#2 テン・ヴァージンズ
【#2】
そして、時と場所はアイヤツバス工房へと移る。
アクセルリスの部屋、閉ざされた扉の前に魔女と使い魔がいた。
〈──そんなこともあって、二日もずっとあの様子なんだよ〉
「そうなのね……」
アクセルリスはあれから丸二日、自室に閉じこもっていた。
「あの子が食事もせずに閉じこもるなんて……相当ね」
〈だろ? オレも心配で心配で〉
使い魔とその創造主は青い顔を見合わせる。
そしてアイヤツバスが扉に声をかけた。
「アクセルリス? ご飯だけでも食べたらどう? あなたの好きな鶏肉パン、たくさん用意したわよ?」
〈そうだぜ主、メシ食って元気出してくれよ〉
とトガネも続く。
「────」
沈黙の返答。溜息を零しながら、両者は目を見合わせた。
それでもなお、静かに待っていた。
すると。二人の意思が届いたのか、やがて、ゆっくりと扉が開いた。
〈主!〉
「おはよう、アクセルリス」
「…………おはよう、ございます」
銀色の眼の下には大きなクマが見え、透き通るような銀髪も無造作に乱れてしまっている。
「落ち着いた?」
「食欲が湧くくらいには、何とか、落ち着きました」
「なら良かった。話は食後にしましょう」
「……はい」
◆
三者は食卓を囲んだ。普段は和気藹々としているはずのそれは、恐ろしいほどに静寂だった。
やがて、アクセルリスが山のような鶏肉パンを食い尽くしたのち。
「……ごめんなさい、ふたりとも」
〈なんで謝るんだ、主が元気になっただけでオレたちは嬉しいんだ!〉
「私が──私があんな、感情に身を任せて、八つ当たりなんて」
「あまり自分を責めないで。それだけアディスハハがあなたにとって大切な存在っていう証だから」
「……」
その表情は重く暗い。
「……これからどうするの、アクセルリス」
アイヤツバスがそう問うた。アクセルリスは顔を上げ、迷いなく言った。
「私はアディスハハを取り返します」
「うん。そう言うと思ってたわ」
微笑むアイヤツバス。自らの愛弟子の魂の炎は、消えていないと。
「──でも」
だがアクセルリスの表情は好転せず。
「でも、このままだとうまく行かない気がするんです」
「ええ、ええ。きっとそう。あなたのやる気が、闘志が、殺意が表象に戻っても、深層心理にはまだ亀裂が残っている。そしてメラキーはそれを好物とする外道。今のあなたじゃ、返り討ちが関の山よ」
「……」
尊敬する師から突きつけられる、残酷な現実。アクセルリスの表情は一層曇る。
「……どうすれば」
「かといって、諦めるのはまだ早いわ。このままでダメなら、変われば良いのよ」
「変わる……? 何を、ですか?」
「私に考えがあるわ。さ、早速だけどついてきて」
「……はい」
アイヤツバスの唐突な提案にも、アクセルリスは乗る。鬼が出ようが蛇が出ようが、縋れるものには何でも縋るのだ。
◆
そしてやって来たのは魔都ヴェルペルギースは魔女機関本部クリファトレシカ。その96階、『呪術室』という看板が掲げられたドアの前。
「お師匠サマ、ここは?」
「バツグンのカウンセラーがいるところ、よ」
〈呪術って書いてあるんだが……〉
「それはそれ、これはこれ。さ、行くわよ」
アイヤツバスによってドアが開かれた。
「──」
──息を呑んだ。
そこは広間だった。
その壁一面に謎の歯車機構が張り巡らされていて、まるで違う世界に迷い込んだようにも錯覚される。
そしてその空間の中央、ガラクタの山の上で胡坐を掻く一人の魔女。
「あれは」
その魔女の背からは、細く長いカラクリの腕が2対4本伸び、絶え間なく動き続け何かの作業を行っている。
それとは別に、本当の腕2本もまた別の作業に従事していたようだが、こちらの存在に気付き、手を止めた。
アイヤツバスは言う。
「突然の訪問、ごめんなさいね」
「通常は 許されざるが この事情 把握済みゆえ 不問としよう」
「助かるわ」
魔女がアクセルリスを見下ろし、名乗った。
「私の名 呪術の魔女の アラクニー 総督直属 呪術師である」
「呪術師……アラクニー……?」
アクセルリスは目を細めた。魔女機関に祭事を担当する呪術師が存在しているのは聞いていたが──あまりにも想像と違う。
「アクセルリス。今からアラクニーに、あなたのカウンセリングをしてもらうわ」
「カウンセリング……ですか?」
〈……呪術師が?〉
「呪術師の 仕事は多い あれやこれ カウンセリング そのうちの一つ」
〈はえー……〉
アラクニーの口調は独特で、アクセルリスの精神を不思議に揺らす。
「あなたがメラキーに打ち克つため、変わるため必要な事。用意はいい?」
「……はい、お願いします……!」
アクセルリスは強く頷いた。例え心に孔が穿たれようと、彼女の鋼の意思は健在なのだ。
「なればこそ その場に座り 目を閉じよ アクセルリスよ 心静かに」
「はい……!」
その言葉通り、アクセルリスはその場に座り込み、そして目を閉じた。
