#1 背負うものと分かち合うもの
【慈悲無き者】
「やっと会えたね。アディスハハ」
銀色の残酷が、笑いながらそう言った。
◆
「──」
「残念ながら、貴女の言葉はアディスハハには届きません」
メラキーは気味の悪い笑みを浮かべ、そう返す。その隣のアディスハハは、定まらない虚ろな眼を向けるだけ。
「だろうね。だから、今から届くようにする。その為に私たちは来た」
〈覚悟しろよ、ゲス野郎!〉
「まったく……やはり無神の徒が一番厄介ですね」
呆れた表情を浮かべるメラキー。彼女はアディスハハの頬を撫でながら、指示を送る。
「……」
光の無い顔をしたアディスハハは、それに従い、アクセルリスの体を頑丈な根で拘束した。
〈主!?〉
「うろたえない!」
〈主!〉
だがアクセルリスは動じない。そして、動かない。
「私を捕えてどうするつもり? また前みたいに燃やすのか?」
「まさか。この場で貴女の心も掌握し、アディスハハと二人仲良く私の僕になってもらいます」
「戯言を」
「戯言かどうかは、私が決めること」
「お前ごときが、私の心を砕くと。笑わせんな!」
「それがまた、笑いごとじゃなくなりますよ。すぐに」
そう言い、メラキーは目を細めてアクセルリスを見る。
彼女の脳裏に浮かぶは、死したソルトマーチの姿。
(ソルトマーチのお陰で、ある程度の糸口は掴めている。愚かな魔女ではあったが、役には立つ)
攻め口を考え──そして、辿り着いた。
「アクセルリス。『貴女は此処に至るまで、幾つの命を奪ってきましたか?』」
「は?」
予想だにしていなかった問いに疑念を覚えながらも、アクセルリスは自分の答えを出す。
「そんなの覚えてない。そんな余裕なんてないくらい私は必死に生きてきたし、倒れた奴等に同情するほど、この世界は甘くない」
真っ直ぐな残酷の解。それはメラキーにとっても想定内だったようだ。
「成程。随分と立派に言い切るものですね。余程己に自信があると伺える」
メラキーは不敵に不気味に微笑みながら、しかしこう続ける。
「しかしその信念、私には些か矛盾がある様に思われます」
〈ムジュンだと?〉
「貴女は己が生きる事を何よりも優先する魔女。そうですね」
「ああそうだ。ここ最近色んなとこで言われてるからね、それ」
「ではなぜ、貴女はアディスハハを救おうとするのです? アディスハハがどうなろうとも、貴女の命には影響しないでしょう」
「……どいつもこいつも、皆そうだな。まるで私の事をわかっちゃいない」
呆れたように目を伏せた。
「そりゃ私は私の事を一番大事にする。でも例外は存在するさ。それは家族。もしくはそれくらい大切な存在だ。お師匠サマにトガネ。そして、アディスハハだ」
「──」
「もうアディスハハは私の中で護るべき大切な存在になってる。だから、身を挺してでも助ける」
アクセルリスの言葉には鋼のように固いものが宿っている。
「まぁ要するに『それはそれ、これはこれ』ってこと」
「……ふむ」
きっぱりと言い切るアクセルリスに対し、メラキーは眉をひそめる。どうにも面白くない様子だ。
「……では、少し質問を変えます──『貴女が初めてヒトを殺したのは、いつですか?』」
「──」
生唾を呑む音が聞こえる。それは誰のものか、分からない。
〈主……〉
トガネも、無いはずの胸がざわめくのを感じる。アクセルリスの過去は、彼も知らないことが多い。
「……それは、魔女になってからって話?」
「いいえ、いいえ」
「それなら、覚えてるよ。嫌って程に」
意を決した眼差しが上がる。
「15歳の時だ」
トガネは言葉を失った。
15歳? いくら何でも──早すぎる、と。
「詳しく、お聞かせ願いましょう」
「戦火の魔女によって村が滅ぼされたすぐ後だった」
アクセルリスはただの思い出を語る様に言葉を続ける。
「戦火に巻き込まれて村のほとんどが死んだ。それでも生き残りはいるはずだと、私は村中を探し回った」
瞳に残酷が宿ってゆく。
「そして、一人見つけた。村の外れに住む男だった。私はその人に助けを求めた──だけど」
〈……だけど?〉
「そいつは……私を見るとすぐに、襲い掛かってきて……私のことを犯そうとした」
〈──〉
トガネは息を呑む。彼も知らなかった、過去。
「だから私は、顔に押し付けられた、あー……『ソレ』を、噛み千切って殺した」
その声色は変わらなった。淡々と、『かつて起こったこと』を述べてゆくだけ。
「それで? 貴女はそれでどう感じました?」
メラキーはアクセルリスの記憶に土足で上がり込んでゆく。アクセルリスは少し嫌そうな風をするが、答える。
「何も」
この時トガネは、生まれて初めて己の主に恐怖を覚えた。
「強いて言うなら、あいつはなんであんなバカなことをしたのかなって。協力すれば、長生きできたかもしれないのに」
〈……罪悪感とかは、なかったのか?〉
「罪悪感ねぇ。私の『生き延びるためならどんなものでも殺す』ってのは小さいころからだったから、その対象がいよいよ人になったんだなぁって思っただけだし」
