メラキーの瞳から涙がこぼれる。
やった、生き延びたのだ。と。
だが、その心の奥底にあるドロドロの執念も晴れることが無かった。
(甘ちゃんが……! その選択……後悔することになる……!)
生存の喜びと下劣なる執念が、彼女に笑顔をもたらした。
その時。背後から、死神の声が掛かる。
「──私は殺すけどね」
「────え?」
その言葉の直後、メラキーの頭は何者かにがっしりと掴まれる。
「きさま……アクセルリス……!」
「私が憎いか。お前が私を憎む以上に、私はお前を憎む」
アクセルリスの言葉に熱はない。そこにあるのは、冷え切った残酷な侮蔑だけ。
「や、めろ……! 私を殺して、お前に何の利益がある! お前は言った、生き延びるための殺ししかしないと!」
血眼で、必死に『生』の縄にしがみ付く。
「ここで私を殺せば、お前の信条に泥を塗ることになるぞ! そこまでしてあの娘を! アディスハハを! 想う必要が何処にあるというのアガッ」
「……お前」
メラキーの言葉は、下顎を掴まれたことで途絶えた。
「いい加減さ、黙れよ」
「──」
メラキーは恐怖した。己を見下ろす存在を。『殺意』そのものが皮を被ったような存在を。
「死ね」
そう言って、アクセルリスはメラキーの下顎を引き千切った。
「ッッッ────!」
おびただしく迸る血。メラキーの声無き悲鳴が響く。
「黙れって、言ってんだよ」
既に致命となる一撃だった。だが、アクセルリスは手を休めることなく、震えるその喉に刃を突き立てた。
「──! ──」
メラキーの瞳孔が開き、その身体が急速に衰弱していく。しかし、それでも。
「まだだ。苦しめ。生まれたことを、後悔しろ」
本来ならば、あらゆる生を祝福する存在であるアクセルリス。そんな彼女が、こうまで言い放つのだ。メラキーは今、初めて、己を悔いた。
メラキーの四肢を掴み、踏み付け、折り、千切り、また折り、また千切り。
思いつく限りの『殺害』を、アクセルリスは淡々と行ってゆく。
「──! ────!!! ──────」
──これ以上は、筆舌に尽くしがたい光景だ。
──その中で、アディスハハは目を閉じていた。
肉が乱暴に引き千切られる音。
骨が微塵に砕かれている音。
すなわち、生命が生命でなくなってゆく叫び声。
涙を流しながらも、ただ感覚を耳に集中させ、それを聞いていた。
己の罪と、向き合うため。
やがて、音が止んだ。
「──終わったよ、アディスハハ」
声に応じて振り向く。
アディスハハの目に映ったのは、身体の半分以上が赤黒い血で染まったアクセルリスの姿。
そして、その後ろの赤黒い『物体』。
「……ごめんね、アクセルリス……私に覚悟が無いばかりに、イヤなこと押し付けちゃって」
「気にしないで。アディスハハに、殺しをやらせるわけにはいかないから」
返り血を浴びた顔で笑うアクセルリス。
血まみれの頬を手で拭うが、その手も血に覆われている故、意味はない。
「…………ありがとう」
呟き、アクセルリスへと歩み寄る、が。
「っと、来ないで」
「え……?」
それはアクセルリスに制止される。
「どうして……?」
「今抱き付いたら、アディスハハに血が付いちゃう。それじゃ意味ないでしょ?」
「…………そうだね」
「ん……だから、代わりに……ちょっと目閉じてて」
「うん?」
アクセルリスは言われるがまま瞳を閉じた。その唇に、柔らかな感触が届く。
「え──」
驚きで思わず瞼を開く。その目に映ったのは、目を逸らし、顔を赤らめているアディスハハだった。
「アディスハハ」
「……この前の、お返しだよ」
彼女は照れ臭そうにそう言った。
「前はムードとか何もなかったから……だから、改めてって、ことで」
「……」
伝染するようにアクセルリスの頬も紅潮する。
「……アクセルリスさ、さっき言ったよね。私のことが、好きだって」
「うん、言った。もちろん本心だし、今更撤回するつもりもない」
鋼の信念は堅く、砕けることなく。
「……私ね、自分のことが嫌いだった。里で迫害されてたころに、自分は世界にいらない存在なんだって思ったこともある。メラキーの誘惑に乗せられた後も、自分が情けなくって、死のうかなって思ったこともあるんだ」
俯き語るアディスハハ。そんな友の吐露を、アクセルリスは真剣に聞く。
「でも、でもだよ」
顔を上げた。その表情には、光が満ちる。
「アクセルリスと出会って。一緒に歩いてきて。私、どうも影響されちゃったみたいなんだ。度々ね、『死にたくない』って思うようになった」
「──そうだったんだ」
そう。変わりつつあったのは、アクセルリスだけではなかった。アディスハハもまた、己の心がパラダイムシフトを起こしていたのだ。それは丁度アクセルリスと真逆の方向に。
「それでね。さっきのアクセルリスの言葉でさ、私、完全に生きる希望持っちゃった。だから責任取ってよね」
「もちろんだよ、アディスハハ」
微笑みながら言葉を交わす。
「……ありがとう、アクセルリス」
「それを言うのは私の方だよ」
短い言葉の間には、計り知れないほど大きな感情が隠れている。
「──それじゃ、これからも」
「──うん。よろしくね!」
今、鋼の華が、咲いた。
【慈悲無き者 おわり】