視覚がシャットアウトされ、他の感覚──とりわけ、嗅覚と聴覚が鋭さを増す。
「落ち着いて──リラックスするんだ──」
声。それはアラクニーのもの。先ほどのような奇妙な口ぶりではなく、優しく、穏やかな。
「身体に──意識を集めて──感じるままに感じるんだ──」
どこからか、心地の良い香りが漂う。それはアクセルリスの心を和らげ溶かしてゆく。
「聞こえているかい──?」
「はい──聞こえます」
「それなら──私の質問に答えていって欲しい──」
「はい──」
これより、アラクニーのカウンセリングは始まる。
「アクセルリス──君はなぜ、ここに来た──」
「それは、アディスハハを助けられるようになるため……」
「なぜ、アディスハハを助けることができない──」
「それは、今のままでは、メラキーに勝てないから」
「なぜ、メラキーに勝つことができない──」
「それは、私の心に傷が残ってしまっているから」
「なぜ、心に傷が残ってしまっている──」
「それは……身を挺してでもアディスハハを救おうとすることが、私の生き方に反しているから……?」
「なぜ、それが心の傷となる──」
「それは……それは……」
「アクセルリス──君は知っているはずだ──本当なら、それは傷になり得ないと──」
「──」
「さぁ──思い出せ──その瞬間を──」
「あの──瞬間──」
アクセルリスの意識がふわりと浮かんだ。
気づくと、そこは船の甲板だった。
存在しない存在として、意識となったアクセルリスが見る風景は。
「……皆さん凄いですね……あらゆる行動が『商戦に勝つ』という一本の芯によって成されているなんて」
「へへ、ありがとな」
「羨ましいです、その一貫性」
「ん? そうか? 聞いた話じゃあお前も相当に強い信念を持っていると思ったんだが」
アクセルリスとアドミラルの会話だ。西果ての島へと行く、その最中に交わした会話。
「でも、最近それが揺らいでいるんです」
「というと?」
「『誰かを身を挺しても護りたい』──そう思えるような事が、増えてきたんです」
「……ほう」
「これじゃいつか残酷魔女の任務に支障がでるんじゃないかと」
ありありと思いだしていく。あの日、海賊のような魔女のような、不思議な二面性を持つ存在から受けた言葉を。
「確かに一見したようじゃ矛盾しているように見えるが、それは早とちりなんだ」
「それって、どういう……」
「信念は一つに絞らなきゃいけない、なんて誰が決めたんだ?」
「え」
「『自分』というものを一つに絞ろうとするから矛盾が起きるんだ」
「……」
「皆何かしら複雑な事情を抱えている。それこそ、自分でも解決するのが難しいほどに」
「……確かに」
「なら、『自分』を一つに確定させようなんてどんな無茶かは良くわかるだろう」
「……!」
「『絶対に死にたくない自分』もいる。『誰かを護りたい自分』もいる。それでいいじゃないか」
「二つの──自分」
そこに答えは出ていた。既にアクセルリスは自身が抱える壁を破る鍵を握っていたのだ。
アクセルリスの意識が凝固し、現実へと戻る。
「見えたか──アクセルリス──」
「──見えました」
「結論は──既に君の中にあるんだ──」
「……はい」
「ならば──何故それを受け入れることができないのか──」
「それは──それは」
「それは──君の『エゴ』が薄れてしまっているからだ──」
「エゴ……?」
「そう──だから君は──エゴを鍛え直せばいい──」
「──」
「さあ──これで」
アラクニーが手を叩く。アクセルリスの体が少し跳ね、現実性を帯びてゆく。
「目を開けよ カウンセリング 終了だ アクセルリスよ 道は見えたり」
「あ……」
言われるがままに目を開く。問答を交わしただけなのに、体がどこか軽い。
「なんか……すっきりしたような」
体だけではない。心も、沈み切っていた時と比べて、幾分か浮き上がるようだった。
「アラクニーさん、私は……」
「得た手段 行うべきは ただ一つ エゴを鍛えて メラキーを断て」
「鍛えるって……私のエゴって何なんですか?」
「己が胸 己が心に 聞くがよい 答えは自明 それそのもの也」
「わからねえ……」
頭を抱えるアクセルリスに、アイヤツバスが歩み寄る。
「まあ、何をすればいいかは分かったじゃない。後は私に任せて」
「お師匠サマがそういうのなら……」
自信を醸すアイヤツバスの表情に、アクセルリスは一先ず安心を覚える。
「それじゃ、私たちはお暇するわね」
「ありがとうございます、アラクニーさん」
深く深く頭を下げる。
「礼は良い 我が権能で 人助け 役に立てたら 本望である」
〈達者でなー!〉
「どの立場から言ってんの、それ?」
六つの腕全てで手を振るアラクニーに見送られながら、アクセルリスたちはその場を後にした。
得た解法から、答を導き出すために。
【つづく】