アクセルリスの言葉を聞き届けたメラキーは、瞳に嫌悪を浮かべながらも、優しく語りかける。
「やはり貴女は異端者です。きっと碌な死に方をしません」
「言ってろ」
「ですが、私ならば貴女を救済することができます。貴女の背負ってきた罪全てを精算することができます。さぁ、貴女もアディスハハのように、私に身を任せなさい」
アクセルリスの拘束が解かれ、メラキーは手を伸ばしながら一歩近づく。
だが。
「……何を言ってんだ?」
アクセルリスはその眼をただ怪訝に細めるだけだ。
「ありもしない罪を、どうやって精算するんだ」
「──貴女」
メラキーは目を見開いた。
「貴女がここに至るまでに、数々の命を奪って来たことです。お判りになられない?」
「わからない。なんでそれが罪になる」
その言葉に逃避も、嫌悪も、まるで無かった。
それはアクセルリスのただ真っ直ぐな本音だったのだ。
「アクセルリス、貴女は」
「私が何かを殺すのは、生きるため。そうしないと私が死ぬから、殺す。ただそれだけの、簡単な摂理だよ。自然の掟でもある。それのどこが罪なの?」
「それは! ……貴女のエゴというものです」
「エゴ! その言葉を待ってたよ。そうだ。これは私のエゴだ。私が生き延びるために必要な! 私自身の! 私のためだけのものだ!」
声高らかに、アクセルリスは己の独善を謳う。
「分かったかな、メラキー。私は生き延びるための殺ししかしないし、そこに罪だとか罰だとかの善悪はない。あるのは純粋な本能だけだ」
「……呆れました。ここまで更生の余地が見られないとは。かくなる上は一つです」
メラキーはアディスハハに短刀を手渡す。
「失意の中、愛する者に殺されなさい。それが貴女に手向けられる最低限の救済です」
刃を構え、アディスハハは一歩一歩ふらふらと近づいてゆく。アクセルリスはそれをじっと見つめ、動かない。
〈……主、どうするつもりだ?〉
「ちょっと、無茶する。もしもの時はよろしくね」
〈勘弁してくれよ……〉
やがて鋼と蕾の二人は、互いに手の触れ合う距離にまで近づいた。
そしてアディスハハは──その刃をアクセルリスの腹に刺した。
「う゛……!」
アクセルリスは避けることもせず、それを受け入れるように。
「ぐ……、痛いじゃん……アディスハハ……」
激痛に耐え、身を保つ。
「でも……アディスハハは……もっと痛かったんだよね……!」
その体を、その魂を奮い立たせ。
「だから……!」
ぎゅっと、アディスハハを抱きしめた。
「何を──」
驚愕に緑色の瞳を歪ませるメラキーの前、アクセルリスはアディスハハの耳元で囁く。
「私も……私もその痛みを……その罪を……背負う……から!」
「──」
「二人なら……きっと、軽くなるから……だから……!」
「────」
「アディスハハ……!」
アクセルリスの体から、感情や血と共に、残酷な魔力が溢れ出る。
それはこれまでの、敵を殺すための鋭利なものではない。誰かを優しく包み、癒すための魔力。
彼女が持つ強い独我を宿した魔力が、慈愛の形となって二人を温めてゆく。
アクセルリスが、生まれて初めて、『誰かのためだけ』に祈った瞬間だった──
「これは──!」
メラキーが狼狽える。己の魔力が、アディスハハを縛り上げる枷が──砕かれた。
「────あ」
アディスハハの眼に、命の光が戻る。
「おかえり、アディスハハ」
アクセルリスは、苦しそうな笑顔でアディスハハを迎え入れる。
「あ……アクセルリス?」
その声を耳にし、アディスハハの凍っていた時が、一気に流れ出した。
「────!」
全てを思い出し、全てを知った。
アディスハハは急いで短剣を引き抜き、傷跡に魔力を注ぐ。蕾の魔力により、アクセルリスの傷は直ぐに癒えた。
「アクセルリス……! 私、私は……!」
「うん、無事で良かったよ」
「……どうして」
「私が言ったことは、聞こえてたよね」
「……うん」
「あれが全てだよ。アディスハハが罪の重さに押し潰されそうになるんだったら、その半分を私も背負う」
「……なんで、なんで私のためなんかにそこまでするの。私は、ひと時の感情で、故郷を滅ぼすことになったんだよ? こんな私なんか、私なんか……! 死んじゃったほうが……!」
嗚咽を漏らすアディスハハ。アクセルリスはそんな彼女の手を強く握り、言った。
「アディスハハが! 好きだからだよ!!!」
「──」
その曇りの無い眼差しは、どこまでもまっすぐで。
「好きな人を守りたい。好きな人を助けたい。それだけの理由だよ」
あまりにも純粋すぎるその告白に、アディスハハも息を呑み、そして。
「……ありがとう…………! アクセルリス……!」
涙を流しながら、身を寄せた。
アクセルリスはその背を優しく撫で、言う。
「……だから、アディスハハ。もう安心していいんだよ。私と一緒に、生きていこう」
「うん……うん……!」
絆と愛の誓いは、此処に固く結ばれた。最早それは裂かれることのない鋼のように、やがて咲く蕾のように。
【続く】